獣人の王5
塔の入り口から見えたのは石レンガで出来た円柱状の壁とそれに沿った上に上がる階段。
塔の中にはそれ以外何もなかった。
三世はカエデさんに乗ったまま階段の方を向いた。
三世の意図を理解したカエデさんは三世を揺らさないように軽々と階段を登って進んだ。
「本当に器用ですよね」
三世の言葉にふふんと当然のような態度、それと同時に若干嬉しそうな雰囲気を出しつつカエデさんは軽快に足を動かした。
長い螺旋状の階段を、たった二人で登り進む。
上に向けて歩き進めていくと、三世は当然としてカエデさんも陰鬱とした気配のようなものを感じ始めた。
具体的には出てこないが、何となくの漠然とした不安。
嫌な予感としか言えないような感覚が、三世とカエデさんの体を強張らせた。
ガタッと下に落ちる感覚が三世を襲った。
どうやらカエデさんが足を滑らせたらしい。
珍しいなと思っていたら、カエデさんは三世の方をじっと見つめ始める。
謝罪の意図というよりは、純粋な心配の眼差しだった。
どうしたのかなと三世が首を傾げていると、カエデさんは首でちょいちょいと何かをアピールする。
そこでようやく、三世は自分の手足が震えている事に気がついた。
そして理解し、三世はカエデさんに心から感謝した。
カエデさん以外の馬だった場合、今頃落馬しているか一緒に階段から滑り落ちていただろう。
「すいません。それとありがとうございます」
三世はもらった薬を一錠、口に放り込んだ。
時間と共に手足の震えは止まり、それと同時に気持ち悪さが胃の辺りをぐるぐるしだした。
これが副作用らしい。
気持ち悪さから入るとは何とも医薬品らしい副作用だなと三世は小さく苦笑いを浮かべる。
「……少し急いだほうが良いかもしれませんね」
はなっから明日の体調は心配していない。だから多少副作用が重なってもさほど気にはしないが、出来るだけ万全の状態で試練を受けたい三世はカエデさんにそう提案し、カエデさんは階段を走って駆け上がった。
ぐるぐるぐるぐる。
螺旋階段を十分ほど登り続け、ついに頂上である部屋に到着した。
直径二十五メートルほどの円柱状の一室。
その中から見えるのは、登って来た階段と部屋中央にいる石像。
それと、無残に殺された獣人と思われる一つの死体だけである。
胴を境にまっぷたつになっており、二つの部位に分かれた部分からは大量の血を流している獣人の死骸。
おそらく、失敗した試練の挑戦者なのだろう。
ついさっき殺されたばかりらしく、色鮮やかな鮮血がだくだくと流れ続けている。
その死体はまるで『次はお前たちの番だ』と言っているようだった。
三世達が見ている前で、突然その死体は綺麗さっぱり消え去った。
床に飲み込まれるように死体は血液ごと全て地面に沈み、血の跡は一滴残らず消え去り部屋は綺麗な新品同様の物に早変わりした。
試練を受ける準備が整ったのだと思って良いだろう。
「……さて、行きましょうか」
三世の言葉にカエデさんは頷き、部屋の中央に足を運んだ。
中央にいる人型のナニカに三世達は近づいた。
人型ではあるのだが、それを人とは呼べそうにない。
明らかに石で出来たその姿は三世の知っている人という存在から剥離していた。
更にコケが付着している事から、相当長い期間、ここにいたのだろうという事がわかる。
しかし、彼をゴーレムなど無機物のように呼ぶ事も同時に出来そうにない。
ゴーレムと呼ぶには、彼は人に酷似しすぎているからだ。
呼ぶとしたら、石人だろうか。
茶色の髪の毛もあり、衣服も古臭くはあるがしっかりと着用している。
ただ、顔を含め、肌が全て石で出来ているだけであり、限りなく人に近い印象を受ける。
その人型のナニカは、そっと瞼を上げ、水晶のような目を三世に向けて話しかけて来た。
「人の子よ。何用か」
その声は若い青年の声であり、石とは思えないほど流暢な言葉遣いだった。
「獣人の王になりに――」
「ほう。人が王にか?」
三世の言葉に石人はそう尋ねた。
「ダメですか?」
「いや。我は王位の守護者なり。我が試練を超えるならば人種など、何ら問題はない」
石人はそう答える。ただし、その言葉には若干の怒気がこもっていた。
何となく怒っている理由も予想がつく。
「人だろうと何だろうと関係ない。だが、我は王位の守護者に加え、獣人の未来を護る者でもある。端的に言おう。試練を受けるのに問題はないが、我は貴様の存在が気に入らん」
その瞬間、殺気のような者を感じカエデさんは一歩後ろに飛び退いた。
「試練の内容は何でしょうか?」
「獣人の王とは強き者である。試練など、聞くまでもなかろう」
その言葉と同時に、獣人の守護者は拳を握りしめながら構えを取った。
守護者は前進しつつ大振りのパンチを放ってきた。
拳によるただの攻撃ではあるが、三世は最大限に警戒しカエデさんに慎重に回避するよう命令を出す。
守護者は素手であり、武器を仕舞っている様子もない。
だが、さきほど見た死体は真っ二つに人が切断されていた。
つまりは、切断する武器を持っているか、素手で人を切断できるかという事になる。
おそらく後者だろう。
歩く時の揺れや守護者の動作などにより、守護者は異常なほどの重量を持っていると三世は推測した。
一歩ごとに力強く揺れる地面、守護者の素早い動きの中でも、その体の動きにより独特でかつ特殊な重量感が見て取れる。
威力とは重量に比例する。ただのパンチでも、当たれば大怪我に繋がるだろう。
カエデさんが後方に小さくステップして守護者の攻撃を回避したのに合わせ、三世は槍で守護者を突き刺す。
肩辺りに槍の先が軽く刺さった結果、三世は二つの事を理解した。
一つは見た目や重量感と違い、守護者はそれほど硬くない事だ。
刺した感触は硬い砂に近い。
もう一つは、肩に刺さっても守護者は意に介さずに平然としており、しかも槍を抜くと即座に肩の傷は修復された事である。
どうやら無傷らしい。
「もしかして、槍は相性悪かったですかね」
三世が苦笑しながらそんな独り言をつぶやくと、守護者は律儀に答えを返してくれた。
「武器は関係ない。そんな使い方では我に傷は与えられん。技量の問題でもあるが――何より気合と覚悟も足りんわ!」
守護者は吠えるように叫び、そのままこちらに跳び蹴りを放って来た。
それをカエデさんはサイドステップで躱し、すれ違いざまに軸を守護者に合わせ、後ろ脚を叩き込んだ。
ドゴッ。
サンドバッグを殴るような鈍い音が響いた後、どすんと音を立て守護者は地面に倒れこみ、それでも勢いが残りゴロゴロと床を転がっていった。
三世は守護者の脇腹あたりにカエデさんの足型があるのを見て、更に相手の表情が若干陰っているのを確認した。
気合と覚悟。
それが精神的なものなのか物理的な威力の話なのかはわからないが、気合を入れた一撃ならダメージを与える事が可能らしい。
守護者は立ち上がり、こちらに向き再度構えを取る。
さきほどとは違い拳を握らず、手は指先をまっすぐ伸ばした手刀の形になっていた。
切断された死体の死因がこれであると三世は確信した。
馬という存在は戦術としての機動力は高いが個としての機動力はそれほど高くない。
つまり、長距離の移動や突撃には優れているが、停止状態からの移動や方向転換は苦手という事だ。
特に旋回の場合、その動作は人より遥かに劣っている。
だからこそ守護者はカエデさんと、上にいる三世を大した脅威と捉えていなかった。
広いとは言え馬が走り回れるほどの広さもないこの場所なら、ヒットアンドウェイを得意とする馬本来の機動は使えないと考えていたからだ。
守護者の誤算は二つ。
一つはカエデさんの身体能力。
馬という肉体では停止からの再行動が苦手な事くらい、十分に理解している。
だからこそ、カエデさんは騎士団時代に回避技術を徹底的に習得し、人の動きを模倣した。
その結果、ステップを刻むという馬ではありえないような高速機動の実現に成し遂げていた。
もう一つの誤算は三世とカエデさんの連携の密度にある。
乗り手が馬に指示を出すという本来の馬と人の関係と違い、三世が命令を出さない限り、カエデさんは自由に動き、三世がそれに合わせていた。
しかも、ただ手綱を手放し好き勝手にさせているわけではない。
『三世がカエデさんなら自分の望むように動いてくれると信用しているからこその自由行動』
好き勝手動いているように見えてそうではない。
実質的な部下となる馬が完全に信用され主の為に動き、それを主である乗り手がサポートする。
人同士ですら難しい信用しあう関係は、馬と人で出来ているというのは守護者にとって恐ろしいという言葉以外出てこなかった。
人馬一体の極意、絆という意味だけでなく、能力という意味でも完全に統一が取れており、本当の意味で一体になっているようにすら感じるほどだ。
守護者は敬意を払うに値する相手であると、目の前にいる一人と一頭を認めた。
力強い動作で振り抜かれる手刀に対し、三世はぞっとするような寒気を感じた。
それは最近三世が何度も感じていた恐怖そのものである。
あの手刀はさきほどまでの比ではない位危険である。
そう体が判断し、三世はカエデさんの背中をとんと叩いて合図を出した。
『念には念を入れて用心しろ』
簡単なボディアクションのみで、暗号もサインもなく二人は会話をすることが出来るようになっていた。
スキルの力ではなく、心が通っているからこその力である。
その命令をカエデさんは理解し、数メートルほど大きく後方に飛び退いた。
反撃を絡めず、まずは動きを見ようと考えたからだ。
よほどの重量と慣性が働いているらしく、こちらが飛び退いた後でも手刀を止めず、手刀を振り下ろし空を切った。
その結果――手刀は音もなく床に大きな裂け目を作った。
重量が膨大なだけの何の変哲もないただの手刀。だがその威力は想像の遥か上を行っているらしい。
床は何の変哲もないただの石レンガなので切断すること自体は難しくない。
だが、音もなく、しかもバターみたいにすぱっと切れると言うのはさすがに想定外である。
三世は守護者という存在を人ではなく、重機の仲間であると考える事に決めた。
数秒後に、床の裂け目はすっと消え去り元通りとなった。
それに合わせ、守護者は再度こちらに狙いをつけ、手刀を構える。
今度は腕を引き突きの構えを取っていた。
それに対し、三世はぽんとカエデさんの背を叩く――。
『次は私がする。任せて』
三世はそうカエデさんに合図を出し、カエデさんは頷いて守護者の方を見つめた。
勢いよく突進してくる守護者に対し、カエデさんは動こうとはしなかった。
三世はと言うと、集中し冷静にその手刀を見つめている。
さきほどの失敗を踏まえてだろうか、守護者はギリギリまで攻撃をせず迫ってくるだけだった。
そしてカエデさんと守護者が触れ合うギリギリの距離になった瞬間に、守護者は三世の足を巻き込むような位置からカエデさんの胴目掛けて突きを放った。
三世はそれを冷静に見つめ手刀に対し優しく、そっと槍の切っ先をあてがった。
威力の問題で、強くぶつかり合えば確実にこちらの槍が折れる。
相手は見た目通りの重量ではなく、その鋭さも破壊力も想像できない程となっている。
だからこそ、三世はただ切っ先をあてがうだけにした。
そして羽を動かすような優しい力を槍に加え、そっと攻撃の矛先を自分達から外した。
本来の三世ならそんな事出来ない。
守護者が三世の技量を低く見て、カエデさんが三世のしたい事を理解してサポートしてくれ、更に相手が切断武器を持っている。
非常に優秀な手段ではあるが、おそらく二度目は通用しないだろう。
慣性の強い動作をしていた守護者は倒れそうになりながらよろめき、カエデさんの後方に移動した。
それに合わせて三世は全力で突きを放ち、カエデさんが後ろ蹴りを叩きこんだ。
そのまま守護者は壁にまで吹き飛ばされ、壁にぶちあたりその衝撃で壁に無数の罅が入る。
その時の守護者の表情は、確かに辛そうだった。
立ち上がる時のよろめきと痛みを抱えた表情。
そして修復しきれていないカエデさんの足型と槍の突き刺した跡から相当量のダメージを与える事に成功したと三世は考えた。
だが――まだ試練達成とはならないらしい。
ふらふらした様子のまま立ち上がり、守護者は再度構えを取る。
左手は持ち上げる事なくぶら下がり、右手だけで手刀の形を取り肩を息をしながらこちらに足を引きずるように歩いてきた。
満身創痍のように見えるが、油断だけはしない。
相手の方が格上なのに油断など出来るわけがなかった。
三世は当然、カエデさんも非常に臆病な性質だからこそ、二人には一切の慢心はない。
『相手が弱っていても油断しない』
そう考えてしまった時点で、相手の術中にはまっていた。
確かに、ふらふらした様子はとても演技には見えなかった。
だがそれは擬態だったらしく、ふらふらした様子から突然恐ろしいほどの速度でこちらに迫ってくる。
今までで一番早い動き。
だが、慌てながらでもカエデさんも動きに対処出来、三世もまだ何とか目で追う事が出来た。
守護者は有利な状況からカエデさんの側面を取り、手を横一杯に伸ばし、薙ぎ払いの構えを取る。
どうやら狙いは乗り手である三世らしい。
カエデさんは三世を庇う為、慌てた様子でバックステップをし回避行動を取った。
次の瞬間、守護者から殺意のようなものを三世は感じ取る。
どうやら三世狙いの薙ぎ払いはフェイントだったらしく、守護者は手刀を振らずに突きの構えに移行した。
そしてバックステップをしているカエデさん目掛け、守護者は全力で突撃しつつ、強力な突きを放った――。
まるで馬上槍のチャージのような恐ろしい速度の突きはカエデさんに直撃して貫通し、カエデさんを吹き飛ばす。
そのまま壁に叩きつけられ、それでも勢いは止まらず壁を破壊してカエデさんは外に投げ出された。
三世はカエデさんに巻き込まれず、床にころんと転がった。
吹き飛ぶその瞬間にカエデさんは背を器用に動かし三世を宙に浮かせた為、三世は攻撃に巻き込まれなかった。
最後の瞬間、三世はカエデさんに触れていた。
だからこそ、無意識に診てしまったのだ。
守護者の手刀は心臓を完全に破壊し、その傷は間違いなく致命傷であった。
その上で、壁に叩きつけられ、高い塔から投げ出された。
認めたくなくとも、獣医としての経験が三世に告げている。
アレはもう助からない。救うのは手遅れであると――。
ありがとうございました。




