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魔の在る世界と戦う者たち  作者: 宮音 詩織
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ついに諦める

 翌朝。遅い時間に起床し、カイトとイナンナはまず、聖ナータ教会へ向かった。ミランの仕事を受けないにしても、ほかの仕事はあるはずだ。ジャスミンは野伏としての仕事があるかもしれないし、カイトも狩人としての仕事をして稼ぐことはできる。ほどよい獲物の掲示があれば、それを狩りに行ってもよいだろう。どちらにしろ、ジャスミンとは聖ナータ教会の入り口で待ち合わせている。

 ユニオン本部に構えられた、各種手続きをするための受付でカイトとイナンナを出迎えたのは、仕事斡旋の受付にいる禿のギュンターの、角の生えた頭だった。

「頼む、依頼を受けてくれ!」

 机に両手をついて身を乗り出し、頭を深く垂れているために、輝く頭頂部が二人に丸見えなのである。イナンナが受付台に歩み寄り、彼を見上げた。

「ギュンター、どうしたの?」

 縦にも横にも大きなギュンターは、一見すると熊のような男だが、中身は羊よりも無害で穏やかだ。イナンナが人見知りしない、数少ない人物でもある。

 少女の真っ直ぐな瞳に、ギュンターは気圧されたかのようにのけぞった。口をもごもごと動かし、やがて縋るように彼女の肩を掴む。

「頼むよ、お前さんから言ってくれ。ミランからの仕事の依頼、受けるようにってよ」

 イナンナは眉根を寄せた。

「難しい、と、思う」

 わかってるよ、とギュンターは、身体に似合わない、よれた声を上げる。

「依頼主があれだから警戒するのもわかる。でもな、ユニオンの立場、っつうかおれの立場もちょっとは汲んでくれ」

 カイトは黙って聞いていたが、大きくため息を吐いた。

「つまり、あれか、お前は俺たちになんとかして頷かせないと、上からどやされるってわけか?」

「どやされるで済めばいいがよぉ」

 顔を上げ、カイトを見つめる。腰は曲げたままなので、カイトを見上げる格好だ。カイトは思わず吹き出した。

「なんつう顔してんだよ、オヤジ」

 声を立てて笑う。十二歳のときに寄る辺のなくなったカイトが、ここホートルノックで暮らせるように面倒を見てきたのは、ギュンターである。ユニオンに口利きしたのも、成人の儀に立ち会ったのも彼だ。今は、カイトの大家でもある。カイトにとっては恩人だし、カイトと同じように世話になった若者は多い。「空籾」としてプロドアから逃げ出した人々や周辺の人々が、多少のいさかいはありつつも大きな軋轢を生まず共存しているのは、ギュンターがうまく調整役を務めているからである。ホートルノックを支えるのに、彼の人徳もまた、大きく貢献しているのだ。

 ギュンターが頭を下げてきたということは、ユニオンの方針は変わらないということだ。つまり、ミランとの取引に応じるということである。あれだけカイトとジャスミンが言ったにも関わらず、二人にまた依頼をしてくるということは、覚悟を決めたということだろう。カイトが最も逆らわない相手であるギュンターにまで言わせたということは、カイトの逃げ道を塞いだということにほかならない。同時にそれはユニオンそのものも、道を塞いだということを示していた。

 泣きそうな顔のギュンターを、イナンナは見上げ、カイトは見下ろしている。二人は顔を見合わせた。イナンナにしても、ギュンターにはよくしてもらっている。そのためか、イナンナはおねだりするときの上目づかいである。予言の母とやらと顔を合わせなければならない恐怖心よりも、恩人を想う気持ちのほうが勝っているようだ。カイトは腕を組んだ。ギュンターの頼みを断るのは、さすがのカイトでも、腹が絞られるような苦しさを覚える。それよりは、ミランから受けるであろう屈辱を受け流す覚悟を決めるほうが楽だった。

「わかった……わかったよ。ジャスミンがなんて言うかはわからんが、俺が行こうっつったら反対はしないだろう」

 瞬間、ギュンターの顔が、ぱっと明るくなった。

「さすがカイトだ、いい子だなあ」

「俺の歳知ってるだろ、まだガキ扱いするかよ」

 言うものの、迷惑とは思っていない。カイトをこのように扱うのは、ホートルノックで唯一、ギュンターだけなのだ。

 本部と言うだけあって、多くの人々がこの建物を出入りしている。この街で暮らすためのあらゆる手続きがこの場所に集約されているのだ。特に配達人の姿が多い。配達人の筆頭であるキャンディがイナンナを見かけて、親しげに手を振って、またすぐ仕事へ戻っていった。モンスターの出現情報も掲示されていて、それを目当てにした狩人たちの姿もある。

「よおカイト、やっぱり落ちたか」

 アンジェの若い男が、ひらひらと手を振りながら声をかけてきた。茶色の翼をもつ狩人だ。カイトは首だけをそちらに向けた。

「どういう意味だよ?」

「オヤジの泣き落としには弱いだろーってな」

 ヒヒヒ、と下卑た笑いを上げるが、表情に悪意はない。カイトをからかいつつも、ドラゴンの件はごくろうさん、と挨拶するあたりが律儀だ。

「そうそう、こりゃあ狩人の勘ってやつだがなぁ」

 彼はカイトに手招きする。カイトが近づくと首に腕を回して引き寄せ、カイトの耳に囁く。昨夜に深酒をしたのか、その息に臭いが残っている。カイトは眉ひとつ動かさない。

「ミランの野郎だがな、どうもクサいぞ」

「臭いのはお前の息だよ」

「ひひっ、違いねえ。いや、それはいいんだよ、放っとけ」

「で、ミランがなんだって?」

 カイトの問いに、焦らすような沈黙とにやけた笑いを挟んで、答える。

「あいつ、なーにか企んでやがるぞ。ひょっとするとお前のこと陥れる気満々かもしれねえから、気をつけろや」

「まさか。いくらなんでも、たかが俺をどうこうしようとするほど暇じゃあねえだろ……」

 言いつつ、語尾がしぼんでいくのは誤魔化せなかった。わざわざあんな形で依頼をしてきたのだから、企みがないというほうがおかしい。

「ほら、断言できねえだろぉ?」

 相手はカイトを解放しつつ、満面の笑みである。カイトは身を起こすと、笑いをひきつらせた。

「てめえ、楽しんでやがるだろ」

「まあなあ。お前はいい奴だけど、どうせ他人事だしよ」

 狩人は特に、安全な壁に覆われた街から外へと出ていく。危険なモンスターはそう多くないとはいえ、誰がいつどうなろうとおかしくない。なので、どんなに仲が良くても、他者とは常に一線を引いているふしがある。

「じゃ、まだ死ぬなよ、カイト」

「おう、お互いにな」

 軽く手を振って別れる。ギュンターは二人の会話が聞こえたわけではあるまいが、不安げだった。

「頼んだおれが言うのもなんだが、カイト、気をつけてくれよ」

「たぶん大丈夫だろ」

 ああでも、とカイトは足を止め、自分の後ろに従っているイナンナを見下ろした。

「イナンナの後見人、俺だっけな。やっぱりオヤジに変えとくか。あとは、俺の相続人がイナンナになってるかも確認だな」

「縁起でもないこと言うなよぉ」

 ギュンターが泣きそうな声を上げる。その横から、翼男が茶々を入れた。

「おお、かっこいいこと言うじゃん、カイト。女子供は死んでも守るってか」

「こないだチビを助けて大怪我したっていう、誰かさんほどじゃないさ」

 カイトの切り返しに、男は赤面した。

「バカやろ、言ったらカッコ悪いだろうが!」

 カイトは大いに笑う。笑いながら、その場を後にした。イナンナが不満げな顔をしながらついてくる。

「なんだよイナンナ、なにが気に入らない?」

「だって、カイト、死んじゃうみたいなこと言ったから」

「もしもの話だ。第一、今までが不用心すぎたんだよ。いちばん死ぬ可能性あるの俺だろ?」

「イナンナが守るよ」

 少女は声を上げる。カイトはその勢いに瞬間圧され、直後、吹き出した。イナンナが顔を真っ赤にして怒る。

「なんで笑うの、イナンナ本気だよ!」

 カイトは、悪い、と言って彼女の頭を撫でた。実際、戦闘中は幾度となくイナンナの呼びだす守護魔に助けられている。今更、彼女の言葉を子どもの背伸びだと言うことはできない。けれど、カイトが撫でるイナンナの髪は柔らかく、赤い頬はふっくらと丸く、手足は小さく、身体は薄い。カイトは目を細めた。本来ならば、戦うにはあまりにも幼い少女。

「あのな、イナンナ」

 皆まで言えず、カイトは背中に大きな衝撃を受けた。ごふっ、と不穏な音が、喉から漏れ出る。息が詰まり、咳きこむ。

「カイト、待ち合わせ時間はとっくに過ぎてるんだけど?」

 ジャスミンの蹴りが、カイトの背中ど真ん中に当たったのであった。イナンナが慌ててカイトを見上げる。

「だ、大丈夫?」

「おう、これくらいじゃなんともない」

「イナンナは優しいわね」

 ジャスミンが拳をカイトの脇腹にぐいぐいと押し当てながら、イナンナに微笑みかける。カイトは身をよじって、ジャスミンの拳をうまくほどいた。それを機にジャスミンは表情を引き締め、言った。

「で、どうするつもり?」

「なんだ、話早いな」

 ジャスミンは辺りを見回し、早口で囁いた。

「さっき、あの無駄に気位の高い守衛長が、よりにもよってあたしに頭下げて、頼む、って言ったのよ。そっちじゃどうせギュンターの泣き落としがあったでしょ?」

 ご明察、とカイトは返す。視界の端で、ギュンターが気まずげに身を縮こまらせたのが見えた。ジャスミンは笑った。

「やっぱりね」

 じゃあ、と彼女は続ける。

「準備しとかなきゃいけないこと、なにかあったかしら?」

「ああ、それなんだが」

 カイトはほんのわずか目を逸らした。ジャスミンは笑顔のままだが、瞳に厳しい色がよぎった。カイトはイナンナの肩に手を置いた。

「こいつの後見人、やっぱりお前にしときたいんだ。未婚の女に頼むこっちゃないのは承知してるが」

 後見人になると、その対象が成人の儀を終えるまでは、保護の義務が発生する。それを果たすかどうかは自分次第ではあるが、書類上は子どもが増えるようなものである。後見人と婚姻関係を結ぶ者にとっても、他人ではなくなる。そのため、ジャスミンの今後に不利にならないように、と、イナンナの後見人をカイトにしていたのだ。ジャスミンは息を吐いた。

「どうせ恋人もいないわ。それに、イナンナのこと受け入れる度量のない男なんて、こっちから願い下げだしね」

 ジャスミンはイナンナの肩を抱き寄せた。ジャスミンと比べても、イナンナはまだ小さい。歳としてはもう女性の兆しが現れてもおかしくないはずだが、イナンナは幼さのほうが目立つ。一方のジャスミンは、女性の盛りである。決まった相手がいてもおかしくない歳だ。カイトは二人を見比べて、唇を歪めた。

「親子、にはどうやっても見えないし、姉妹っつうのもなあ」

 ジャスミンが野伏としてのみでなく、戦士として活動を続ける、と主張したがために彼女から離れた男も一人二人ではない。その時、ジャスミンは自分の見るの目のなさを悔いていた。その裏でカイトとイナンナが、ジャスミンに戦士を引退するよう勧めるための作戦を練っていたことは、知っているはずもない。

 カイトの口から、思わず言葉がこぼれる。

「なあジャスミン」

 機先を制するように、ジャスミンが人差し指をカイトにつきつけた。

「一緒にいくわよ、あたしたちは一蓮托生。置いてこうったってそうはいかないんだから」

「けどな、なにもミランからの仕事まで……」

「くどいわよ」

 ジャスミンはカイトの鼻に指を押し付けて黙らせた。だいいち、と続けながら、イナンナを後ろから抱きすくめる。

「この子を連れていくんなら、あたしを外す理由はないわね? イナンナだって女の子よ、それも、将来有望な美人さん」

 イナンナの頬を軽くつねりながら言う。カイトは苦笑した。

「お見通しか」

「どんだけ長い付き合いだと思ってるの、当然でしょ」

 ジャスミンは優しく笑む。それは、カイトやイナンナとはまた違う時間を生きている者ならではの穏やかさをもっていた。が、わずかな切なさと寂しさがその眼差しにあるのを、カイトは見逃さなかった。はっと気づいて、そうか、と言葉をこぼす。その意味するところを、イナンナは理解できず、きょとんと彼を見上げる。ジャスミンはカイトに向けて、ゆっくりと頷いた。長命を誇るエルフであるジャスミンにとって、カイトとイナンナとともにいられる時間は、一生のごくわずかな時間でしかない。だからジャスミンはなにを惜しむこともなく、二人とともにいようとする。

 カイトは両手を上げて、降参の意を示した。


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