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リザードラン

「冗談じゃない。こんな端金で別れるものか」

「はした金って、これまであなたに貸したお金は金貨で200枚以上よ……。今まで働いて貯めたお金を全部渡したわ」

「君はこの町の冒険者ギルドの職員だろ。安定した収入があるじゃないか。これから稼ぐ金に比べたら、大した額じゃない。それに、お前ほどいい女を手放すわけがない」

「さ、最低……」

 

 アオイは豹変したニックにとことん幻滅した。一時的にでもこの鬼畜男の付き合っていた自分が大馬鹿だと痛感した。


「私はあなたと別れたい。どうすればいいの?」

「そうだなあ。まあ、あと金貨500枚手切れ金をくれれば考えるよ」

「金貨500枚……ひ、ひどい……最低だわ!」


 アオイはそう悔しい気持ちで目を潤ませた。ニックはそんなアオイにぐいぐいと迫る。


「俺からは逃げられない。別れると言うなら、冒険者ギルドへ行って暴れる。俺はアオイの彼氏だって騒ぐ。さて、冒険者ギルドの皆さんは有能なアオイさんの彼氏が俺だって知ってどうするだろうなあ?」


 アオイは思わず唇をかんだ。この男ならやりかねない。


「そんなことしたら、訴えます!」


 アオイはそう言ったが、その言葉が大して効力がないことも知っていた。名誉棄損だとか、職務妨害だと言ったところで痴話げんかとして片づけられてしまうだろう。こうなると社会的地位のないニックがいかに有利な立場にいるのだと思い知らされてしまう。


「ほう、やってみれば~」


 アオイの胸中を見透かしたようなニックの台詞。アオイは唇を噛んだ。

 ニックが冒険者ギルドで暴れれば、きっとギルドで排除されるだろうが、アオイの名を口にすれば、他の職員の手前、アオイは恥ずかしい思いをする。信頼も地に落ちる。


(かといって……金貨500枚なんて……)

 

 冒険者ギルドには、お金を貸してくれるシステムがある、登録している冒険者や職員は利用できる。町の高利貸しよりは利子が安いが、返せないことになったら、鉱山や船の漕ぎ手として一生働かせることになる。女なら妓楼へ売り飛ばされて、体で払うことになろう。

 アオイの収入なら借りて払うこともできるが、利子を考えたらとんでもないことになる。アオイの給料の大半が借金の支払いになるだろう。10年以上その生活を送ることになろう。

 ツツツ……。アオイの頬に涙が流れて行く。


「痛い!」


 不意にニックが苦痛の声を上げた。

 ニックは手首をねじられ、いつの間にか壁に押し付けられている。


「リ、リュウジさん……」


 アオイはびっくりした。ニックの手首をひねってアオイから引き離した男の正体がリュウジだったからだ。


「おい、痴話げんかは外でやってくれ……酒がまずくなる」


 リュウジはそう言うとニックの手を離した。左手には酒の入ったジョッキがある。


「き、貴様、何をする!」


 ニックはリュウジに向かって殴りかかるが、そんなへなちょこパンチがクエスト調査官に通用するはずがなかった。


 アオイにも見えないスピードで右手が伸びたかと思うと、ニックの鼻がへこみ、血が流れだした。リュウジはごくごくと喉を鳴らしておそらくビールだろうと思われる液体を飲み干す。


「女から金を巻き上げるだけでなく、こんな場で恥をかかせるとは、おまえはクズ男か?」


 ジョッキをカウンターに叩きつける様に置くと、リュウジはその場にうずくまったニックの胸ぐらをつかむ。


「おやっさん、騒いですまん。こいつは外に捨ててくるよ」


 カウンターの店主は無言でうなずく。リュウジはポケットから銀貨を取り出すとカウンターへ置く。そして、そのままニックを引きずり出して店の外へ出た。


「ま、待ってください、リュウジさん!」


 慌ててアオイも後を追う。偶然とはいえ、リュウジがこのパブにいて、アオイのピンチを救ってくれた格好になったのであるが、リュウジが自分のためにこんなことをしてくれるとは意外であった。


「お、おっさん、貴族に向かってこんなことして、ただで済むと思っているのかよ!」


 最初はショックで言葉が出てこなかったニックは、外に出ると急に強気を取り戻した。


「しゃべれるようになったようだな、坊ちゃんよ」


 リュウジはそう言ってニックを離した。ニックは鼻血をハンカチで拭き、そしてシャツを正して立ち上がった。


「おい、おっさん、てめえは誰だ。アオイの知り合いか?」

「……知り合いというほどではない」

「だ、だったら、部外者は黙れ。これは俺と彼女の問題だ」


 そう強気に発言するニック。だが、リュウジは全く動じない。


「彼女ね……じゃあ、坊ちゃん、こうしようじゃないか」


 リュウジは腰に付けていたバックから袋を取り出す。中から大金貨を5枚取り出す。大金貨は1枚で金貨100枚分の価値がある。


「この金をかけて勝負しようじゃないか」

「大金貨……勝負だって?」

「聞けば、坊ちゃんは競蜥蜴リザードランが得意ということだが」

「……ああ得意だ」

「じゃあ、明日のレースでどっちが金を増やせるか勝負しよう。坊ちゃんが勝てば、この大金貨5枚を進呈しよう。そこにぼーっと立っている女も好きにするがいい。だが、俺が勝てば大金貨は手に入らない。その女も俺がいただく。そして、金輪際、この女に近づくな」


「なっ!」


 アオイはその申し出に驚いた。リュウジがそんなことを提案するなんて思ってもいなかったのだ。


「おもしれえことを言うじゃないか、おっさんよ!」

「元手はこの大金貨1枚。」


 リュウジはそうニックに大金貨を目の前にチラチラさせる。


「これで今晩だけ、この女を買おう」

「マジかよ、おっさん」

「正気だよ。アオイはそれだけの価値がある女だ……」

「ふふふ……いいだろう。アオイは今晩だけ自由にしろ。この大金貨はいただく。明日の勝負も受けて立つ。これを元手に大儲けしてやる。さらに、おっさんに勝っただけで大金貨5枚ももらえる」


 リュウジは大金貨1枚を親指で弾いて回転させて、ニックの方へ弾く。それはニックの右手に収まった。


「せいぜい、研究をすることだな。競蜥蜴はデータ勝負だ」


 そうリュウジは忠告するが、ニックは鼻で笑う。


「おっさん、素人だろう。データは勝つための1つの要因さ。勝つためのノウハウは数多くある。それを組み合わせていくのがプロなのさ」


 ニックはそう言いつつ、手に入れた大金貨を眺めている。これほどの大金は久しぶりに手にするから、顔が自然とにやけてくる。


「では、この女はもらっていくぞ」


 そう言うと呆気にとられて声も出せないアオイの手首を掴んで、リュウジは歩き始めた。アオイもそれに従ったが、店から離れたところで立ち止まった。


「ち、ちょっと、待ってください!」

「なんだ?」

「わ、私をどこへ連れて行くのですか?」

「別に。お前の家に送っていくだけだ。この辺りのこの時間は、女一人で出歩くのは危険だからな」

「あ、あの……」

「なんだ?」


 アオイは先ほどのニックとリュウジのやり取りを思いだした。自分の目の前で、自分になんの断りもなく、お金で自分を売り買いしていたのだ。こんな失礼で屈辱的なことはない。


「私をお金で買うとか、失礼です!」

「彼氏はお前を大金貨1枚で売ったぞ?」

「あ、あんなのは彼氏なんかじゃありません!」


 アオイは否定した。昨日までは確かに付き合ってたかもしれない。だが、今日は別れ話をしてきっぱり別れるつもりだったのだ。


「だが、別れ話は成立しなかった。結果的には俺がお前を救ったわけだが」


 リュウジの言葉は正しい。アオイの別れ話に逆上して、ストーカー化したニックに取引を持ち掛けて条件を取り付けたのだ。


「明日、奴をギャンブルでコテンパンにすれば、それできっぱりとお前はあのクズ男から解放されるわけだ」

「そ、そうですけど……」


 自分を勝手に買い取ったとはいえ、結果的に助けられたことは事実である。


「それでも、大金貨1枚って……ま、まさか、私の部屋でいやらしいことを」

「するわけがない。そもそも、いくらあんたでも一晩で大金貨1枚は高すぎる」

「た、高すぎるって失礼だわ!」

「この町で一番高級な妓楼のナンバー1の女を一晩買っても金貨30枚だ。男を大して知らないくそ真面目女に大金貨1枚はない」

「侮辱だわ!」


 そう怒りで甲高い声を上げたアオイだが、淡々と話すリュウジの表情を見ていると、確かに自分に何かしようという下心は全く感じない。


(この人、本当に私をあの場から穏便に連れ出すために大金貨1枚出したというの?)


 アオイはリュウジの考えが読めない。しかも、明日にギャンブルでアオイと大金貨5枚という大金を賭けて勝負するのだ。


「リュウジさんは、どうして私を助けてくれたのですか?」

「……なぜだろうな」

「理由がないんですか?」

「強いて言うなら、あのクズ男に引導を渡してやりたいだけか。ああいうクズは一度、奈落の底に突き落とす方がいい」

「……その口ぶりだと明日は勝算があるようですが。リュウジさんは、競蜥蜴リザードランの経験は長いのですか?」

「……やったことはないな」

「ふぇ?」


 思いがけない答えにアオイは変な声を出してしまった。恥ずかしさで口を塞いでしまう。


「見たことはあるが、賭けたことはない。心配するな。ルールは知っている」

「そんなズブの素人なのに大金貨5枚も賭けたのですか?」

「くくく……。素人だが奴には勝てる」

「何を根拠に?」


 アオイは信じられないという顔つきだ。確かにニックはギャンブル好きで自称プロのギャンブラーだ。だが、正直、ギャンブルは強くない。そうでなければ、いつもお金に困っているはずがない。

 それでも長年の経験がある。ニックだっていつも負けるばかりではない。勝つ時もあるのだ。


「勝てるさ。修羅場を潜った回数が違う」

「それは冒険でしょ」

「同じさ……。それよりも、あんた……。あんたのような聡明な女が、あんなクズと付き合っているとはな。見る目がないのも限度があるだろ」


 痛いところを突かれたとアオイは思った。アオイは昔からダメな男の世話ばかりしていた。自分ができるだけに、できない人間が気になってしまうのだ。


「あんた雨の中、にゃーにゃーと鳴いてすり寄って来る猫を拾いあげるタイプだろ?」

「……否定しません」


 そう言えば、ニックと出会った時も雨の中であった。ずぶ濡れのニックが何だかかわいそうに見えて、声をかけたのが運の尽きだった。


「その猫は家に上がると最初は弱弱しく鳴いて、自分を哀れな存在に見せる。ミルクをもらって恐る恐る舐める。そして温かい寝床で寝る。だが、次に日には図々しくエサを要求し、あんたのベッドに潜り込み、部屋中を引っ掻き回す。あんたはそれを制御できない。そういうことだろ」


 リュウジにそう言われてアオイはその通りだと思った。図々しい態度を許し、そして自分が貢いでしまう方になるのだ。

 やがて、アオイが住んでいるアパートに到着した。


「さあ、着いたぞ。俺はもう少しだけ、飲んでから帰る」


 リュウジはそう左腕の時計を見る。まだ時計は8時を指していた。9時まで酒を飲むリュウジには1時間の猶予がある。


「……本当に送ってくれただけなのですね」

「なんだ、部屋に上がって抱いて欲しいのか?」

「そ、そんなことは言ってません。だけど、せめて、お礼に今からお酒を付き合ってあげてもいいわ。それならいいわ」


 アオイはそう思い切ってリュウジを誘った。いくらなんでも、部屋に誘うことはできないが、外で食事をするくらいはしないといけない気がしたのだ。


「断る!」


 リュウジはそう素っ気なく言った。呆気に取られるアオイを振り返ることなく、リュウジはもう一言発した。


「酒は一人に限る」


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