立ち止まれない救国の王1
それは城と呼ぶにはあまりに武骨すぎた。
グレーの石レンガのみで作られた砦にしか見えない城。
規模も大きくなく、作りも粗雑。しかも飾りが何もなく所々風化している。
そんな獣人の城の前に三世は立っていた。
頭に王冠、背にはマント、腕に杖を身に着け。
そして、目前には頭をひれ伏した獣人の海が広がっていた。
物理的に移動が困難な者を除き、着々と集まってくる獣人達。
その数は既に四万を越えようとしていた。
最前列にいるのはトリテレイオスを長とする集落の者達。
そして三世の両隣には、ルゥとシャルトが付き従うように寄り添い立っていた。
試練の塔を三世が攻略した瞬間、全ての獣人は戦闘を中断した。
この国に住む獣人は皆、本能で理解した。
我らの王が帰って――いや新たに生まれたのだと。
三世が塔の中から出て来るのを確認した瞬間、周囲にいた獣人は我先にと三世の傍により、頭を垂れた。
王を目指していた者、そのシンパ、ただ戦いに来た者、さっきまで戦い疲れて寝ていた者。
その全てが三世の前に跪いた。
自分達の主に対し少しでも失礼のないように、無い知恵絞り獣人達は敬意を表した。
新たに王となった三世は、この場にいる獣人に最初の命令を下した。
「分担して、この国に住む獣人全員に『動ける者は城に向かうよう』王から命令があったと伝えて下さい」
「はい!」
跪いていた獣人達は一斉に叫び、散開して命令を遂行し始めた。
この国の中にいる獣人に対してなら、三世はテレパシーで一度に命令を下す事も可能だった。
国内にいる全員に、一斉に破れない命令を押し付ける。
それこそが王の力の最たるものと言えるだろう。
獣人の王を示す、王しか使用が許されない三つの魔道具。
王冠は王としての知識を授け、マントは王の体調を整え、杖は王として命令を伝える。
特に杖は応用力がとんでもない事になっていた。
この国限定でかつ、獣人相手であるならば電話どころかテレビ以上に一度に情報を伝える事が可能である。
ただ、三世はあまりこの力を使いたくはなかった。
現代に生きていた倫理観のせいか、王としてふるまう事に違和感を覚え、他者に命令を下す事に嫌悪感を持つ。
だからこそ、三世は出来る限り杖は当然、他の道具の力も使わないようにしようと決めていた。
現在使っているのは一つだけ。
マントの力を使い、感情を一部欠落させていた。
そうしないと――立ち止まって振り返ってしまいそうだからだ。
「ところで、どちら様でしょうか?」
三世はマーセル、ルゥ、シャルトの傍にいるもう一人の女性にそう尋ねた。
またどこかで見たような、見てないような。
デジャヴが起きない程度の淡い見覚え。
そんなぼんやりとした感覚をその女性から感じた。
金髪で優しそうな女性。
それはとても美しいはずなのに、不思議とその女性を見ても三世はドキッとするようなものを一切感じなかった。
どちらかと言うと、温かさというような優しさのような、そんなものを三世は女性から感じとった。
「あ。どうも。あなたの娘のアムルです。二度目まして」
アムルの言葉は良くわからず、三世は首を傾げた。
「私達のお姉ちゃんだよ!」
ルゥは完全に懐ききっていた。
それだけならまだ良いのだが、珍しい事にシャルトすらアムルには懐いていた。
「はい。私達のお姉さまです」
そう言いながらシャルトはアムルの腕にぎゅっとしがみついていた。
全く身に覚えはないが、確かに、血縁のようなものを三世はアムルから感じる。
また二人共が言うのなら間違いないだろうと思い、三世は娘であると受け入れた。
また少しだけ、家族関係がややこしくなったが三世は今更という事で気にしない事にした。
「そうですか。ところで今の事情はご存知でしょうか?」
「ええ。大体は知っています。そしてこれ以降手を出さない方が良いのも知っています。なのでおかまいなく」
そう言ってアムルはにっこりと微笑んだ。
アムルだけでなく、マーセルやマリウスを含め、来てくれた人全員に、帰るか隠れるかしてもらう手筈となっていた。今頃は家に帰っているか獣人の国を観光しているかだろう。
これから始まるのは国家間の問題であり、ラーライル王国に獣人の国が歯向かうという建前が必要になってくる。
そこに三世以外の人間がまぎれていると話がこんがらがる為これ以降は三世と獣人だけで行動を行わなければならない――というのがドロシーの筋書きである。
そして今のところ、ドロシーの予想した筋書きから概ね外れてはいなかった。
三世が城に到着して、およそ三十分が経過した。
太陽と地面が接触しようかという夕暮れの時間帯。
獣人達はその間ずっと跪いたままで、王の命令を心待ちにしていた。
未だ獣人達は集まっている最中ではあるのだが、時間的にそろそろ限界である。
たった今この時より、三世は対ラーライル王国の作戦を開始した。
三世は杖の力を調整し、命令ではあるが強制権は使わず、命令受諾範囲は今集っている者のみに絞る。
「これより、貴方たち全員が私の配下です。異議がある者はこの場を去ってください。悪いようにはしません。約束します」
必死に王っぽく振舞おうとした努力は見える。
だが、そのおどおどした態度からは尊大な様子には全く見えず、一言で言えばちぐはぐで中途半端である。
ある意味三世らしい王の在り方に、ルゥとシャルトは小さく微笑んだ。
跪いている獣人達の反応は、概ね二種類に分かれた。
一方は首を傾げていた。
既に獣人は全員、王の配下であるのに一体何を言っているんだろうという純粋な疑問からだ。
もう一方は涙を流していた。
悲しくてではない。王に従う事が出来て嬉しいからだ。
鳴き声と疑問符が広がる獣人達ではあったが、誰一人立ち上がろうとはしていなかった。
こうして、三世に従うという相互契約が今この場で成り立った。
「トリテレイオス。前に」
三世の命令を聞き、最前列にいたトリテレイオスが一歩前に進み再度跪いた。
「立ってくださ――立ち上がれ」
慣れない三世の様子を見て、三世側に見えるようにだけ笑みを浮かべ、トリテレイオスが立ち上がった。
「これより我が最初の配下であるトリテレイオスを、この場にいる我が戦士達の長とする」
その言葉と同時にトリテレイオスはくるっと獣人達の方に振り向く。
「王の命令に異議のある奴は立て!」
トリテレイオスがそう叫ぶと、数人の獣人が立ち上がった。
俺の方が強い。そういう意志が立ち上がった戦士達からひしひしと伝わって来た。
俺の方が強い。俺の方が王の役に立つ。そういった強い気持ちである。
だが、数秒の睨み合いの後に全員が跪きなおしトリテレイオスに文句を言う者は一人もいなくなった。
強さは当然として、感情という意味でトリテレイオスに勝てる者などいない。
既に命を、集落を救われたのだ。三世の為に命を捨てるのではなく、三世の為に石にかじりついてでも生き延びる。トリテレイオスにはその覚悟があった。
再度トリテレイオスは三世の方を向き、跪いた。
「ご命令、ありがたく頂戴致します」
「ああ。我が同胞を頼んだ。私の横に」
その言葉の後、トリテレイオスは王の隣に移動し、代わりにルゥとシャルトが前に出た。
「ルナ。立ち上がって前に」
その言葉と同時にルナが立ち、ルゥ、シャルト、ルナの三人が横に並び獣人達の方を見た。
「この三人をトリテレイオスの補佐として付け、後の編成は全てトリテレイオスに任すものとする」
その言葉に、二割ほどの獣人が騒めき動揺を見せた。
全くいないというわけではないのだが、女の戦士は非常に少ない。
別に女が弱いというわけではない。むしろ獣人は男より女の方が身体能力が高い傾向にあるくらいだ。
だからこそ、強い女達が住処や子供を護るために家に残っていた。
戦う事が生きがい、つまり趣味である事と国防という実益、それに男としての自尊心が混じり合ったもの。
それが戦士という男の生き様である。
そう考える獣人の男は決して少なくはなかった。
これは生物としての本能にかかわる問題なので一概に悪というわけにはいかないのだが、獣人は己の趣味や感情を国家よりも優先させがちになっていた。
だからこそ、獣人という身体能力の高い存在が国家体制を築いたとしても、人間には手も足も出なかったのだ。
ちなみに軍相当の戦士という階級は三つしかない。
一般的な戦士。
戦士の上位に位置する代表戦士。
全部の戦士の上に立つ戦士長。
これだけである。
当然部隊などといった枠組みもなく、その場のノリと殴り合いのみで戦いにいく部隊を決めていた。
不思議な獣人の生態ではあるが、その原因だけは一言で説明出来る。
『家ではかかあ天下。だから外でははっちゃけたい』
全ての根本にある獣人の生態は、これだけである。
情けない理由ではあるが、理解出来ない事もなかった。
だが、現在男の小さなプライドを考慮するような状況的余裕は決してなかった。
「これよりこの場にいる戦う意志のある者は老若男女問わず、全員戦士とする。これは王命である」
――あ。今のは少し王っぽい言い回しになったのではないでしょうか?
そんな事を考え自画自賛する三世にルゥとシャルト、ルナは微笑ましい目を向けた。
「トリテレイオス。補給の概念や軍の概念は大丈夫ですか? 詳しくなくても多少で良いですよ」
三世の質問にトリテレイオスは胸をドンと戦いた。
「安心しろ! 全くわからん!」
「えぇー」
「大丈夫ですとも我らが王よ! こうなると思って出来そうなルナとクレハにその辺りは叩き込んどいたから全部押し付ける」
その言葉に横にいたルナはこくんと頷いた。
「そうですか。ではルナ。お願いします。ルゥとシャルトは、トリテレイオスの集落で料理をしていた人達と協力して食料の用意をお願いします。軍用の食料とかそういうのではなく、英気を養うという方向で」
「あ。それなら私でも出来る! 任せて!」
ルゥはそう答えて先程のトリテレイオスと同じように胸をトンと叩き、シャルトと跪いている数人の女性を連れその場をさっさと去っていった。
トリテレイオスとルナ以外はまだ全員跪いたままになっている。
あと二つ、三世にはやりたくない仕事が残っていた。
「一月ほど前、この国に訪れた女性を殺そうとした獣人……前に」
その言葉と同時に、後ろの方から一人の男の獣人が跳び、王の前に跪いた。
「――名前は?」
「グルトリと申します」
歳は若く二十台前半だろう。
他の獣人よりも装備が良く、また立ち振る舞いから相当に優秀な戦士である事が伺えた。
グルトリも、どうして呼ばれたか、そしてどうなるのかうすうす感づいていた。
「話を聞かなかったのは悪い事だが、それ以上はあなたが悪いとは言えない。文化の違いからの衝突の一環と言っても良いでしょう」
「――。いえ。後から使者だったと連絡を受けました。確かに俺の過ちです」
一切の申し開きをせず、グルトリはそう答えた。
「申し訳ありませんが、場合によってはあなたの命を相手に差し出す必要が出てきます」
三世は心から絞り出すようにその言葉を口にした。
犠牲を強いるのは嫌だが、グルトリの場合は庇える限界を超えているのだ。
「是が非でも。俺の命は王の望むように」
だがグルトリは平然とそう言い放つ。
そこに後悔は当然、苦しみもなにもない。
ただ当たり前な事のように淡々と、己の命を三世に手渡した。
それが、三世にはとても重たかった。
獣人の王の能力は洗脳に近いが洗脳ではない。
むしろ逆であり、考えるのが嫌いな獣人達が作り上げた偶像と虚構を形にした者。
それこそが王である。
つまり――この国全ての民が望んで生まれた存在という事に他ならない。
それゆえに、全ての獣人は本能で王の事を信じ、王に付き従う。
それは親と子の関係に類似している。
だからこそ、三世はグルトリの対処について苦しんでいた。
親が子に責任をとって死ねという事など、本来あってはならないのだから――。
「何か願いはないか? 私の出来る範囲でなら出来るだけ聞く」
その言葉に対し、グルトリは一言だけ答えた。
「でしたら、もしもの時は王自らの手で俺を殺していただけたら。それこそが我が罪、そして我が誇りとしたいと存じます」
三世のその願いを了承した。
自分が最も苦しむその願いを受け、三世は少しだけ救われたような気がした。
ありがとうございました。
私生活が少しずつ忙しくなってまいりましたので更新頻度落ちるかもしれません。
同じような事を言いながら結局毎日更新していたので落ちないかもしれません。
どうなるかわかりませんが完結だけは約束いたしますのでもう少しお付き合いくだされば幸いに思います




