22 数学者、下校する
・姓名について
ガイアでは全ての家庭が姓(家名、苗字)を持つ。男女が結婚した際は男性側の姓に揃えることが原則となっている。また、地方領では、その土地を治める代表者の姓が領の名前となるため、領主が別家系に変わると、領の名称も変わる。最も、ここ100年で新たな領が出来ることはあっても、領の名称が変わったことは無い。
―大神学 (カール・レオン)『地球とは異なる異世界について』p.16
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Side レオン・カール
シェーラと2人で夕暮れの商店街を歩く。カフェの入口や屋台にぶら下がる提灯が灯りとなり、賑わいを見せている。
「レオは道を覚えているの?」
「うん、今朝登校するときにしっかり景色を見ながら歩いたからね」
「すごいわね」
「シェーラもすぐ覚えられるさ」
「…レオはなんでも出来るのね」
どこからかタレの焼ける香ばしい匂いがする。カフェで談笑するカップル。軒先で客を呼び込む八百屋の主人。そこで楽しそうに会話する主婦。賑やかな商店街で唯一、シェーラだけが重たい雰囲気をまとっていた。
「ねぇレオ、私ってダメなのかしら?」
「…」
「領にいた頃は勉学も魔力量も1番で、魔法もすぐ覚えられた。家庭教師はみんな私のことを天才だと言っていた。セバスなんか五月蝿いって、もう1人で大丈夫だって、そう思っていた」
シェーラがうつむく。
「でも1人で帰ることすら出来なかった。ケガはするし、とても痛いし。
一人ぼっちで魔物に襲われたらって思ったら脚が震えちゃうし」
小さい頃から言われたことだけをこなし、そのたびに褒められていたのだろう。領家の長女として常に褒められ、負けること、失敗をあまり経験しなかったのだろう。もしかしたら生まれて初めての失敗、初めてのケガかもしれない。だから一度の失敗でここまでやられてしまう。
シェーラは弱い。領家の長女としての期待、重圧。常に一位であることを強く求められ、そして一度も失敗しなかった。それはあまりにも不安定すぎるバランス。砂山の頂上にボールを置いたかのように、ちょっとしたきっかけで転がり落ちてしまう。
「この世界にはどれくらい分からないことがあると思う?」
「それくらい知っているわよ、星の数くらいあることは」
「いいや、もっとだ。星の数は一つずつ数えていけばいつか終わる。でも分からないことは一つ二つと数えあげることが出来ないくらい無数にある」
「何よ。ただの言葉遊びじゃない」
「前者は有限、後者は不可算無限だ」
「…ふかさん?むげんって何よ」
「シェーラ、君は何ができない?」
「えっ、それは…道をなかなか覚えられないでしょ?お父様のように中級以上の光魔法ができないでしょ?それと、それと…」
「そう、自分のことになると意外とすぐ詰まる。人は所詮すぐ数え終わる程度のことしか考えることができない」
「それはそうかもしれないけれど…」
「でもさっき言ったように、実は分からないことは無数にある。でも我々はそのほんの、ごく一握りしか認識していない、いや出来ない」
「…そうね」
「気づいていないだけで、自分が出来ないこと、分からないことは信じられないくらいたくさんある。それなのにたった一つや二つ、出来ないことを知っただけで落ち込むのは、馬鹿らしいと思わない?」
「…!」
「それにまだ10歳だから、間違いなんていくらでもするもんさ」
「何よそれ。レオだって10歳じゃない」
「そうかもしれないね」
「ふふ、やっぱりレオって変わっているわよね。でも、ありがと。気分が楽になったわ」
シェーラが前を向く。その顔には笑顔が戻り、空のように青い目には力がこもっている。いつものお嬢様だ。
ちょうど最後の曲がり角を曲がりながら、ふと疑問を投げかけてみる。
「話しながら歩いていたけど、ちゃんと道を覚えた?」
「……明日の朝、一緒に登校してくれる?」
お嬢様の一人立ちはまだ先のようだ。




