クズの彼氏
アオイは机上に積まれた書類を次々と処理していた。今日は特に厳しいチェックが必要な書類が多く、かなり疲れたが定時で仕事を終えることができそうであった。
「先輩、今日はやけに早いですね」
そう同僚のワカバがにやにやしてそうアオイに話しかけた。アオイは表情を変えず、書類にサインをしていく。
「別に……私もいつも残業しているわけではないです」
「……先輩、もしかしたらデートですか?」
そうワカバは聞いた。かまをかけたつもりであったが、アオイは表情一つ変えない。
「デートって、相手がいなくてはできないものよ」
「あら……先輩って彼氏いないのですか?」
「いません」
「ふーん。なんか、先輩って、彼氏がいても秘密でつき合っていそうなタイプですよね」
「ど、どんなタイプですか!」
「あっ!」
ワカバは両手を口に当てて、今、重要なことに気づいたみたいな仕草をした。
「何ですか?」
「まさか、あのクエスト調査官のリュウジさんとデートなんじゃ……」
「前にも言いました。私はおじさん趣味はありません」
「そうかなあ……リュウジさんはおじさんだけど、ああいう渋め系のおじさんはアリだと思いますけど」
そうワカバは答えた。これは半分本気な感じである。
「リュウジさんは関係ありません。それに30分ほど前に町へ飲みに出かけています」
「そうでしたっけ?」
「そうです」
トントンと書類をそろえてアオイは仕事を終えた。カバンを手にすると中にあった袋を確認する。中には金貨が10枚、銀貨が20枚ほど入っていた。
「それではワカバ、先に帰ります」
「はい、お疲れ様です」
アオイは冒険者ギルドの職員通用口から出る。正面玄関がある表通りとは違い、通用口は裏通り。夕方でもさほど人はいない。
その通りを足早に進むアオイ。時折、ため息をつく。
やがて、アオイは小さなパブに到着した。10人も入ればいっぱいになってしまう小さな店だ。
既に客は8人おり、それぞれ酒を片手に談笑している。店の中は暗いので顔は確認できない。
こういう場所で待ち合わせをするのは、アオイは好きではなかったが、会う相手はいつもこういう場所を指定する。
「アオイ、遅いじゃないか」
カウンターの真ん中でグラスを傾けていた一人の男が声をかけた。見た目からして軽薄そうな若い男。だらしない服装と寝ぐせの髪。目はどんよりとくもり、生気が感じられない。
ただ、顔の造形は結構なイケメンである。ちゃんとした服装でもっと知性の感じられる物腰であったのなら、貴族の御曹司といってもおかしくない風貌ではあった。
「ニック……またギャンブル?」
アオイはそう顔をしかめた。アオイがニックと呼んだ若者は、2か月前から付き合っている彼氏。
正式名はニコライド・フォン・マクドウェル。男爵家の次男で貴族である。3か月前に強引に言い寄られて、そのまま付き合うことになったのだが、この御曹司は経済的にアオイに依存していた。
生活費全般から遊行費に至るまで、全部アオイに出させていた。今は勘当されている身だが、そのうち許されれば、借りたお金は返すからという名目でアオイに金を無心するのだ。
「今日は惜しかったんだよ。最後のレースまではプラスだったんだ。だけど、最後の最後にどんでん返し。全部、なくなっちゃった。ごめん、必ず返すからまた金を貸してくれないか?」
そうニックはまたアオイに金の無心をする。アオイは嫌な顔をするが、ニックは全然気にする気はない。
「もうギャンブルは止めてって言ったじゃない」
「止めるよ。明日のレースで勝ったら止める。明日は間違いないレースがあるんだ。それで大勝ちすれば今までの分は全部取り返せるんだ」
そうニックはアオイの手を握る。そしてアオイに顔を近づける。懇願する目にアオイの怒りが少しずつ失われていく。
ニックがやっているギャンブルは競蜥蜴。砂漠に生息するデザートリザードという種を飼いならし、それに人間が乗って操り競争させるのだ。
町のレース場で毎日開かれている。ギャンブル好きが集まる場所だが、競蜥蜴は上流階級の社交でもある。
一度、ニックに連れられて一緒に競蜥蜴を見たのだが、ニックのギャンブラーとしての腕は素人のアオイが見てもダメダメであった。
レース毎に戦略を立てるでもなく、また、情報を集め、整理することすらしなく、ただ、自分の勘だけに頼る賭け方。しかも、勝負するときには勇気がなく、無謀な賭けには大金を投入する。
よって、外れてばかり。たまに勝っても少額で儲けは少ない。負けるときは大きく、勝つときは少ないから、トータルマイナス街道を転げ落ちる結果であった。
「ねえ、明日で最後にするからさ。金貨5枚。いや、3枚でいい。明日には100倍にして返す」
「……」
「それと、俺、お腹減っちゃった。今日は焼き肉を食べに行こうよ。最近、新しい店ができてね。ちょっと高級だけど、めちゃくちゃ美味しいらしいよ。あ、あと、今日、すごくいい時計見つけちゃってね。一応、買うって言ってあるんだ。ねえ、アオイ、明日、店で代金を払ってきてくれ」
「な、何を言っているの……そんなお金ない……」
「ええええっ……そりゃ、ないよ、アオイ。僕たち、恋人同士だろ……」
そう言ってニックは、アオイに寄り添い、肩を抱き寄せる。アオイはとっさに離れる。信じられないという表情になるニック。
「おい、なぜ、逃げるんだよ」
「あなたとは2か月つき合ったけど、あなたは私のこと好きなの?」
「何、言ってるんだよ。好きだよ。愛している。君しかいないんだ。お金は借りているだけ。いつか返す。知っているだろう。僕は貴族なんだ。君に借りた金くらい、時が経てばいつでも返せる」
そう偉そうに話すニックだが、アオイはもうそんなでまかせにはだまされなかった。
アオイはカバンから袋を取り出す。金貨と銀貨が入った袋だ。
「これを恵んであげるから、これで別れましょう。もう、あなたとは金輪際お付き合いしません」
アオイはそうきっぱりと言った。ニックはその言葉に何の反応もない。アオイに目もくれず、差し出した袋の中を確認する。
「1,2,3……おお、金貨10枚もあるじゃないか!」
ニックはアオイの別れ話を全く無視している。理解できていないのではとアオイは思った。
「それが手切れ金よ。もう私につきまとわないでちょうだい!」
そうアオイははっきりと別れの言葉を叩きつける。普通の男であったら、この言葉にすごすごと引き下がるか、それとも逆上するかのどちらかである。
しかし、ニックの反応は違っていた。急に顔を伏せ、そして笑い始めたのだ。
「クククク……ハハハハ……」
アオイはこの意外な反応に驚いた。そんなアオイにニックは近づき、先ほどの笑い顔とは一転して真顔でこう言った。




