第1話 トランスセクシュアルな勇者
ボン! と、結界の切れる音がした。
魔王の張り巡らした、勇者一人だけを通す結界が、外の圧力と時間経過によって切れたのである。
「ゆ、勇者様っ!! 」
そこになだれ込んできたのは、勇者パーティ一行であった。
露出度の高い鎧を着た女戦士・魔女・え、ええと、筋肉むきむきのヒーラー……そして、何だろう? この……ピエロ姿の性別不明の職業不明の人間。
しかし、辺りには、勇者どころかひとっこ一人すらいない。
紫色の瘴気をまとった空気と、それから、魔王の玉座があった場所には、直径10mはありそうな、大きな穴が開いている。
勇者の仲間たちは、顔を見合わせてから、おそるおそる穴に近づいた。
「勇者様!! 勇者様!! 」
「落ち着け、フライヤ。まずは状況を確認するのが先だ」
取り乱したように、魔女姿の、フライヤと呼ばれた女が、穴にすがりつく。
しかし、その穴は、どこに繋がっているのかすらわからないほど、深く、深淵をたたえていた。
「そんな……勇者様と魔王は……もしかして、魔界に……? 」
「……考えたくはないが、もつれ合ってそのまま堕ちたのかもしれんな」
戦士と、ヒーラーがその穴をのぞき込んだ。
どこまで続いているのだろうか? 石でも放り込みたいところだが、本当にこの穴が魔界に通じている可能性がある以上、下手な手出しはできなかった。
「では、これを封印するというのか!? 勇者様が、落ちたのかもしれないのだぞ!? 」
「…………」
戦士の必死の形相に、ヒーラーは軽く首を振ることで応えた。
そして、「しかし……」と言葉を継ぐ。
「しかし……勇者殿は、きっと帰ってくる。だから……勇者殿が帰るその日まで、我々は普段の生活に戻りながら、待つことはできるだろう」
「では、勇者様は戻ってくるんだな!? この穴も、封印せずに、ということだな!? 」
「わからん。それは、国王陛下が下される結論だからだ。しかし、勇者殿は、あの秘宝……『珠の枝』を持っている。それを使い切ってのことなのかもわからないが、もし、4つの珠のうち、一つがまだ残っていたとしたら……」
「勇者様も、帰ってくるということだな! 」
そう、言い合いをしているうちに、ずるり、ずるりと軽い履き物を引きずる音が聞こえてきた。
二人がその音の方向を見ると、魔女が、肩を落としてすんすんと鼻を鳴らしていた。
「……フライヤ。気を落とすでないぞ」
「そ、そうだ! 勇者様は『珠の枝』を持ってらっしゃるんだぞ! どんな望みも、ジルバ神が叶えてくれるものだ! きっと、あの珠の枝を使って、帰ってくるに決まっている! 」
「……戻ろ? 」
フライヤと呼ばれた魔女は、そう、呟いた。
仲間たちは、お互いの顔を見合わせる。
「戻ろ……ここに、勇者様はいない」
「フライヤ、『探知』を使ったのか? あんたなら、周囲1kmは探知できるはずで……」
「いなかった」
そのフライヤの言葉に、仲間たちは首をうなだれた。
「……そうか、いないか……」
「ともかく、国王陛下に報告するとしよう。悲しむのはそれからだ。大丈夫、勇者殿はきっと帰ってくるだろうよ」
ヒーラーの一言で、そこにいた全員がうなずく。
しかし、部屋を出て行く際に、魔女が、急に方向転換すると、ぺたぺたぺたと薄い靴底を鳴らして、穴の縁に手をやった。
「勇者様ーーーーー! 待って、待っていてね!! きっと、きっと私たちが助ける方法を見つけますわ!! 」
穴からは、何の反応もない。
ゆるゆると厚い雲のように、紫色のもやが流れるだけである。
「勇者様ーーーー!!! 」
その、魔女の、絞り出すような声が、魔界の空気に溶け込んでいっただけだった。
――
「うん……んん……」
薄くドレープしたカーテンが、ゆっくりと俺の顔を撫でる。
ゆっくり目を開けると、さらさらとしたシルクのシーツと、厚手の毛布の感触が、俺の体を覆っていることに気がついた。
「……朝……」
そう呟いて、身を起こす。
窓の外は、赤い霧がその空気の大半を占めていて、なんだか禍々しい。
俺は、「ん、んー! 」と伸びをして、それからペタペタと裸足で全身鏡の前に立った。
「……うん」
なんとなく、納得してしまう。
その鏡の中に映っているのは、赤毛の、筋肉が均等に付いている、「勇者」の俺ではなかった。
栗色で、背中に流れる長い髪。
アーモンド型をした、少し垂れ目気味の、金色の瞳。
ルージュを引いたような、ボルドーの唇が、やけに艶めかしい。
筋肉も、余分な贅肉すらない、華奢な体は、ふっくりと胸の辺りがわずかに膨らんでいて、正直もう一声欲しいところだったが、尻はぷりんと上がっていて、『胸より尻』な体格になっている。
年齢は、10代後半といったところである。
「……うええええ、やっぱり戻ってない……」
その声も、「鈴が転がるような」と称されるにふさわしい、美しく澄んだ声であった。
何も、この姿は、俺が望んでそうなったわけではない。
元から、俺はれっきとした男だったし、こんな姿になるとは思ってもみなかった。
ここ、魔王城に連れてこられて一週間。
俺は、男から美少女に姿を変えて、生きていたのであった。