83 数学者、学会に行く①
Side レオン・カール
「論文はだいぶ良くなりましたね。これでよいでしょう」
ペアノ先生が俺の書いた草稿に目を通してコメントする。ついに俺にとってこの世界では最初の論文が完成した。しかしこれで終わりではない。学会発表に向けた資料作りが残っている。
ガイアではプロジェクターに相当するものは存在しない。印刷機の魔道具は開発されているので、学会発表で大勢の前で発表するならばそれで複製して会場の人に配布するらしい。他には大きなポスターを掲示して、個別に見に来た人に説明するスタイルもある。俺はまだ学生の身分なので後者らしい。大きなポスターを作らなければならない。
「ポスターについても基本的な構図、ルールがあるので、それを確認しながら書いていきましょう。すこし期限が近いので、丁寧かつ迅速に」
そう、実は学会は来週に迫っているのだ。論文を学会に提出する期限もかなりギリギリだったのだ。今回俺が書いた論文は、他の人の書いた論文と一緒に学会誌として出版されるらしい。自分の研究成果が正式な形で世に出されるのが待ち遠しい。
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「明日が学会なのね」
ベッドの上で寝転がって本を読んでいるシェーラが聞く。あの日以降、こうして用もなく俺の部屋にやってきてゴロゴロすることがたまにある。俺の作業をじっと眺めたり、本を読むか宿題をやるか。たまに俺に話しかけることもあるが、基本的に俺と何かをしたくて部屋に来ているようではないらしい。すなわち俺に価値があるのではなくこの部屋に価値を感じているらしい。
「学会なんて、まったく私の知らない世界だわ。貴族の社交パーティーに行ったことはあっても、学会は全くないもの。すごいわ」
「お嬢様がそんなはしたない姿勢で本を読むのは良くないんじゃないの」
「誰も見てないからいいのよ、あ、あなた以外誰もね。最近誰かさんのおかげでこういう細かい厳密性が気になるようになってきたわ」
「いいことじゃないか」
「いちいち細かいことにつっこむ人なんて面倒くさがられて嫌われるのよ」
なら気にしても突っ込まなければいいじゃないか。そう思ったが言わなかった。まずは自分がお手本をして見せることにしたのだ。決して会話よりも集中したいことがあって返答を省いたわけではない。ポスターの最終調整、想定される質問に対する解答を用意するのに忙しいのも事実だが。
「学会で面白い話があったら聞かせてね」
「分かった」
解答の原稿を書きながら答えてから考える。俺が面白いと感じても、シェーラが面白いと感じるとは限らない。そもそも俺が学会で聞いてきた内容が算術を専門に勉強していないシェーラでも理解できるか分からない。5次対称群の非可解性が5次方程式の解の公式が存在しないことを導くという事実を俺が面白いと思っても、シェーラは5次対称群も可解性も知らないのだ。
「レオがどんなことを面白いと思うのか、少しでも知りたいのよ。レオが楽しそうに話すのを見たいの」
たとえ内容の意味が全く理解できなくてもいいのだろうか。よく分からないものだ。
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そしてついに学会の日がやってきた。ペアノ先生と共に会場入りする。先日パーティーをやった会場と同じ建物だった。王都中の算術学者、それと教授を目指す学生も多数集まっている。俺はペアノ先生の後ろをちょこまかとついていく。大ホールに入ってすぐ、ペアノ先生は知り合いの教授から話しかけられる。
「ペアノ先生、お久しぶりです」
「おやヒルベルト先生、お久しぶりです」
ペアノ先生に話しかけた教授はヒルベルト先生というらしい。内積空間で完備距離空間が好きそうな名前をしている。会場を見渡してみると、ポスター掲示のゾーンに自分のポスターがあるのを見つける。2,3人が立ち止まって読んでくれているようだ。駆け寄って読んでくれたことに対するお礼を述べたくなるが、勝手にペアノ先生の元を離れるわけにはいかない。2人の教授が話しているのを後ろで静かに聞いて待つ。
「ところで、そちらの学生はペアノ先生の教え子ですか?」
「ええそうです。レオン君、こちらはヒルベルト先生です。スカイの概念を大きく発展させた1人で、以前君に見せたスカイの乖離構造の本を書いた人ですよ」
「初めまして。レオン・カールといいます。今は王立魔法学校でペアノ先生にお世話になっています」
「こんにちは。私はヒルベルトだ。スカイについて勉強しているのかね?」
「ヒルベルト先生。彼はまだ学生ですがかなり研究成果を出していて、今回パネル掲示もしているのですよ。学会誌にも論文が1つ載っていますから、ぜひ目を通してみて下さい」
「おお、それは素晴らしい。後でゆっくり見させてもらうよ」
「ありがとうございます」
「では、私はこれで」
ヒルベルト先生が去っていく。立派なあごひげをした優しそうなおじいさんだった。
「やはり学生で初めての学会ということであまり注目されていないようですね。ですが今回で一気に名が知られることになるでしょう。後学のためにも、自由にパネルを見たり他の研究者と交流してみてください。ここからは自由行動にしましょう」
「はい。分かりました」
俺はさっそく自分のパネルを見てくれている人のもとへ向かうことにした。




