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異世界転移でうだつのあがらない中年が獣人の奴隷を手に入れるお話。  作者: あらまき
折れた心は

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折れたココロは二度と戻らぬ

 

「順調ではあります、ですが……辛いですよねぇ」

 三世の言葉にユラは青ざめた表情で頷いた。

 ユラの母子共に経過を観察する為、月に二度ほど定期健診を行っており今日は四月の二度目の検診である。

 今までは通っていたが、今は外に出ることが出来ない為ユウとユラの方が三世の家に訪れた。


 三世は震える手のままユラの腹に手を置いて診る。

 出来るなら……何も仕事はしたくない。

 命を預かる獣医としてはもちろん、それ以外の場合でも、失敗することが三世は怖った。

 だがそれ以上に、自分の震える手自体が、三世は何よりも恐ろしかった。

 自分の意志と関係なく突然震えだす四肢は、まるで意志を持って自分に襲い掛かってくる。

 そんな恐ろしい妄想をしてしまう。

 それでも、ユラの診断だけは止める事が出来なかった。


『幸せになって欲しい』

 彼らには新しい命と共に、家族で幸せに生きて欲しいと三世は心の底から願っていた。

『幸せになって欲しい』

 三世は今も昔もそう願っている。

 少しだけ昔と変わった事は、それに自分が入っていないことだ。

『幸せになって欲しい』

 その言葉は、遠まわしに自分が不幸になれば良いという呪詛に変わっていた。


「経過は順調です。少し赤ちゃんの成長が早いくらいで異常はありません。ただつわりに関しては何とも……。気休め程度の事ですが栄養補給のサプリメントを出しておきますね」

 その言葉に付き添っていたユウは微笑み、ユラは青い顔でも嬉しそうにお腹を撫でた。

「ありがとうございます。わざわざすいません……」

 こんな状態なのに。

 とはユラは言う事が出来なかった。

「良いんですよ。幸せになってください」

 三世が微笑みながらそう言った。

 ユウもユラも、目出度い言葉のはずなのになぜか物悲しい気持ちになった。


「ちなみに。前回、前々回とシャイだったようで良くわかりませんでしたが、今回ははっきりわかりました」

 その言葉にユウがぴくっと大きく反応した。

「それで……どっちでした?」

「はい。男の子です」

 三世の言葉に、ユウはにっこりと満面の笑みを見せ、三世はその笑顔に釣られ微笑んだ。

「そうですか……。では名前を考えないといけませんね……。ああどうしましょうか」

 ユウはそわそわした様子で嬉しそうに呟いていた。

 男の子でも女の子でもどちらでも良かったが、わくわくしすぎてどっちがずっと気になっていたユウは露骨に興奮する様子を見せた。

「私としては、オーナーに名付け親になって欲しいなって思ってるけど」

 ユラの言葉に三世は驚き、それを聞いたユウは笑みを浮かべた。

「なるほど。それも悪くないですね」

「いやいや。名づけセンスもない上に赤の他人ですよ? 名前はもっと大切は――」

 三世の言葉を、ユラが遮り苦しいのを堪えつつ言葉を綴った。

「助ける為だけに奴隷にして、何の見返りもなく開放。それ以前も以降も変わらぬ立場で私達と共にいてくれた。これだけでも名付けに相応しいほどの十二分な恩があります。それに加えてルゥちゃんシャルちゃんと同じ名づけ親なら文句なんてあるわけがない。あの二人にも可愛がってもらいたいですし」

 吐き気を堪えながら、ユラは言葉を捲し立て三世はそれに唖然とした。

「ついでに言えば、今後の事も考えたら利的に考えても十分ありな選択なんですよね」

 ユウの言葉に三世は首を傾げた。

「今後?」

「ええ。オーナーは間違いなく今後も獣人を構い、そして救い続けます。将来的に間違いなく有名な人物なるでしょう。そんな獣人の救世主に名付け親になってもらえるんですから、文句などあるわけがないです」

 三世がユウの言葉に反論しようとして口を開いた瞬間、ユウは更に言葉を足して三世を黙らせた。

「少なくとも、私にとって……私達にとってオーナーは救世主でした」

 ユウの言葉にユラも頷き、二人で微笑みながら三世の方を見た。

 三世は何も言い返すことが出来ず苦笑いを浮かべた。

「――そうですね。名前を考えておきます」


 一瞬だけ、三世は考えてはいけない事を考えた。

 ――この子が幸せに生きられるように、自分も生きないと。生きて、幸せにならないと。

 そんな事……願ってはならないはずなのに……。

 二人の微笑みと、そこに確かに宿っている命に、三世は励まされたような気がした。




 三週間ほどの経過にて、三世の精神は落ち着いたと言って良いほどの安定を見せた。

 ただし、あくまで『安定』であって『改善』ではない。

 現状維持、つまり家から出ず仕事をしない限りは平穏に暮らせているというだけだ。

 夜に眠り、朝から誰かと共に暮らしつつ見舞い客と話し、夜に一人で槍の訓練をして皆に絵本を読んで聞かせ、また夜に眠る。

 大体がこのような現状文句の言いようもない快適な日々を暮らしていた。

 ただ、ここ最近の中で、微妙に変わった事が三点ほどあった。


 一つは槍の修行が室内になった事。

 女性陣の許可を得た後二階の開いている大部屋を使い、三世はそこで槍の訓練を行っている。

 あまりの完成度に自分でも矛盾なく二階を受け入れているらしく、二階に上がっても手足の震えは全く起きなかった。

 どうやら脳内では元から二階があったように錯覚しているらしい。

 一瞬だけ、家の拡張を続けて貰えば自分の生活出来る範囲が広がるのではないかという冗談も思いついたが、口にすることはしなかった。

 ブルース達なら本当に出来てしまいそうだからだ。


 二つ目は縫合の練習、針と糸で布にちくちくと縫う手術と革細工の練習を止めた事だ。

 仕事と直結して考えてしまうからか、気持ちが不安定になるからドロシーより禁止令を出された。

 知識が豊富な事と三世の様子をこまめに見れるという立場から、ドロシーが現在三世の主治医のようなポジションに就いていた。

 当然、それに文句を言う者は誰もいない。


 三つ目は、寝る前の絵本を聞く人数が一人増えた事だ。

 ルナは文字を読めないわけではないがあまり上手くない。

 それを知ったルゥとシャルトは、三人の時間だった夜の時間にルナを招待した。

 シャルトが三世の膝の上に座り、ルゥとルナが横から寄り添い一冊の本を見ながら三世が朗読する。

 文字を覚えるという意味では、これが意外に効果が高い事はルゥとシャルトは身を持って体験していた。

 せっかくだからルゥとシャルトは、自分達が最初の頃に読んでもらった絵本を久しぶりに読んでもらう事にして、昔の本を何冊か引っ張り出してきた。


 読書の時、べったりしているルゥやシャルトと違い、ルナは体を密着させず少しだけ距離を取る。

 それは心の距離が離れているからではなく、お互い意識してしまっているからだ。

 時間が夜、これ以降の過度な接触はどうしても性的な事を意識してしまう。

 絵本の時間は童心に返る安らかな時間でもある為、三世もルナもそれは望んでいない。

 ただしルナにとっては、()()という枕詞が付けられるが。







 ルゥ、シャルト、ルナの三人は三世を一人残して家を出た。

 三世の精神が安定し始めた為、一人の時間を増やして以前の感覚を取り戻す必要があるとドロシーが言ったからだ。

 と言っても精々二、三時間程度だが。

 そして獣人三人は三世から離れて何をしているかと言うと、今後の相談である。

 牧場の客室を一つ借り、三人はドロシーが用意した資料をテーブルの中央に置いた。

『三世八久の現状と今後について』

 それはドロシーが患者には直接言えない今回の症状についての情報が記されていた。


「じゃあ読んでいくね?」

 ルゥの言葉にシャルトとルナは真剣な表情で頷いた。

 ルナは文字が読めないというわけではないのだが、長文を読み込み理解するとなるとまだ時間がかかる。

 文字どころか教育と無縁の生活をしていたのだから仕方がなかった。

 むしろ、教育を受けていなくても読み書きが出来るだけで大した者である。

 ただ現在読む速度が遅いのは確かな為、ルゥが先に一人で読んで口頭で説明する事を三人は選択した。


「んーとね、まず『今回の症状は治療する事が不可能だから治すという考えは捨てましょう』だってさ」

 ルゥの言葉に若干のショックを受けるルナ。

 介護も看病も嫌ではなく、むしろ嬉しい。

 だが、三世が辛そうにしているのはルナにとって非常に心苦しい事だった。

 そんなルナとは対照的に、その事を予想していたシャルトは特に反応を示さなかった。

「あー。ですよね。ルゥ姉何度も言ってましたもんね」

 ルゥはずっと三世について気にしない、いつも通りだと言い続けていた。

 それは知っていたからだ。

 今回の三世の症状は隠れていた――隠していた三世の闇がただ表に出ただけだであるという事を。

 ある意味では精神病だが……それを患ったのはずっと昔、この世界にくる前である。

 であるならば、治療は不可能と思っても良いだろう。

 三世にとっては自分達よりも付き合いの長いものであり、その心の闇も含めて、三世八久という存在なのだから。


「ただし、改善はすることが出来るよ! だから外に出たりとか仕事したりとかは何とかなるね。ただ、また何かのきっかけで落ち込んでこうなる可能性はあるけど」

「ではその改善方法とは?」

 ルナの質問にルゥは資料を見ながら答えた。

「一つ目は『現状維持して精神安定』二つ目は『ある程度の改善が見込まれた場合メンタル強化』だってさ」

「つまり?」

「元気になったらお外で遊ぶ! で良いんじゃないかな? そのくらいしか私は思いつかないからルナも何か考えといて」

 ルゥの言葉にルナはこくんと首を縦に降った。


「つまり、基本的には時間が解決してくれるという事ですね?」

 シャルトの言葉にルゥは頷いた。

 三世の事を心配し、そして常に傍にいてくれるもふもふな獣人が三人いて、オートヒーリング効果内蔵癒しの正妻カエデさんもしょっちゅう三世の元に訪れる。

 これは『働けない』という要素以外三世にとって理想の生活に等しい為、かなりの速度で心の傷は癒えていた。

 きっかけも動物なら、それを癒すのも動物だった。


 このペースなら半年ほどで外出もできるだろうし二年以内にはマリウスの職場になら復帰も可能だろう。

 獣医の方は難しいかもしれないが、それでも不可能だと言い切るほど絶望的な状況ではなかった。


「んで中盤まで治療に効果のありそうな内容が色々書かれてるね。とりあえず体を動かした方が良いみたい。出来たら一緒に。今はヤツヒサの方が無理だけど出来るなら夜に運動しても良いんだって。んで夜の運動って何?」

 ルゥの真顔な質問にルナはシャルトの方を見つめ、シャルトは顔を反らして誤魔化した。


「それでルゥ姉。後半は何が書かれているんですか?」

 シャルトは苦し紛れにそう尋ねた。

「ん? 後半はね、もしヤツヒサが無理して何かをしないといけなくなった場合の緊急処置について。今から話すから暗記してね?」

 ルゥの言葉に二人は納得し頷いて真剣に聞く姿勢に入った。


 三人は確信していた。

 二年の改善を待つ事はなく、それどころか半年も三世が部屋に閉じこもっているわけがないと。

 無関係の奴隷だったのに命を救われたルゥ。

 野生動物で敵でしかなかったのに罠にはめて捕まり愛を貰ったシャルト。

 敵であっても関係なく、命を救われ女としても助けられたルナ。

 自分達の経験から三人とも、必ず三世は何かの騒動に無茶し首を突っ込むと確信しきっていた。


ありがとうございました。

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