パワー食 その1
「リュウジさん、入りますよ」
ドアを叩いたアオイは、部屋の中から許可する返事を聞いてドアを開いた。
朝の5時。一般的にはまだ多くの人が寝ている時間だ。
そんな早い時間にも関わらず、部屋の住人は上半身裸で汗を流している。今は部屋の梁にぶら下がり、上腕二頭筋を震わせながら、体を上へと持ち上げることを繰り返している。
いわゆる懸垂という運動である。驚いたことにリュウジの口にする回数は尋常ではなかった。
「497、498、499……」
目をまん丸くして体を固くしたアオイは、筋肉からほとばしる汗が床にぽたぽたと落ちているのを呆然として見るしかなかった。
「500」
そう言うとリュウジは床に飛び降りて、今度は仰向けになり、両足を持ち上げた。それを地面すれすれまで落とすと、そこから一気に上へと持ち上げる。
腹筋を鍛える『ドラゴンフラッグ』である。アオイが呆然とする中、その運動は500回数えるまで行われた。
「前も見ましたが、毎朝、こんな運動をしているのですか?」
やっと運動を終えたリュウジにアオイはそう話しかけた。アオイはリュウジに命令されて、レモンをスライスしたものを入れた水を持ってきたのだ。
(さすが冒険者ランクBの人だ……。自分に厳しくないとランクBにはなれない)
アオイはさすがにランクBともなると、他の冒険者とは違い自分に厳しいと感心した。ランクCの冒険者は、暇があれば酒場で宴会して朝は遅くまで寝込んでいるのが普通だ。
それを受け取るとごくごくと飲み干すリュウジ。このドリンクはリュウジによって指示されたとおりに作ったのだが、アオイには1つだけ疑問があった。
「このドリンク、氷を入れて冷やせばかなり美味しいと思うのですが、どうして入れてはいけないのです?」
リュウジは飲みながら、右目の視線をアオイに向ける。その目には(そんなことも知らないのか……)という侮蔑の色がある。
答えないリュウジにアオイは語気を強める。
「教えてください。私は統括官として、このギルドで冒険者のサポーター役もしています。その理由が役立つと思うのです」
「……常温の方が体に吸収しやすいのだ。それに冷やした飲み物は体に良くない」
リュウジはそう言って、レモン水を飲み干した。
(確かに……。人間の体の体温は36度。体を冷やすことはよいことではない)
実際に冷たい飲み物を飲むと体が冷え、新陳代謝、免疫力の低下をもたらすとされている。
(それにしても……)
アオイはリュウジが朝からトレーニングをしていることは知っていたが、これほどのハードワークとは思っていなかった。
「あの……リュウジさん。毎日、こんなトレーニングをしているのですか?」
「オフの日は当然だ。筋肉は休み過ぎるとすぐに衰えるからな。毎朝、10キロのランニングと筋肉トレーニング各種500回の2セットは最低限のメニューだ」
「2、2セットですって?」
あの懸垂を1000回もやったということだ。リュウジの上半身は筋肉の塊で、引き締まっているが、この毎日のハードトレーニングによって作られていたのだ。
「今からシャワーを浴びるが、タオルを持ってきたか」
「はい」
アオイはバスタオルを手渡す。それを受け取るとリュウジはシャワー室へ。アオイはその後の予定もあるので、リュウジの部屋の前で待機する。
都からやってきた調査官の接待をするのもアオイの役目なのだ。今朝はリュウジの朝食の世話まで任務のなのだ。
「お姉さんも朝から大変だにゃ……」
誰かに話しかけられた気がして、アオイは部屋を見渡した。幻聴かと思ったが、テーブルに木で彫られた猫のようなものがこっちを見ている。
「これ、リュウジさんがいつも首にぶら下げている……猫?」
アオイはそう言って近寄り、手で持ってみる。ナイフで削られたお手製の木彫りのペンダントトップである。
「待たせたな」
シャワーを浴びて、8分丈のズボンにTシャツと言うラフな格好になったリュウジはそう言って再びアオイの元に現れた。
アオイは慌てて、木彫りの猫をテーブルに置いた。リュウジはそれを見ていたが、何も言わなかった。
「それではご案内します」
アオイはそう取り繕うようにそう言った。リュウジは無言で部屋に入ると、あの木彫りの猫のペンダントを首に下げた。
朝食はギルド内の宿屋で取る予定であったが、リュウジが外で食べたいと要望したので、アオイが案内することになったのだ。
アオイとしては、一人で危険な任務に臨むリュウジのことが知りたいと思っていたので、この任務を面倒だとは思っていない。
「リュウジさん、ここが朝粥で有名な店です」
アオイはこの町で有名な朝粥の店に連れて行った。ここのアワビの粥は美味しいことで有名であった。
「粥だと?」
リュウジは粥と聞いて嫌そうな顔をした。
「はい。お粥です。お粥は朝起きたばかりの体に優しく、朝ご飯としては最高の選択です」
「最悪だな」
リュウジはそう切り捨てた。アオイはその態度にカチンと来た。
「お粥が最悪って、どういうことですか?」
「ああ、すまんな。観光客になら問題ない」
アオイの気分を害したと思ったリュウジはそう言った。
どうやら、他人の気持ちを察することができない鈍い男かと思ったが違ったようだ。
だが、返答はフォローになっていない。
「観光客って……」
「俺はプロだ。プロは朝の食事に気を遣う」
「ですから、胃に優しいお粥を……」
「違うな。朝はエネルギーを大量に摂取する。パワー食だ」
「パ、パワー食?」
「近くに肉を食わせる店はないか?」
「に、肉ですって~」




