そして新しい日々へ
カイトらが街へ戻ってきてから、早くも三日が過ぎた。倒壊した建物の瓦礫は片付けられつつあり、ひび割れた道も、イナンナを含む魔法の使い手たちの努力によって、大部分が塞がれていた。手習い館もしばらくは休みとなり、子どもたちは大人たちに混ざって、自分たちにできる役目を果たしていた。幼い子や怪我人の面倒を見たり、道を掃除したり、壊れた物品を職人のところへ集めたりだ。街の人々は、誰もが生活を取り戻そうと努めていた。
聖ナータ教会の一室、ホートルノックの重鎮たちの集まるそこに、カイトらは呼びだされていた。てっきり針のむしろかと思っていたカイトだが、彼らの反応は思いのほか好意的だった。幸いにも死者や重傷者は出ず、被害は最小限に抑えられたのだ。さらに幸運なことに、エグナータの被害が魔法研究院によってほぼ防がれた、という報せも届いていた。ホートルノックの人々の、早急な根回しが功を奏していたらしい。
ジャスミンがでっちあげた脚本は、ホートルノックの全員に周知されることになった。
ミランは、サロの遺跡の封印が緩んでいることをメルクリアから聞きつけ、その調査のために、召喚師であるイナンナを伴って向かった。封印は今にも解けそうな状態だったため、それを修繕しようとしたが、嵐による不幸な事故があり、サロの魔が解き放たれてしまった。そこでイナンナが自らサロと一時的な契りを結び、サロを抑えつけた。そのすきにサロの魔を倒す方法を探り、結局、メルクリアの命の犠牲をもってそれを成しえた。サロの魔の暴走を抑えるためにはイナンナの力だけでは足りず、キャンディの翼やモス、そしてミランの命さえも犠牲となったが、その功績をもって、サロの魔は打ち滅ぼされた。
エグナータやプロドア王にも、これで言い訳が立つだろう、とホートルノックの重役たちは結論付けた。カイトは呆れたようにギュンターへ水を向ける。
「オヤジよ、あんまり暴論というか、隙だらけっつうか、大丈夫か?」
「なぁに、つっぱねりゃあいいさ」
ギュンターはあっけらかんと笑う。彼は目を赤く腫らしており、目の下に薬草の湿布を貼り付けたままだ。彼はイナンナが無事に戻ったことに感激して泣き、旧友モスの死を悼み、キャンディの翼を嘆いて、カイトの片角を大いに悲しんだ後なのだった。ギュンターの目は、あと数日は赤いままだろう。
ミランをイナンナの傍に置くことについては、予想通りエイファッドやギュンターが抵抗を示したものの、二人はキャンディとジャスミンのあらゆる手段を用いた言いくるめに、すっかり打ち負かされていた。そもそも、彼の最大の被害者はキャンディである。その彼女が、いつもの明るさのままで、気にしない、と言ったのだ。これに異を唱えられる人物はいなかった。
何はともあれ、これで日常が戻ってくる。カイトはほっと安堵の息をついた。
「で、しばらくは休暇をもらってもいいんですよね、これは?」
ゆっくりと、念を押すように問う。横でジャスミンも、うんうんと頷いている。彼女は父親を威圧するように睨んでいた。
それがねえ、と一人が口を開く。
「なにしろ、キャンディがエイファッドとの婚礼をすぐにでもと言うものだから、準備が大変でね……ほら、アンジェの祝いの席といえば、祖神アジュリアスに捧げる、ルフ鳥の卵料理が必要だろう?」
ルフ鳥、見上げるほど巨大な鳥だ。その嘴は鋼よりも硬く、蹴爪にかかれば甲冑さえ貫かれる。その危険さはドラゴンにも劣らない。その卵を盗ってくる、というのは、並みの狩人たちには勤まらない仕事である。つまり、戦士の出番ということだ。カイトは、がくりとうなだれた。横で、ジャスミンが諦めたような声を上げる。
「あーもう、キャンディのためなら、働かざるをえないわ」
でしょ、とカイトに目で同意を求めてくる。カイトも、同じ視線を彼女に返した。
話が終わって聖ナータ教会を出ると、キャンディに手を引かれたイナンナが待っていた。彼女はカイトと目を合わせると、ぱっと笑顔を浮かべた。その首に、カイトの片角を加工した角笛が掛かっている。いつものゆったりとした衣服ではなく、カイトやジャスミンのような、動きやすい戦装束をまとっている。腰の後ろに、ドワーフ印の手斧が……とはいえ、イナンナにしてみれば、それは両手でないととても振り回せない代物なのだが、ベルトで括られている。モスの一切の財産は、カイトとイナンナに等分で残されていた。彼の子孫たちと多少の権利争いもあったが、残っているものが金銭的価値のないものばかりと知ると、彼らは早々に諦めて、権利を放棄した。物に執着するほど、親しい付き合いもなかったのだろう。カイトとイナンナはエグナータのモスの家を引き払って、荷物をホートルノックへ持ってきていた。彼が地下に溜めこんでいたエールは、ホートルノックの人々により、弔い酒という名目でまたたくまに呑み尽くされたのだった。
イナンナは、キャンディとエイファッドの養女になることは認めたが、いっしょには住まないと言い張っていた。さすがに新婚生活を邪魔するのは気が引けたのだろう。そのかわり、カイトとは別に集合住宅で部屋を借りて、一人で暮らすことになった。まさか天才召喚師であり、キャンディとエイファッドの養女であり、カイトとジャスミンが世話しているイナンナの家に押し入ろうなどという、ひどい大馬鹿者など存在しないだろう、という前提である。イナンナは召喚頼みの戦いでなく、武器での戦いを覚えたいとも主張した。腰に斧を下げているのは、その決意表明といったところだ。生かされた命を、彼女は全力で生きようとしている。
カイトとジャスミンの日常は変わらない。カイトにとっては、部屋が少し寂しくなるという、それだけのことだ。だが、カイトにはそれが、とても大きな違いのように思えた。
ジャスミンが何かに気づいて、手を大きく振る。
「ヒイラギ、ミラン、じゃなかった、ロビン、こっちよ!」
今はシノビ装束ではなく、ホートルノックの人々と変わらない姿のヒイラギ。その隣に、あまり居心地のよくなさそうな顔色をした、ミランが歩いている。ミランはその名を捨て、新たにロビンと名を与えられていた。顔がよく振舞いも派手なミランにはあまり似合わない名だとカイトは思ったが、今はそれも悪くないだろう。同族のよしみか、責任を感じているのか、ジャスミンは彼をよく世話していた。街の人々は、以前ほどミランに関心を払わなくなっていた。時おり、苛立たしげな視線を送ったり、憎々しげに睨んだりというのはあるものの、強い拒絶を示す者はなかった。ホートルノックの住民同士で、折り合いの悪い相手を嫌うように、あるいはすれ違うだけの無関心な関係でいるように、だ。貴族だなんだというものは、とうになくなっていた。全ての人々かミランを許しはしなくとも、ほとんどの者たちは彼を受容し、街の新たな住民であることを認めているようだった。そのなかには同情を向けてくる者も少なくない。以前のミランならば決して受け入れなかったであろう感情を、今の彼はただ漫然と呑みこんでいる。
カイトはイナンナを見下ろした。彼女は優しい眼差しで、ミランを見つめていた。何を思っているのか、その真意は読めない。だが、こうしてミランがいることを確かめるだけで、嬉しいのかもしれない。カイトはミランへ、皮肉交じりの言葉を投げる。
「で、仕事は見つかったのか?」
ミランはあいまいな表情のまま黙っている。カイトはあてこするように続ける。
「俺たちみたいな田舎者とは違って、読み書きが早いんだろ? 筆写や書類作りの仕事は山ほどあるぞ」
どう答えたものかと悩んでいる様子のミランに、カイトは少しばかり物足りなさを感じた。自分に対してあれほど敵愾心を向けてきた貴族の若者は、すっかりいなくなってしまったらしい。それはそれで、平和で良いのだが。
鐘が鳴る。昼時を知らせる鐘だ。
「よし、とりあえず飯を食おう」
「そうね、エイファッドと合流して、いつもの店で」
ジャスミンが同意して、ミランの手をなかば強引に握って連れてくる。ミランは抵抗せず、それに従う。ヒイラギが戸惑ったような、同時に嬉しそうな目線を、ちらりとカイトに投げてきた。カイトは、にっと歯を見せて笑い、それに答えた。
ミランが死にたいならば、生かし続けるのが、自分たちの復讐だ。モスならそう言うに違いない。カイトはそう思っていたし、ジャスミンも同じだろう。
腹が鳴った。なにを食べようか、と悩むカイトの手に、イナンナの小さな手が触れた。カイトはそれを、ゆっくりと握りしめた。少女はカイトを見上げる。
「おなかすいちゃった」
言いながら、イナンナははにかんだ。カイトは、ふ、と口元を緩めた。両目を細める。自分の胸にはちみつが詰まったような、甘く苦しい感覚が満ちた。これが、愛おしい、ということなのだろう、と思った。
「そうだな、腹いっぱいになるまで食えばいいさ」
それが生きるということだ、と、カイトは信じている。




