やっと踏み出せた第一歩
ドロシーを筆頭にマリウスとルゥ、シャルト、ルカ、ユウ。
それと死ぬ気で突撃しようとしていたグラフィに加え、カエデさんを抱きしめながら背に乗って震えている三世。
彼らは野外の使われていないバーベキュー会場に集っていた。
これから国に逆らう。
それがわかっていても、誰一人文句を言わずに集まった。
そのほとんどが、三世の為にである。
外に集った理由は単純で、三世がカエデさんと触れ合いたいからだ。
カエデさんは何があっても三世の家の中に入ろうとしない。
それはカエデさんの大切なこだわりである。
もちろん三世はそれを受け入れる。が、それはそれとしてカエデさん分を補給したい。
その結果、三世は外でカエデさんの背にぶら下がるという狂った選択を選んだ。
当然、心は壊れたまま、つまり恐怖と苦しみにより手足が震えているままでだ。
青ざめ、手足が震えながら奇声を発してカエデさんを愛でる気持ちの悪い三世を見て、全員元の三世が帰ってきたことを理解した。
「うぇひひひ……」
ただ、戻って来た三世は少し――それなりに気持ちが悪かった。
「えー。こほん!」
露骨な咳払いをして注目を集めたドロシーは視線が全て自分に集まったのを確認し、満足そうに微笑んだ後、片腕を上げ空に指を向けた。
「今これより、我が野望を果たす時!」
妙にテンション高く叫ぶドロシーに周囲は唖然とした表情を浮かべた。
しまった!ここには変人しかいない。
そう気づいた時には、全てが手遅れになっていた。
「そう。私は今まで擬態していたのだ。常識人という皮を被り皆を騙して本当にすまない」
――え? 常識人のフリをしていたの?
全員の気持ちが一致した瞬間である。
「だが、今よりその皮を脱ぎ捨て! 世界に革命を起こす時である! というわけで、国に全力で喧嘩売るので逃げたい人は今のうちに逃げて良いよ」
ドロシーの言葉に足を動かした者はいなかった。
「あ、でもユウ君に危ない事をさせるつもりはないから。はいこれ黒幕命令」
ドロシーの言葉にユウはショックを受けた表情を浮かべた。
だが、その理由は誰もがわかっている。
ユウの妻ユラにはもう一人の命が宿っている。
何かあった場合、あまりにも目覚めに悪い。
「王相手だろうと国相手だろうと構わないが、勝てる見込みはあるのか?」
マリウスの言葉にドロシーは満面の笑みを浮かべる。
「はは。ないんだなこれが」
その言葉に、全員の膝ががくっと動き脱力し何とも言えない空気が生まれた。
「――ただし、今はが付くけどね」
ニヤリとした笑みを浮かべるドロシーからは、自信が見て取れるほど溢れていた。
「私の夢って世界征服とか国家転覆とかそんな大きな事なのよね。でも、誰かを不幸にしたいわけじゃないの。皆が幸せになれる世界征服。いつかしてみたいけど、たぶん不可能よね。というわけで今回は私の夢にも似てるので私も全力全開でやってきますですはい。まあいつも全力だけど」
あくまでフリーダムなドロシーに周囲は苦笑を浮かべた。
それでも、ドロシーなら何とかしてくれそうな気がするのだから不思議である。
「というわけで、今回の主役は、ヤツヒサさんになります。はい拍手!」
「へ?」
カエデさんの背中に顔をうずめていた三世は間抜けな声を出し、小さな拍手を受けた。
「ぶっちゃけて言えば、大多数、それも軍とか騎士団とかまるまるに武力で勝つ方法なんてないわ。たとえ全盛期で魔法が使える私が百人いても、ラーライル王国の軍と騎士団、どっちか片方すら潰せないわね。だから集団戦を避ける必要があるわ」
「……まじで反逆するんだな。いや巻き込んだ俺が言っても意味ないが」
グラフィが居心地悪そうに呟くとドロシーは手を横に振った。
「ノンノンノン! 巻き込んだのはそこの動物大好きっ子です。そして彼は私の息子! だから気にしないで良いわ。ついでに言えば、全部うまく運べば誰一人反逆者にならないようにするつもりだし」
「は?」
グラフィはドロシーの言葉にぽかーんとした表情を浮かべた。
「犠牲は最小でかつ獣人を救う。しかも誰も想像出来ない方法で! これこそが私のドリーィィィィィム!」
無駄に高いテンションのドロシーに圧倒され言葉を失うグラフィ。
それを無視しドロシーは話を進めた。
「ということで、ユウ君。君は今戦争中の国出身よね?」
ドロシーの言葉にユウは頷いた。
ルナはラーライルの出身であり、シャルトは別の獣人の国の出身である。
ルゥに至っては本当に不思議であり、どうやら今戦争中の獣人の国出身ではないらしい。
だから、元敵国の人間はユウとユラの二人のみだった。
「という事で尋ねるけど、王は生まれてないわよね?」
その言葉にユウはこくんと頷いた。
「王?」
グラフィの質問に頷き、ユウは王について知っている情報を話し始めた。
獣人の国の王。
それは最強の証で、そして称号である。
だがそれだけではない。
獣人の王には大いなる力が宿る。
それは民に対する絶対的な命令権の事で、その効果は獣人の国の民全員にまで及ぶ。
その為、王がいる場合は王の存在を民は感知することが出来た。
ユウは既に獣人の国民では無い為命令されることはないが、王の感知くらいは可能である。
そして現在そこは王は空席となっていた。
王は十年以上昔に死んでいた。
戦争中に先頭に立ち、普通に返り討ちにあったのだ。
能力上王と呼ばれているが、別にいてもいなくても問題ない。
元々フリーダムな気質の獣人は集団に属することが得意ではなく、個人主義に近い生活をしている為王がいてもいなくても生活に変化はないからだ。
だからこそ王の存在価値は高かった。
獣人とは自由すぎて、時に国家体制すら脅かすほどだ。
そう言った時の場合を考え、絶対的な命令権を持つ王の存在が用意されているのだろう。
誰に用意されたのかはわからないが――。
ちなみに、獣人達は王の命令を心から喜んで従う。
その命令が己の命を捨てる事だとしてもだ。
王という存在は、獣人達にとって希望であり、己の上に位置する存在だった。
王になる為には月が満月となった次の日に、決まった場所に行き試練を受ける必要がある。
そして、その試練を二度受けた者はいない。
勝てば王になれるが、負けたら死ぬからだ。
どちらにしろ、二度目はない。
「というわけで、作戦を発表します。今回の作戦はー……。はい。というわけで王の座を略奪します」
ドロシーの言葉にユウとグラフィ以外の二人は首を傾げた。
だがその二人だけは『なるほど』といった表情で頷いていた。
「つまり、うちにいる獣人を王にして相手の獣人を全員俺達の兵にするという事か」
グラフィの言葉にユウは自分の意見と同じであると現す為に頷いた。
精々二万程度の兵ではさほど役に立たない。
それが自由に動き回る獣人なら尚の事役に立たず、場合によってこちらの首をしめる事になるだろう。
それくらい獣人とは扱いにくいのだ。
しかし、統制された獣人であるならば、話は別である。
多くの獣人の戦士は重鎧の上から人を引き裂く爪を持っている。
そんな存在が『戦士』ではなく命令を遵守する『軍人』となれば、それは驚異以外の何者でもない。
だが、ドロシーはその考えを否定した。
「そんな事したら今は勝てても永久の逃亡生活じゃない。私は早期決着して新しい命を宿すっていう使命があるの。あとついでに沢山人死ぬから却下」
ドロシーの言葉に、マリウスが何とも言えない味わい深い表情のまま顔を手で覆った。
「では、どのような作戦を取るつもりなのですか?」
ユウの言葉に、ドロシーはある人物に指を差した。
その人物は、カエデさんの鬣を口ではむはむとしていた。
「ヤツヒサさんを獣人の王にします」
「へ?」
話を聞いていたはずなのに、三世はどうしてそう結論付けられたのかさっぱり理解出来ずはむはむしながら首を傾げた。
ドロシーの作戦はこうである。
三世を獣人の王にして獣人を統率し、全獣人をまとめ上げ脱走する。
グラフィの持つゲリラの心得を利用しながら、お互いに犠牲を最小限に減らしつつ逃げている間に三世が国王フィロスに王として向かい、戦争の落としどころを探る。
それでどうしても無理だった場合、全員でガニアに亡命し国王ベルグにお世話になる。
要するに極力戦わずに獣人の王となり、ラーライルかガニアに獣人を売り込むというのが作戦の骨組みである。
「それで、どうして私なのですか? ガニアにしろラーライルにしろ獣人であるルゥの方が良いと思いますが。正直、私なんかよりよほど王の才覚あると思いますよ」
ルゥは人を怒らない。
誰でも受け入れ失敗を許すその器の広さと、気づいたら誰是構わず魅了しているそのカリスマ性はまさしく王のソレである。
が、ドロシーは首を横に振った。
「そうね。ルゥちゃんが王様の国とか是非とも住んでみたいわ。でも駄目。今回はどうしてもヤツヒサさんが王にならないといけないの」
ドロシーの真剣な表情に三世は若干驚き、そして頷いた。
理由はわからないがドロシーが言うならそうなのだろう。
そして、自分が言い出した事である。
そのくらいの責任は取るべきだ。
それに、もしもの時は王の首という手土産で争いを終える事が出来るはずだ。
そう三世は考えた。
「ええ。王になる責任を負うのは良いです。ですが、これどうしましょう? 王になる試練……この状態では無理ですよね?」
三世はカエデさんにぶら下がったまま、震える手足をばたばたと動かした。
マトモに馬に乗る事すら、今の三世には出来ずにいた。
その症状は改善などされておらず、恐怖も緊張も消えてなどいないのだ。
ただ、カエデさんの傍にいる事を優先させただけである。
心が強くなったわけでも、壊れたのが治ったわけでもない。
気持ちに素直になっただけである。
しかし、それこそが三世にとって大きな変化でもあった。
だから三世は素直に助けを求めた。
「という事でドロシーさん。この状態で試練を受ける方法って何かないですか? 最悪カエデさんにぶら下がったまま受けます? その場合移動距離とか考えたら間違いなくエチケット袋必須になるでしょうが」
その言葉を聞き、ドロシーは三世の傍に寄った。
「んー。とりあえず。これ飲んでみて」
そう言いながらドロシーは三世の口に小さな丸い錠剤を放り込み、三世もそれを何の疑いもせずに飲み込む。
効果はすぐに表れた。
「ん。んー。なんだが、カエデさんの頭とか背中とか鬣とか撫でやすくなりました」
そう言いながら三世はカエデさんを延々と撫でまわした。
カエデさんもまんざらではないらしく、どことなく嬉しそうである。
「いや。先に震えが収まった事を突っ込んでほしかったわ」
ドロシーの冷たい視線から、三世は手足の震えが止まっている事にようやく気が付いた。
「なるほど。これがあるなら今後の日常生活も問題ないですね」
三世の言葉にドロシーはにっこりと笑みを浮かべ、はっきりと呟いた。
「死ぬよ」
「え?」
「常用すると副作用で死ぬ。今回はお試しで効くか試す必要あったけど、本来なら出来る限り使いたくない薬なの。だから試練の時以外は悪いけどいつも通りで暮らして」
「あ、はい」
ドロシーの言葉が脅しでないという事を理解し、三世はこくんと頷いた。
もし時間があれば、三世の精神がもう少し改善出来ていれば。
ドロシーはそれだけが心残りだった。
三世の役割は非常に大きい。
犠牲を考慮に入れるなら取れる作戦はいくらでもあったのだ。
ラーライルのメンツを守りつつ獣人を集めるくらいなら、それほど苦ではない。
だが、その場合は最低でも二万は死ぬ。
そこまでしないと、国のメンツは守れないところまで来てしまっているからだ。
そして、三世なら出来てしまうのだ。
犠牲を百以内に抑え、両国共に未来のある選択肢を作る事が出来るとドロシーは確信していた。
正直に言えば成功率自体はそれほど低くない。
その中でも一番の不安は三世の精神状況である。
今は気力に満ちているが、いつまだネガティブな状態に戻るかわからない。
それに、戦闘中に意識を落とした場合は確実な死が待っている。
だからといって治療を無理に進める事は出来なかった。
病気のように治療をするのではなく、心が壊れている事を徐々に受け入れさせ、出来る事を新しく増やし、壊れたままでも日常を暮らせるようにする。
それが根本治療であり、唯一の治療法である。
そしてそれには多くの時間が必要だった。
だからこそドロシーは、少しでも成功率を上げる為、義理の息子が帰ってこれるようにする為にとびっきりの手段を使うことにした。
それは人類の歴史が生み出した究極の力で、そして数の暴力に匹敵する最強の武力の一つである。
「というわけで、あんたら余っているお金、全部私に献上しなさい。何かできないかやってみるから」
ドロシー先生の強制搾取の時間が始まった。
と言っても、今ここにいる全員は良く理解していた。
『銭で解決できるならそれに越したことはない』
という真理を。
彼らは喜んで実家に戻り、牧場に戻り、ため込んでいた硬貨と小切手を集めドロシーにぶん投げた。
それらは予想以上に多く集まった。
硬貨袋は数百あり、大きな八人用テーブル三つが硬貨袋の山になっていた。
小切手も相当多く、百万円の束のような形をした小切手がいくつも転がっていた。
それを見てドロシーは満面の笑みを浮かべ、すぐにある事に気がついて大きく溜息を吐いた。
「はい。私はこれからこの金額を確認しないといけないから今日はかいさーん。あ皆ここにあるおぜぜの山運ぶの手伝って。それからかいさーん」
それを聞き全員が袋を持ってマリウスの家に向かった。
運び終わった瞬間、三世はカエデさんに乗って外に駆けだした。
触れて、撫でて愛でて楽しみ、最後に走りたくなったからだ。
数時間後、ドロシーは帳簿に金額を纏めつつ苦笑いを浮かべた。
「……私達が言うのもなんだけど、本当に皆いかれてるわね」
ドロシーが実家で呟くとマリウスは小さく苦笑した。
「ああ。俺達も含めてな」
全財産をぶち込んだマリウスとドロシーの二人は顔合わせ微笑む。
苦労して溜めた全財産だが、ここで出してもまったく惜しいという気持ちにならなかったからだ。
マリウスとドロシー、ルゥとシャルト、それにルナの蓄え。
グラフィの今までの危険手当の残り。
この段階で結構な額になっている。
だが、牧場関係は文字通り桁外れだった。
ユウは自分の物を含め、ユラとブルース達五人がユウに預けていた給料分を全てをドロシーに渡した。
『もしオーナーが困ったらこれを使って欲しい』
ユウが使い道のない給料管理を任された時、全員が示し合わせたようにそう言ったのだ。
ついでに、何故か牧場の従業員達、それもけっこうな数の人がユウにお金を渡していた。
『こんなに多くもらっても困るのでユウ主任の方からオーナーに還元してほしい』
そう言われてもオーナーである三世自体お金に執着が薄くユウは困りながら全員から渡された金銭を細かく集め、小切手に変えていった。
金貨にするとその量で部屋が埋まりそうだったからだ。
残りは、三世のオーナー給料と今までの受けた冒険者としての報酬と王からの報酬。
当然これも全部突っ込み、それらを全て計算したドロシーは目を疑い、何度も計算を繰り返し、間違いがないとわかった瞬間、腹から声を出し笑い出した。
「どうした?」
マリウスの言葉にドロシーは楽しそうに答えた。
「国と比べて私達反乱側は全てが負けている。そう思っていたけど、一つだけ勝ってる物があったわ」
「そう言うという事は、つまり……」
マリウスの若干驚いた声にドロシーは笑みを浮かべた。
今回集まった者はほとんどが三世を助ける事が目的である。
だからこそ、今集まっているお金は三世がこの世界で成した事と、三世の絆。
両方を合わせた金額とも言えるだろう。
つまり、ここに集まったお金こそが、三世八久のおよそ一年の集大成である。
「合計金額で、大体二年と半年分ほどかしらね。ラーライルの国家予算の」
自分で言って意味のわからない金額に、ドロシーは口角が上がるのを感じた。
だが、自分の旦那はどうでも良いらしい。
「……そうか」
それしか言わなかった。
マリウスにとって今お金はただの手段にしか見ていないからだ。
どうやって弟子を救えるか。
今マリウスの中にあるのはただそれだけだ。
「それで、その金をどう使う?」
マリウスの質問にドロシーは意味深な笑みを浮かべる。
「国家予算を超える金額を全て使い、たった一つの使い捨ての切り札を用意するって、浪漫だよね!」
平和な世界征服。
安全な国家転覆。
これらはドロシーにとってただの手段であり、夢の本質ではない。
ドロシーの夢はもっと単純で、ただ『浪漫を追い求めたい』だけである。
「俺には良くわからん。だが、それを作った場合ヤツヒサの助けになるか?」
「うーん。そうだね。作戦が成功した場合より完璧な状態で終わらせられるし、失敗してもヤツヒサさんの命は保証出来るようになるわね」
「ならば良い。頼んだ」
「おっけー!」
ドロシーはマリウスに抱き着いて頬にキスして、気合をチャージし自分のすべき事に取り掛かった。
マリウスは少し恥ずかしそうに頬を掻き、自分の武具の手入れに戻った。
ありがとうございました。




