折れたココロは二度折れぬ
グラフィが出ていった後、三世は取れる手段について考えてみた。
一つは王に掛け合い獣人の子供達を奴隷にすることを要請する。
国の利益につながるという建前で一人でも多くの子供を救う。
グラフィの希望にも合っているし恐らくだが千人以上は救えるだろう。
問題は本質的な意味では救えず、また過半数は見殺しにすることが前提である。
もう一つは、今回の事態に一切かかわらないことだ。
常識的に考えると、今の三世に他人にかかわる余裕などありはしないのだから。
この二つ程度しか、三世は考えが思いつかなかった。
そして、一つ目は現実的ではない為二つ目を選択しようと思っていた。
何故ならば、今現在三世は家から出られないからだ。
直接王の元に向かわないのでのであれば一つ目の効果は半減するだろう。
なので代価案として『ルゥから国王フィロスに頼む』という案が現実的だろう。
ガニアの英雄であり獣人のルゥが国王に一部獣人の保護を要請する。
これならそれなりの数を救えるだろうしリスクも全くない。
現実的に考えると、必要以上に獣人の国に肩入れするわけにはいかないのだ。
国に反逆するという事は、ルゥやシャルトは当然、場合によってはマリウスやドロシー、そしてもう一つの命に恵まれたユウとユラすら巻き込みかねない。
そんな事――出来るわけがなかった。
そう出来るわけがない。
心が壊れてダメになり、家から出られなくなった自分を助けてくれた人達。
そんな人達を巻き込む事は許される事ではない。
『助ける理由もないのだ』
だから最善は、このまま忘れて日常を謳歌する。
それが今の三世にとって、間違いなく最善の選択である。
そう、わかっている。
……わかっている。
…………わかっているはずなのに――。
駄目な理由などいくらでも転がっているほどの最悪な状況なのに……三世の思考は何故か、無関係の獣人達を助ける事を考えてしまっていた。
そんな事出来るわけがない。
他人を助ける為に身内を犠牲にする。
それは普通ではない。
そんな選択明らかに異常である。
わかっているのだが、それでも考えが止まらない。
無限にループする思考、その過程でせっかく安定していた心が再び崩れ、得も言われぬ不安が脳内を過り、緊張感から呼吸が苦しくなっていく。
「一体……どうして私はこんな事を考えているのでしょうか」
独り言をつぶやきながら三世は自分にそう尋ねた。
それなりに自分は優しい人柄だとは思っている。
だけど、身内よりも他人を優先するような博愛主義者では決してない。
こんな自分でも見捨てずにいてくれた人達が三世には一番大切で、例え今回大勢の獣人が死ぬとしても、三世は間違いなく身内を優先する。
そのはずなのに――。
三世は昔の事を思い返してみた。
救う為に多くの命を奪った、三世にとって最も苦しく、最も罪を背負った最悪の時間。
大手の総合動物病院にいた頃である。
その頃の三世の原動力は『一匹でも動物たちを救いたい』だった。
――だから今回も……そう考えているのでしょうか。
違う。違う。違う。違う。違う。違う。
一瞬だけそう思ったが、他の誰でもなく自分がそれを否定していた。
そんなものが自分の原風景であるわけがない。
三世は自分の事を――昔の事を再度思い返してみる。
ルゥを助ける為に再び獣医の道に戻った事。
それより更に巻き戻り、転移する前に小さな動物病院の院長だった時の事。
更に遡り、大手の総合動物病院の医師として酷使されていた時の事――。
原初の風景はそこではない。そんなネガティブな物であるわけがないのだ。
もっと昔に遡り、三世は本当の意味で最初の時の事を思い出した。
動物が死んだとか病気になっとかそういった不幸があったわけではなく、それどころか特別な事件など何一つもなかった。
それは平穏な日常にあるただの一ページ。
子供時代、もう何の動物を見たかも忘れたが、その時の記憶こそが三世の原風景である。
それは今でも三世の中心にある気持ちだった。
『動物って可愛いなあ』
たったそれだけである。
「くっ。ふふ。ふっ。あはははははは!」
三世は久しぶりに、心の底から笑った。
「なんだ! 私って何一つ! 子供の頃から変わってないじゃないですか!」
どれだけかっこつけて、どれだけ苦しんで、そして心が壊れた今ですら、自分は昔から何一つ変わっていない。
動物は可愛い。
それこそが三世にとって唯一の真理だった。
三世は獣医になるまえ、何の職業に就くかを悩んだ事があった。
ペットショップに就く事を考えた。
でも止めた。売って会えなくなると寂しいからだ。
動物園にかかわる仕事を考えた。
でも止めた。意外と触れ合う時間が短いからだ。
牧場主も考えてみた。
でも止めた。動物と触れ合う以外の事もしないといけないからだ。
だから獣医になった。
沢山生かせば、それだけ沢山の動物と触れ合える。
沢山の喜びに包まれるからだ。
動物は可愛いから助けたい。
それこそが三世八久が獣医を目指した本当の理由だった。
であるならば、今回の獣人の国について、三世のすることは一つである。
王に直訴して少しでも助ける?
グラフィを手助けして反乱者になる?
どっちも違う。
それが三世の心からの願いではないからだ。
三世のすべきこと、したい事は『獣人を一人でも多く助ける』事だ。
出来る出来ないではない。
三世はそうしたいのだ。
例え心が壊れようとも、三世という存在の定義は何も変わらない。
三世八久という存在は、ただの動物馬鹿である。
救いたいと願っても、その為の手段は当然持ち合わせていない。
国との戦争、しかも小国に介入して救う方法など三世に思いつくわけがなかった。
手段も方法もないが、それでも自分が出来る事を一つだけ、三世は知っていた。
三世は信じていた。
この一手で必ず何とかなると――何とかしてくれると。
その為には三世は一つ、高い壁を越えなければならなかった。
三世を玄関に向かって一歩足を踏み出し――そしてそのままリビングで倒れ込んだ。
三世にとって今最も高い壁、それは外に出る事である。
外に出ようと考えるだけで手足が震え、歩くどころか立つことすらできなくなった。
壊れた心が、安全でない外を拒絶しているのだ。
だけど、三世はここで諦め立ち止まるわけにはいかなかった。
たとえ心が壊れても、自分は変わっていないのだと、自分で証明しなければならないのだから。
力の入らない震える手で体を無理やり動かし、はいつくばった姿勢のまま這いずり玄関を目指す。
匍匐前進などと言った綺麗な移動方法ではなく、その姿は這いずる芋虫そのものであり非常に醜い。
それでも、三世は手を止めない。
玄関に近づくにつれて手足の震えは激しくなり、暑くもないのに汗を掻き、顔は青ざめ息を吸う事すら辛くなっていた。
それでも、その手だけは止めるわけにはいかなかった。
玄関に近づいた瞬間、突然ドアがドミノのようにバタンと音を立て倒れ込んできた。
もう数歩前にいたら三世の脳天直撃という惨事が起きていたであろう距離である。
コルネやルゥが乱暴に開いても無事だったドアはとうとう御臨終を迎え、その先にいたのは我が愛馬カエデさんだった。
何も伝えてないし何も言っていない。
それでも、自分が何をしたいのかは伝わっていると三世は知っていた。
それはスキルの効果などと言った無粋な物ではなく、お互いを思いやり知り尽くしている絆の為だ。
三世は必死に前に歩みより、その手をカエデさんに手を差し伸ばし――カエデさんはその手に噛みついた。
ぱくっ。
そう、甘噛みである。
カエデさんは三世の手を咥えたまま器用に首を振り、三世を己の背に乗せた。
今までのような乗馬スタイルではなく、寝そべらせ横向きのまま手と足がだらんと下がった荷物スタイルでだ。
久しぶりに出た外を見た三世の感想は、驚くほど何も変わっていなかったというものだった。
「それじゃあカエデさん。よろしくお願いします」
ぶら下がるような姿勢のまま三世がそう言うと、カエデさんは無言で目的の場所に移動を始めた。
カエデさんの背にいるからだろうか、三世は少しだけ心が安らかになったような気がした。
バーン!
マリウスの店に突然大きな音が鳴り響き、それと同時にゴロゴロと何かが転がり入店してきた。
マリウスは未だかつて、そんなダイナミックな入店をした人を見た事がなかった。
しかもソレを良く見ると己の弟子である三世だったのだから、マリウスは二度驚いた。
横にいるドロシーすら、唖然として何も言葉に出せなかった。
三世は横たわり泥と埃に塗れたまま、その手を伸ばした。
「………………」
だが、何も言う事が出来なかった。
たった一言で良いのに、その一言が口に出てこない。
喉が震えず、代わりに口が震え言葉を吐き出そうとすれば呼吸すら止まる。
三世に何かあった時、一番頼れる人が目の前にいる。
その人なら自分を息子のように思ってくれ、無条件に助けてくれる。
それを知ってていても、わかっていても、怖かった――拒絶されるのが、否定されるのが何よりも三世は恐ろしかった。
外に出るのが怖い。捨てられるのが怖い。誰かが死ぬのが怖い。誰かを殺すのが怖い。仕事をするのが怖い。――生きるのが怖い。
何もかもが恐ろしく、その恐怖から顔が真っ青になり、顎が震え意識が次第に薄れていく。
――ですが、きっと助けてくれる。だから、だからたった一歩だけ……。もう一歩だけがんばりましょう。
三世は涙を流して手を伸ばしながら、聞き取るのが困難なほど小さな声で囁いた。
「たすけて」
とても人の声とは思えないほど擦れた弱弱しい声。
それを聞き、マリウスは三世の傍に向かい、その手を取らず――強く抱きしめた。
「任せろ」
マリウスは基本口数が少ない。
だが、今はそれで充分だった。
それは言葉よりもよほど強く、三世に伝わっていた。
「はいごめんね。全く無理しすぎよ。だから……今はおやすみなさい」
そう言って横にいたドロシーは三世の頭を優しく撫で、三世の意識を闇に溶かした。
「何をしたんだ?」
マリウスの言葉にドロシーは微笑み答えた。
「ん? 眠らせただけだよ? ドクターストップって奴」
文字通り三世は限界を超えていた。
心が悲鳴を上げるというのは体以上に大事である。
体の傷は目に見える為わかりやすく、また治せる。
だが、心の傷は目に見えないからどこに影響するかわからず、また治らないものも多い。
だからこそ、ドロシーは魔術を用いて三世を強制的に休ませた。
「ああ。それは知っている。それと何をした?」
マリウスは他にも何かをしでかしたと確信した為ドロシーにそう尋ね、ドロシーは微笑みながら答えた。
「それとちょっち記憶を見せてもらったわ。うん。予想以上にとんでもない事になってるわね」
「そうか」
マリウスは深く追求しなかった。
「あなた。反逆者になって国と戦う事になるかもしれないわよ」
「そうか」
「しかも超激戦地。死ぬかもしれないわね」
「そうか」
「しかも赤の他人の為よ。あなたはそこまで出来る?」
「ああ。俺の弟子が、俺に初めて助けを求めた。他に理由が必要か?」
その言葉にドロシーは笑顔で首を横に振った。
「いらないわね。作戦は私が考えるわ。あなたは人を集めて」
「ああ」
マリウスは三世を抱きしめたまま、いつものメンバーを探しに向かった。
ありがとうございました。




