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魔の在る世界と戦う者たち  作者: 宮音 詩織
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三人の戦士

 鈍い色の雲が垂れこめる空を、怒りに満ちた咆哮が揺るがした。鱗に覆われた、小屋ほどもある巨体が大きく身を震わせ、地面を踏み鳴らす。辺りを囲むように広がる森の木々が揺さぶられた。鳥や小動物たちはとっくに逃げ去ったあとのようで、声のひとつも上がらない。

「ドラゴンと聞いてたんだが、なんだこりゃ」

 厚手のサーコートの裾を、暗い肌色の手で払いながら、カイトは舌打ちした。身の丈ほどもある長剣を、片手で軽々と振り回す。その剛腕、そして耳の上から伸びる湾曲した角は、彼の引く血を表すものである。

「翼もなし、火も冷気も吐かねえ。知性のかけらも見えない。これじゃ、ただデカくて固いトカゲだ」

「いちおう牙とかトゲとかついてるじゃないの」

 応じたのは、肩と胸部に身軽な装甲をまとう、細身の女性である。肌は抜けるように白く、髪は実り豊かな小麦の色だ。木の葉の形をした耳は、彼女がエルフであることを表している。彼女は弓を引き絞り、狙いを定める。

「これは、専業の戦士じゃなきゃキツいんじゃない?」

「そこまでか? ジャスミンがこいつをわざわざ引き受けた理由がわからん」

 両者とも、表情には余裕がある。ひゅ、と風を切る音、直後、ドラゴンの悲鳴。ジャスミンの放った矢は狙いを誤ることなく、ドラゴンの目に突き立っていた。

「そりゃ、こんな仕事ができるの、あたしたちくらいだからよ」

 言う間にも次の矢をつがえ、ふたたび狙いを定めている。

 カイトは息を一つ吐いて、剣を低く構え、前に走り出た。その装備は、ドラゴンを前にするには、あまりにも軽く、もろい。額に鉢がねだけを巻き、ほかの装甲を一切まとわぬ剣士は、それでも一切ためらわなかった。

「まあ、そりゃ、そうだ」

 口の端をにやりと上げる。

 ドラゴンの、鱗が柔らかな首もとを狙い、駆ける。身を低く沈みこませ、脚のばねを最大限に生かして跳躍する。彼の装備の薄さは、生来の身軽さと素早さを殺さないためのものだ。彼は、その血が魔物に近しいとまで言われる種族、ダイモンである。

「どりゃあっ!」

 気合の一声。同時に振り抜いた刃が、ドラゴンの首の下を掻いた。鱗を割り、厚い皮を引き裂く手ごたえ。熱い鮮血が吹き出る。着地しつつ、カイトはまたも舌打ちした。

「浅い」

「下がって!」

 ジャスミンの鋭い警告。反射的にカイトは跳び退る。さきほどまで立っていたその場所を、ドラゴンの爪が深々とえぐった。

「油断しないでよね」

「悪い、やっぱりこいつドラゴンだ」

 苦笑して、カイトは体制をたてなおした。

「上の連中が腰引けるのも当然か」

「でしょ?」

 ジャスミンは皮肉交じりに笑むが、それはカイトに対して向けられたものではないらしい。それを横目で見やり、カイトはまた目を獲物へ戻す。

「カイト、ジャスミン」

 呼びかける声。カイトは勝利を確信し、笑みを浮かべた。ジャスミンと目を合わせ、ドラゴンから距離をとる。ドラゴンに語りかけるのは、やわらかく幼い、少女の声である。

「ごめんね」

 この場に相応しからぬ可憐なそれは、儚さを含むほどに静かだ。カイトは構えを解かぬまま、問う。

「いけるか、イナンナ?」

「うん、だいじょうぶ」

 答え、少女イナンナは、両手を前に差し伸ばした。戦闘には不向きな、ゆったりとした衣服。まだ幼さが目立つ容貌。カイトとジャスミンに並んでこの場にいる、それが不思議なほどの存在。

「ゲナ=ティーユ……大地の子、お願い」

 瞬間、橙色のきらめきが少女の周囲に収束し、その足元に円陣を描き出した。不可視の力が、イナンナの髪や衣服をあおってはためかせる。孔雀色の双眸を閉じ、彼女は呼びかけた。

「噛みついて」

 地鳴り。ドラゴンの足下の地面が割れ、伸びあがり、その首を土壁で挟み込んだ。甲高く壮絶な声を上げ、ドラゴンが悶絶する。血が噴出して、辺りを朱に染めた。土壁はすぐに崩れ、跡形もなく消え去った。ドラゴンが弱々しい声を上げ、よろめく。命の色はすでに薄い。そこへ、カイトは走り込んだ。

「楽にしてやるよ」

 剣を両手で構え、渾身の力を込めて振り下ろす。寸の間の後、断ち斬られたドラゴンの首が、重い音を立てて地面に落ちた。

 ジャスミンが、ひゅう、と口笛を吹いた。

「さあて、角やら牙やら鱗やら、おいしいところは残さずいただくわよ」

 声を軽く弾ませ、胴体と離れたドラゴンの首に歩み寄る。その足取りもまた、跳ねるようだ。

 カイトは剣の血糊を払うように薙いだ。懐からぼろ布を引っ張り出し、残る赤い滴を拭って捨てる。その刀身に欠けを見つけ、カイトはうげっと低く唸った。

「ドラゴンなんか斬るもんじゃないな」

 その背後に、イナンナがゆっくりと近づいてきた。消耗しているのか、走ったわけでもないのに大きく息をしている。カイトは少女へ向き、微笑んだ。少女は顔色をうかがうようにカイトを見上げていたが、安堵したように表情をゆるめた。カイトはジャスミンに声をかける。

「おい、さっさとユニオンに戻るぞ」

 ジャスミンは目を丸くした。正気か、と問うような目をカイトに向けてくる。

「冗談でしょ、そんな、もったいない」

「あのなあ」

 カイトはイナンナの頭に手を置きながら、ジャスミンに呆れと疲労の混ざった視線を返す。

「そもそも今回の仕事はドラゴン退治だ。死体の処理に関しては何も言われてないぞ」

 カイトは抗議したつもりなのだが、ジャスミンは微笑みながら、あっさりとした声で言った。

「言われてないんだから、どうこうするもあたしたちの勝手ってことでしょ?」

 持てるだけ持っていきましょ、と頓着なく言い放つ。カイトはわざと皮肉めかした笑みを、彼女へ向けた。

「なかなか豪気だな」

「そこが取り柄だと、自分で思ってるわ」

 ジャスミンはけらけらと明く笑う。それにつられて、イナンナもクスクスと笑いをこぼした。カイトは大げさに溜息をはいてみせ、少女の頭を混ぜるように撫でた。

 とっくの昔に成人の義を終えている不老長命のジャスミンや、正確な歳は不明ながら成熟した体格のカイトとは違い、イナンナはまだ十二歳だ。戦いの場に出るには幼すぎる彼女だが、二人の仕事を手伝うことは好きであるらしい。ドラゴンの亡骸と血だまりの広がる凄惨な現場であるにも関わらず、怯む様子はない。彼女の素直な瞳が、カイトを見つめる。

「朝は、ドラゴン持って帰るって、カイトも言ってたよ」

「そりゃ、ドラゴンって言われたからな。フタ開けてみりゃ、ただの大トカゲじゃ、やる気も削がれるってもんだろ」

 疲労感を隠しもせず言葉ににじませる。小首を傾げるイナンナは、そんな彼を気づかうように眉をひそめて、小さな手を彼の腕に添えた。一方ジャスミンは、カイトの不満をまったく意に介することなく、意気揚々と解体用のナイフを抜いた。

「さあて、先にはじめるからね」

「待て待て、無茶言うな」

 ナイフを構えてやる気満々のジャスミンは、カイトの抗議に返事さえしない。カイトは横目でちらりとイナンナを見下ろし、諦めきったような重く乾いた声を落とした。

「作業が終わるまでは帰れねえぞ」

「いいよ。火をおこしとくね」

 イナンナは聞き分けよく頷くと、薪を拾うために、小走りで森の中へと入っていった。彼女自身も疲れているはずだが、そのような弱音は言わない。

 ドラゴンが暴れたためか、周囲はぽっかりと空き地になっている。血で濡れた場所はあるものの、野営するには問題ない場所だった。

 カイトとジャスミンはそれぞれドラゴンの解体に取り掛かった。内臓を傷つけないようにナイフで皮をはぎ、それが終わると肉を削いでいき、骨を外す。ドラゴンの体温は焼けつくほど高く、死んだばかりの肉体からその熱が抜けるのには、まだ時間が要りそうだ。

「これ、想像以上に使いどころが多そうね。運び屋を頼んで、丸ごと持ってったほうがよかったのかしら」

「俺のその提案を、金を理由に却下して、ここまで荷車引いてこさせたのは誰だ?」

 最大限の嫌味を込めてカイトは言ったが、ジャスミンは嬉しそうに両手を打ち合わせ、満面の笑みを浮かべた。

「そうよ、荷車があったじゃない」

 そうと決まれば、とジャスミンはカイトをまた指差した。

「カイト、それここまで持ってきて!」

「はいはい」

 面倒だ、という態度こそ見せるものの、カイトはそれに従う。外見では同年代に見えるが、ジャスミンはカイトの倍近くも年嵩である。元々ジャスミンの仕事だったところにカイトが同行するようになったという関係から、指示をするのはいつもジャスミンのほうであった。カイトも口先では不満を隠さないが、あえて逆らうことはない。ジャスミンの判断にそれだけ信頼を置いていたし、なにかあれば共に責任を負う覚悟もできている。

 荷車を取りに向かったカイトと入れ違うように、イナンナが枯れ枝を抱えて戻ってくる。カイトは足を止め、彼女の背を目で追った。彼女は血だまりからも死体からも離れた地面にしゃがみ、地面に触れながらささやいた。

「ゲナ=ティーユ、大地の子……お願い、場所を貸して」

 橙色のきらめきが走り、彼女の手に撫でられたところから土が退き、くぼみがつくられた。イナンナはそこに薪を組んだ。彼女にとって、野営のかまどを用意することは、家屋の台所を掃除するよりもずっと楽な仕事なのだ。

「ファズ=ティーユ、炎の子、火をちょうだい」

 とたん、深紅のきらめきがイナンナを包み、それが薪へと収束していった。ぼうっという音とともに、薪が火を上げる。手間ひまをかけたものとおなじように炎の安定した焚火が、そこにできあがっていた。イナンナは満足げに頷いて、ありがとう、と辺りへ声をかけた。ジャスミンが作業の手を止め、心配するように声を上げる。

「イナンナ、大丈夫?」

「うん……でも、今日はもうおしまい、かな」

 少女は困ったように微笑むと、その場に座り込んだ。ジャスミンが笑う。

「さすがの天才召喚師も、ドラゴン相手じゃあ、お疲れね」

 イナンナは、ううん、とあいまいな返事をした。それを聞きつつ、カイトはつい肩をすくめる。召喚師としては天才的な能力をもつイナンナでも、その力がもたらす代償は払わなければならないのだ。肉体的にも精神的にも、疲労しきっているに違いない。

 ふう、とカイトは息を吐いて、額の鉢がねを外した。これを巻いているだけで、だいぶ暑いような気がするのだ。誰も見ている人がいなければ、巻いている必要もない。これを着けている理由はひとつだ。眉間のすぐ上に、烙印が押されているのである。


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