子爵子息は思い出した
俺とエリクが出会ったのは、学園に入学した後の最初の講義の時だった。たまたま座った席の隣がエリクだっただけだが。その時は特に気を止めることもなかったが、俺の履修する講義とエリクの履修する講義は似通っていて、よく顔を見る奴くらいの認識だった。
そんな俺とエリクが仲良くなる切っ掛けとなったのは、ペアを作り、テーマについて議論し、皆の前で発表するという課題だった。他の受講生が近くにいる奴と適当にペアを作る中、俺とエリクも、たまたま隣にいたためペアを組んだのだった。
俺はその時に初めてエリクが伯爵子息と知り、言葉遣いを敬語に直したのだが……。
「普通に話していいよ、面倒だし」
高位貴族に特有の高圧的な雰囲気は無く、むしろやる気の感じられない空気を醸し出していた。しかし、俺はそれを鵜呑みにするほど馬鹿ではないつもりだったので、断りをいれたのだが……。
「議論する相手に上下をつけると議論にならないだろ? それに学園の生徒の間に身分の差は無いと心得ろっていう建前があるじゃないか。何か言ってくる奴がいたら、俺が相手をするからさ」
ここまで言われては、反論する材料を持たない俺は大人しく従うことにした。最初こそは恐る恐る話していたが、エリクに気にした様子は全くなかった。表情や身振り、声の抑揚からは、よく決断してくれたと言わんばかりに喜色で溢れていたようだった。
課題の発表では、俺たちのペアが一番深くまで話し合えていたと先生に称賛された。発表の際に矢面に立たされたのは釈然としなかったが、褒められたのは素直に嬉しかった。
入学して時間が過ぎていくと、いくつかのグループが形成され始めた。身分と思想の近い連中がつるむからか、グループには序列のようなものが出来ていた。明確な区別などではなかったが、暗黙の了解として上位のグループには慮った行動をとり、下位と認識したグループのそれは当然であるとするグループが自然と発生したんだ。
そんな中でエリクはどのグループにも属している様子はなく、温厚派なグループと交流こそ持っていたが、どのグループとも深く関わることはしていないようだった。
エリクは伯爵家や侯爵家を中心とするグループ以外にも、子爵家や男爵家を中心とするグループとも交流していた。子爵家の出である俺と気兼ねなく話す様子や、エリクと気負いなく話す俺の様子から敬遠されることもなかったようだ。
そんなある日、伯爵子息を中心とする急進派のグループにエリクが噛みつかれた。複数のグループを渡り歩いている様に見える行動が勘に触れたらしい。
「伯爵家の出であるにもかかわらず格下の者と馴れ合いっ、あまつさえ上位の者にはおもねるなど恥を知れっ!」
廊下のど真ん中で集団に囲まれたエリクを、俺は助けに入れなかった。情けないが、身分の差とはやはり大きなものなのだ。そんな自分を嫌悪しているとエリクの無機質な声が聞こえてきた。
「それで、お前は俺にどうして欲しいんだ?」
そこには、いつもの眠たそうにやる気の感じられない目はしっかりと開かれ、普段は猫背な背筋を伸ばしたエリクがいた。まっすぐとリーダー格の生徒を見据えた目からは感情を窺うことは出来ず、ただ純粋に警戒心を抱いた。自分に向けられた訳ではない。ただ何をする気だと心の中で問い掛けずにはいられなかった。
普段の様子があれなので忘れかけるが、あいつも伯爵子息なのだ。常にない気迫のようなものに虚を突かれたのか、相手の伯爵子息は捨て台詞を吐いて立ち去っていた。
「ふ、ふんっ、それくらい自分で考えろ!」
そんな伯爵子息を一瞥もすることなく、エリクは歩き始めた。
「お、おい、大丈夫か?」
エリクが近くまで歩いて来て、やっと話しかけることが出来た。先ほどの雰囲気が残っていたから、少し怖かったが……。
「ん? ああ、大丈夫だろ」
エリクは俺を視界におさめた頃には、いつものエリクに戻ったようだった。そのことに内心で安堵した。大丈夫だろという他人事のような感想に疑問を覚えたが、これ以上はやぶ蛇な気がした。
それからしばらく講義以外でエリクを見なくなった。行動範囲が被っているので、見かけないなんてほぼあり得ないのだが……。再びエリクを見かけるようになったころ、例の伯爵子息のグループが大人しくなったという噂を聞いた。その事をエリクに伝えてみると……。
「まあ、上昇志向の強い奴は何かしらやってるもんだ」
その返答を聞いて、俺はこれ以上のことを聞くのを止めた。聞かなければ知らずにいられるからだ。知らないということは、可能性に溢れているということだ。たとえば、どの様な手段であいつらを静かにさせたのかを知らなければ、憶測で終わる。そう、俺は何も聞いていない。
最近だが、男爵令嬢の取り巻きと化していた侯爵子息の噂が流れ始めている。あまり良い内容の噂ではない。そして、俺は最近エリクの姿を講義以外で見ていない。……まあ、何かの偶然だろう。あいつは病み上がりだからな、安静にしているに違いない。俺は何も知らない。