権利と義務と愛情と
三世は朝起きるのはいつも決まった時間だった。体がその時間になったら自然と目覚めるからだ。
日本にいたころでは考えられないが、時計が無くても案外なんとかなるということを知った。例外はルゥが寝ぼけて攻撃してきた時くらいだ。
ただしその日は違った。いつもと違う音、誰かの力強いノックの音で三世は目を覚ます。三世は寝ぼけ眼のまま慌ててベットから飛び出す。未だに寝ている二人を見て、一緒に寝たいという欲求に駆られるが我慢して体を動かす。
人前に出れる程度に格好を整える。慌てて着替えるため少々乱れているが多少は気にしないでくれるだろう。
「はい。お待たせしました」
出来るだけ二人を起こさないよう配慮して、声を小さく出しながら三世は扉を開けた。。
そこにいたのは綺麗な鎧に身を包んだ屈強な男達。身につけている剣や鎧のインナーにはしっかりとした装飾が施されている。礼装も兼ねた格好なのだろう、無骨では無く美しさを兼ねた騎士風の衣装。
そんな男達が人数にして五人。宿泊施設の狭い通路が鎧を着た男でぎっちぎちになっていた。
「えっと。どちら様でしょうか」
三世はとりあえず尋ねる。もし鎧の男達が真面目な表情や切迫した様子だったら三世もそこからすぐに逃げただろう。だが彼らの様子はとちらかと言うと困惑した様子だった。彼らの情けない表情が敵では無いと語っている。
「朝早くにすいません。冒険者のヤツヒサ様でしょうか?」
その中でも少しだけ年齢の高そうな男性がこちらに下手に話しかける。三世はその言葉に頷いた。
「ああよかった。我々はガニアル王国軍の近衛隊です」
頭をぺこぺこと下げる。妙に腰の低い近衛隊だった。というより近衛隊ということは城の中にいないといけないのではないだろうか、三世は不思議に思った。
「お勤めご苦労様です。どのような御用でしょうか?」
三世の言葉に近衛隊の人がとても頼みにくそうな顔をしている。この時点で既に厄介ごとの予感がしている。
「あの……とあるお方があなた方にお会いしたいと。客人として呼びたいのでよろしければ都合の良い時を教えて頂けたらと」
腰の低い理由が少し分かった気がした。つまりそれなりの身分のお方ということらしい。三世は困惑する。呼ばれるようなことをした覚えは無かったからだ。強いて言えばルゥが料理人ギルド長と仲良くなったくらいか。
「えっと、どちら様のお呼びだしでしょうか」
三世が尋ねると近衛隊の男は小さい声を出す。ただし体格に見合わず蚊が鳴くような小さい声の為三世には聞き取れなかった。
「すいません。もう少し大きい声でお願いできますか?」
三世の言葉に近衛隊の男は三世の耳元に顔を持ってきて呟く。
「レベッカ様です」
近衛隊の言葉に三世は考える。どこかで聴いたような名前だった。こちらの世界にすら溢れる良くある名前だが確かにガニアの国で聞き覚えがあった。
「えーっとどちら様でしょうか?すいません他所の国から来た者なのであまり詳しく無くて」
三世の言葉に同情するような視線を向ける近衛隊の人達。それはあざ笑うものでなくて、純粋にああ可哀想にというものだ。
「今知らない方が精神的に楽だと思いますよ。どっちにしても会うことになりそうなので」
近衛隊の代表らしき人が特に同情的にこちらに話しかける。気苦労の多いだろう顔に疲れが見える。その疲労する顔を見て、そして彼らの身分を考えて三世はようやく理解し、顔が青ざめる。
「あの、その方はもしかして、普段人前に出ないようなやんごとなき方でしょうか?」
三世の質問に特に苦労の多そうな顔の近衛隊の代表の人が頷く。ああ気づいてしまったかという顔で。
「ついでに言えばつい最近バルコニーから皆様にお顔をお声をお届けになりましたね」
近衛隊の人の言葉に三世の考えが確定してしまった。
「これって断ること出来ます?」
三世の言葉に近衛隊の代表が笑顔で答える。
「もちろん。その場合はこちらまでいらっしゃるそうですよ」
同じことを聴いたのだろうその答えはすぐに返ってきた。実際にそんなことになったら最悪である。
「すぐに準備するので少々お待ち下さい」
三世は相手の返事も聞かずに部屋の扉を閉め、そして今も寝ている二人を起こす。このまま寝ていたらどれだけ幸せだろうか。その邪念を振り切る。
「起きてください。緊急事態です」
三世は二人を揺さぶる。寝ぼけ眼ながら目を覚ます二人を急いで着替えるように言いつける。
「るー。ヤツヒサ着替えさせてー」
ルゥは普段は寝起きが良いが急に起こされたからか甘えん坊になっていた。
「いいから早く着替えなさい」
三世は二人の着替えだけ用意して部屋を飛び出しす。そのまま食堂に走ってすぐに食べられるパンを三人分買って部屋に戻る。通り道にいる近衛隊の人が申し訳なさそうにしていた。
部屋に戻っても着替えは終わってなく、もたもたとしていた。特にシャルトは頭をゆらゆらとさせていた。
「ルゥ。申し訳ありませんが着替えたらシャルトの着替えを手伝ってあげて下さい」
三世の言葉にはーいと応え、ルゥはシャルトの着替えを手伝いだす。
「はいシャルちゃん両手ばんざーい」
「ふぁい。ばんじゃーい」
そんな二人を三世は見ないように後ろを向いて外出の準備をする。そんな三世を見てすっかり目を覚ましたルゥが尋ねる。
「それでヤツヒサ。何があったの?お出かけ?」
ルゥの言葉に三世が憂鬱になるのを我慢して答える。
「レベッカ王妃様が私達とお話したいそうですよ」
ふーんと適当に流すルゥ。縦社会の実感が薄いのかルゥやシャルトに敬うという気持ちは一切無い。別に三世も敬う気持ちがあるわけでもないが、それでも恐れ多いことは理解している。
朝食にもらったロールパンとオレンジジュースを二人に渡して三世もそれを流し込む。最後の食事にならないように祈りながら。
準備を終わらせ、近衛隊の人について歩く。演説の時に見た王城の門の前に大勢の門番。その人達がこちらに敬礼をしてそのまま三世達は通り抜ける。
更に奥に行くと格好が近衛隊の人と同じ人が大勢いた。その奥に宮殿が見えた。城の中に更に建物があるらしい。
更にその中に入り、大部屋や執務室らしい場所を通り抜ける。その先、奥の奥。その場所は基本的に立ち入ることが厳禁な場所。王と王妃と王女の三人の家族の場所だった。
その頃になるとシャルトも目を覚ましていた。シャルトは困惑していた。
単純に広い上に豪華絢爛。目を覚ましたらこんな場所にいたら別世界にいる気持ちになるだろう。
次に人が多い。軍人関係だけで出会った人は百人は下らない。門番を除いてだ。そしてその人達は全員三世達をまるで自分達の上司のような扱いをしていた。
お客様扱いというやつだろう。通りがかると軍人全員立ち止まりこちらが去るまで敬礼をし続けた。
最初は三世達を連れてきた近衛隊の人に敬礼してると思ったが違うらしく、敬礼中は三世達を見続けていた。
人間が苦手なシャルトだがこの扱いは受けたことが無いらしく、苦手意識が出る以前にどうしたらいいかわからず、ただただ困惑していた。
「こちらの客間でお待ちになっております」
最初からいた近衛隊の人が部屋に手を向ける。着いてしまったかと三世はため息がもれそうになるのを堪える。
「こんなことを言うのも筋違いだが本当に頼む。今回は完全に個人的な会談だ。そして護衛を全員断った。何かが起きたらどうしようもない。だから頼む。変なマネだけはしないでくれ」
近衛隊の代表の人が半泣きになりながら懇願してくる。
それを見て周りの近衛隊の人がひそひそ声で話す。
「胃痛。ストレス。不憫隊長。だから頭頂部が……」
頭頂部は装備のせいで見えないがおそらく今懇願している人が隊長なのだろう。こういう無茶ぶりをいつも答えているようでその顔は中間管理職そのものだった。
三世は同情の目を向けつつ、その言葉に頷いた。
三世は緊張に耐えつつその部屋の扉をノックする。扉を叩く為にたった一歩近づいただけなのに、その一歩がとても重く感じた。
「はいどうぞー」
中からの声は普通だった。声自体はあの時聴いた演説の声と同じだった。
「失礼します」
強張る顔を抑え、微笑みながら三世は中に入る。三人が入ると中は思ったよりも狭かった。畳で言えば十畳くらいの広さだった。
高価そうな調度品に赤い絨毯。雰囲気のある木製の小さなテーブルに椅子が四つ。奥に本棚が見える。
そしてその椅子の一つに腰をかけている美しい女性とその斜め後ろで傍に立っている従者らしき女性。
座っている女性が第一王妃にて唯一の王妃のレベッカ・ラーフェン。複数の女性を娶るのが当たり前な王族でも珍しく唯一の妻。それだけ夫婦仲が良いそうだ。
高校生くらいの年齢の娘がいる様にはとても見えない見た目だった。その容姿はどう見ても二十代前半にしか見えない。ただ微笑んでいるだけだが、その様子は気品に溢れている。
「王妃殿下もご機嫌麗しゅうございます」
三世は入り口より少し入った所で跪いて必至に、思いつく限りの王族との関わり方を思い出す。
それが正しいかはわからない。わからないがレベッカにとって望むものではなかったようだ。
「本日は私個人としての呼び出しなのでどうぞ気楽になさって下さいな」
レベッカの軽い口調ながら気品溢れる様子に圧倒される三世。その言葉で本当に気楽になれる人は何人くらいいるだろうか。
「お茶を用意させますのでどうかレベッカ様と同じテーブルにご着席下さい」
レベッカの後ろにいる従者がこちらに無表情で話しかける。怒っているのかどうかもわからない。
椅子の席は三つ。三世はレベッカの正面に座る。その左右にルゥとシャルトも座った。ルゥは笑顔で、シャルトは困惑した表情で。
ルゥは気楽に座って足をぶらぶらさせているが三世はそうもいかず全身が緊張しきっていた。必至に微笑む顔を作るが顔も声も常に強張っている。それを見ているせいかシャルトも緊張していた。三世よりははるかにマシだが。
「本当に気楽にして欲しいんですけどね」
レベッカは困り顔のまま苦笑するが、三世にはその願いをすぐに聞く余裕は無かった。
どうぞという声に緊張からかぼーっとしていた三世が意識を取り戻す。気づいたら手元にお洒落なティーカップが置かれていた。いつ置かれていつ置いた人が去っていたのかすら見えなかった。
「うーん。あんまり緊張してもいいこと無いので本題の前にちょっと雑談しましょうか」
レベッカは両手をパンと合わせて名案だといわんばかりに提案する。だが三世にとっては死刑宣告までの時間が延びただけだった。
「ということであなた達のことを教えていただけませんか?本当に申し訳ないことですが私は世間知らずですので」
王妃様が世俗に詳しいのもそれはそれで他の人が困るなと思いつつ、三世は自分達のことを簡単に話す。どんな話でもレベッカは喜んで、楽しそうに聴いた。
三世も確かに緊張が解けていった。緊張が解けたからか、聞き上手だからか、話す予定の無いことまで話した。稀人という異世界人であること、ルゥとシャルトの出会い、そして三世のスキルまで。
「多少は緊張が解かれましたようなので、本題に入ってよろしいでしょうか?」
レベッカは優しく微笑みながらの問いに三世は頷く。緊張が解けたからだろう、何が来るかも予想出来た。というより接点自体一つしかない。
そしてさきほどの優しい表情は無くなり、レベッカの顔は氷のような表情と化した。無表情ではない。あえて言うなら冷たい表情。氷のようとしか言い様が無かった。
演説の時のルゥの言葉がなければ三世も冷たい人だと思うほどだ。
「予想はついていらっしゃると思いますが今回の誘拐の騒動についてのご協力のお願いにお呼びさせていただきました」
三世は頷いた。接点と言えばそれしかないからだ。
「正直に話します。誰も信用出来ないのです。これが自分の娘の命だけなら切り捨ててそれまでの話なのですが、如何せん目的が見えないので」
レベッカの言葉に耳を傾け続ける三人。
「国家転覆等の恐れもあります。王家の人間でしたら代えがいますが、国は代えが効きません。ガニアの国だけは何を犠牲にしても守らないとならないのです」
レベッカの言葉を聴き、三世はルゥの方を見る。ルゥは悲しそうな顔で首を横に振る。
嘘はついてないだろう。ただし本心ではない。為政者としての生き方と親としての気持ちの狭間で苦しんでいるのが手に取るようにわかった。
「確かに急な誘拐な上に未だに何の要請もない雑な手段です。雑ですが成してしまいました。この時点で、内部に犯行を行った者がいるということです」
その言葉に三世は頷く。ここまで来た道のりを見たらわかる。どうあがいても外から進入して王女を拉致して逃げる。そんな行動は不可能に違い無い。
「今回の事件で軍を疑う声が強いです。軍部の人が一番多くいるのでしょうがないです。ですが私は軍を、近衛隊を疑う気持ちはありません」
その言葉に三世は何故ですかと尋ねる。
「近衛隊にいらっしゃった方の最後の面接は私です。私が信用出来ると決めた人しかここに置いていません」
人を見る目に自信があるらしい。ただそれは確かだとも三世は思った。レベッカの目は人を見通しそうな目をしているからだ。
「それでも、あの時にいた近衛隊の方々は責任を強く感じていらっしゃったようです。全員軍を去ろうとしていました。それどころか自害しそうな人すらいました」
「それは大丈夫だったのですか?」
三世はレベッカに尋ねる。レベッカはそれに頷いた。
「貴重な民の命をこんなことで散らすのは王命に反する。もし恥辱であるなら働きで返して欲しいと説得しました。何とか理解していただけたようですが、それでも全員一等兵に自主的に降格しました。自害までしようとしていた人達ですからこれ以上は何も言えませんでした」
レベッカの声には不満が混じっていた。
「話はわかりました。それでどうして私達に協力の要請をしようと?」
最初に聞きたかった質問をする。あらゆる意味で実力不足で、自分達をわざわざ呼ぶ理由がわからなかった。それを端的に、一言でレベッカは表した。
「信用出来るからですよ」
この場に護衛すらいない。それこそ信用の現われだろう。その理由がわからないが。
レベッカはその理由を端的に説明しだした。
まず外部の国の国民であること。内部犯行で間違い無い今回ならガニアの国と接点の無い三世達が関わっている可能性はゼロに近い。
次に調査をしていたこと。これも全部調べられていたらしい。軍ですら聞き込みを減らしていた時にも聞き込みを続けていた為探しやすかったそうだ。
最後に誘拐関係でない依頼を冒険者ギルドで複数こなしていたから。人がいなくて困っている依頼を積極的に、しかも賃金の低い将来的にまで残りやすい依頼も片付けていたため評判は大変良かったらしい。
「これらを鑑みて、信用に値し、尚且つ我々にとっても有益で、誘拐を探っている貴方達とも目的が一致していると思い、呼ばせていただきました」
冷たい微笑を浮かべながらレベッカはそう話した。思った以上に目立ってしまったらしい。三世は少し反省した。
「わかりました。誘拐騒動の解決は我々の目的とも一致しています。微力ながら協力させていただきます」
三世はレベッカに頭を下げて答える。それにレベッカも頷いて答えた。
「ですが一つ。どうしても聞きたいことがあるのですが」
レベッカが三世に尋ねる。三世は頷き、何でも聞いてくださいと答えた。
「ありがとう。では一つ。なぜ貴方達は誘拐騒動を追っているのですか?それも相当熱心に」
金や名誉で動いている人達は山ほどいる。それこそ冒険者ギルド料理人ギルド、それ以外の普通の国民もそうだ。
彼らは自分達で今回の騒動を解決させようとしている。もちろん三世はそれを否定するわけではない。
だが三世達は冒険者ギルドの誘拐騒動の依頼を一つたりとも受けていない。軍への協力にも一度たりとも行っていない。
もし今のままで解決しても三世達には何も得が無い。だからこそ、レベッカはその目的と動機が知りたかった。
レベッカの言葉を聞いて三世はルゥの方を見る。
ルゥはイライラするような落ち着かない様子で椅子に座っていた。その態度はご飯を前に待てをされた犬のそれだ。三世にはルゥが何を我慢しているかわかる。普通に考えたら相手が相手だから大事になるからだ。
ルゥの目的はたった一人を助けたかった。ただそれだけだった。それを口で言うのは簡単だがきっと意味は無いだろう。
だがそれを正しく伝えようと思ったらレベッカにも、後ろの従者にも軍人にも迷惑がかかる。
どう答えようか悩んでいたらレベッカの後ろの従者の反応に気づいた。従者は三世を見て、そしてゆっくり頷いていた。
三世は何故そんなことをしているのか考えて、そして一つの可能性に思い当たった。別に疑っていたわけではない。ただ、タイミングよすぎるからだ。
まさか考えが読めるのですか?
三世は頭でそう考える。そして従者はそのまま静かに頷いた。
護衛をつけない理由の一つは彼女なのだと三世は理解した。
それは兎も角。後ろの人の許可が出たようだ。
「ルゥ。我慢しなくていいよ。好きにしなさい」
三世の一言にルゥはそのままレベッカに飛びつき抱きしめた。相当鬱憤を溜めていたのだろう。その飛び込みは三世に見ることが出来ないほどの速度だった。
それに目を丸くし、きゃっと可愛らしい悲鳴をあげるレベッカ。さきほどまでの凍りつきそうな冷たい表情は剥がされていた。
「あの!何をなさっているのですか!?」
声を荒げてレベッカが暴れる。それでもルゥは抱きしめるのを止めない。スペックの違いが大きすぎて抵抗にすらなっていなかった。
「つらいよね。しんどいよね。子供がいない私にはわからない。それでも、私はあなたの悲鳴が聞こえたの」
ルゥは静かに子供に言い聞かせるように話し、レベッカの頭を撫でる。
「私はあなたの前で悲鳴なんて……さっき以外あげていません!」
レベッカも困惑しているようで何を話したらいいかわからないでいた。
よしよしとルゥが繰りかえしレベッカの頭を撫でる。丁寧にセットされていた髪型がぐちゃぐちゃになっていた。
これは流石に不味いのではと思ったが、後ろの従者は無表情のまま頷き、そしてサムズアップをしていた。思ったよりも良い性格の人のようだ。
「私達はね。あなたの助けになりたいからお手伝いしてるよ。辛くて苦しくて泣いているのに、それでも子供の為に動けない貴方の助けになれるように」
ルゥのその言葉に三世が頷く。為政者と親の狭間でどれほど辛いのかわからない。わからないが、子供を優先することすら出来ない王族の嘆きを少しでも助けてあげたかった。例え徒労に終わろうとも、報酬が無かろうと、ルゥのその思いを三世は優先して欲しかった。
「何を言っているのかわかりません。一つだけ確かなのは私が泣くことは許されません。国に携わる者としての責務を放置することなど出来るはずがありません」
再度冷たい表情の仮面を被るレベッカ。それが偽りの顔だとこの中で理解していないものはいない。
「泣きたい時に泣かないと、後でもっとつらくなるよ?」
ぎゅっと抱きしめたままルゥが尋ねる。レベッカはもうルゥを払いのけることを忘れていた。それは払いのけるのを諦めたからか。それとも生まれて初めての家族以外の温もりだからだろうか。
「あなたは私と違って優しいのですね」
自嘲気味にレベッカが呟く。それは娘を優先出来ない自分を悔いている言葉にも聞こえる。
「それでも私は泣けません。泣く権利などあるはずがありません。国に携わる者として、人として生きることはもう捨てました」
「権利ならある!」
レベッカの言葉にルゥが怒鳴り散らすように言葉を返し叫ぶ。
その声に驚きびくっとなるレベッカ。傍にいない三世ですらも驚くほどの声量だった。傍にいるレベッカには相当の衝撃だっただろう。
「権利ならある!だってあなたはこの国のみんなに愛されているじゃない!愛されている人は幸せにならないといけないの!」
ルゥは涙を流しながら慟哭するように言葉を紡ぐ。
その時ルゥはかつての自分達のことを思い出していた。
三世と出会い救われた自分。三世と自分でシャルトを受け入れ家族が増えた時。自分は確かに愛されていた。幸せをもらった。幸せになるように願われた。
愛されている人は幸せになる義務がある。それだけは絶対に誰にも否定させない。ルゥの心からの言葉だった。
「私が民を愛しているのでは無く、民が私を愛している?」
レベッカの小さな呟きにもちろん!と大きな声で答えるルゥ。
レベッカのことを皆確かに敬愛していた。だからこそ軍は全力で事件に取り掛かっている。近衛隊は責任を潰れそうなほど感じ、その上で働いている。
未だに多くの国民も手を貸している。王女はもちろん、レベッカのことも皆心配している。
皆に愛されているレベッカだからこそ、あの時の演説でルゥが心を動かされた。
「大丈夫。どんな貴方でも皆受け入れてくれるから」
ルゥは頭を優しく撫でながら胸に抱き抱える。胸の中で下を俯き沈黙するレベッカ。
ぽたっぽたっと小さな水滴が落ちる音が聞こえる。そしてその音は激しくなっていき、悲鳴に近い声が聞こえだす。その声は少しずつ大きくなり、最後は悲鳴のような大きな声でレベッカは泣き叫んだ。
それは人生で初めて、人前で泣いた瞬間だった。
「もうしわけありません。レベッカ様はお疲れの様子ですので落ち着くまで別室にお連れさせていただきました」
泣き叫んでいるレベッカを抱きしめたままルゥと一緒に寝室に別の従者が連れて行った。
泣き止む気配が無かった為の退場だった。ルゥも離れる気が無いのでそのまま連れられていった。
「了解しました。それで私達はどうしたらいいでしょうか?」
ルゥを置いて帰るということは出来ない。ルゥとシャルトの個人行動をガニアの国では認められていないからだ。
「もう少しお待ち下さい。十五分くらいですかね。そのくらい経ったらルゥ様もお戻りになりますので」
従者の人は何を知っているような思わせぶりな態度で話す。
「そのくらいしたら王妃殿下は落ち着かれるのですか?」
三世の言葉に微笑み、人差し指を自分の口に当てる。それは本日始めての従者の笑顔だった。
「そうですね。そのくらい時間が経つと、疲れて寝ると思いますので」
従者は楽しそうに言った。三世もそれには納得した。化粧で誤魔化していたのだろうがそれでもわかるほど眼の下に隈があったからだ。睡眠が取れてないのは激務だけが原因ではないだろう。
「あの方は強い方では御座いません。ただ、強くあろうとしていらっしゃるだけなのです」
従者の言葉に三世は頷いた。きっと優しいからこそ、国を選んで、そして苦しんでいるのだろう。
「さて、せっかくの時間ですので誘拐事件のちょっとした情報提供をしましょう。いりますか?」
従者の言葉に三世が頷く。
「条件が御座います。これより話す内容は本物の国家機密となります。なのでルゥ様以外の何方にもお話しされないようお願いします。大丈夫ですか」
口調は軽いがその言葉は真摯なものだった。三世とシャルトはそれにしっかりと頷いた。
従者の話す内容は従者の能力のことだ。
これはスキルでは無く、王家との契約を混ぜた魔法である。条件は王か王妃の傍にいること。国の為になると使用者が思っていること。そしてお茶会の席についた人間のみが対象となる。
「勝手に使用して大変失礼なことをしました。謝って許してもらうようなことではございませんが。せめて私を恨んでください。レベッカ様は関係ありませんので」
従者の言葉に三世は首を横に振る。恨む気など全く無い。むしろ王族に下級の冒険者が会うとなるとそれくらいして当たり前だろう。
「私は気にしていません。それより本当に見えていたんですね。色々と試してましたが大丈夫でしたか?」
シャルトの言葉に従者が真顔になる。
「シャルト様の脳内は大変正直でいらっしゃる上に目に悪うございました」
従者は真顔のまま淡々と言葉を続ける。よく見るとその顔は微妙に頬が染まっていた。
「シャルト。一体何を考えていたのですか?」
「内緒です。そんなこととても言えませんわ」
もじもじするシャルト。三世はそれを放っておくことにした。というより藪をつつく趣味は無い。
「ここまでが国家機密ですのでどうか誰にも話しませんようにお願いします」
従者が丁寧に頭を下げる。三世とシャルトも頷いた。
わざわざ条件や欠点まで話したのは彼女なりの責任の取り方だったのだろう。
「そしてここからが情報です。あの時内部にいた人全員とレベッカ様は後日お茶会を開きました。数十人ごととは言え、とても大変でした」
従者はそう告げる。つまり、あの時の犯人の思考も読んだということだ。
「そしてその内部に誘拐と関わっていた者は一人たりともいませんでした」
従者の続きの言葉は三世の思っているものとは違った。
「それはつまり外部犯行の可能性もあるということでは?」
三世の言葉に首を横に振る従者。
「物理的に不可能なのです。どちらかと言うともう一つのとても面倒な可能性の方が高いです。心を読む能力に対抗することが出来る人が犯人だったと」
従者の言葉に三世はわざわざ能力を説明してから話し出した理由を理解した。
今回得られた情報は二つ。
一つは相手は心を読んだりそれ関連の対抗手段を身につけている。
そしてもう一つは国家機密の従者の能力を知っているということだ。
「能力の秘密を知っている人はどのくらいいますか?」
三世の言葉に従者が答える。
「私と、国王のベルグ様、王妃のレベッカ様、そして誘拐事件の時に居なかった近衛隊の隊長と副隊長だけです」
そのことを聞き、三世はもう一つ尋ねる。
「そのような能力の対策とは簡単に出来るものですか?」
三世の言葉に従者が首を振り否定する。
「私の場合は王家特別の強力な力です。誤魔化したりは出来るでしょうが僅かな間だけです。そしてこれを防ぐ能力は無い。防ぐ為の魔道具はあるでしょうが大変高価で量産しておりません」
従者の言いたいことがわかった。もう一つ追加の情報だ。つまり少人数での犯行なのは間違い無いということだ。
「少しは参考になりましたか?」
従者の言葉に三世が頷く。犯人探しに関してならかなり進んだだろう。犯人探し自体は三世達にとっては二の次だが。
「さて、ルゥ様も戻っていらしたようなので今日はこの辺りで。詳しい話はまた後日行いますので申し訳ありませんがまたご足労お願いします」
そう従者が言うと同時にルゥが部屋に戻ってきた。服の胸元は水にぬれてぐちゃぐちゃだが、ルゥの顔は晴れやかだった。
「王妃様少しは休めたかな?」
ルゥの言葉に従者は頷く。それを見てルゥは今度は従者を抱きしめた。
「あの。私は泣くほどつらくはないですが?」
従者は突然抱きつかれて困惑した。それを聞きながらルゥが微笑む。
「うん。心は大丈夫だよね。でもあなた全然寝てないでしょ。貴方もしっかり休まないとダメだよ?」
その言葉に従者はとても驚いた。
「そんなことまでわかるのですか?」
ルゥは自慢げにえへんと胸を張る。若干従者が胸に押されていた。
「だってあなた自分を後回しにしている感じがするもん。うちのヤツヒサみたいに。気をつけないと色んな人に後で怒られるよ。王妃様とかに」
ルゥは自慢げなのはそのままだが、何故か三世の方を見ていた。シャルトもこっちをジト目で見ていた。
「あんまり回りに心配かけたらめっ!だよ」
その言葉は従者に言ったのか三世に言ったのかわからない。ただ二人とも苦笑して頷いた。
「ルゥ様は大変素晴らしいお方ですね」
従者のその言葉はお世辞抜きの言葉だった。
「はい。自慢の娘ですから」
三世は自慢げにそう答えた。
ありがとうございました




