伯爵子息は思い返す
お待たせしております。
一の兄上から手紙が届いた。要約すると「学園が閉鎖されるから帰ってこい」だな。国王派と公爵派の対立が表面化してきた影響だろうね。お互いの陣営にとって急所となり得る学園は閉鎖して、子弟が無事に戻るまでお互いに手は出さないという紳士協定が結ばれたようだ。
「本当に手を出してこないのかしら」
サロンで寛いでいたら、勝手に相席してきた奴が一人。まあ、両陣営から距離を取られて暇なんだろうが、何だって勝手に座るのか。
「それは悪手」
勝手に座ってきた奴、その二。こいつは空気というものを読まないだけの存在である。
「どうしてかしら、相手の弱点をつくのは戦いの常道ではなくて?」
うむ、さすがは武闘派なドラブル家のご令嬢。戦の基本を押さえている。戦において、相手の布陣の弱点を突くのは常道だな。相手陣営の子弟を人質に取れたならば切り崩し工作は非常に円滑に進むことだろう。
「もし実行したら信用を失う」
そう、仮に成功しても、実行した家の信頼は地に落ちるだろう。まず勝つためなら協定を無視するという点。勝つためなら何だってするのは常識だが、表だって協定を破る奴はただの馬鹿だ。何故なら協定違反は相手にやらせるものだからだ。自分自ら破るということは「私は約束を守らない人間である」と発言したに等しい。そんな人間に人は信を置くだろうか。俺は置かない。
第二に子弟を拐うという行為。感情論的に考えても愚手でしかない。利点は、相手に要求を飲ませやすいこと。欠点は身を滅ぼすレベルの憎悪を相手に植えつけることだろう。加えて他家からの評価も地に落ちること受け合いである。誰が子を拐ってまで要求を飲ませる奴と近所付き合いをしたいだろうか。可能ならば積極的に排除の方向で動くだろう。
こんな直情的な行為に出るのは、近視眼的な視点しか持たない奴だろう。放って置いても勝手に滅ぶ。この手が使えるのは、何かしらのルールで守られているか、壊滅的に秩序が崩壊している場合くらいだろう。そして残念ながら我が国にはそんなルールはないし、秩序も崩壊していない。
それにこんな簡単で愚かな手をとる馬鹿が出ないように、お互いの陣営から監視の軍勢が派遣されている。この状況下で凶行に走る馬鹿は盟主の顔に泥を投げつけるのと同義なので、味方から始末されるだろうな。誰だってそんな馬鹿と一緒だと思われたくはないだろうし。
「戦いには勝たなくては意味がないでしょう」
確かにその通りではある。
「戦いの後も考えなくてはいけない」
シャルロット嬢は良い騎兵指揮官になるだろう。相手の弱点に向けて迷わず突撃できる御仁だ。しかし簡単に罠にはまるタイプでもある。俺が今回襲撃を計画した場合、実行犯に据えるだろうな。「この戦いの勝敗は貴女の働きにかかっています」とでも言えば、簡単に踊ってくれそうだ。そして何かを喋る前に取り押さえ、首をはねて相手へと謝罪すればいい。こいつが勝手に暴走したんです。まあ、言葉で誘導するなんて露見しやすい方法は取らないけどな。そういう思考になるように環境を整えるべきだ。
「貴女の物言いは、いちいち燗に障りますわね」
よく耐えていたが、ついに限界がきたか。頬はひきつっているし、力が入りすぎて体が震えているじゃないか。
「貴女が考え足らずなだけ」
いや、お前は言葉も足らなければ、相手の立場にたって言葉を選ぶという考えが足らない。
「なあ、おい。早く解放してくれないか。もうここに居たくねぇよ……」
ふっふっふ、バルテ君よ。お前だけ逃がすとでも思っているのかね。後からやって来たのはあの二人だが、先に座っていたのは俺たち二人だろう。ここから立ち去る時は二人一緒だ。
「何かおっしゃいまして?」
「イエ、ナンデモナイデス」
腹くくれよ、バルテ。世の女性はな、お前の妹のように純真無垢な存在ばかりじゃないんだ。むしろ希少だ。妹さんを私にください。
「まあまあ、落ち着いて。怒った顔も素敵ですが、美人が怒ると周りに不用意な威圧感を与えてしまいますよ。それでは折角の貴女の魅力が半減してしまいます」
「……」
何かを言おうと口を開いては閉じていたが、結局何も言わずに椅子に座り直した。バルテがこちらを向いてアホ面を晒しているが、何が言いたいんだ?
「私は……?」
いや、お前が無駄にシャルロット嬢の感情を逆なでにしなければ、平穏無事に済んだんだぞ。
「相手の気持ちを慮った発言ができるといいですね」
「……努力する」
皆が自分と同じくらい考えられると思っている感じだよなぁ。そんなわけないのにね。考えればそれくらいわかるだろうって思っていそうだ。
「お前、何者?」
「経験値の差じゃないか?」
気性の激しい姉を持つと苦労する。嵐はじっと耐えていれば、そのうちにおさまるもんだ。精神的疲労は計り知れないけどな……。
「お前ん家の妹ちゃんが羨ましいよ……」
「あん?」
一度だけ会ったことがあるけど、可愛かった……。満面の笑みでバルテに駆け寄って抱きつく姿なんて、思わず言葉を失ったよ。そのあと俺に気付いて、バルテの後ろに隠れる姿は狙ってやっているのかと疑うほどだった……。何がどうなったらこんなゴリラの妹が、あんなに愛くるしい存在として現れるんだ。
「あら、妹さんがいらっしゃるの?」
「詳しく」
「え?」
ああ、早くプティに会いたい。プティも初めて会う人間が現れたら、俺の後ろに隠れていたな。
「おい、今すぐその笑みを引っ込めろ。じゃないと俺が殺される」
は? 顔に出ていたか……。
「すまん、プティのことを思い出していた」
バルテが殺される意味がわからないが、なかなか心の籠った言葉だっただけに謝ってしまった。
「プティ?」
「また新しい名前……」
ああ、この二人は知らないのか。そういえば話していなかったな。まあ、話すような間柄でもなかったが。良い機会だし、時間もあることだから、別に話してもいいか。
「プティというのはですね、家で飼っている猟犬の名前です。家では代々猟犬を育てていてですね、その内の一頭を私が育てることになったんです。プティが産まれた時から一緒に過ごして、猟の仕方も私が教えたんですよ。非常に優秀な子でして、プティと一緒に出掛けた狩りで獲物が獲れなかったことはありません。どんな大きな獲物にも怯むことなく飛び掛かる姿は非常に勇ましくも美しい姿なんです。でもですね、普段のプティはとても大人しくて優しい子なんです。仲間の猟犬たちもプティに信頼を寄せていますし、そんな子たちをプティも優しく慈しむ良き姉として接しています。そんなプティですが、本当は甘えっ子でして、小さい頃なんて知らない人間がいると、私の後ろに隠れる可愛い子だったんですよ。その姿が初めて会った時のバルテの妹さんに重なりまして、勝手に妹のように思っているですが、彼女からすれば迷惑かもしれないですね」
最後の方は普通に話してくれるようにはなってくれたので、多少は慣れてくれたと思いたい。
「まあ、妹のように思っていらっしゃるのね!」
「妹……、わからない……」
プティとバルテの妹の可愛さが想像できたのだろう。シャルロット嬢は満面の笑みだ。やはり女性は可愛いものが好きなのだろう。姉上も子犬には特に優しい。
「ん、どうしたバルテ。なんとも言えないような顔をして」
「いや、助かりはしたんだが……、兄として複雑な気分なだけだ」
ふ~ん、兄の立場になったことがないのでバルテの気持ちは理解できないが、まあ何とも飲み込みづらい何かがあるのだろう。
「早く会いたいものだな。お前もレティちゃんに会うのは久しぶりだろ?」
「レティシアと呼べ」
レティシアちゃん(8)




