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魔の在る世界と戦う者たち  作者: 宮音 詩織
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さいごの咆哮

 大地の揺れにも負けず、押し潰されそうな大気の圧にも怯むことなく、馬たちは馳せた。よく訓練された馬だ。本来の臆病な性質を律して、取り乱すこともなく乗り手に従っている。モスにとって馬は、背が高すぎていまいち慣れない騎獣だったが、その認識を改めねば、と思った。

「まったく、この歳になってまだ、新しく知ることがあるとはな」

 皮肉めいた口ぶりでひとりごちる。聞こえたのか、カイトとジャスミンが物問いたげな視線を向けてきたが、モスはそれを受け流した。二人もまた、追及することはなかった。

 サロが見えてきた。ホートルノックを発ってから馬を全力で駆けさせたから、それほど時間は経過していないはずだ。少なくとも、徒歩でくるより十倍は早い。

 サロの遺跡は半分ほどが砂と崩れている。ジャスミンが悲鳴に似た声を上げた。

「イナンナ、キャンディ!」

「取り乱すな!」

 モスは一喝した。あのうちでなにが起きているのか、想像したくはない。しかし最悪の事態も考えておかねば、いざというとき心身が動いてくれないだろう。ジャスミンはエルフらしからぬ直情的な性格で、物事をその場その場で判断する。モスにはそれが心配だった。そしてもっと不安なのは、どうなるのか想像のつかないカイトだ。本来、過激で好戦的なダイモンの血は、カイトのなかにあっては理性的で思慮深いふるまいを見せる。しかし、冷静を失って厄介なのは、ジャスミンよりもカイトに違いない。

 いや、と首を横に振る。若者といえ、舐めてはいけない。ジャスミンもカイトも、今はイナンナを助けるために必死なのだ。イナンナさえ無事であれば、どうにでもなる。二人とて、一人前の戦士である。それを不安に思うのは失礼だし、それは年寄りの傲慢だ。モスは自嘲的に鼻を鳴らした。

「まったく、わしもまだまだ未熟だな」

 サロの入口が目の前に迫り、ジャスミンとカイトはひらりと身軽な動作で馬を下りた。馬はその瞬間、こらえていたものを爆発させるかのように逃げ出していく。モスは慌てた。ドワーフの身では、馬から降りることも一苦労だ。仲間とともに逃げようと暴れる馬を押さえつつ、鞍から転がり落ちるようにして降りる。どすん、という音を立ててかろうじて着地したモスは、ジャスミンとカイトがこちらを見もせず、サロの半壊した入口へ駆けこんでいくのを見た。

「……まったく、頼もしいわい」

 あてこするように呟いて、モスは姿勢を正し、自分も二人を追って走った。

 壁も天井も砂と崩れゆく遺跡、その中心へ近づくにつれて、サロの魔の圧は強くなっていく。一歩、また一歩を踏み出すたびに、見えない壁に押し返されているかのような感覚を覚え、そのことに恐怖心をかきたてられる。心まで、サロの魔に屈服させられようとしている。それを弾き飛ばすように、ジャスミンとカイトは進んでゆく。モスは少し遅れて、サロの魔を感じていた。祖先がかつて封じた魔、衰えたといえどまだこれほどの力を宿す存在を。

 先に広間に踏み込んだジャスミンの、怒りと驚愕、悲しみのないまぜになった声が聞こえた。

「キャンディ!」

 その声にモスの心臓は思わず跳ねた。ジャスミンがイナンナを呼ぶより先にその名を呼んだということが、モスの胸にいやなものを去来させた。カイトの、彼らしからぬ怒号が響く。

「ミラン、貴様ぁ!」

 金属同士のぶつかる、ガギンという音。

「ヒイラギ、どけ!」

 カイトとヒイラギの戦いが始まったらしい。モスはやっと広間に到達し、現状を把握した。

 もがれた白い翼、そこから離れたところにジャスミンがキャンディを抱えて運びながら、治癒魔法を唱え続けている。サロの魔が復活していて、ある意味では幸運だったかもしれない。一切の魔を封じるための遺跡がサロの影響で壊れたからこそ、魔法が使えるのだ。

 カイトはヒイラギと戦っている。対人戦闘に特化し、暗殺のための毒や暗器を駆使するヒイラギに対して、怯むことなく攻勢を続ける。それが正しい。隙を見せれば、ただちにやられる。それがシノビとの戦いだ。ミランに武器を向けた瞬間、カイトに、退く、という選択はなくなっていた。

 ならば自分は、とモスはサロの魔を見る。それは、かつて英傑たちとともにサロの魔と戦い、ともに封じられた召喚師の姿そのままだ。モスはその姿を、祖から伝え聞いて知っていた。

 モスは両手に巨斧を握り、腰を落として身構えた。

「我が名はモス・ダルクラル……英傑がひとり、デルガル・ダルクラルに連なる者である。サロの魔よ、我が血にかけて、おのれを打ち倒そうぞ!」

 吼え、モスは駆けだした。その足元にいるイナンナと、その肩に手をかけたままのメルクリアが視界に入る。イナンナはこちらを向かない。思考の全てを放棄し、現実から目を閉ざしているのだ。耳元で何事か囁くメルクリアが、それを促しているに違いない。

 サロの魔が動いた。モスを見下ろし、手を伸ばしてくる。その平がこちらへ向いただけで、モスは全身を叩かれたような衝撃を覚えた。ドワーフの足腰でなければ、弾き飛ばされていただろう。モスは足を踏ん張って耐えた。足が地面にめり込む。歯を食いしばり、鼻息荒く、モスは耐えた。頭に血が上り、顔が熱くなった。

「ぬうううううううう!」

 一歩、踏みだす。サロはより強い力を、こちらへ向けてくる。

「ぬぅおっ!」

 さすがに押し負け、倒れる。そのまま地面に手を置きながら、呪文をとなえる。建物の壁や天井が一斉に崩れ、サロの魔へ向けて飛んだ。サロの魔は手を横薙ぎに払った。とたん、瓦礫は粉々に砕け散り、砂埃となって舞い落ちた。

「効かぬか」

 モスは口角を無理やり上げる。もちろん、これしきの魔法が通用するとは思っていなかったし、仮に通用してしまったら、それはサロの魔を通してイナンナを傷つけることになる。しかし、無駄だとわかっていたとはいえ、ああも簡単にあしらわれると、絶望を感じざるを得ない。ただでさえ、サロの存在に心を潰されそうなのだ。

 呪文を唱えながら、モスは斧を地面に打ち込んだ。大地が波打ち、土が高波となってサロの魔を襲う。防がれなければ、イナンナまでも巻きこむ一撃だ。サロは拳を握り、高波へ向けて突きだした。風を伝う力の波が起こり、土の波と衝突して、相殺する。モスは肩を落とした。

「やってられんわい」

 しかし自分がこうしてサロの魔を引きよせていなければ、その力は外へ垂れ流されていくばかりだ。そうすればホートルノックもエグナータも、ただでは済まない。向こうへ影響する力の少しでもここにあってくれればよい。焼け石に水かもしれないが、それくらいの抵抗しか、今はできない。

 メルクリアと目が合った。彼女の声が、不思議と、脳裏に響いて聞こえてきた。

「おぬし、退かぬか?」

「な、なんじゃい、いきなり」

 モスは思わずびくりと肩をふるわせ、身をのけぞらせた。メルクリアの声は、構わず続ける。

「わらわには見えるぞえ、ぬしがサロの前に散る様が、まざまざと」

 モスは黙した。なんの意味があってこの女がこのような警告まがいの言葉を伝えてくるのか、測りかねた。

「おぬしもそうだが、あの若者たちも愚かなことじゃ。一度は退いていながら、戻ってきた」

「当然だ、イナンナ嬢ちゃんを助けにゃいかんからな」

 憮然とした声が出る。メルクリアは興味深げな声で続けた。

「ここでおぬしが去ねば、状況はより悪いほうへと転がろうぞ」

 モスは低く唸る。イナンナの心が今、潰れかけているのは、目の前でキャンディの翼が失われたからに違いはない。さらにここでモスが死ねば、あの幼い心は本当に壊れてしまう。それは理解した。

「なんのつもりじゃい、予言の母とやら……お前さんも、やっぱり死にたくはないっちゅうことか?」

「恐れなど、とうの昔に忘れやったわ。ただ興味が湧いたのよ……血の縁もなき、たかが小娘ひとり、殺せば全ては収まろうに」

「抜かすな!」

 モスは怒声を上げる。腹に溶岩でも流し込まれたかと思うほど、怒りが煮えていた。

「イナンナ嬢ちゃんは孫みてえなもんだ。孫を見殺しにするような腐れたジジイにゃ、ならん!」

 メルクリアが黙った。モスは彼女を睨む。泰然と微笑んでいた彼女から、表情が消えていた。その考えは、読めない。

 モスは再び斧を構え、呪文を唱えながら駆けだした。大地がモスの足元からせり上がり、支えながらともにサロの魔へと突撃する。サロの魔は両手を拳に固め、こちらへ振り下ろした。モスは斧を頭上に構え、呪文を唱えた。サロの拳とモスの呼びだした岩の盾が衝突した。モスは膝を曲げ、伸ばす反動で斧を突きあげた。それに押されるように、盾がサロの拳を押し上げる。しかしサロは、その拳を押し付けてきた。

「むぐぐ……」

 喉から声にならない声が漏れた。このままではサロに潰されてしまう。まるで虫けらがそうされるように、あっけなく。まだ終わるわけにはいかない。まだ戦わねば。まだ戦い足りない。

 吼えた。大地の守護魔へ祈り、叫んだ。

「我が祖デルガル・ダルクラルよ、ドワーフが祖神ドゥヴァルガッフよ、どうか今ひととき、力を与えたまえ!」

 大地が鳴動した。サロの魔の脈動を打ち消すように響き、広がってゆく。モスの髭が逆立ち、ちりちりと音を立てて焦げた。

「モス!」

 ジャスミンの声が聞こえた。モスは振りかえらず、怒鳴る。

「キャンディ嬢ちゃんを死なす気か、治癒を止めるな、馬鹿者が!」

 顔は見ずとも、ジャスミンがはっと息を呑んだのがわかった。

「でも、あなただってこのままじゃ……」

「ぐたぐだ言わんと覚悟を決めんか、ジャスミン!」

 全身が燃えたぎる鉄に変わったかのような高揚感を覚えていた。このまま燃え尽きるのも悪くない。しかしその前に、やるべきことがある。言うべきことがある。年長者である自分だからこそ、そして今、死を見据える自分だからこそ。

「イナンナ嬢ちゃん、わしを見ろ!」

 腰に刺した片手斧を引き抜き、構える。そのまま、イナンナへ向け、肩の力の限り、祈りを込めて、投げた。

 斧は回転しながら真っ直ぐイナンナへ飛び、防ごうと伸ばしたサロの手をかすめて、イナンナの肩に深々と突き刺さった。イナンナが後ろに大きくのけぞり、悲鳴を上げる。血が広がる。同時に、サロもまた苦痛の声を上げた。イナンナとサロは今、深く繋がっている。イナンナが傷つけばサロもまた、同じように損なわれる。すべてが、サロの飛ばす圧に大きく脈打った。モスはイナンナへ、言葉を叩きつける。

「イナンナ嬢ちゃん、痛いか、痛いだろう。生きとるんだ、嬢ちゃんは。いいか、死ぬのはもっと辛いぞ、もっとだ、死は怖いもんだ、死を恐れるんだ!」

 イナンナが、モスを見た。視線が、確かに交錯した。モスは、にいと歯を見せて笑んだ。

「この名をよく覚えおけよ、モス・ダルクラル、我が祖である英傑の誇りに懸けて、嬢ちゃんを生かし、サロを滅ぼすぞ」

 サロの怒りの眼差しが、モスへ向けられた。イナンナはまだ、サロの制御を取り戻せていない。モスは、怒声をぶつけた。

「イナンナ嬢ちゃん、目を開け!」

 幼い瞳が、驚きと、恐怖と、わずかの安堵に揺らぎながら、見開かれた。モスはまた、にいと笑った。その頭上に迫る、サロの拳を感じながら。

「忘れんでくれよ」

 モスの世界が、反転した。


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