番外編3 メイド、ホテルを満喫する
Side レオン・カール
合格手続きを終え、マリーさんと共にホテルに戻ってきた。今日も今日とて数学と魔法の研究を始める。マリーさんは少しづつ遠慮がなくなってきたのか、それとも今日がこのホテル最終日だからか、俺に飲み物を出したらすぐお風呂に行ってしまったようだ。
「魔法陣に魔法語を敷き詰める問題、初等幾何で考えると理論的には最大8個まで配置できそうだなあ…今度はグラフ理論を使って調べてみるか…」
魔法語とは、魔法陣に書き込む図形または文字のことであり、一つ書き込むことで、発動する魔法の性質を一つ決めることができる。従来の魔法陣には魔法語はせいぜい4つしか書かれておらず、属性、威力、向き、持続時間などが指定されていた。各魔法語に必要な領域の面積などから導かれた8個という結果はあくまで計算上の数字であって、実際に8個敷き詰めるような良い配置が見つかったわけではない。この最適配置をうまく見つけるとなると実際に試行錯誤する必要も出てくるのだ。魔法陣の実物と同じサイズの紙を用意して図形を書き入れていく。
10回、20回とひたすら魔法語を書いていくうちに、属性を決定する図形は角に寄せた方がよい、逆に威力は中心付近がよい、などと少しずつ最適化されていくのを感じる。
「…よし、とりあえずこの配置で6個はできたな。でもこれでどんな魔法ができるんだ?」
属性、威力、向き、持続時間の他に魔法語で何が指定できるのだろうか。今まで見たことのある魔法語は全てこの4つの性質を指定するものだった。…魔法語についてもこれから勉強していく必要があるな。ひとまず今日の研究はここまでにしようか。そうおもって時計を見ると時間は9時を回っていた。そろそろお風呂に入って寝るべき時間だ。
「レオさま、そろそろお風呂に入られてはいかがでしょうか」
「そうだね、ちょうどいまそうしようと思っていたよ」
「今日はたくさんの紙を使われたようですね。レオさまの入浴中にまとめておきます」
「うん、頼んだよ。いつもありがとう」
「恐縮です。脱衣所へいってらっしゃいませ」
「じゃ、よろしくね」
「はい。………レオさま」
「ん?」
伏し目がちにこちらを見て黙ったマリーさん。
「………いえ、なんでもありません。いってらっしゃいませ」
そう答えていそいそと紙を整理し始めたマリーさん。隣に来たマリーさんのつやつやした髪からフローラルの香りふわっとする。今日のマリーさんはいつもにまして髪の毛が綺麗な気がする。長時間お風呂に入っていたようだし、美容の時間がとれたのだろうか。
両手両足を伸ばしてゆったりと湯船につかりながら、明日の予定を確認する。まず寮に入る分の荷物を持って登校、寮の部屋に荷物をとりあえず置いて授業へ。必修の魔法理論、歴史、体育の初回授業があり、その後改めて寮の部屋で荷物整理。夜ご飯の前に食堂に集まって寮のルールや設備の説明を聞く、だったかな。持っていく荷物はこれまでの研究結果を書いた大量の紙とペン、いくつかの本だけでいいかな。必要な物は後で買い足すなりすればいいだろう。
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Side マリー
「今日が最終日だし、マリーさんもこっちのことを気にせずゆっくりお風呂入るなりしてて」
研究を始めようとするレオさまに飲み物をお出しした際にそうおっしゃられました。どこまで私を甘やかすのでしょう。そう思いながら、とりあえず言われた通りにお風呂に入ることにしました。
単純な広さで言えばお屋敷の方が断然勝りますが、このホテルのお風呂もホテル特有の情緒があってうっとりします。せっかくゆっくりさせていただけるのですから、備え付けのものをいろいろと試させていただきましょう。
これまで全く気づきませんでしたが、香油が置いてありました。容器のふたを開けてみると、心を落ち着かせる、とても素敵な香りがします。これは明らかに女性用ですからレオさまは使われないでしょう。メイドの身ではありますが、つけさせていただきましょう。人生初香油です。両手の指に数滴つけ、髪になじませていきます。すると腰まで届きそうな髪の先端までつやつやしてきました。髪をつまんで先端の匂いをかぐと、先ほどのあの匂いがします。この香りはレオさまもきっと喜ばれるでしょう。
湯につかりながら髪の毛の匂いを何度も堪能していたら少しのぼせ気味になってしまいました。こんな姿はレオさまに絶対見られたくないと思いながら脱衣所に避難してきました。せっかくですからここに置いてある他のよさそうなものも色々試してみましょう。
綺麗な装飾が施された櫛。香油を付けた髪をとかすことでさらさらになりました。ここ最近で、いえ人生で一番髪の毛が美しいかもしれません。手ぐしの指通りがあまりにも気持ちよいので何度もやってしまいます。そのたびに香りもするので余計やめられません。まあ、体が冷えそうだったので途中でメイド服を着るのに中断しましたが。
透明な液体が入った容器。美容液という、いかにも美容に一役買いそうな名前をしています。お風呂上りに顔に塗る、と書いてあるので、手にとって顔全体に広げてみました。…肌がすべすべ、もちもちになった気がします。まるで赤ちゃんの肌を触っているかのようです。
ここは天国ですね。そう思いながら鏡を見ると、そこにはいつもより幸せに満ちた私がいました。くるりとターンをすると、なびく髪の毛がいつもより滑らかで美しい曲線を描きます。今なら、まるで生まれ変わったような私であれば、レオさまにこの気持ちを打ち明けても…
「レオさま、心よりお慕い申し上げております」
鏡の前で予行練習をします。できました。あとはこれをレオさまの前でするだけです。今日こそは逃げません。
「レオさま、そろそろお風呂に入られてはいかがでしょうか」
「そうだね、ちょうどいまそうしようと思っていたよ」
「今日はたくさんの紙を使われたようですね。レオさまの入浴中にまとめておきます」
「うん、頼んだよ。いつもありがとう」
「恐縮です。脱衣所へいってらっしゃいませ」
「じゃ、よろしくね」
「はい」
このタイミングしかありません。
「レオさま」
「ん?」
レオさまと一瞬目が合いますが、無意識にすぐ目をそらしてしまいます。あとは先ほどの練習通りにするだけです…たったそれだけなのに…口が磁石でくっついたかのように開きません。ただただ時間が過ぎることに焦りを感じます。畳みかけるように昔の記憶がよみがえり、視界が白くぼやけてきます。
「………いえ、なんでもありません。いってらっしゃいませ」
気づいたときには、そう言っていました。レオさまと目を合わせないように床に落ちた紙を拾い始めます。レオさまはそのまま部屋から出ていかれてしまいました。
逃げずに向き合える日はいつ来るのでしょうか。
例のウイルスのせいでほとんど外出しない生活をしていますが、テレワークはあるので執筆の時間は劇的に増えたりはしませんね…もう書き溜めが限界を……




