水蛇
4階は床に水が流れるエリア。通路は足首まで浸かる場所によっては、背が立たなくなる深みもあるため、リュウジは慎重に進む。
このエリアはアンデッドは出てこない。代わりに出てくるのは水生生物だ。水の深さがあまりないため、水の中でしか生きられない生物はいない。
両生類や爬虫類系のモンスターの巣窟であると、ギルドの報告書にあった。
リュウジは4階に降りるときに、これまで履いていたブーツを脱いでバックパックにしまうと、代わりにゴム製の太ももまである長靴を取り出した。
ダンジョンの水の中に不用意に足を入れるのは危険を伴う。水の中に住む寄生虫に足の皮膚を食い破られて寄生されることもあるし、得体の知らない病原菌を体内に侵入させてしまうリスクもある。
ましてや水が飲みたいからと不用意にダンジョン内の水を飲んでしまうことは、ハイリスクな行為である。
だが、水の素性が分かればそのリスクもいささか軽減できる。水が地下水でこんこんと湧き出ている動く水ならば、病原菌リスクは低い。
地層を伝って湧き出る水は、浄化されているからだ。また、流れ出る水には寄生生物はとどまっていられない。
沼のようにじわりとたまっている水源であると、水は濁り、汚染され、危険な水になる。
この地下4階の水は前者であった。触れることはリスクではないが、水は冷たく、防備を怠れば体から体力を奪う。
リュウジが履物を変えたのは、冷たい水に体温を奪われるリスクを考慮しての行為であった。
バシャ……バシャ……。
暗がりの中をリュウジは右手を壁に触れながら、進んでいく。魔法のゴーグルのおかげで、暗がりも問題なく進めるが、こういうエリアでは厄介なモンスターと遭遇することがある。
(ん……まずいな……)
リュウジは足を止めて耳をすます。足首まである水の中をはうように進んでいくかすかな水音を聞き取ったのだ。
水生のモンスターの中で、特にリュウジが恐れているものが近づいてくるのが分かった。それは暗がりの中で静止しているリュウジの位置を確実にとらえている。
「ちっ……」
リュウジはバシャバシャと音を立てて、近づいてくるモンスターから逃げ出した。
水蛇……ダンジョンスネークと呼ばれるそれは強敵であった。体長は10mを越える。凶暴な性質で人間を襲う。そして丸呑みしてしまうのだ。
厄介なことに、この水蛇は視覚や聴覚で獲物をとらえない。鼻から出る感覚器で獲物の熱を感知して追って来るのだ。
(どうするか……)
すでに地下5階へ降りるルートから外れてしまった。迂回してなんとか、水蛇をまいて元の道へ戻りたいところであるが、水蛇はリュウジの体温を感じ取って近づいてくるのだ。
戦うという選択はリュウジにはなかった。水蛇と戦えば、相当な激戦になる。その音を聞きつけて他のモンスターが集まりかねない。
そうなれば、水蛇を倒したとしても寄ってきたモンスターと戦う羽目に陥る。戦闘を極力避けるというリュウジのポリシーからも外れてしまう。
だが、体温を感知して追って来る水蛇から逃れるのは難しい。水蛇は服の上からでも熱を感知する能力があり、水に潜った程度ではごまかすことができないのだ。
(使うか……)
リュウジは魔法玉を取り出した。これもルミイから買い取った品物だ。正直、収集瓶には興味があって買ったが、この鉄化魔法の封印された魔法玉はおまけで買ったようなものだ。
だが、この場面でそれはリュウジにとって、とても貴重なアイテムとなった。
「鉄化魔法、解放!」
リュウジはそう言って魔法玉を壁にぶつけた。割れた魔法玉から鉄化魔法が解放され、リュウジの足から徐々に鉄となっていき、やがて全身が鉄となった。
鉄像となったリュウジの体は、熱を失う。足元の水の温度と同じになる。
そこへ水蛇がやってきた。水蛇はリュウジの体温を感じ取って追跡してきたが、リュウジが鉄化したことで感知できなくなった。通路の隅で動かなくなったリュウジの横をずるずると通り抜けて行った。
鉄の像となったリュウジは、その間、意識を保ったままである。頭の中で1秒1秒を数え、それが3600程になったところで、徐々に鉄化が解除されていく。
鉄化魔法は時間経過により、その効果を失い、また元の体へと戻ることができるのだ。
但し、鉄化が解けてもしばらくは体は思うように動かない。リュウジは岩陰に何とか這ってたどり着き、そこで体を横たえて時が過ぎるのを待った。
徐々に手や足の感覚が戻ってくると、自分の幸運に感謝した。岩陰に隠れたとはいえ、もし、他のモンスターに見つかったらそれで終わりであった。
「さすがリュウジ、鉄化魔法をうまく使ったにゃ」
リュウジが鉄化してから、ずっと黙っていた寧音が口を開いた。
「ああ……とりあえず、危機は回避したが……ツキは戻ってないようだ」
リュウジはそう言って歩みを止めた。水蛇を避けてから順調に進んできたものの、5階へと降りる階段に巨大な水蛇が立ちはだかっているのが見えた。先ほど、うまくまいた水蛇とは違う個体である。
戦闘を避けることができない場合、冒険者パーティなら総力を挙げて戦うことになる。単独で行動するリュウジの場合は、隠れて様子を伺い、水蛇が立ち去るのをじっと待つしかない。
リュウジは階段の降り口が見える場所の岩陰で、待機しようとしたが、悠長に待つ時間がない状況に陥ってしまった。
先ほどの水蛇が戻ってきてしまったのだ。しかも、リュウジの体温を感知したようで岩陰に隠れているリュウジを明らかに認識して向かってきている。
(まずい……)
階段の前にいた水蛇もリュウジの体温を感知した。完全に水蛇に挟まれた格好だ。
「リュウジ、水蛇2体との戦闘で勝てる確率はほぼ0にゃ」
この状況に寧音の呑気な声が上がる。リュウジもそれに軽口で答える。
「0とは期待されていないな……」
「リュウジがいくらランクBだと言っても一人じゃ無理にゃ。Aランクならともかく」
「Aランクね……。そう言えば、ギルドが雇ったそのAランク冒険者はまだ来ないようだな」
「今、ここで来てくれたらいいのにゃ……」
「そんな都合のよい展開は期待しない方がいい」
「それじゃ間違いなく、水蛇に飲み込まれて明日の朝にはうんこになるにゃ」
「ということは、お前もうんこになるな」
リュウジは寧音に切り返す。寧音はそれは困ると答えたが、このピンチにリュウジも寧音もどこか余裕があった。
「ここでこれが役に立つとはな……」
リュウジはウエストポーチから小さな瓶を取り出した。それは青白く光って暗いダンジョンの壁にリュウジの影を映し出していた。
「これでも喰らうがいい……」
水蛇に完全に包囲され、その攻撃を同時に受ける瞬間にリュウジは瓶を壁に叩きつけた。
瓶の中にはプラズマボールがとらわれている。それが衝撃で弾けて強烈な電撃を発した。それは床を覆う水に伝達し、水蛇2体に強烈な電撃を浴びせさせる。
くしゅうううううっ……。
2体の水蛇が奇妙な音を発して硬直し水に浮いた。どうやら、気絶したらしい。長靴を履いていたリュウジは、その絶縁効果でこの電撃からの攻撃を受けていない。
「リュウジ、ナイスな頭脳プレイにゃ」
巨大な水蛇が正気を取り戻さないうちに、リュウジは急いで5階へと降りて行く。今回の調査を行う目的のエリアだ。




