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エビフライと黒ビール

「リュウジはいつから女に優しくなったにゃ」

 

 レストランのカウンターで黒ビールを飲むリュウジに、寧音が話しかけた。カウンターに置かれた小さな猫の置物である。


「何だ、寧音、やいているのか?」


 リュウジは黒ビールを一口飲んでそう置物に話しかける。


「うちがやくわけがないにゃ。答えをはぐらかすにゃ」

「……クズが許せなかっただけだ。あの女に同情したわけではない。俺が助けなかったとしても、男を見る目がないあの女の自己責任だろう」

「くくく……。そういうことにしとくにゃ」


 寧音はそう何か含んだ言い方をした。リュウジは無言で黒ビールをごくごくと飲み干した。大きなガラスジョッキに満たされた黒ビールはきめ細かい泡と共に瞬く間に消えた。


「もう一杯くれるか?」


 リュウジはそう通りかかった給仕に2杯目を注文した。

 黒ビールは麦芽の製法の違いで黒くなったビールだ。通常のビールの場合、麦芽の焙燥ばいそう過程においてその最高温度は85度程度だが、黒ビールの場合は105度まで上昇させて焙焦させることで麦芽に濃い色をつける。

 リュウジがこの日に訪れた流浪亭で出す黒ビールは、分解が進んだ黒褐色のカラメル麦芽を混ぜ込み、硬度の高い水と少なめのホップで作った北部地方の特産物であった。

 店主が北部ミューゼン地方出身で、特別に取り寄せたビールであった。アルコール度数が高く、滑らかな口触りと独特な風味と苦みがたまらない酒である。


「はい、ご注文のエビフライです」

 

 2杯目の黒ビールと同時にエビフライが乗せられた皿が来た。こんがりキツネ色の衣をまとった3本のまっすぐになったエビフライである。


「リュウジ、これはうまい奴だなにゃ……」


 皿に盛られたエビフライを見てそう寧音がつぶやいた。リュウジもそう思った。前から気になっていた店だったから、この定番の料理でもかなり美味しいと予想していたが、それを裏切らないビジュアルである。

 まずは付け合わせのレモンを絞り、その汁を1本目のエビフライに振りかける。ジュアジュアと音を立てていた揚げたてに違う音が加わる。

 それをフォークで突き刺して思いっきり噛んだ。


「うおおおっ……」


 かぶりついたエビ肉がちぎれ、その肉厚の身をさらに2噛み、3噛みする。エビの旨味が口いっぱいに広がる。そしてさっぱりとしたレモンの味が油っぽさを消し去る。


「これはたまらん……」


 ここで2杯目の黒ビールをググっと飲む。ほろ苦さがエビフライの味をリセットし、脳天に突き抜ける旨さへと昇華する。そして2回目のかぶりつき。咀嚼しながら、思わず3口目にかぶりつく。


「エビの新鮮さもさることながら、これは料理人の腕のおかげだな」

「そうだにゃ……。そうなると2本目はそのソースでいただくにゃ?」

 

 寧音がそう指摘したのは、皿と一緒に運ばれてきた小皿。そこには特製のタルタルソースが入っている。


「玉ねぎは薄切りにして細かなみじん切りに。パセリとピクルスも細かいみじん切り。マヨネーズとゆで卵のみじん切りを和えたものにそれらを加えれば、基本的にはどこでも同じタルタルソースになるのだが……」


 リュウジは2本目のエビフライにタルタルソースをたっぷりとかける。それを大きな口をあけて思いっきりかぶりついた。


「この油を包み込むようなまろやかさ。パリパリの触感にねっとりとする触感が同時に味わえ、さらにエビの甘さが口に広がる……」


 リュウジは黒ビールをごくごくと飲む。そしてまたエビフライにかぶりついた。かみ切ったエビの断面にさらにたっぷりとタルタルソースを付ける。


「リュウジ、タルタルソースの作り方は簡単にゃ。だけど、店によって味が微妙に違うのはなぜにゃ……」

「決まっているだろう。同じ作り方でもプロの技と工夫があるのだよ」


 そうリュウジが寧音に答えた時にトンと黒ビールのジョッキが目の前に置かれた。実はリュウジは2本目のエビフライを食べつつ、我を忘れて黒ビールを飲み過ぎてしまい、ジョッキにはほとんどビールが残っていなかったのだ。


「お客様、こちらの方からです」


 そうカウンターにいた主人が告げた。リュウジは横を見る。いつに間にかそこには客が座っていた。


「お前は……」

「お構いなく。リュウジさんは一人で飲むのがお好きなんでしょう。私も一人で飲んでいるだけです」


 その客はアオイであった。リュウジは寧音とエビフライ談義をしていたから、隣に座った客を見ていなかった。


「……」

「それは今日のお礼です。ビール1杯じゃ御返しにならないけれど、それくらいはいいでしょう?」

 

 そういうとアオイは自分のグラスに口を付けた。やがて、アオイにも料理が運ばれてくる。リュウジと同じエビフライである。


「リュウジさんの食べる様子がとても美味しそうだったから、頼んでみたけれど……見れば見るほど美味しそうだわ」


 そういうとアオイもかぶりついた。口いっぱいに広がるジューシーなエビの味に悶絶している。


「ありがたくいただいておこう」


 そう言うとリュウジも3杯目の黒ビールに口を付けた。勢いで2本食べてしまったが、ここからはゆっくりと味わって食べることにする。


「ねえ……リュウジさん、先ほど私のことを自業自得だなんて独り言を仰ってましたけれど、もうこれまでの私とは決別しますから」


 トンと音を立ててグラスをカウンターに置いたアオイ。どうやら、アルコールが回ってほろ酔い加減になっているようだ。


「決別……そう人間は変わるものではない。お前に男を見る目がないのは、元からもっている資質がそうだからだ」

「……言ってくれるじゃない」

「事実だ」


 短く突き放すようにリュウジはアオイに言った。しかし、アオイも負けてはいない。


「そう言いますが、今まではいい男の基準が分からなかっただけ。今はそれがあるから、二度とダメ男には引っかからないわ」

「ククク……」


 アオイの言葉にリュウジは笑った。


「基準か……何を基準としたのかは知らないが、見る目があっても騙される奴はだまされるものだ。あんた、このエビフライを見てどう思う?」


 変なことをリュウジは聞いた。アオイはとまどった。話の流れからエビフライに行くとは思ってもいなかったのだ。


「エビフライを見てって……普通よりも大きいけれど……」

「ふん。浅いな」

「なんですって!」

「お前は他の店でエビフライを食べたことはないのか?」

「失礼ね。エビフライなんていろんなところで……」


 ここまで口にしてアオイはハッと気が付いた。いつも食べていたエビフライとこの店のエビフライの違いをだ。


「ここのエビフライは真っすぐだわ……ふつうは丸まってしまうのに」


「そういうことだ。そしてエビには臭みがあるが、このエビフライにはそれがない。料理とは見た目だけではない。どうした処理をするかで出来上がりが違ってくる」


 アオイはリュウジが何を言っているのか、理解できない。もしかしたら、リュウジも酔って支離滅裂なことをしゃべっているのかもしれないと思った。

 しかし、リュウジの言葉は真剣であった。カウンターの中で料理している店の主人にエビフライの作り方をアオイに教えるように頼んだのだ。

 主人はちょうど他の客に作るエビフライがあったので、リュウジの要求に笑顔で応える。先ほどから自分の料理をベタ誉めされていたので機嫌がよかったことも多分に影響していた。


「まず、殻をむきますが、尻尾の剣先を切り取って中の水分を包丁でこそぎ取ります」


 まな板の上ですばやく尻尾の中の水分を扱き出した。そして竹串を取り出して背ワタを取る。そしてエビの腹に斜めに5か所に包丁で切れ目を入れる。


「あの……ちょっと聞いていいですか?」


 ここまで黙ってみていたアオイは店の主人にこんな質問した。


「その作業は揚げた時にエビが丸まらないための仕込みだとお見受けしますが、なぜ斜めなんですか?」

「へえ、細かいところを見ていらっしゃいますね」


 そう言って主人は笑顔を見せた。そしてエビを手に取ると逆エビ固めのように背側に曲げた。ぶちぶちと筋が切れて行く。


「このようにするとエビがまっすぐ揚がるのです。先ほどの包丁を斜めに入れず、まっすぐにするとこの過程で千切れてしまうのです」


 そう主人は説明した。そして下処理したエビに塩と白胡椒をふりかけ、オリーブオイルと牛乳をかけてマリネする。


「こうすると生臭さが抜けるのですよ。これで30分寝かせる」

 

 そう主人は笑って30分前に仕込んでおいたエビを冷蔵庫から取り出し、衣をつけて揚げ始めた。


「なるほど……エビフライってエビを揚げるだけだと思っていたけれど、細かい技がたくさん使われているのね」

「それが分かるようになったのなら、前言は撤回しよう」

「私が人を見る目がないってことをですか?」


 アオイはしばし考えて、リュウジが言おうとしたことを理解した。そして2本目のエビフライにかぶりついた。


(そういうこと……。目利きができても美味しく料理するには、プロの技が必要だということ……ああ……そんな技をどうやって身に着けろというのよ!)


 アオイはリュウジの言わんとしたことが分かった。いろんな経験を積まなければ、人というものの良さは理解できないということ。


(でも……)


 アオイはエビフライを咀嚼しながら、リュウジの方をちらりと見た。リュウジもの残りのエビ

フライを味わっている。


(少なくとも尊敬できる男性の見本は見つけたわ……あとはこの素材を使って経験を積むことだわ……)


 コホンとアオイは咳ばらいをした。


「あなたに馬鹿にされないよう、私も経験を積まさせていただきますわ。リュウジさん、これからも末永くお願いしますわ」

「意味が分からない」


 アオイの言葉にリュウジはそう言い、黒ビールの残りを飲み干した。


 こうやって女と酒を飲んだのは10数年ぶりだ。リュウジは心の奥底に閉じ込めた記憶が、植物が地面から芽を出すかのように現れたのを止めることができなかった。


「アオイ……」

「な、何ですかリュウジさん……」

「お前、まだ飲めるよな?」

「は、はい……。これでも私はお酒に強い方ですから」


 リュウジは黒ビールをさらに2つ頼んだ。


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