1 天才数学者、大神学
数学者がその知識を異世界にどう活かせるのか?数学者は異世界でどのようなことを考え、行動するか?をテーマに小説を書いていこうと思います。専門的な数学を知らない人でも楽しめる小説を目指します。
1.概要
このレポートは実際に私が転生した、地球とは異なる異世界(以下、現地での呼び方に則してガイアと呼ぶ)の文化、魔法理論などをまとめたものである。著者は地球で17歳の誕生日にガイアに転生し、現在ガイアで70歳の誕生日を迎えた。いまだにガイアから地球と連絡を取る手段は見つかっていないが、いつの日かそれが可能となり、このレポートが人類の新たな叡智となることを願っている。
―大神学 (カール・レオン)『地球とは異なる異世界について』p.1より抜粋
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「よし、いったん休憩しよう」
そう呟いて、PCに書き途中の論文を保存し、凝り固まった体をほぐすようにぐーっと伸びをする。PCの横に乱雑に開かれた雑誌が目に入る。「天才数学者、大神学に直撃取材!」なんてタイトルの、記者との対話形式の記事だ。
―人類史上最大の天才と言われている大神さんの頭脳をのぞきたいと思います。本日はよろしくお願いします
―いやいや、私は天才じゃないですよ。ただ他の人より少し早く様々なことに気づいたというだけですから
―そうはいってもこの若さでこれだけの実績があるのは非常に特異なことですよね。ノーベル賞に数学部門があったら確実に選ばれていたと言われていますよ
―ありがとうございます。しかし、過去の偉大な数学者、ガウスやガロアなども今の私と同じくらいの年齢から功績を残しています。自分が特別であるとは思わず、謙虚にやっていこうと思います
―なるほど。過去の偉大な数学者を見て、自分のあるべき姿勢を学んだのですね。そんな大神さんですが、先日「これまでにない発見をした」とTwitterで発言したことで話題になりました。その内容について教えていただけませんか?
―ごめんなさい。これは発表の瞬間まで完全に秘密にしたいんです
―ヒントだけでも教えてもらえませんか?
―そうですね…数学のみならず、全人類に衝撃が走るかもしれない内容だ、とだけ言っておきます
―なるほど。とても興味深いですね。発表が楽しみです
そう。俺は「これまでにない発見をした」と言ったが、それが今執筆している論文の内容だ。タイトルは「数学者は異世界で生き残れるのか?」。あえて釣りっぽいタイトルにしたその内容は、先日俺が研究中にたまたま発見した平行世界、異世界の存在証明だ。超弦理論によればこの宇宙は10次元であるという。空間の3次元に時間を加えた4次元が我々が認識する次元であり、残り6次元は非常に小さく見えない状態にあると言われている。数学的にこの隠された次元のパラメータを変えることができれば、平行世界および異世界に到達できるはずである。そう分かったのだ。この事実を発見した瞬間から興奮がおさまらず、もう一ヵ月近くほぼ徹夜で論文を書いている。
2020年2月2日。今日は俺の17歳の誕生日だ。今年も一人で誕生日を過ごす。両親は小さい頃に事故でなくしてしまった。親戚が自分を引き取ってくれたが、あまり面倒をみてくれないため、実質独りぼっちだった。癒えない悲しみの中、数学を面白く紹介する本に出合ったのが数学との最初の出会いで、そこから誰とも会話もせず、ずっと部屋にこもって紙に数式を書く毎日だった。15歳に高校に入学すると同時に一人暮らしを始めた。この頃には論文の投稿も開始し、自力である程度稼ぐことができていた。
自分には数学しかない。一人暮らしを始めてすぐそう気づいた。
誰にも祝われないお誕生日ほど虚しく、空っぽなものはない。せめて自分だけは自分を心から祝おう。そしてケーキを食べ、気合を入れて論文を書き上げよう。そう思って部屋着の上からコートを羽織り、外へ繰り出す。家にこもりっきりでいたから太陽がまぶしい。
「まてよ、最後に書いたあの数式、参照する文字を間違えたな。εじゃなくてδより小さいxをとらないと極限の存在が示されないな」
そんなことをぶつぶつとつぶやきながらコンビニで一切れのショートケーキを買い、公園のベンチでケーキを食べる。徹夜に徹夜を重ねた極限状態の脳みそに糖分が行き渡るのを感じつつ、ぼんやりと道路をせわしなく行きかう車を眺める。一台のトラックが前の道路を左から右へと走っていく。その時だった。全身を雷で貫かれたかのような感覚と共にある仮説が湧き出た。
「待てよ…量子トンネル効果をうまく使うことで…もしかしたら」
浮かんだアイデアが消えないように、ポケットに忍ばせてあった紙とペンを取り出して書き出していく。
信じられない。ただの冗談に聞こえるようなそれは、気づいてみれば逆に嘘であると否定することの方が難しいと感じるほどに単純なことだった。式を書くたび、数字を計算するたびにそれは確信に変わる。
『存在を証明したところで実際に移動することができるわけじゃないし、君の研究に意味はあるのかい。一度トラックにひかれて考え直したらどうだ?ハハハ』
数学者の知り合いに論文の内容を話した時にそう馬鹿にされたことがある。確かに存在が保証されることと実際に異世界に行けることは全くの別問題であるし、全く実用的でない研究かもしれない。
だがそのギャップが今、埋まる。
次元の壁を超える量子トンネル効果を確実に起こすためには大きなエネルギーが必要だ。そのポテンシャルを得るために必要な条件が一つずつ計算によって導かれる。座標、加速度、そして…命。
「やっぱりそうだ。これなら理論上超えられる…しかもこのタイミングしかない。どうする…」
紙をはみ出した数式はベンチに侵食する。条件は分かった。だがこの事象を引き起こすきっかけは…
「……そうか、だからトラックなのか」
最後の式を書き終え、ゆっくりと立ち上がる。目の前の横断歩道まで歩き、1分16秒後に来るトラックを待つ。
「この理論が正しければ、次元の壁の不可逆性により戻ることはできないが、行くことは可能だ…」
そう、これは仮説が立証される瞬間…
「論文を出して多くの人を驚かせたかったが…計算上この瞬間しかないから仕方ないな」
ふっ、と小さく笑い、目を閉じる。ケーキの最後の一口を飲み込み、計算通りやってきたトラックの前に身を投げ出す。
ケーキの入っていたプラスチック容器とビニール袋が宙を舞った。
読んでいただきありがとうございます。次回から大神学は異世界へ。