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魔の在る世界と戦う者たち  作者: 宮音 詩織
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苛立ちまぎれのひと暴れ

 酒場での昼食をとりながら、ジャスミンは考え込んでいた。横でカイトは苛立ちのままに食事をかきこんでいる。イナンナは、まるで泥でも食べさせられているかのような顔で、少しずつ食事を口に運んでは、無理やり飲み込んでいるようだった。ビスケットとスープに、川魚の干物の串焼きという、贅沢ではないがまずくもない取り合わせのはずだが、ジャスミンにも雑草をかじっているのとあまり変わらない感覚があった。

 ホートルノックの歴史は五十年ほどとまだ浅い。勃興はジャスミンの幼いころで、それに立ちあった記憶もはっきりとある。あのころ街を守っていた戦士は皆、引退してしまった。最後に引退したのは、ドワーフの老戦士だ。意見が聞きたい、とも思うが、それでは未熟者だと叱られてしまうだろう。

 街のために戦うのは、ジャスミンたち戦士の誇りだ。プロドア王国の騎士たちを相手にしても構わない。その覚悟はある。しかし、ユニオンとしての誇りを折り、金で売り飛ばすような仕事には、どうしても抵抗があった。それはカイトも同じだろう。

 相変わらず、三人の周囲には、様子を伺う視線がまとわりついている。当然だと思う。ミランがどのような言い方で噂を広めたのかは知らないが、大袈裟に吹聴したのは間違いない。ジャスミンとカイトがミランの依頼を受けなければ、プロドア王国がホートルノックを危険視して攻撃してくる、くらいは言ったかもしれない。厄介だった。プロドア王国の軍事力と資源は膨大だ。いざ戦争にでもなれば、ユニオンひとつなどひとひねりだ。王国の攻撃が理不尽であれば、ほかのユニオンも王国の横暴を阻止するために力を貸してくれるだろうが、こちらに非があって攻められているのならば、それは自業自得だと放置されてしまう。誰も、戦争を望んでいるわけではない。だがそれでも、自分たちに何も言ってこないのは、やはりユニオンが弱腰に見えているからだ。理屈と感情のせめぎ合いが起きているのは、ジャスミンたちだけではないだろう。

 沈黙のままの食事を終え、支払いをしようと財布を開けたとき、隣のテーブルから声がかかった。

「ジャスミン姐さん、いいよ、俺たちが持つよ」

 そちらを見ると、後輩として世話をしたことのあるエルフの若者とその一団が、複雑な感情の垣間見える愛想笑いを浮かべて会釈してきた。ジャスミンもまた、同じようにあいまいな笑みを返した。

「あら、ありがと、嬉しいわ」

 同情だとしても、好意はありがたく受け取っておくことにして、ジャスミンは席を立った。カイトは憮然とした表情のままだが、彼の背後に隠れるようにして、イナンナは彼らに小さく礼を述べた。彼らはイナンナを見て困ったように片目を細め、構わないよ、と返答してきた。その腹のうちは、ジャスミンにはわからない。

 酒場を出て、どこへ行くでもなく歩く。風が抜けた。誘われるように空を見る。雲の流れは速い。薄雲の上に隠れた太陽の影が、ぼんやり見えたり消えたりを繰り返している。

「……はっきりしない、いやな天気」

 皮肉を込めて、ジャスミンは呟いた。

 昼の仕事始めの鐘が鳴る。子どもたちが手習い館へ戻ってゆき、職人たちが工房に引っ込んでゆく。いつもの街の風景。

 中央広場から目抜き通りを正門へ向かって歩く。このまま散歩するなら、城壁の上に登るのがよい。見晴らしもよく、見張りの守衛たちはいるが、ほかに人はあまりいない。大都市と違ってホートルノックには公園がなく、庭園は聖ナータ教会の裏手なので行く気にならず、散歩にほどよい場所は少ない。さりとて帰宅しても気持ちは晴れないだろうし、少しでも身体を動かしたい。それはジャスミンもカイトも口には出さなかったが、互いになんとなくわかっていた。

 と、三人の正面に、若者たちの一団が立ちふさがった。十五歳前後といったところか、職人や商人の正式な徒弟として働き始めたころの者たちだ。耳にピアスが開いているところを見ると、いちおう、成人の儀は済ませているらしい。男女合わせて九人、職業は狩人、守衛、木こり、農夫だろう。ドワーフとエルフが二人ずつ、ダイモンが三人、アンジェが一人、人間が一人だ。ドワーフの若者たちはまだ髭が短く、ダイモンも角が短い。手にはそれぞれの仕事道具を携えている。なかなか、剣呑な雰囲気だった。

 面倒くさそうな声で、カイトが訊ねる。

「なんだ、お前ら、喧嘩でも売りに来たのか?」

「カイト、ジャスミン姐さん、あんたら、街を見捨てるつもりか?」

 若者たちが質問を返してくる。カイトは呆れたように大きなため息をついた。

「あのなぁ……それ、本気で言ってるのか?」

「当たり前だ!」

 彼らは義憤にかられているようだ。どうしても、ジャスミンとカイトに物申せずにはいられないらしい。

「街のために戦うのがカイトたちだと思っていたのに」

「ミランが嫌いなのはわかるが、それと街を天秤にかけるつもりなのか?」

 おいおい、とカイトが低く唸って、ジャスミンにちらりと視線を投げてきた。ジャスミンは肩をすくめ、彼らの疑問に答える。

「あたしたちは、ホートルノックがあまりにも慎重すぎるから、それが気にいらないだけよ。プロドア王国に脅されて言うことをきくなんて、ユニオンとして、あってはいけないことだわ」

 若者たちが色めき立った。

「俺たちはそんな弱腰じゃないぞ!」

「これは王国との取引で、対等な通商のきっかけになるんだと、ミランは言った!」

 彼らの主張に、カイトがすぱりと斬りつけるように放った。

「俺よりミランのほうを信用するってか、そうか」

「ミランのほうがよっぽどホートルノックのことを考えてくれてるよ!」

 若者の返答に、カイトがなんだそりゃと呆れ顔で肩を落とした。ジャスミンも、ええ、と戸惑いの声を漏らした。だが、ミランはどこか魅力的で、人を惹きつけ、信頼させることに長けている。礼儀正しく、言葉を尽くして、自分を認めさせるのだ。この素直な若者たちは、ミランの手腕にすっかり陥落している。

 若者の一人、ドワーフの職人が金槌を振り上げた。

「カイトたちがやらないってんなら、俺たちがやるぞ。カイトらにも劣らねえってところを見せてやらぁ!」

「おうっ!」

 若者たちが答え、それぞれ手にした得物を振り上げた。

「やめなさいよ往来で、危ないでしょ!」

 ジャスミンは言いつつ、一歩下がる。今はエプロンドレスである上、弓は持っていない。イナンナをちらりと見ると、彼女もまた、数歩退いていた。カイトは反対に、前に出ている。カイトもまた武器は持っていない。持っているわけがない。

 声を張り上げたドワーフを追い抜くように、ダイモンの守衛が片手剣を振り上げながらカイトへ真っ直ぐ突っ込んできた。カイトは迎えうつように、丸腰のまま走り出る。守衛がカイトの肩を狙って剣を振り下ろした瞬間、カイトは身を引いてかわし、手刀で彼の剣持つ手をしたたかに打った。ぐあっと短い悲鳴とともに剣が手を離れる。カイトはそれが地面に落ちる前に受けとめ、踊るように身をひるがえして柄で彼の背中を殴った。直後、剣を一閃。払われた矢が落ちる。カイトは叱責した。

「おまえの味方に当たるだろうが、今撃つなバカ!」

 ジャスミンはため息をついて、わざと大きな声でイナンナに言った。

「向こうが魔法を使ってきたらお願い。それまでは手出ししたらだめよ、大人げないから」

 野次馬たちのあいだから、失笑が漏れた。幼いイナンナもまた、複雑な苦笑を浮かべて頷いた。

 ジャスミンはエプロンドレスのまま、前に出た。カイトが前で剣を振っている限り、自分にはなにも当たらないという確信があった。カイトは剣をひらめかせながら、二人の弓射手と一人のスリングを相手に防戦を続けている。そのカイトの横から、不意をうってやると言わんばかりに、若いエルフ娘が長杖で殴りかかった。ジャスミンはそこに割り込んで、振り下ろされた長杖に手を添えて向きを逸らした。そのまま杖を掴み、ぐいと力任せに押す。きゃっと悲鳴を上げて相手のエルフが怯み、仰向けに転がる。ジャスミンはそのまま杖を離れた位置に放り投げた。

 いい加減に焦れたカイトが、奪った片手剣を握って前進する。フォークを握った人間の農婦が先端を突き出してカイトを威嚇しようとしたが、カイトは高く跳躍してそれをかわし、彼女を跳び越えてさらに駆けた。がら空きのカイトの背中に彼女はさらにフォークを振りおろそうとしたが、カイトの足のほうが速かった。カイトは弓引くエルフの守衛に接近して弓を手からもぎ取り、矢を適当に矢筒から引き抜いて、まず弓をジャスミンに投げよこしてきた。ジャスミンはそれを受け取り、近づいてきたドワーフの守衛の手斧をかわして、彼の鼻面を弓で殴った。仰向けにひっくりかえった彼の後ろから振り上げられたダイモンの大斧に、一瞬、冷や汗が出る。へたにかわすと、倒れたドワーフに当たる。ジャスミンは仕方なく、エプロンドレスのままでダイモンの胸に飛び蹴りを入れた。その勢いで後ろに宙返りし、着地。広がるスカートに、野次馬たちの歓声が上がり、口笛が吹かれた。

「うるさいっ!」

 苛立つが、止まるわけにはいかない。斧を振りかぶっていたためにそのままダイモンは後ろに倒れたようで、尻もちをついている。ジャスミンは安堵した。危うく、事故が起きるところだ。

 空を飛んでいたアンジェの弓射手が呪文を紡いだ。バチバチと雷の爆ぜる音。はっとジャスミンは天を仰ぐ。直後、イナンナの静かな声が、耳に届く。

「闇の子、ダニャ=タトラ、お願い、塞いで」

 アンジェの周囲に集まっていた雷光が闇によって打ち消され、さらに彼の顔を覆い尽くした。うわあ、とアンジェは悲鳴を上げ、空中でよろめく。イナンナが手を振ると闇は引くが、まだ脅すように、黒い霧となって宙に留まっている。

 カイトが戻ってきて矢をジャスミンに渡す。ジャスミンは受け取って、矢束を握ったまま一本を弓につがえた。引き、スリングを振り回すダイモンの狩人めがけて一射。狙い過たず革製のスリングを射抜き、使えなくする。と同時に、それを持っていたダイモンの青年も、ひっと喉の奥で声を上げて委縮した。ジャスミンは意地悪く笑ってみせる。

「召喚された守護魔を消すのにイナンナを狙うのは正解。そこは褒めてあげるわ」

 召喚師と呼びだされたものたちは繋がりを持ち、どちらか一方が傷つけられればもう一方にも危害が及ぶ。イナンナが倒れれば守護魔たちも消えざるをえない。若者たちも、知識だけはしっかり備えているらしい。

 イナンナが炎を呼ぶ声、直後、ばつんという音と、アンジェの青年の悲鳴が聞こえた。弓弦が切れ、弓が真っ直ぐに伸びてしまったのだ。

 若者たちのほとんどが、武器を失うか、尻もちをつくかした時点で、カイトもジャスミンも動きを止めた。イナンナが守護魔たちに、ねぎらいの言葉をかける。

 カイトが剣を放って地面に捨て、若者たちを威圧するように見まわした。

「で、なにか言いたいことは?」

 丸腰のカイト、ジャスミンにいたってはエプロンドレスという状況ではあるが、ふたりは戦いの専門家だ。対人戦闘は慣れていないとはいえ、基本は同じである。だからこそ、戦いに関しては素人である若者たちや、まだ武具も着こなせていない新人の守衛たちに負けるはずがない。

 若者たちは何も言わなかった。ただ、ばつの悪そうな顔でうつむいたり、互いに視線を送りあったりしているだけだ。我慢できず、ジャスミンがずいと前に進み出て、言った。

「ひとつ、これだけの人数で来てるのに連携がなってない。ふたつ、お互いの実力をわかってなさすぎ。みっつ、相手がわかってるのに戦略がないっていうのはおかしい」

 ふんと鼻を鳴らして、ジャスミンは言い募る。

「特に三つ目。守衛や狩人も混ざってて、どうしてこんなお粗末なことになるわけ?」

 言われた若者たちは、やはり何を言い返してくることもなかった。ジャスミンは少しかわいそうに思って、声音をやわらげた。

「あなたたちが、ホートルノックのためを想って、あたしたちの目を覚まさせようって意気込んできたことは、とてもいいことだと思うわ。でも、そのやりかたじゃ、あたしたちには届かない」

 それから、と付け加える。

「あたしたちだってホートルノックのことを考えてるのよ。あなたたちとは結論が違ったかもしれないけど、だからって、あたしたちの想いまで否定しないでほしいの」

 つい子どもに言いきかせるときの口調になる。が、実際、ジャスミンから見れば、相手は若すぎる。だからこそ、あまり強く怒る気にはならなかった。

「カイト、イナンナ、もう帰りましょ」

 図らずも喧嘩を売ってくれたおかげで、身体を動かすことができ、かえって清々していた。今は、少しでも早く家に戻って休みたかった。カイトも同じように考えているのか、脱力したような面持ちで頷いた。イナンナは名残惜しそうな顔でジャスミンを見つめてきた。ジャスミンは愛しさで胸がきゅうと鳴ったように思った。イナンナの頭を撫でてなだめる。イナンナはまだ不満げな顔をしていたが、やがて頷いた。


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