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魔の在る世界と戦う者たち  作者: 宮音 詩織
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聖ナータ教会にて

 早朝から、ジャスミンの家にはユニオン本部からの使いが来ていた。

「聖ナータ教会へお越しください、ジャスミン」

 どうせ父親を含めた上層部からの呼び出しだろう。ジャスミンはげんなりした表情で、使いで来たアンジェの少年に訊ねた。

「カイトとイナンナは来るかどうか聞いてる?」

「同じように呼び出しを受けてますよ……ジャスミンが一人では来ないだろうって、じいさんたちが言ってたから」

 最後の一言をぽそりと呟くような小声で、少年は付け加えた。彼はただの使いだが、どちらかといえばジャスミンに同情してくれているらしい。ジャスミンは苦笑して、少年の肩を軽く叩いた。

「お疲れさま、それから密告にお駄賃ね」

 銀貨を一枚、握らせてやる。少年はぱっと表情を明るく咲かせて、ジャスミンに礼を述べ、すぐに翼を大きく動かして浮上した。風が舞う。ジャスミンは目を細めてそれを見上げた。彼は空を踊るように飛んでいった。全身が喜びを表現しているところは、まったくアンジェらしい。その手つき足取り、翼の動きまで、優雅に輝いている。銀貨一枚でそれが見られたのなら安いものだとジャスミンは考えて、思わず口元をほころばせた。

 ジャスミンはゆっくりと身支度を整えた。湯を沸かして身体を拭い、下着をつけるところで、少し迷う。戦士のいでたちか、それともあえて娘服で行くか。今日呼びだされたことの意味と、カイトとイナンナのことを思う。ジャスミンは布の下着を身につけ、エプロンドレスをまとうことにした。どうせ難しい話をさせられるのだ、衣服くらいは好きにしたい。とはいえ、昨日買ったばかりのスカートは、まだ着ないことにした。せっかくの品に、けちがつくような気がしたのだ。髪を梳き、結って飾りをつける。この家で最も高級な家具である姿見に、自分を映した。

「うーん、肩幅がなぁ」

 元々は肉体労働を得意としないエルフにしては、ジャスミンの体格はよい。繊細かつ華奢で美しいと評されるほかのエルフ娘とは、明らかに違っていた。弓を扱うために肩や腕の筋はよく鍛えられ、引き締まっている。これが人間の娘であれば働き者の証だと称賛され、ダイモンならばかえって美しいと褒めそやされ、ドワーフであればまだ足りないとからかわれるところだ。だが、残念ながら、ジャスミンはエルフだった。木の葉のように長くとがった耳を見て、苦笑する。

「エルフなのよねぇ」

 気長で冷静、長期的で俯瞰的なものの考え方ができるというのが一般的なエルフだが、ジャスミンはそこから大きく外れていた。キャンディがアンジェの典型らしくふるまうのに対して、それは対極と言えるほどだった。

 ジャスミンは背筋を伸ばし、胸を張って、笑顔を浮かべた。姿見に映るエルフ娘は、いささかエルフらしくないたくましさを見せるものの、これはこれでいい、と思った。ときどきこうやって自分を確かめることが、ジャスミンには必要だった。

 ジャスミンは家を出て鍵をかけ、ゆっくりと聖ナータ教会へ歩き出した。カイトは寝坊するだろうから、急ぐ必要はない。街の重役たちからも時間は指定されていないから、どうせなら一番迷惑な時間に行ってやろう、とジャスミンは考えていた。

 ジャスミンが聖ナータ教会の入り口まで行くと、あからさまに機嫌の悪いカイトと、それをなだめるように寄り添っているイナンナがいた。カイトは太陽が苦手なダイモンの都合で、頭からすっぽりとフード付きのマントを被っている。雰囲気もあいまって、まるで強盗かなにかに見えた。顔もろくに見えないので、イナンナが傍にいなければ巡回兵に通報されていたかもしれない。ジャスミンは目をしばたかせた。

「どうしたの、カイト、早いわね?」

「どうしたもこうしたも、人が寝てる時間に叩き起こしやがって」

 ジャスミンは呆れ顔で笑った。カイトは寝坊がちなほうだから、彼の言う「寝てる時間」というのはあまり信用できない。それに、もしこれがキャンディに遊びに誘われたのであれば、眠い目をこすって文句を言いつつも、素直に従うだろう。

 ジャスミンはカイトと話すのを諦め、イナンナへ訊ねる。

「で、すぐ済ませちゃう?」

 イナンナは迷って、カイトを見上げる。ジャスミンは手を振った。

「ごめん、聞き方間違えたわ。すぐ済ませたい?」

 少しうつむいて迷うようすを見せたあと、イナンナは頷いた。ジャスミンは歩み寄ってイナンナの頭を撫でながら、カイトへ言葉を向けた。

「だってさ。とっとと終わらせて、午後はのんびりしましょ」

 カイトは、ん、と低く答えた。ジャスミンはカイトの肩を軽く叩いて励ます。カイトはこういうときに八つ当たりしない。イナンナを傍に置くようになってから、彼はだいぶ穏やかで付き合いやすい性格になった、とジャスミンは微笑ましく思う。カイトが十二の時からもう十年ほども見てきたのだ。息子とまでは言わないが、弟のような可愛さを感じることは多い。

 三人は聖ナータ教会の正面から入ることにした。講堂があり、長椅子が並び、正面には人間の祖である「始まりの乙女ナータ」を中心に、エルフ、アンジェ、ドワーフ、ダイモンの祖神の像が並んでいた。巡りの起原たる春の祖神イェルフェーン、生の喜びを感じる栄えの季節である夏の祖神アジュリアス、実りと斜陽をもたらす秋の祖神ドゥヴァルガッフ、冷たい終わりの象徴たる冬の祖神デアムント。これら四柱の神は、聖女ナータを愛し、あらゆる恵みをもたらし、彼女のために友を与えたという。それが四つの種族となり、ナータの子孫たちが人間となった。これは、幼い子どもでも知っている神話だ。少しでも信心のある者は、自分の祖神を大切にする。今は昼前、大多数は働いている時間ということもあって人は少ないが、いないわけではなかった。この教会に、人は絶えない。先にいて祈っていた人々はジャスミンたちを見て、軽く会釈をした。声は出さない。この講堂は音の響く構造になっていて、うっかりくしゃみでもしようものなら、恥ずかしい大音量でそれが響き渡る。彫刻の施された柱、控えめな彩色で紋様の染められたタペストリー、捧げられた花、木目の美しい講壇、大窓のステンドグラス。この教会は、ホートルノックの人々の誇りであった。

 カイトがフードを外し、祖神デアムントの像の前でひざまずいた。彼も信心深いほうではないらしいが、それでも祖神をおろそかにすることはない。イナンナがそれに倣うように、聖ナータの像の前で手を組み、膝をついた。ジャスミンも祖神イェルフェーンの御前に進み出て、その優しい尊顔を拝してから、顔を伏せて膝をついた。エルフらしからぬといくら言われようとも、それが自分に与えられた、イェルフェーンの思し召しなのだろう、とジャスミンは思う。

 三人は祈りを終えると、裏に入るための扉をくぐって、石の階段を上がっていった。広い部屋に出る。そこは、街の役場である。受付のカウンターがあり、真面目そうな人々がその内側で書類を揃えたり、本をめくって調べ物をしたり、書き物をしたりしている。カウンターの前では、幾人かの人々が手続きのために待っていた。壁にはさまざまな掲示物が貼られていた。今ユニオンで必要とされている資材の報奨金や、仕事や住居の仲介、弟子や助手の募集、はては個人的な連絡まで、あらゆる情報がここに揃っていた。ジャスミンとカイトは特に急ぎの用もないのでこの部屋は通り過ぎることにして、さらに階段を上がった。次の階は、窓が狭いために薄暗い廊下だ。重たげな木製扉が並んでいる。ここには重役たちの執務室や会議室などがあるのだ。

 呼び出された場所はわかっている。重役たちが揃っているのは、奥の大会議室だ。

 黒く重い木材で造られた大扉が、大会議室の扉だ。全体にほどこされた凝った彫刻や金細工のドアノブが、その部屋が重要な場所であることを示す。ノックをすると、誰何する声が聞こえた。

「ジャスミンです、呼ばれたので来ましたけど」

 返答すると、扉の内側が少しざわめいた。入れ、との声。ジャスミンの横で、カイトが不満げに鼻を鳴らしたが、ジャスミンはそれを無視して扉を開けた。

 広い部屋、窓は狭く小さいために薄暗い。向かい合うように並んだ長机の上に、ランプがいくつか置かれている。壁にはホートルノックのふたつの旗、タトラ双旗が掛けられている。街とその周辺の地図、街の歴史を表すタペストリー、そういったもので壁はすっかり覆われていた。

 重役たちは、それぞれの職務についている者たちの頭取だ。狩人や野伏などの野外活動者、配達人や伝達などの通信業務者、守衛、商人、職人、農夫などである。また、判官長や貨幣鋳造所長、手習い館の館長といった、街唯一の仕事を持つ者たちの顔もある。ジャスミンの父親もその一人で、街の財政を管理する財務長を務めている。

 イナンナはカイトの背にひしとしがみついていた。許されるなら彼のマントの中に隠れてしまいそうだ。もちろんそれは不敬だと知っているので、おどおど怯えた表情をしつつも、背筋は伸ばして立っている。ジャスミンは、それも無理ないことだと思った。イナンナはただでさえ人見知りであり、街の重役たちはそれを気にかけてくれるほど甘い大人たちではない。

 カイトは憮然と黙っているので、ジャスミンが仕方なく口を開いた。

「で、何の用なんですか?」

「わかってるだろう、しらを切るな」

 あろうことか父親がそう答えてきたので、ジャスミンはむっと唇を尖らせた。思わず反抗的な口調になる。

「じゃあ、やっぱりミラン・プラナウスからの依頼のことなのね?」

 重役たちは難しげな顔をしている。ジャスミンは、自分の直接の上司にあたる野外活動責任者のダイモンに顔を向けた。

「元はあなたも『空籾』でしょう? どうしてミランの言うことをほいほい呑み込もうなんて考えるんです?」

 その問いに、彼は落ちついた声で答えた。

「そりゃ、『空籾』だからだよ、ジャスミン。だから王国とは揉めたくない」

 うむ、と同意する声がちらほら聞こえ、ジャスミンは肩を落とした。やはりホートルノックの上層部は、街の存続を第一義とするがゆえに、このように弱腰ともとれるほど慎重になることがある。それは好戦的で反骨精神旺盛なホートルノックが他者と衝突せず生き残っていくために、重要なことでもある。が、いざ自分がそのために働かされるとなると、納得いかない。

「今回の件、どのような話になっているのか、きちんと腹を割ってくださる? このままじゃ、あたしたち、愛するホートルノックを疑わなきゃいけなくなるわ」

 ジャスミンは毅然とした態度を貫く決意を固め、喧嘩腰の言葉をぶつけた。重役たちは互いに顔を見合わせ、やがて少しずつ説明を始めた。

 ミラン・プラナウスが今回の件を持ち出してきたのは、プロドア国王が、それまでは放置していた「空籾」たちへ強硬策を実行する可能性が出てきたからだという。特に亡命した「空籾」を見せしめにすることで、国民たちの不満や不安を発散させたり、国内の「空籾」の脱走を防ぐ目的があるようだ。その強硬策のひとつに、ここホートルノックへの攻撃が含まれているらしい。王国がユニオンに対して一方的に攻撃をしかけてくるというのは前代未聞だ。だが、ホートルノックに対しては、攻める理由をでっちあげられる。プロドア王国の脱走者をかくまっている、という事実があるためだ。しかも、ホートルノックでは仕事が多く、それゆえ「空籾」たちも等しく仕事が与えられ、住民として溶け込んでいる。重役たちにも「空籾」が混ざっているし、ほかでもないカイトもまた「空籾」だ。

 ジャスミンは腕を組んで考え込んだ。

「で、それとミランの仕事を引き受けるのと、なにが関係するの?」

「つまりだ、あの若様の仕事を引きうけて、王国への反抗心がないことを証明すれば、王へ取りなすとの取引をもちかけられたのだ」

「はあっ?」

 ジャスミンとカイト、声を出したのは同時だった。ジャスミンはつかつかと大股で机に近づき、ばんと手を机に叩きつけた。

「プロドアに尻尾振るってわけ? まるで飼い犬みたいね、冗談じゃないわ!」

「落ちつきなさい、ジャスミン」

 ジャスミンは父親を睨んだが、逆らわず一歩下がった。ジャスミンの怒りに、重役たちの雰囲気も少しばかり険悪になる。ひそやかな声で、交わされる会話。やはりそう見えるのだ、最初からプロドアに従うなど、しかしこうしなければ、ホートルノックの存続のために……低く抑えた声ではあるが、興奮気味のものもある。彼らもまた、納得ずくというわけではないらしい。当然だ、とジャスミンは鼻を鳴らした。

「プロドア王国に脅されて従った、っていう実績をホートルノックにつくりたいなら、どうぞご勝手に。でも、それをあたしたちにやらせないでほしいわ」

 ユニオンはあくまでも独立した組織であり街だ。王国の属州などではなく、王国に従う義理などない。しかしこれではまるで、王国の意向どおりに動かされているようなものだ。ジャスミンは重役たちにそう主張し、一人一人の目を睨みつけた。

「これ以上の話は、そっちで意見がまとまってからにしてくれる?」

 横から、カイトがやっと口を開いた。

「俺は、ホートルノックのために死んでこいっていうならそうするし、王の顔に唾を吐きかけてこいって言われてもそうする。が、尾を振れっていうんなら、あんたたちもそれ相応の覚悟をしてほしい。食うに困って我が子に身売りを強要するようなヤツが、このホートルノックの重役の椅子に座ってるなんてことがあるのは、誰も許さないだろう」

 ホートルノックは、街の人々の結束が固いと評されている。人々は皆、互いに親類縁者のような親しみを感じ、街に暮らす者を身内として考えるからだ。だからこそ、住民の大半は街の問題を自分自身の問題ととらえ、街のために力を尽くそうとする。出身も種族もばらばらなホートルノックが、ひとつのユニオンとして機能するために育まれた意識だ。

 重役の一人、年嵩のアンジェの女性が言う。

「あのね、逆に考えてほしいの。あなたたちが活躍してくれれば、それだけでホートルノックに暮らす多くの同胞が、王国の目から逃れられるのよ」

 その言葉に、カイトがぐっと唸った。ジャスミンはそれを横目で見、小さく舌を出した。カイトは真面目で、街を想う青年だ。そのように言われては、気持ちも揺らぐだろう。ジャスミンは反論する。

「じゃあ、百歩譲って、あたしたちだけがその仕事をするというのは無理なの? 小さなイナンナにまで街の責任を負わせるのは、違うでしょ?」

「それが……イナンナの身柄は元々、魔法研究院のものだろう?」

 イナンナがびくりと大きく身を震わせたのが、誰の目にもはっきりとわかった。ジャスミンは額をおさえたが、だから何、と問い返した。相手の説明が続く。

「警護対象の要人である予言の母は、魔法研究院の研究対象だ。彼女の関係者から、イナンナの身柄を正式にホートルノックへ移してもよいという話が、裏報酬として約束されている……そのかわり、イナンナを同行させることが条件だ、と」

 ジャスミンはイナンナを見た。子どもとはいえ、イナンナはもう十二になる。そろそろ自分自身の責任を、自分でとらなくてはならない年齢にさしかかっている。まだ手習い館で学んでいる身ならばともかく、イナンナはジャスミンやカイトとともに戦いの場に出て、報酬を得ている。そこだけ見れば、一人前の大人と変わらない。

 イナンナはカイトの背中から顔を出した。手は小さく震えているが、彼女は重役たちに、はっきりと聞こえる声で返答した。

「イナンナは、カイトとジャスミンに任せる。もし、イナンナがホートルノックにいたら良くないのなら、イナンナは出ていく」

 カイトが少し怒ったような声でイナンナの名を呼んだ。少女はびくりと身をすくませた。ジャスミンはカイトを手で制して落ちつかせ、重役たちのほうを向いた。彼らも、イナンナが街にとって重要な戦士のひとりとして成長していることを喜ばしく思っているはずだ。そう簡単に出ていけとも言えないだろう。イナンナが魔法研究院との火種になるというのも、あくまで可能性の話にすぎない。が、可能性があることは確かなのだ。

 ジャスミンは重役たちに顔を向けたまま、カイトの背を叩いた。

「とにかく、あたしたちは納得できないので、もう少しまともな理由をでっちあげてから、また改めて呼んでください。今日はもう、カイトもあたしもキレそうなので引きあげます」

 重役たちは沈黙で肯定を示した。ジャスミンはカイトの背を押し、急ぎ足に部屋を辞した。


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