水を差された凱旋
モンスターを遮るための高い壁が、街を覆っている。街ひとつがユニオンとして、周辺地域の守り手を担っている、その証であるかのようだ。鉄格子の門は鎖で上げられ、木製の大扉は外側に開いている。昼間はあたりの村々から人が訪れるのもあって、街は開かれていた。門の左右に掲揚されている旗が、風に揺れている。片方は鮮烈な明るい緑、もう片方は格調高く深い緑。それらには、それぞれ別の紋章が刺繍されている。ユニオンとしての紋章と、街としての紋章、ふたつの紋章を、ホートルノックはもっているのだ。
ひとたび門から街へ入れば、街の風景がすぐ目に飛び込んでくる。石畳の敷かれた路地が伸びており、その左右には、石と木と粘土を組みあわせた建物が並んでいる。建物の一階はそれぞれの商店や工場と台所、二階には住居がある。住居の窓から吊るされた洗濯物や、商店の看板などが、色とりどりに目を楽しませてくれる。人通りは多く、手押し車に仕事道具や野菜を乗せた人、水桶を担いだ人、馬に木箱を積む人、と、それぞれの場所で皆が立ち働いていた。街の中心には立派な塔をもつ建物がそびえ、その脇には鐘楼をそなえた建物があった。中央の建物はユニオンの本部でもある聖ナータ教会、鐘楼をもつのは手習い館である。今、手習い館の鐘が、かろんかろんと耳に心地よい音を立てた。学習時間が終わり、勉強に退屈したやんちゃな子どもたちが街に放たれる、という合図である。ホートルノックでは、昨日と変わらない日常が続いていた。
まさに凱旋という言葉のふさわしい三人が街に入ったとたん、それを知った人々が、わっと周囲に集まってきた。
「おかえり、ジャスミン、カイト!」
「やあ、三人とも無事だったんだね、なによりだ」
二人の後ろに必死に隠れようとしているイナンナも、注目を浴びに浴びている。いつものことだ、とカイトは涼しげな態度を崩さない。彼に向け、親しげな声がかかった。カイトと同じダイモンの男性である。すっかり晴れたホートルノックの空の下で、やはり頭から布を被っている。
「よおカイト、今日はまた、えらく時間がかかったなあ」
そのわりには小物だな、と言い添えられ、カイトは苦笑して言い返した。
「俺たちの本業は戦いで、狩りじゃないんでな。それとも、お前ならもっと大物をやれるのか?」
「まさか、とんでもない!」
モンスターを獲物として狩るハンターたちもいるが、狙うのは猪やエルクなどの動物に近い種だけだ。それ以上は、労力や危険に、対価が釣り合わない。
牧草を扱うフォークを担いだままのドワーフが近づいてきて、解体されたドラゴンの骨や皮を興味深げにあらためた。ドワーフは背こそ低いが頑丈で、体格がよい。男性ならば、立派なひげを必ず伸ばしている。
「さすがはカイトだ、価値を落とさない捌き方、よおくわかってるじゃないか」
「あんたらには負けるさ」
カイトは目を細める。家畜化した動物や魔物を解体するのも、酪農従事者の仕事のひとつだ。天候や地質、生き物の体調の変化などに敏感なドワーフが務めていることが多い。
「おおい、誰か、アンジェのやつ、本部に報告行ってやれよ」
「もう行った、うちのチビのルウが」
アンジェは伝達や配達を仕事としていることが多い。そのほかにも、狭いユニオンの中で陽気に人々を盛り上げるため、詩人や芸人や楽師として活躍することも多かった。心豊かで繊細な感性をもつ種族なのである。ホートルノックでは娯楽が重視されており、アンジェらも重用されていた。
ホートルノックには、エルフ、ドワーフ、アンジェ、ダイモンがほぼ同数共存していた。街の八割は、こうした「始祖神の子ら」である。ほかの街と比較しても、この種族構成は珍しい。ただしその分、他の街では圧倒的に多数を占める種族、「始まりの乙女の子」人間が少なかった。
イナンナは人間の子どもだ。異種族が結婚した場合、生まれる子どもは父親、母親、そのハーフのいずれかの種族で生まれてくるが、なぜかこの街では、人間はあまり生まれない。これを始祖神の加護豊かな証だという人もいれば、乙女の子らによくない何かがあるのではと不安がる人もいる。
「イナンナ、無事に帰ってきたんだね」
「よかったよかった、かわいいイナンナに何かあったら大変だ」
親のないイナンナだが、ユニオンにとっては大事な子どもの一人だ。また、カイトとジャスミンに次ぐ、ユニオンの優秀な戦士のひとりでもある。イナンナは、自分に向けられる好意的な言葉に、カイトの陰に隠れながらも、はにかんだ笑顔を返している。
ホートルノックは豊かなためか、モンスターにも狙われやすい。だからか、狩人や護衛兵など、ある程度戦うことができる者たちが多く構成員に含まれている。しかしそのほとんどが、普段は農作をするなどの兼業や、食用の弱い魔物を狩るのみなど、本格的な戦闘手段を持たなかった。もちろん街中で起きる揉め事に対応する自警団はその限りではないし、困窮したほかのユニオンが攻めてこないとも限らないので、誰でもある程度は、身を守る手段を必ず持っている。しかし、モンスターに対しての戦闘を専門とする者は、このユニオンにはいない。唯一、カイトとジャスミンとイナンナを除いては、である。魔物との戦いにおいて、ホートルノックでこの三人に敵う者は誰もいなかった。
モンスターがユニオンの近くに出没したとき、それを倒すのがカイトとジャスミンに与えられた、ユニオンでの役割である。もちろん狩人などにその役割が振られることもあるのだが、モンスターが危険であればあるほど、その役割はカイトとジャスミンに集中した。だからこそ、この街で二人の顔を知らない者はない。
ホートルノックの人々は三人の戦利品を次々に本部へ運びだした。集まったのが顔見知りばかりなので、カイトもジャスミンも、運んでもらうに任せることにした。ユニオン本部から与えられた仕事はは討伐のみであったから、最低限の報酬は約束されている。そもそも、二人の戦利品をかすめ盗ってわざわざ二人を敵に回そうとするような者は、少なくともユニオンの顔見知りにはいないだろう。
ゆっくりと聖ナータ教会へ進み始めたカイトらと、それを囲んで戦いの話を聞きたがる人々とで、ちょっとした集団になった。そのままぞろぞろと道を行く。途中、人が抜けたり入ったりしたが、カイトは気にしなかったし、ジャスミンも同じようにふるまっていた。
教会が眼と鼻の先になったあたりで、別の集団が道を塞いでいるのに行きあたる。先頭に立っていたジャスミンが足を止め、苦々しい表情でカイトに振り返った。カイトは怪訝な顔をして前に出、正面の集団をよく観察した。カイトは眉根を寄せ、イナンナをジャスミンの背中に押しやった。その集団の中心にいる人物を、警戒せずにはいられなかった。
向こうも、カイトをそれと認識したようだ。途端に、尖った声を向けてくる。
「おや、久しぶりだね」
表情に湛えられた笑みは、その声がひどくちぐはぐに聞こえるほど愛想のよいものだ。カイトは露骨に嫌悪感を表し、表情を歪めた。
ホートルノックの人々とは明らかに異なる雰囲気をまとう男。髪はきっちりと整えられ、肌つやもよく、身にまとう装備品は手入れが行き届き、使い込まれていながら消耗を感じさせない。どこかの騎士か貴人であるにふさわしい、丁寧で柔らかな物腰だった。
向こうの挑発的な眼差しに促されるまま、カイトは尋ねた。
「ミラン……また、大使として来たのか?」
「ああそうだよ。貴族としての義務である、王への定期謁見を終えたからね」
彼は集団を手で制するようにしながら、カイトのほうへ一歩、二歩と近づいてくる。
「僕の仕事は、ホートルノックの視察と、人々との交流だ。そうそう長くは離れてはいられないよ」
だからすぐ戻った、と彼は言う。そのそばに、異国の衣服に身を包んだ若者、シノビ、と称される護衛兼間諜が近づき、低い声で警句を発した。
「ミラン様、ここでは」
「ヒイラギは神経質だな。この僕が、カイトごときを相手に問題を起こすとでも?」
ヒイラギと呼ばれたシノビのほかにも、護衛、あるいは家来と呼べそうな者たちが、彼の傍にいた。彼らは、貴族ミラン・プラナウスの忠実なしもべたちである。ミランとともに王都パラド=レアリエから派遣されてきた使節団なのだ。その関係には明確な上下関係があり、彼らは決してミランに逆らうことはない。
王は、自分たちに歯向かう気のないユニオンは放置し、あえてその自治を脅かすことはしてこなかった。ただし、ユニオンだけでは立ち行かないことに手を貸し、あるいは街同士の衝突を仲裁するために、という名目で介入してくることがあった。もちろん、多くのユニオンはそれらの介入を嫌い、王に隙を見せないよう注意しているのだが、まるでそれさえ見抜いているかのように、王はこうして貴族たちを派遣してくる。ユニオンに派遣される貴族たちは皆、モンスターに脅かされない豊かな土地を王から与えられていた。その実りを、困窮したユニオンに惜しげもなく分配することが、王から奨励されているようだった。そのため、彼らの介入に難色を示さないユニオンもあるという。ここホートルノックでさえ、王が貴族たちを通じて与える恵みに、憧憬を抱く者も少なくない。だからこそ、貴族の息子であるミランも、蛇蝎のごとき扱いを受けないのだ。
ミランは、すいと身を滑らせるように移動してきて、カイトの前に立ちふさがった。嘲るように高圧的な笑みを浮かべる。
「よかったら、少し話していかないかい?」
カイトの表情が引きつる。しかし、言われてばかりでは格好がつかない。言い返そうと息を吸い込んだ瞬間、その視界に、ジャスミンの背が割って入った。
「時間がないの、通してくれる?」
ユニオンの者たちに運ばれている荷物を示す。
「生皮からろくに処理ができてないの。時間が経つほど価値が下がるのは知ってるでしょ?」
迷惑なのよ、と低い声を出す。カイトの目から彼女の顔は見えないが、その目がミランを睨んでいることは違いない。
「うちのカイトが全力で揉め事を回避しようとしてるってのに、どうしてそう煽るわけ?」
「揉め事を起こしたくないのなら、素直になればよいのに。僕は、身の程をわきまえてほしいだけなのだから」
ジャスミンは腕を組み、背筋を伸ばして鼻をつんと逸らした。
「その言葉、そっくりそのまま打ち返すわ」
カイトはイナンナをちらりと見下ろし、そっと自分から離した。ジャスミンの隣へ、ゆっくりと出る。並んで彼女の横顔を見ると、ジャスミンはじとりとした眼差しを、遠慮なく貴族の嫡子に向けていた。
「カイトが、あんたより格下なわけないでしょ?」
はん、と鼻で笑うジャスミン。後ろで一緒に荷車を引いてきた人々が、ひゅう、と口笛を吹き、からかう声を上げる。
「ジャスミンかっこいいぞぉ」
ミランは、明らかに気分を害したような顔をする。が、したたかなユニオン者たちは、彼にも遠慮のない言葉を向ける。
「おやあ、ひょっとするとひょっとして、ミラン様はご公務に私情を持ち込まれる気満々なのかなあ?」
「おお怖い、ご機嫌をとっておかないと、将来何かがあったとき、即時打ち首になっちまわあ」
ミランを囲んでいた人々のうちから声が上がる。
「それは聞き捨てなりません!」
「そもそも、そうやってミラン様に無礼を働くことが立派な罪でしょう」
「罪だぁ? ここはユニオンだ、不敬罪ってものは存在しないぜ」
「ユニオンに王の法を持ち込んだって、役には立たないよ」
周囲も熱を帯びていく。そこで初めて、ジャスミンは自分がその場の空気に火をつけてしまったことを悟ったらしい。まずい、と呟きカイトに向く。カイトも苦々しい表情を浮かべつつ、どうやって止めたものかと思案を巡らせた。
一方のミランは、挑発的な笑みを浮かべたまま成り行きを見守っている。ここで揉め事が起きたときに最も深手を負うのは、貴族としての彼の名だろう。とても静観していられる状況ではないはずである。だが、彼は余裕さえ含んだ面持ちで、なにかを待っているかのようだった。カイトはその様子に、苛立ちを感じていた。が、先に手を出しては向こうの思うつぼだ。奥歯を噛みしめ、耐える。
あわや殴り合いのケンカが起きるか、と思われた時、突風が、両者の陣営を分かつように吹き抜けた。
「風の子、エイファ=タトラ!」
皆の動きが、ぴたりと止まる。視線が、一点に集まった。叫んだのは、小さなイナンナである。怒ったような顔をして、両手を大きく広げ、ぶつぶつと小声で呟いている。やがて彼女は、言った。
「ケンカはだめ。イナンナが許さない」
風を従え、その場で緑のきらめきを帯びた渦を作りながら、イナンナは怒りの色を濃くしていく。
「カイトとジャスミンの名前を汚すことは、絶対に、許さない!」
息を荒くして、彼女は訴える。まるでそうしなければ、自分が死んでしまうかのような、鬼気迫る顔をしている。その勢いに、周囲の大人たちは一様に黙り込み、ただ茫然と少女を見つめた。
ジャスミンが我に返って振り返り、イナンナに急ぎ足で近づいていった。彼女の肩を叩いて、笑顔を向け、抱きしめる。
「よし、偉いわイナンナ、よく止めたわね」
言いながら、ジャスミンの目はカイトに訴えていた。この空白を逃す手はない。カイトは小さく頷いて、ミランに背を向けて荷車に手を置き、大きな声を上げた。
「よし行くか。だいぶ時間を食ったな。お前ら、それ持って先に教会に行ってくれ」
カイトの周囲にいたユニオン者たちは、カイトの態度につられて、落ち着きを取り戻した。しかし冷静さが完全には戻っていないのか、カイトに言われるがまま、荷車だけを押し、カイトたちを置いてユニオン本部のほうへ向かっていく。それに合わせて、ミランも、部下たちをヒイラギ一人置いて下がらせた。
ジャスミンが頬を引きつらせながら口角を上げた。
「あんた……わざと煽ったわね?」
ミランは丁寧な所作で頭を垂れた。
「申し訳ない、ジャスミン」
彼は横目でちらりとイナンナを見る。目が合った瞬間、イナンナはぴくりと全身を震わせて硬直した。ミランは姿勢を正し、髪を指先で梳くようにして整えた。
「嫌われたね」
当たり前、とジャスミンが食ってかかる。が、ミランは落ち着いた様子で、ジャスミンの頬に手を指し伸ばした。触れる寸前で、止める。
「君といい、イナンナといい、どうしてカイトごときの傍にいるのか、僕には理解しがたいね」
「理解してもらおうとも思わないわ」
ジャスミンは近づいてきた手を押しのけながら返す。その彼女の手を、ミランはやんわりと握った。その紳士的なしぐさに、ジャスミンは戸惑った表情を浮かべた。慌てて手を引っ込める。ミランはふっと笑む。
「可愛らしいひとだ」
「なに言ってんの、バカじゃない!」
上げたジャスミンの声は上ずっていた。カイトは、あちゃあ、と小声で呟き、片手で顔を押さえ、首をゆるゆると振った。ジャスミンが背中に駆けこんで、盾にしてくる。カイトは仕方なくミランと目を合わせた。
「おまえ、よくあの状況で落ち着いていられたな」
「イナンナは動くだろうと思っていたよ。案の定だ」
推測に間違いはなかった、と彼は自慢げに言葉を添えた。イナンナはむっとした顔をしたが、ミランはとろけるように甘く優しい微笑みを、小さな少女に向けた。
「君が、カイトとジャスミンを大切にしていることを、僕はよくわかっている」
その上で、と彼は言った。
「ぜひ、僕のことも考えてみてほしいな」
イナンナは押し黙ったまま、特に返事をしなかった。カイトは眉根を寄せた。てっきり、イナンナは首を横に振るものだと思っていたのだ。イナンナが何か考えているのか、それとも怯えて何もできないでいるのか、カイトには読めなかった。
ミランは肩をすくめた。
「申し訳ないね、困らせるつもりはないんだよ」
じゃあね、と彼は、何かをジャスミンのほうへ放った。ジャスミンが咄嗟に受け止める。小さな布の包みだ。去りゆくミランの背を目で追いつつ、ジャスミンはそれを慎重に開いた。そこにあったのは、色とりどりの丸い飴玉だった。
「ああっ、もうキザなんだから!」
ジャスミンは言って地団太を踏んだが、飴玉を投げ捨てはしなかった。甘味料はたいてい果物などを保存するために使われてしまうから、それ自体を、色と香りをつけて楽しむ菓子は珍しいものである。ユニオンに暮らす人々にとっては、むしろ怪我人や体力を消耗した味方に供する非常食の意味が強い。純粋に嗜好品として作られたであろう、愛らしい色形の飴玉は、日常のなかでは縁遠いものなのだ。
「……イナンナ、あとで分けよ」
ジャスミンはイナンナに飴玉を見せる。イナンナは困ったように眉を下げて、カイトを見上げた。カイトは頓着しない口ぶりを装って、イナンナの頭をわしゃりと撫でた。
「よかったなぁ、贅沢贅沢」
ほっと安堵の息を吐いて、イナンナはジャスミンを見上げた。その手の中を、よく覗き込む。色とりどりの飴玉を見つめ、目を輝かせるイナンナは、年相応の無邪気な声を弾ませた。
「きれいだね、宝石みたい。これ食べちゃうんだ、すごいね!」
カイトはイナンナの頭越しに手を伸ばして、ジャスミンの手の中から飴玉をすばやく一つつまみ上げた。あっ、とジャスミンが抗議の声を上げるも、カイトは構わずそれを口に放り込んだ。口の中に、果汁で香りづけされた甘みが広がっていく。舌で転がすと、石を含んでいるかのような硬さを感じた。
「ん、甘い」
「好きじゃないくせに、とらないでよ」
ジャスミンは飴玉を守るように手を閉じ、もうあげない、と言って舌を出す。カイトは、ちぇっ、とわざとらしい声を出した。
ジャスミンはミランの歩み去ったほうに目を向けた。
「それにしても、なんであんなにカイトのこと目の敵にするのかしら」
「さあなあ……俺が元々は王国民だってことを知ってるからじゃないか? どうせ勝手に『空籾』扱いして蔑んでるんだろ」
カイトにとって、それはもう十年も前のことであり、家族にまで捨てられたゆえいっそ清々しく忘れることのできる過去だ。しかしミランにとってはまだ、カイトは「空籾」のままであるらしい。カイトにとってはうっとうしい話であった。
まあでも、とジャスミンがため息をつく。
「理解できなくはないわね。プロドア王国が不要だと断じた『空籾』が、ここではわりとふつうに生活できてるわけだし」
カイトと同じように烙印を押され、逃げて、運よく助かった者たちが最終的に居つく場所として、ホートルノックはよく選ばれる。カイトのほかにも十数人は「空籾」であることを隠さない住民がいる。ホートルノックの、王国へ抱く反抗心が衰えを知らないのは、これが理由でもあった。
「特にカイトなんか、ホートルノックの専業戦士として重用されてるんだもの。『空籾』の活躍なんて、ミランにとって面白いわけがないでしょうね」
確かに、とカイトは頷く。王国が必要ないと断じた者たちを組みこんで、ホートルノックは成り立っている。カイトは少なからずユニオンに貢献している自負はあったし、王国にいたままでは、自分はこれほど力を発揮できなかったろうと思う。王国は規律と公平性を重んじていたが、それだけに、カイトのような生来のつむじまがりには生きていけない場所だった。ミランからしてみれば、カイトは王国の汚点のような存在で、それが活躍しているというのが面白くないのは当然だろう。ジャスミンもまた同じように考えているらしく、性格悪いもんねえ、とカイトをからかってきた。
「まあ、天才召喚師のイナンナはともかく、あたしまで引き抜こうとするのは、カイトに対する嫌がらせよね」
「どうだろうな。おまえ、もしかして惚れられてるんじゃないのか? それで、相棒の俺が気に食わない」
やめてよ、とジャスミンが眉根を寄せる。
「あの目は違うわ、惚れた女相手なら、もうちょっと血の通った目をするはずよ。あんな、石像みたいな目を向けられたって」
「十分赤くなってたろ、おまえ」
カイトは少しばかり嫌みを混ぜた声で言った。ミランは美形なので、特に女性たちの間では、悪くない評判を得ている。目つきの悪いカイトに比べて、その差は歴然である。ジャスミンは両手で頬を押さえた。
「だってそれは……目の前にキレイな顔があって、無駄にいい声で自分に喋りかけてくるのよ?」
ねえ、とジャスミンはイナンナを見下ろすが、イナンナは理解しかねて小首を傾げてた。カイトは苦笑する。
「人によるんじゃないのか?」
「イナンナだって、もうちょっと大きくなったらわかるようになるのよ」
でもね、とジャスミンはよく教え込むように、イナンナの鼻面に人差し指を当てた。
「あんな見た目だけのエセ博愛主義者になんか、惚れなくていいからね」
言い得て妙だ、とカイトは笑った。ミランは女性に対しては紳士的に振舞い、年齢や美醜を問わず公平に接するが、それは誰にも好意を寄せていないことと同義だ。ミランは誰にも興味がないのである。イナンナはきょとんと目をしばたかせる。
「イナンナ、ミランのことは好きにならないよ」
その言葉を聞いて、ジャスミンは大いに笑った。が、カイトはなんとなく、ミランへ同情する気持ちが湧いた。少なくともユニオンで暮らす女性たちが、ミランと恋に落ちることは決してないのだろうと思ったからだ。
ジャスミンが踊るような足取りで小柄なイナンナの後ろにまわり、彼女の細い両肩に手を置いた。
「じゃ、あんたたちは先に戻ってていいわよ。ユニオンの報告は、あたしが行ってきてあげるから。連絡なしに野営したから、死んだと思われてても癪だし」
言うとイナンナから離れ、片手をひらひらと振りつつ、彼女は歩み去る。カイトが、あ、と気付いて彼女の名を呼んだ。
「忘れ物」
言って投げる。ジャスミンは彼の方へ向かず、横目でそれを捉え、受け止めた。布にくるまれたドラゴンの歯である。討伐の証拠品だ。歯の一本でもあれば、ユニオンの人々は、カイトとジャスミンがそれを確かに獲物として討伐したと信頼してくれる。もちろん今回に関しては丸ごと本体を持って帰ってきてはいるが、加工素材としてさっさと職人のところに渡ってしまっていた場合、証拠としてユニオンに提出できるものがなにもなくなる。
「ありがとカイト。じゃ、あとで酒場ね」
ジャスミンは小走りに駆けていった。
カイトはイナンナを見下ろした。
「で、いちおう聞くけど、おまえはどうする?」
「カイトといっしょにいるよ」
イナンナは小首を傾げて微笑んだ。カイトは頷く。いつものことだ。