92 数学者、考査を受ける①
Side レオン・カール
魔道具を開発し、雑誌に載り、王都の商会と販売契約(の前段階)を交わす。これらは全て連続した出来事なのだが、自分が本当にしたかった数学の研究とは違うことに多くの時間を割いてきたことを認識する。しかし不思議と後悔する気持ちは限りなく無に等しい。一見関係ないようなテーマに触れると、自分の興味あるテーマのヒントが得られる、なんてことはこの学問では珍しくない。どれも前世の自分も含めて新鮮な体験だった。
しかし自分の本来の研究を疎かにするのはよろしくない。これから毎日真っ先に帰宅してマリーさんの淹れる香りのいいお茶を飲みながら研究したい。したいのだが…。
「レオは試験勉強、大丈夫?最近忙しかったでしょう?」
学校からの帰り道、隣を歩くシェーラが俺に現実を突きつける。そう、学年末考査がかなり近くに控えていて、少なくとも1週間はまだ研究に本気で着手することは許されないのだ。学年末考査の成績は来年度のクラス決めにかなり関わってくるため、第一クラスを維持するために一切手を抜くわけにはいかない。
「これから勉強する。学年トップを狙うとかは無理かもしれないけど、少なくとも第一クラスに残れるような点は取らないとね。そういうシェーラはどう?」
「第一クラスに残れるかどうかという点に関しては、余裕ね」
「まぁ、そりゃあこれまでの考査の成績からしてそうだよな」
「レオもほとんど同じようなものでしょう?」
「総合的にはシェーラの方が全然勝っているけどね」
シェーラはこれまでの全ての考査において総合順位は1桁をとり続けている。総合順位というのは必修科目のテストの合計点のことである。選択科目はそれぞれ違うので単純に比較できないのでランキングは発表されない。俺は1回だけ10番台になったことがあるし、シェーラには単純に点数では負けている。
「レオと違うクラスなんて嫌よ」
「それは俺も…」
言いかけた口は自然と閉じる。いつまで経っても恥ずかしさがやってくるのだ。
「『俺も』、何かしら?」
「…何だろうね」
なぜ彼女はここまで俺が追及されたくないことを追及したがるのだろうか。
「ねぇ。『俺も』、何かしら?」
「…俺もシェーラと違うクラスにはなりたくない」
「うん。嬉しい」
シェーラが俺と繋いでいる手の力をぎゅっと強める。言わなくても分かっているくせに、という抗議の気持ちと、もうどうにでもなれという気持ちを込めて、俺は同じくらい強く握り返した。
帰る時には手を繋ぐのが当たり前となったのはいつからだろうか。
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「レオさま、お茶が入りました」
「うん、いつもありがとう」
マリーさんの淹れたお茶を一口飲んでから教科書を開く。テスト前には勉強をしろという学校側の主張により、必ずこの期間にはどの科目も多かれ少なかれ課題が出される。テストの点が壊滅的だったとしても課題さえ出していればまだなんとかなるという、主に成績が良くない人へ向けた救済措置の面が強いので正直自分にはこの課題をやる意味がほとんどないのだが。
そして今やっている課題は算術の課題だ。各領の支出のデータをグラフにして情報を読み取れとかいうものだ。算術なら考査で100点しかとったことがないのだからますます課題をやる意味が無いのだが、もしこれが影響して第一クラスから落ちてはならないので、しぶしぶやるのであった。
先生から配られた紙には各領の支出のここ2,30年分の数値が書かれているが、どこの誰に配慮しているのか知らないが『領A,領B』などといったように領の名前は伏せてあった。本当のデータを引っ張ってきたならば、確かに領の名前は伏せておいた方が色々と都合が良いのだろう。
「…ん?この領のデータ…。いや、まさかな…」
とある領の支出の数字をざっと眺めたところ、ある違和感を覚える。一度気になってしまったら課題を中断してでもその正体を明らかにしようとしたくなるものだ。俺はそれぞれの年の支出の一番上の位の数字を抜き出す。1が4回、2が4回、3が1回、4が3回、5が5回…。いや、もしかしたら勘違いかもしれない。そう思いながら緻密に確率計算していく。
「おいおい、伏せ字にしてあって良かったな、これは」
この領の提出した支出の数字は限りなく不正だ。
支出の欄に並んでいる数字の一番上の桁の数字が1から9まで程よくばらけていることが確認されたのだが、実は程よくばらける方がおかしい。ベンフォードの法則といって、自然界で見る多くの数字は、(もちろん全てではないのだが)一番上の位の数字は1になる確率が最も高く、2,3,…となるにつれてその数字が表れる確率は少なくなっていくのだ。実は最高位の数字が1になる確率は約30%もあり、9になる確率は5%もない。むしろ1から9まで程よくばらけて登場する方が確率的にありえないのである。確率計算した所、実際に最高位の数字がこのようなばらけた分布となる確率は0.5%未満であることが示されてしまったのだ。この領は限りなく黒であると言えるのだ。
時期的に、これは気づいてはいけなかったのかもしれない。考査が終わるまで黙っていればいいだけじゃないかと思うかもしれないが、俺がこればっかり気になって試験勉強に身が入らないのがまずいのだ。これが本当に不正かどうかを確かめるために、対数の計算を駆使して上から2桁目の数字も正しい分布からどれくらいはずれているかを計算したくなる。
考査が終わってから校長先生など、しかるべき人に報告したとしよう。すると直ちに計算方法、確率計算の理論を説明しなければならないだろう。理由を話さなければただのいちゃもんと思われかねないから必要なことだ。その結果自分の研究に費やす時間がますます無くなるのである。
「気づいた時点で詰みだな…」
俺は教科書を閉じて天井を仰いだ。
しばらく更新を止めてしまい申し訳ありません。ちょっと最近あまりにも自堕落な生活を送りすぎてしまいました。何とかペースを戻していこうと努力します。




