車に轢かれる様に 1
「じゃあね」
「ああ、うん」
下駄箱に着いた途端、彼女の声は僕に対する興味を無くした様に色味が落ちる。でもこれだっていつもの事だ。特別変な事じゃあない。
その横顔が表情も見せずに通り過ぎていった。ひらひら掌の踊る後ろ姿で、蟠りが微かに消える。
「お前ら、本当に喧嘩してるんじゃあないんだよな?」
「……してないよ」
クラスメイトの日野陽介君が、後ろからヌッと僕の肩越しに顔を出し覗きこんできた。
「おっす、トモ」
「おはよ」
ワックスでキメた茶髪のミディアムパーマとうなじ、それぞれの場所から別の匂いが飛んできて僕の鼻を混乱させる。女性のものならまだしも、彼の場合あまり良い気持ちはしない。
「……本当に素っ気ないよな、夏見先輩。それでも一緒に登下校は羨ましい」
「そんなこと言われても……」
上履きへと履き替えクラスに向かう。彼もそうだけど、なっちゃんに好意を寄せる人は少なくないらしい。
しかし、それはあの狂気を知らない人達が見る仮の姿に対して。実際なっちゃんは学校内ではクールビューティで通っていた。凛としていて、歩く姿や表情は颯爽としつつ強く硬い意志を皆に印象付けている。
そんな学校での彼女は決まって僕を横切る時でさえ前だけをしっかり見つめ、無視をする様に過ぎていく。場面ごとに自分を切り替える人なんていうのは、人物像として想像できても実際知っているのは唯一彼女ぐらいなものだ。
「な、今度三人で遊びに行こうぜ」
「また聞いておくよ」
小さい溜息をつきながら教室の中に入って鞄を置いた。
「マジで頼むからな。後アレだ、いつものアレ貸してくれよ」
「……はい、これ」
いつものおねだりを予測していた僕は、彼の顔を見もせず既に鞄のチャックを開けている。そして中から文庫本を取り出し手渡した。ジャンルで言えばいわゆるライトノベルと呼ばれるものだ。
「サンキュ」
「それなら分厚いし、読み応えあると思うよ」
「ああ、それでもこれぐらいなら、二日ぐらいだな」
恐ろしい……手渡したものは文庫本と言いつつ鈍器ともいわれるほどの厚みを誇り、実際国語辞典にも引けを取らないほどのページ数だ。それを二日で? 流石サボり魔。いや、時間にして丸2日という事じゃあない。彼は速読スキルの持ち主で、それを授業の最中に隠れ読むという行為によって手に入れたらしいのだ。本人曰くそうなっている。
彼はその容姿や仕草の通りDQNなんだけど、アニメだとかそういう垣根が一切なく、且つ面白くないという理由から授業をほぼ無視し本の世界に逃避している。それで「小説を早く読まないとバレて没収される」という恐怖心から自然と身に付いた、と驚いた僕に嬉々として話してくれたことがあった。
もし先生の質問に当てられたらどうするんだろう、なんて想像もしてみたけど、よくよく考えてみると彼に答えさせる先生なんて多分居ないし、彼もそれはそれで分かりませんだとか言ってうまいこと逃げるのだろう。ちょっと羨ましい。
「なんかこの小説設定ばっかだな。フーン、こういうの好きなの」
「いや、そういう訳でもないけど」
今もペラペラとめくりながら嘘みたいに読み進めている。どうせ興味が無いから斜め読みでもしているのだと後から聞いてみた事が一度あったが、内容をちゃんと把握していて戦慄したことは未だ記憶に新しい。最もそこには“DQNの癖に”という注釈があっての事だけど。
彼が手に持った本から目を離さずゆっくり座るのを見て、僕も椅子に腰を落ち着かせた。