おおきなおおきな わるい ねこ
落とし穴の中から薄汚れた獣人が三世を睨み続ける。
そんな様子を無視して、三世はミートソースを挟んだサンドイッチを穴の中にそろそろとカゴとロープを使って下ろしていく。
トマトとオリーブの濃厚な香りに食欲をそそる。
ガーリックは使わなくて良かった、猫のように見える為そんな事を三世は思った。
だが、獣人はそれを食べようともしなかった。
「食べれない? 嫌いな物入ってるなら何か別の物を作ろうか?」
ルゥが心配そうに穴を眺めながらそう尋ねる。
が、中の獣人は無視して三世を睨みつけ続けている。
「うーん。警戒……しますよねぇ。どうしましょう」
三世は腕を組み目を閉じて考え込んだ。
三世が目を閉じたのにあわせて、落とし穴から獣人が飛び出した。
出られないようかなり深めに掘ったのだが、三角飛びの要領で壁を蹴り穴から飛び出た。
獣人は三世に何か言おうとしたのか三世の方をちらっと振り向き――苦々しい表情をするだけで何も言わず遠くに逃げだした
が、その逃走経路には既にルゥが待機していた。
本人は即座に行動して早く走れているつもりなのだろうが、その行動は思った以上に遅くあっさりとルゥに捕縛された。
単純に、空腹と体力不足が原因である。
「るー。この子大丈夫? なんか軽いし弱いよ」
ルゥは純粋に心配でそう尋ねるのだが、それが嫌味に聞こえたらしく獣人はルゥをきっと睨みつけた。
しかし、その目はドロドロに濁っていて、そして弱々しかった。
「大丈夫じゃないから早く助けないといけないんですよ」
ルゥが後ろから羽交い絞めにして三世の方に駆け寄る。
技術も何も無い適当な羽交い絞めだが、それでも獣人の抵抗では抜けれない。
というよりも、もはや抵抗する体力すら残っていなかった。
「ごめんね」
三世はそう一言呟き――捕まっている獣人に首輪をはめた。
奴隷についての情報が、獣人の中に首輪を通じて押し寄せて来る。
猫の獣人は呆然と立ち尽くし、そしてそのまま座り込んだ。
抵抗に無駄だと思ったのか絶望したのかまでは、三世にはわからなかった。
「とりあえず、ご飯食べませんか?」
三世はお皿に乗せてある自分の分のサンドイッチを獣人に差し出した。
しかし獣人はつーんとした態度でそっぽを向いている。
その姿が昔入院した猫に似てて三世はふふっと小さく笑った。
「大丈夫ですよ。何もしません。ただ、食べて欲しいだけです」
皿から手に取ってサンドイッチを目の前に差し出す。
つーんとしたこちらに対してぶっきらぼうな態度を取る獣人だが、鼻がぴくぴく動いて耳がこっちに向いている。
言葉はわかるらしいし興味もある事はその様子で理解出来た。
それでも、素直になる事は出来ないらしい。
「いらないならこれは捨てないといけないかなー」
三世は棒読みでそんなことを言うと獣人は三世の手に持ってるサンドイッチを強引に奪い取って口に突っ込み、それを見て三世とルゥは笑顔で頷きあった。
無言で食べ続ける獣人。
よほど辛かったのか急いで食べているのだが、一口が小さくて食べる量はそれほど多くなかった。
念のため大量に用意しておいたが、十分も食べているのに未だサンドイッチ一個目である。
食べにくいのか食べなれていないのか。
三世はそれを見ながら獣人の頭を撫で――その瞬間獣人は跳んで逃げた。
三世を威嚇するように睨みつけながらそれでもサンドイッチを手からは離さずに食べ続ける。
――これは駄目だ。許される事ではない。
三世は先ほど触って『診た』時に、それ以外の言葉が思い浮かばなかった。
年単位の栄養失調と、それに伴っての骨粗鬆症。
今も骨は大量にヒビが入ったままになっており、それも全身の骨がそうである。
ヒビも長い期間治ってないようで、その折れた状態を体は正常だと誤認しているくらいである。
血中濃度も恐ろしいほどに薄い。
酸素を運ぶ機能が低下しきっていて常時貧血になっている。
一言でいえば、生きているのが不思議な状態である。
三世が一歩ずつ歩いて獣人に近づく。
威嚇する獣人。ただし逃げようとはしなかった。
理由は単純で、三世の手に新しいサンドイッチが握られていたからだ。
「逃げなかったらあげるよ?」
つーんとした態度を取り続ける獣人。
ただし目線はずっとサンドイッチから外せていなかった。
三世は少しだけ考え、あまり使いたくない手だが他に思いつかないからそれを実行する事にした。
首輪の力を使い命令すれば何とでもなるのだが、それは極力最悪の手段としたい。
「こっちに来て頭撫でさせてくれたらこれあげるよ?」
三世は微笑みながらそう提案した。
無償の善意を受け入れない、信用出来ないと考えるのは意外なほどに多い。
獣医として働いている時の同僚は皆そうだった。
獣人は悩む仕草を見せた後、こちらにとことこと歩いてきて不満そうに小さく呟く。
「ん」
そして、そっと頭を差し出した。
三世は微笑み、獣人の頭を撫でようとするが、獣人はそれを避けた。
「ソレ」
三世を睨みながらサンドイッチを指差す。
「ああごめん。はいどうぞ召し上がれ」
獣人は三世のサンドイッチを今度はおずおず受け取りゆっくり味わうように食べながら、座り込んで三世の方をじっと見つめた。
「頭――触りたいんじゃないの?」
それに三世は微笑んで頷き、優しく頭を撫でた。
もふもふもふもふ。
「ほふ……」
そんな満足そうな声が、同時に二つ響いた。
一つは三世。
荒れに荒れている髪質は野生の猫の毛並みに近く、久々の猫愛が溢れつい声が漏れてしまった。
もう一つの声の主は自分の声に驚いたのかぷいっとそっぽを向いた。
黒い尻尾は大きく横にゆっくり振ってる。
もっと構ってほしいな、もっと遊んで欲しいな。
そう言っているようだった。
「そういえば私には尻尾無いな。なんでだろ」
ルゥが自分の臀部付近を触りながら呟いた。
「どうでしょうね。今度調べてみましょうか」
三世が立ち上がろうとしたら座ってそっぽを向いたまま、獣人が三世の袖を掴んだ。
「もう頭いいの?」
尻尾が上に垂直に立ち、先端がぴょこぴょこと構って欲しそうに動いている。
それを見て、三世は我慢出来ずに小さく噴き出し微笑んだ。
「撫でて良いのですか?」
返事は無かったが獣人は後ろ向きのまま小さく頭を縦に動かした。
三世はそのまま抱きつくように後ろから座り頭を撫でた。
宝物を守るように――。
ルゥが少し羨ましそうな顔をしていた。
どのくらい続けただろうか。
三世は至福の時間を感じ続けていた。
難しいことを考えずに大きな猫を撫で続けるという最高の贅沢。
頭を撫でながら体をこちらに傾けてくる大きな猫。
あちらの世界でもこんなに体を預けてくれる猫はいなかった。
元の世界での三世は大体の猫にもついでに犬にも嫌われていた。
注射と薬臭い服のせいで。
「るー。ヤツヒサいつまで撫でてるの?」
そこにはちょっと顔が膨らまし拗ねた表情のルゥがいた。
割と我慢強いルゥが膨れるくらいということは五分や十分ではなかったのだろう。
三世は大人しくしている獣人を見た。
すやすや。
全く動かないのは何やら変だなと思ったいたが、どうやら獣人は寝ていたらしい。
「用事も終わったし、そろそろ帰りましょうか」
三世の言葉にルゥが頷いた。
三世はそっと獣人を抱き抱える。
その体は思った以上に軽く、力の無い三世でも楽々と抱き抱えて歩けるほどだった。
とは言えども、命を抱えたままテントを畳む事は出来そうにない。
三世はテントを放置して後日回収しようと考えた。
が、そんな考えをしている三世を横目に、ルゥは軽々とテントを分解して道具を全てバッグに仕舞いひょいと持ち上げた。
「ルゥってテント使ったことあったのですか?」
「んーん。無いよ。ヤツヒサがやってるの見て覚えた」
それを聞き、組み立てるのに苦戦した三世は苦笑いを浮かべた。
近い将来全部ルゥ任せになりそうだがそれも悪くない。
そんな風に三世は考えた。
家に着くと三世はそーっと優しく……寝ている獣人を自分のベッドに寝かせた。
よほど疲れていたのか、それともお腹が膨れたからか、起きる気配はなくすやすやと微笑みながら眠っている。
ルゥの方も限界らしく目をこすっていた。
「るーもそろそろ寝て良い?」
テント生活を楽しめたのは良いが、やはり自宅とは違い疲れはそれなりに溜まったらしい。
時刻で言えば夕暮れ過ぎくらいの時間で、ルゥが眠くなるには少々早い時間である。
いつもなら起きていてマリウス宅で夕飯を食べているくらいの時間だった。
――そう言えば、最近細かい時間を気にすることが減って腕時計を見る回数が減りましたね。
そんなあちらの世界ではありえない事実に気づいた三世。
が、これはこれで良いなと思った。
時間に縛られすぎない生活も、悪くはない。
そう思える程度には三世はこの世界に慣れてきていた。
「いいですよ。今日はこのまま寝ましょうか」
三世の言葉にルゥはうつろな目で頷いた。
「ヤツヒサはどこで寝る?るーと寝る?」
ふらふらと大きなベットに入ってちょいちょいと手招きしている。
「いやいいですよ。今日は違うとこで寝ますから。おやすみ」
「むー。おやすみ」
ルゥは唇を尖らせて、一分もしないウチにすやすやと寝息を立てだした。
犬と猫が自分の寝室で寝ている。
そんな特別な状況に、ある一種の満足感を三世は覚えた。
飼いたくても飼えなった苦い過去を思い出す。
動物は好きなのだが、家に帰っている時間が殆どなかった三世は動物を飼うことができなかった。
と言っても、この猫っぽい獣人をいつまでも自分の奴隷にしておくわけにはいかない。
きちんと村への賠償が終わったら自由にしてあげないと。
三世は寝室を出て台所のある部屋に移動し、そこのテーブルを横に退けてその場所に毛布を敷き寝転がった
少し床が硬かったが、気にしない事にした。
明日からどこで寝よう。
そんなことを考えながら三世は瞼を落とす。
自分も相当疲れていたことを知らなかったのか、あっという間に意識は闇に溶けていった。
何かの感触と誰かが傍に来た音で三世は睡眠状態から覚め、瞼をうっすらと開く。
周りはまだ、真っ暗だった。
睡眠欲に負け今にも落ちそうな瞼を必死に開ける三世。
闇に目が慣れだした時、目の前に猫の獣人がいることに気が付いた。
三世は辺りを見まわす。
周囲に荒らされた感じはない。
食べ物をあさりに来たわけでもないらしい。
良くは見えないが、傍にいる獣人は衣服を着ていないようだった。
「食べ物のお礼に来た。――私にはこの体しかありませんが」
そのまま三世の横に寝転がる。
月夜でうっすらとしか見えないが、その体はガリガリで病人の体そのものだった。
やせ細って骨の位置が全て正確に読み取れる。
肋骨は完全に浮き出ていて、お腹は文字通りへこんでいる。
獣人は目を閉じて一言呟いた。
「どうぞ。好きにしてください。何でしたら殴っても、蹴っても、骨を折っても構いません」
「正座」
三世は獣人に上着を被せ、電気をつけた。
「えっ」
獣人の戸惑う声を三世は無視する。
「いいから正座」
正座を知らない獣人に自分もやって見せ、三世は獣人にも正座させた。
「そんなことをして欲しいわけではありません。たとえそうだったとしても今のあなたの体に負荷をかけたら本当に死ぬかもしれませんよ」
獣人は状況がわからなくて戸惑う。
オロオロしているの獣人を無視し説教を続ける。
「確かにそういったことは汚らわしい事ではなく、時に必要な場合はあるでしょう、夫婦になったりとか……ですが、それはもっと大切な物です。約束しましょう。そんなことしなくても食べ物は何時でもあげます。だからこの機会に、そういった性についての知識と体の大切さをしっかり学んでもらいます。そもそも……」
そんな風にぐちぐちと説教を続ける三世。
最初は茫然としていた獣人だが、三十分後に半泣きになっていた。
思った以上に、正座でい続けるのは辛かったらしい。
途中で、正座をやめていいと許可を出すがそれでも説教を止める気はない三世。
逃げる事も出来ず、椅子に座りながら正座のまま説教を続ける三世の言葉を聞き続けるしか出来ない獣人。
自分のしていること、してしまった事を理解するまで、三世は説教を止める気はなかった。
気づけば、明け方まで説教を続けていた。
聞くほうも言うほうも本当につらい時間だが、それでも獣人は何故か少し嬉しかった。
「おはよーヤツヒサ!」
元気に挨拶したルゥはテーブルに座っている妙に眠そうな二人を見た。
「どうしたの? 寝れなかった?」
「まあ。色々ありまして」
獣人も睡魔と闘っていたが、
それでも思い出したように、時々三世を睨んでいた。
「さて。事情を聞かせてもらえます?」
三世の声にまた猫のようにまたつーんとした態度を取る。
もう何度目か忘れた問答だが毎回無視である。
「うーん。困りましたね」
その声に対して勝ち誇った顔で反応する。
「昨日飯は出すって約束したから。例え話さなくても約束は守ってよ」
そんな言葉を聞き、三世は困った顔をして頬を掻く。
それを楽しそうな顔で獣人は見た。
「じゃあ事情はまた今度話してもらうとして、とりあえず許してもらえるように話してますので村に謝りに行きましょうか」
「るー。悪いことしたらごめんなさいしないといけないよ」
その声に獣人はまたつーんとした顔をしてそっぽを向く。
「いやだね。なんでどうでもいいやつのとこ行かないといけないのか」
「るー。でも悪いことだよ?」
「はっ。取られるほうが悪いんですよ」
吐き捨てるように言う獣人。
それを聞き、おろおろとしだすルゥ。
こういう対応を取られる事にルゥは慣れていなかった。
イライラが溜まっていき、どんどんと不機嫌になっていく獣人。
「大体私がそんなこと出来るわけないでしょう! なんでわざわざ弱い奴のこと考えないといけない! こんな世界、弱者は死ねばいいんだ!」
吐き捨てるように呪いの言葉を吐き続ける獣人を、三世はずっと見つめた。
その視線に獣人は一瞬怯むがそれでも続ける。
「私が謝る? 意味がわからない。謝るくらいなら死んでやる。無理やり謝らせるくらいならさっさと殺して……」
テーブルを叩き三世を睨む獣人。
その目は、今までの物と違って本気であった。
【許されない私を殺して欲しい】
三世には、そう言っているように聞こえた。
ようやく理解出来た。
人が信用出来ない。
この獣人は、ただそれだけじゃない。
罪悪感でもがき、苦しみ続けていたのだ。
三世がそっと立ち上がって獣人の傍に立ち、獣人も立たせる。
「――さっさと殺して。どうせ弱者は殺される運命なんだ」
きつく目を閉じる獣人。
それに三世はそっと正面から抱きしめた。
「いいですよ。謝らなくても」
三世は耳元で優しく呟く。
抱きしめられた衝撃で、獣人は唖然とし目を見開いた。
「な、なんで……」
「貴方は悪くない」
三世はゆっくりと、しかしはっきり言った。
「――どうして?」
何に対しての疑問なのか自分でもわからないことを獣人は呟いた。
「悪くないからですよ」
その言葉に獣人は目を閉じる。
「でも私……沢山悪いことした」
「そうですか」
「だから私は悪い――」
「そんなことないですよ」
「私沢山ご飯食べた……」
「もっと食べないと駄目なくらいですよ」
「私人から取ったよ。沢山取ったよ」
「そうですか」
「だから……だから私は誰にも許してもらえない――」
本心を語り、獣人の瞳から涙が零れ落ちる。
許してもらえない。許されてはいけない。自分にそう言い聞かせ続けていた。
「そんなことないですよ」
三世は優しくその頭を撫でた。
それに反応するように獣人も三世を抱き返す。
「許してもらえないよ……」
「それなら私が許しましょう」
三世の言葉に驚く獣人。
「他の誰もが君を許さなくても、私は何があっても君を許します」
獣人は震えだした。
「私悪い子だよ?」
「そんなことないですよ」
優しく頭を撫でながら、三世は一言はっきりと言った。
「あなたは良い子ですよ」
三世をきつく抱きながら、猫の獣人は、大声で泣きだした。
咆哮するように、赤子が泣くように……。
その中には何度もごめんなさいという言葉が混じっていた。
睡眠不足だったのもあり、獣人は三世の腕の中で静かに寝息を立てていた。
それでも、涙を流しながらごめんなさいとうわごとように繰り返し続けていた。
よほど、自分に対しての呪詛が大きかったらしい。
そんな獣人を撫でる手は止まっていた。
三世も一緒に寝てしまったからだ。
床で転がる二人をルゥは優しく抱えそのまま毛布の上に優しく転がす。
そして自分のベットの毛布を持ってきてかけた。
それを見て満足そうに頷いた後、ルゥはテーブルの上にメモを残した。
『ちょっと出てきます』
「優しい味のご飯の作り方、聞かないとね」
ルゥは二人を起こさないようにそっと出かけていった。
ありがとうございました。