クゲ殺し
突然、吹雪が起こった。魔法使いの老人がアイスウィンドーの魔法を使ったのだ。その魔法攻撃の目標はクゲにではない。アンリと神官、アサシンに向かってだ。
「ぐあああああっ……」
不意を突かれたアサシンはまともにその魔法を受けてしまった。体が凍り付き、凍傷のダメージを追う。神官とアンリは辛うじて避けて軽傷で済んだが、追い打ちをかけるように、戦士ガストンがアンリに斬りかかってきたのだ。
「ど、どういうことだ!」
アンリは混乱する。魔法使いのハイネ師も戦士のガストンも目が普通ではない。生気を失った目で体の動きも普通ではない。
「や、やっと体が動く!」
「リュウジ、気を付けるにゃ」
「ああ、分かっている!」
リュウジの体がやっと毒の束縛から脱したすぎに岩陰から飛び出し、移動を開始する。
「奴は信仰心の低い人間を操る。神官や聖戦士以外は手駒にされる」
「な、なんだって」
リュウジの参戦にアンリは混乱から立ち直った。すぐに腰に付けたポーチから回復薬を取り出して飲む。
「まずは仲間の攻撃力をそぐ……」
老魔法使いの背後に回ったリュウジが、短剣の柄で側頭部を強打する。操られた人間は、元の能力の50%しか出せないから、不意をつくことができた。
老魔法使いはAランク冒険者でもあるから、そうでなければ、近寄ることもできなかった。
「ガストン、目を覚ませ!」
「ぐああああっ……」
アンリの叫びにも耳を貸さず、ガストンは味方の魔法攻撃でダメージを負った神官に斬りかかった。ベテラン戦士の両手にもった戦斧の攻撃である。致命傷を負った神官は血を吹き出して崩れ落ちる。
さらにデーモンは爆裂の魔法をアンリめがけて放つ。ガストンの追撃をかわしつつだから、この魔法をかわし切れない。ガストンもろとも、まともに喰らってしまった。
「ば、バカな……これでは勝てないじゃないか……」
地面にうつぶせで倒れたアンリは、ここで死を覚悟した。操られていたガストンは、魔法に対して抵抗できず、まともに爆裂魔法を喰らって黒焦げになって倒れている。
クゲは倒れていたアサシンに起き上がるような仕草をする。操り人形のように、ぐったりとしたアサシンは空中に浮いた。
ドバッ……。キャベツの真ん中に包丁を入れた時のような鈍い音がして大量の血が噴き出した。クゲの鋭い爪がまるで刃物のように、アサシンの心臓を貫いたのだ。
「……倒せる」
絶望で地面に這いつくばったアンリの目に、クエスト調査官の革製ブーツが映った。
「あなたは……クエスト調査官……無理だ。あなたには無理だ……」
Aランクの自分たちでさえ、歯も立たず、全滅の憂き目にあったのだ。いくらクエスト調査官が強いとはいえ、所詮はBランク。目の前のとんでもない化け物に勝てる訳がない。
「無理ではない……。俺は奴らを狩るのが生きる目的だからな……」
「狩る……?」
「そうだ。奴はデーモンじゃない」
「あなたは知っているのか……」
「ああ……。公家……人を喰らい、その魂を弄ぶクズだ」
「クゲ……」
アンリには初めて聞く名前だ。
リュウジは両手に愛用のナイフをもつ。左手はソードブレーカー。右手はバゼラード。珍しい短剣だが、所詮は短剣。アンリのもつ魔法剣やガストンが持っていた魔法効果の与えられた戦斧には及ばない。
だが、両方の短剣とも青白い光を放っている。それは公家との距離を一歩一歩詰めるたびに、輝きは増していく。
「クゲを倒す方法……。戦いは1人で行うべし」
リュウジめがけて、クゲが指を差す。同時に真空派が3つリュウジに向かって来るが、それを左のソードブレイカーで弾き飛ばした。そして前進する。
「グアアアアッ……」
クゲが洞窟の壁を震わせるほどの苦痛の叫びをあげた。攻撃をかいくぐったリュウジが脇腹を刺したのだ。
(馬鹿な……あんな短剣で奴の防御壁を破れるはずが……)
クゲが常時展開している防御壁は、武器による攻撃を跳ね返す。魔法剣に加えて、アンリの超人的な剣技でさえ、傷を1つ付けることさえできなかった。
(た、たとえ……ダメージを与えられても、すぐに回復してしまう……はず……)
だが、リュウジの刺した脇腹は傷口がふさがらない。それどころか、そこからヒビが徐々に広がっていく。
「まだだ!」
リュウジは左手のソードブレイカーを振るともう一度、右手のバゼラードでクゲの右膝を刺した。
(左手のソードブレイカーで、障壁を破壊しているのか……)
アンリははっきりと見た。リュウジの左手に持ったソードブレイカーは、クゲの展開する障壁を破れる。その破れた裂け目にバゼラードを突き刺しているのだ。
しかし、アンリにはまだ理解できないことがある。リュウジが刺した右わき腹の1か所と右膝の1か所は、そのまま黒い穴がぽっかりと開いたまま、再生が始まらないのだ。
高レベル魔法使いのハイネ老が付けた魔法の矢で付けた傷でさえ、あっという間に治癒してしまったのにもかかわらずだ。
(武器の違いか……あの何の変哲もない……短剣だが……)
「ぐふっ……」
右膝を刺したものの、クゲの目にも止まらない高速の左足の蹴りを防ぎきれず、まともに体に受けてリュウジは吹き飛ばされた。これはかなりのダメージである。
地面に激しく打ち付けられ、ぴくぴくと体を痙攣させる。
(終わった……このまま、嬲り殺しにされてパーティが全滅……)
アンリは思わず目を閉じた。自分たちは幾度もモンスターを全滅させてきた。自分たちが全滅することなど想像だにできなかった。
初心者だった5年前に何度も味わった恐怖がここにきて、心をえぐる。クゲが倒れたリュウジに近づく。
「ヒトヨ……ワレノ贄トナレ……」
自分を傷つけた憎い人間に自らとどめを差そうと思ったのだろう。だが、それはおごり高ぶった末の油断であった。リュウジの左目が開く。
「喰らえ!」
気を失ったはずのリュウジが跳び起きて、左手のナイフで防御壁を突き破ると右手のナイフを額に突き刺した。
「グギャアアアアアアッ……」
洞窟中を震わす断末魔の叫び。リュウジはクゲに向かって叫んだ。
「我は全能神イシュタールの名のもとに汝に命ずる。汝の位階と名前を告げよ!」
「グガガガッ……下等生物ニ名ナド……」
「今一度、命ずる。何時に位階と官位を告げよ!」
リュウジの言葉は有無を言わせない気迫があった。その気迫にクゲは完全に飲まれた。
「……ジュ…7位……官位は無なり……」
「ちっ……無職か……」
リュウジは声を落としてそうつぶやいた。ただ、それは彼の中である程度予想されていたことだ。リュウジが真に求めるターゲットならば、この程度では倒せないことは承知している。
「グ……グアアアアアアッ……」
クゲの顔を覆っていた布が赤く染まり、つんざくような断末魔の叫びが洞窟内をこだまする。
クゲはリュウジが突き刺した脇腹、右膝、額から細かいヒビが入り、その3つがつながった時、粉々に崩れ落ちて行った。
「ち、ちくしょう!」
リュウジは地面に両ひざを着いて天を仰いだ。そしてその叫びは洞窟に鳴り響いた。
やがて、気を取り直したリュウジは倒れている神官、戦士、アサシン。そして魔法使いの様子を見て、最後にアンリのところへ来た。
「生きているのは、あんたと魔法使いのじいさんだけだ。3人は死んだが、魂は食われていない」
「し、神官長とアサシン、ガストンが……」
アンリは目を閉じた。3人の冥福を祈る。そして、リュウジが話した内容で疑問になったことを質問する。
「魂を食われるとはどういうことだ?」
「クゲは殺した人間の魂を食う。魂を食われた人間は未来永劫、死してなお苦痛が続く。永遠の苦痛だ」
「な、なぜ、そんなことを……」
「それが奴らクゲのエネルギーとなる……。奴らは食った魂の量で階級が上がり、より強くなる」
「強く……あれより強くなるのか?」
「あれは従7位下と名乗った。クゲの中では最下層だ」
「さ、最下層……あの強さで」
「戦闘力で強いわけではない。ただ、倒せる条件が普通じゃないだけだ」
リュウジはそう言うと2つの短剣を腰に戻した。
「クゲを倒す……あんなバケモンを倒すなんて容易じゃない。あなたはどうして倒せたのだ。短剣が特殊なのか、刺したところが急所なのか?」
アンリはそうリュウジに質問した。リュウジはそれにこう答えた。
「この短剣は禊を受けている。禊を受けた武器でなければクゲには効果がない。そして禊を受けた武器でもクゲの死点を貫かねば倒せない」
「禊……死点……?」
アンリは馴染みのない単語に戸惑った。混乱しているアンリの様子にリュウジはこう言った。
「クゲを倒そうなんて考えない方がいい。奴らと対峙できる人間は特別に訓練された者だけ。それもこの世界にごくわずかしかいない。例え、S級冒険者でも普通に戦えば、最下層の従8位下すら倒せない」
「……冒険者が出会ったら全滅ということか……」
「そうだ。まともに戦えば全滅する。だが、心配するな。滅多に会うことはない。あったら、全力で逃げろ。それが生き残るためにもっとも有効な手段だ」
リュウジはそう言い、倒れている魔法使いの老人を助け起こす。まだ意識は戻っていないようだ。だが、呼吸はしているので生きている。けがの程度も死ぬほどじゃないようだ。
「この魔法使いのじいさんは心を乗っ取られたからな。しばらくは痴ほう症状が続く。治るかは運しだいだ」
「逃げるか……。人間に勝てない存在があるのは理解する。あなたでも勝てないクゲがいるのか?」
「……先ほどのクゲは従7位下というクゲの中でも最も弱い。だが、高位のクギョウと呼ばれるものの強さはこんなものではない……」
「クギョウ……」
「テンジョウビトとも呼ばれる。ただ、このレベルに出会うことはまずない」
アンリは先ほどのクゲよりも強い存在がいるということに戦慄を覚えた。そしてどうやら、そのとんでもないものをリュウジが探しているようなのだ。
「クギョウを探しているのか?」
「ああ……」
リュウジはそう答えたが、それ以上は言葉を発しなかった。代わりに首から下げたペンダントを右手で触った。
(形見か何かか……?)
アンリは直感でそう思ったが、すぐにするどい痛みで意識が飛びそうになった。リュウジがアンリの右腕を取ったのである。
「きれいに折れている。あばら骨も何本か折れているようだ。重傷だがここにはゲートがある。それを使えば地上に戻れる」
そうリュウジは淡々と診断する。アンリはリュウジの左の赤い瞳を見る。今はよく見えていないようだ。
先ほどのクゲとの戦闘では、むしろ左目の方がよく動き、その視界に映った状況で体が反応していた。
(この赤い瞳……クゲの死点とやらが見えていた。僕にはそう見えた……)
「僕はあなたがクエスト調査官をして、単独で全滅した冒険者の調査をしている理由がわかったよ」
アンリはリュウジがなぜクエスト調査官になり、そして単独で行動しているのか分かった。この中年男の真の目的はクゲ退治。なぜ、そんな危険なことをしているのかは不明であるが、全滅した冒険者の調査を主に行うクエスト調査官であるなら、クゲと遭遇する機会は増えよう。
単独で行動するのも、仲間が操られるリスクを避けるため。禊を受けた武器とか死点とか、まだ分からない点は多いが生き残ることができれば、またそれもいつかは分かる時が来るであろう。
アンリがA級冒険者になったのも、こういった死線を何度もくぐって来たからだ。
「では、俺も目的は達した。ゲートを使って、ここから脱出しよう」
リュウジとアンリはゲートを使って脱出した。




