66 数学者、夏休みを満喫する⑦
Side レオン・カール
「王都の関所に着いたようですね。通行税を納めてきます」
マリーさんが馬車から外に出る際、ふわっと薔薇の香りが鼻をくすぐる。我ながらいい香りを選んだなと関心しつつ、通行税を払うマリーさんを見守る。メイド服のスカートが揺れている。
「終わりました。王都に入りましょう」
「うん、ありがとう」
「…ふふ。もっとお近くで嗅がれますか?」
「えっ、い、いや、遠慮しておくよ…」
「くすっ。分かりました」
どうやらマリーさんの匂いが気になっているのを見抜かれていたらしい。一瞬ドキッとして、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。マリーさんは何事もなかったように平然と座っているが、俺が意識しすぎているだけなのだろうか。この世界の男女比はおよそ4:6で女性が多いため、女性は自然と積極的になりやすいのかもしれない。
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ついに寮に到着し、マリーさんと荷物を部屋に運び入れ、大家さんに挨拶とカール領のお土産を渡す。シェーラにも渡そうかと思って部屋の扉をノックしたが、まだ帰省中のようだ。
さて、王都に戻ったからにはいつも通り研究の日々を再開せねばならない。週一日だけ空いている学校の図書館を活用してこの世界の知識の吸収を怠らない。俺は学校に行く日以外はほぼ毎日自室にこもって研究しているが、マリーさんはたまに王都へ繰り出しているらしい。茶葉やお菓子を買い足すだけでなく、色々自由にしているようだ。
そんなある日、研究の休憩がてらマリーさんとお茶を飲んでいると、マリーさんがこんな提案をしてきた。
「レオさま。せっかく王都で夏休みを過ごされますから、王都でしか出来ないことをされるのがよろしいかと存じます」
「確かにそうだね」
「この夏限定で上演される、王都で大人気の劇があります。貴族としての素養のためにも、ぜひ観にいかれませんか」
「劇かあ…」
地球で数学しか見てこなかった俺は、前世含めて一度も劇というものを鑑賞したことがない。貴族の素養として必要だとマリーさんが言うなら、観に行くべきなのだろう。
「あまり興味がありませんか?」
「いや、観に行ってみようかな。どうやったら観れるの?」
「席については私が手配します。日時はいつがよろしいですか?」
「今日は金曜日だっけ、さすがに今からは無理だろうし、土日…は混雑しそうだから、月曜日で。時間は午後ならいつでも」
「かしこまりました」
マリーさんの猫耳がピンと立った。きっとマリーさんも楽しみなのだろう。
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翌日の土曜日。マリーさんが出かけている間にシェーラが寮に帰ってきた。お土産の交換をしつつ、帰省中にあったことについて少し立ち話をする。シェーラから蜂蜜のビンをもらったので、後でマリーさんに渡そう。きっと喜ぶだろう。
「ねぇレオ、お願いがあるの」
話題が尽きかけたタイミングで、シェーラがただならぬ様子でこう切り出した。
「何?」
「王都演劇団の公演、一緒に観に行かない?」
「もしかして、この夏限定のやつ?」
「そう、そうなの。どうしても観に行きたいの。セバスはしばらく用事があるらしくていないの。本当はカティアも誘いたかったんだけど、今から連絡を取ることもできないし…それに、2人以上じゃないと席がとれないのよ」
2人以上じゃないと席が取れないなんてマリーさんは言ってなかったけど、観劇にはそんな制度があるのか。未だかつてないほどシェーラが必死にお願いしているようだが、それだけどうしても行きたいのだろう。
「うん、いいよ」
「本当?」
シェーラが嬉しそうに聞き返す。空のように青い瞳が大きく開かれる。
「実は、もともと月曜にマリーさんと観に行く予定なんだよね。だから3人でどう?」
「あ…ううん、もちろんよ!ありがとう!」
今一瞬『そういえばマリーさんがいるんだった』みたいな顔しなかったか?いや、気のせいか。
「にしても、そんなに人気な話なの?マリーさんは貴族としての素養を深めるためにも観るべき、なんて言ってたけど」
「そうね。観るべきよだってあの『薔薇の騎士と眠り姫』を書いた人が脚本なのよむしろ観ないなんてありえないわよ」
「は、はぁ、そうなのか」
急にシェーラが早口でまくし立てるのに少し気圧されてしまった。
「こほん。とにかく、脚本の時点で名作間違いなしなのよ。で、私も行くってことをマリーさんに伝えてくれるかしら?」
「今マリーさんは出かけてるよ」
「え…?もしかして今、券を買っているんじゃ…」
「あ…」
マリーさんがどこにいるか分からない。もし劇場で券を買っているのだとしても、俺は劇場の場所を知らない。シェーラなら知っているかもしれないけど、今から行って会える確証もない。
「マリーさんに券を譲ってもらえないか頼んでみる?」
「…いや、それはやめておきましょう。きっとマリーさんも楽しみにしているはず、申し訳ないわ」
「んーじゃあ、俺の券を譲るからマリーさんと2人で観てくるか?そうだよ、それでいいじゃないか」
「え、い、いや…ほら、レオは素養を養うために観るべきだってマリーさんが言ってたのでしょう?だからレオが観に行かなかったら意味ないのよ」
「うーん…別に俺はシェーラとマリーさん程観たいとは思わないし、劇の一つや二つ観なくても何とかなると思うんだけどなぁ」
「そ、それはそうかもしれないけれど…」
シェーラがかなり渋っている。どうしても観たいけど他者を押しのけてまで観たくはない、そんな感情で板挟みになっているようだ。どうしたものか…
「おや、シェーラさま、王都にお帰りになられたのですね」
なんとタイミングの良いことか。マリーさんが現れたではないか。…いや、今ここにいるってことは、もう券の購入が済んでしまったということで、むしろまずいのかもしれない。
「まだ券は買っていませんよ。今出かけていたのは茶葉の買い足しです。明日、券を購入する予定ですから、3人分の席を確保しますね」
マリーさんに事情を説明すると、マリーさんは右手に持った紙袋を見せながら笑顔で答えてくれた。
「よ、良かった~」
シェーラが肩をなでおろす。今までの心配は全くの杞憂に終わったようで、何よりだ。
「今、券のお金をマリーさんにお支払いしますね…はい」
「…確かに受け取りました。月曜日の昼過ぎか夕方の公演になる予定ですが、よろしいですね」
「ええ。大丈夫よ」
「かしこまりました」
「じゃあ私は部屋に戻わね。ごきげんよう」
シェーラが去っていく。
「シェーラさまもレオさまと…とするとやはりシェーラさまは…」
「どうしたの、マリーさん」
「いえ、何でもございません。独り言です」
こうして3人で劇を観に行くこととなった。シェーラが話す内容的に女性向けっぽいけど、ちゃんと楽しめるのだろうか。




