1話:やりたいことをください
昼下がりの教室。
陽の光にあてられながら居眠りをしていると、マイクに息を思いっきり吹きこんだような不協和音が空間をジャックする。ずがん、という爆音。おかげで意識がはっきりしたかと思えば、鮮やかになりかけの視界は数瞬のうちに暗転する。停電だ。
ついですさまじい横揺れが校舎一帯をおそう。地震に襲われた教室は泡立てボウルと化して、何かが割れたり何かが軋んだりする。音源を気にする余裕もないけれど、きっと世界そのものの悲鳴にちがいない。
教室とともに脳内をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたクラスメイトは、ただただ言葉ならぬノイズを発するだけ。そこらに転がる机や電灯と変わらない。突如の災害におそわれたこの場に、思考をたもつ人間はもはや居なかった……
いや、ひとり。
荒れ果てた教室にひとりだけ、決然と立ちつくす者があった。
「……とうとうお出ましというわけね、邪神・グローセ=ゲヴァルト(固有名詞は聞きかじりのドイツ語で固めるのがコツ)!」
まるでこれまでの惨禍が打ち合わせ済みであったかのごとく、高らかな宣言とともに行動を開始する者がひとり。それこそがほかならぬ私、遊佐青葉なのだ。
私は横転している机にかけてあったスクールバッグを手にとる。中から紅い(赤い、でないところがポイントだ)手のひらサイズのブローチをとりだし、右手いっぱいに掲げる……すると私の身ぐるみは、濃紺のブレザーとブリーツスカートからひらひらの白いドレスへと様変わりした。
いつの間にか右手に握られている金色のステッキを確認し、私は走り幅跳びの要領で飛びあがる。すると着地することなく浮遊をはじめた。
稲妻のように亀裂の何本も走った教室の窓ガラス。それを私は勢いでつきやぶり(痛いかもしれないけれどこのへんはご都合主義だ)、一挙に外へと飛び出す……あちこちにはびこる黒い魔物たち、「ゲヴァルト」の一族と戦うために。
ステッキの先端にうめられた紅いブローチに、私の顔が映りこむ。その口元はわずかながら笑っているように見えた。
私は何を隠そう、炎をあやつる赤の魔法少女だ。日本をおそう魔物たちをやっつけては、世界の秩序をなんとか保っている。
けれどもそんな私の活動は誰にも知られることがない。普段はいたってフツーの女子高生として、等身大の生活を送る。友達と机をあわせてお昼を食べたり、五時間目にはうっかり居眠りしちゃったり。
少女漫画風にいえば、「私が魔法少女なことは、みんなにはナイショなの!」ってやつ。
校庭にはびこる敵を前に、私は高らかに宣言する。
「さあ! 今日も一日、私だけの戦いを始めるわ!」
……
…
「……妄想、終わり」
中学生の頃、自分は小説家になれると思っていた。
ノートパソコンを前にして、たとえば今のような妄想をするのが好きだった。
ひょんなことから契約した、放課後限定の魔法少女……そういう隠された一面みたいなものを、私は何度だって妄想した。夢想した。
いつか世界は魔物たちに襲われる。パンデミックに陥る。そんなとき、人類の絶望にさす一筋の光こそ私であると。
高校生になって、ようやくわかってきた。
世界はつまらない感じに安定している。そして私は人知れず戦う魔法少女ではなく、彼女と机を合わせてお昼を食べる友達、モブの側にいるのだと。
妄想が現実になることを、私は何度もねがったけれど、そのうちそれも諦めた。
仮に妄想が現実になってもみよう。世界の命運を握るひとりの魔法少女にでもなってみよう。そうすれば今度は、こう思うに違いない……これが妄想だったらよかったのに。
そうして私は、中学生からの夢だった小説家になることを諦めて、高校三年生になった。
痛々しいポエムを書き留めたテキストファイルが、誰に届くこともなく、自宅のノートパソコンで今も眠っている。
“今のうちにしかやれないこと、それにはそれほど興味がなくて、何をやりたいのと聞かれると、やりたいことが見つからない。困ってしまった私は結局、いわれたことだけをこなしている。
……世界はきっと、いつまでもつまらない。”
たとえばこれだけを記したファイルがある。妄想が現実になることをのぞんでいた中学生の残滓と思う。
今はというと、いわれたことをこなしていけば、いつか自分のやりたいことが見つかるんじゃないかと、漠然とした希望を抱えて日々を生きていた。もはや断片の寄せ集めと化した日々に、なにがしかのドラマを未だに求めていた。
私のほしいものは極めてシンプル。やりたいことを私にください。
(2話に続く)