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壊れた臆病者

これから十部、最後の話を始めます。

私のしたかった事『優しい世界』の一区切り。

残り十分の一程度となりましたが、それでもよろしければどうかお付き合いください。



 

 あの日から平然として、何事もない様子で過ごしていた三世。

 ただし、問題が何もなかったわけではなく平気なフリをしていただけである。

 当然そんな生活を続けて平気なわけがなく、そのわずか数日後に変調をきたした。


 その日は獣医としての仕事をしていて、大体二、三時間ほど診療をしていた時だ。

 骨折した馬が訪れ、軽度ではあるが骨が肉に食い込んで悪化する恐れがあった為手術することとなった。

 そしてその馬の手術中に、突然三世の手が震えだしたのだ。

 現役の獣医時代でもこんな事は一度もなかった。

 幸運だったのは、その時傍にシャルトがいてくれた事だ。

 シャルトのサポートのおかげで難を逃れ馬の手術自体は無事に終わった。

 だが、手の震えは収まらなかった。


 シャルトは即座に動物の治療をそこで終了させ、三世を家で休ませた。

 家に戻った瞬間、手の震えは収まった。

「ご主人様。しばらく休みましょう。無理をしても良い事はないですよ」

 不安に押しつぶされそうなシャルトに声を聴き、三世は力なく微笑んだ。

「大丈夫だよ。でも、獣医としてはしばらく休みましょう。命を扱うのにこんな有様ではだめですからね」

 その声を聴いた時、シャルトは恐ろしい何かを予感した。

 もっど酷い事が起きる、そして、それはもうどうしようもないのだ。

 そんな予感がずっとシャルトの中によぎっていた。


 数日後、マリウスの手伝いをしている時にそれは起きた。

 手の震え、痙攣に近いだろう。

 ただ革を縫い合わせるだけの行為。

 三世からしたら一つにつき一分も掛からない本当に簡単な事だ。

 だが、今はそれすらできなくなっていた。

 作業を止めると震えは収まり、針を持って手を動かそうとするとまた手が震え始める。

 それでも三世は手を放さず、無理やり糸を通そうとしている姿に見て居られなくなり、マリウスは三世の手を握って止めた。

「ヤツヒサ。少し休め。無理をしても悪化するだけだ」

 三世は悲しそうな、寂しそうな表情を浮かべた後力なく微笑み、頷いた。

「わかりました。確かに、今のままだと足手まといにしかならないでしょう。すいません。不出来な弟子で」

 それだけ言い残し、三世は自分の家に戻った。

 その後ろ姿にマリウスは何も言う事が出来なかった。


 その事をルゥとシャルトに報告すると、二人は真逆の反応を見せた。

 心配したような表情になり、共に苦しみを受け入れ三世を慰めようとするシャルト。


 満面の笑みを見せ、心配いらないと囁き全てを受け入れ三世を抱きしめるルゥ。

 どちらが間違っているわけでもなく、どちらも正しい。


 むしろ、二人共正しいのだ。

 ――間違っているのは、今こうしている私だけですね。

 三世は二人に見えないよう、自虐的な笑みを浮かべた。




 早朝、いつもの時間に三世は目を覚まし、横にいるシャルトの頭を優しく撫でてから寝床から出る。

 そして顔を洗い、歯を磨き、着替えなど朝の準備をした。

 朝食の準備をしているルゥに挨拶し、三世はいつものように窓の外を眺める。

 今日も良い天気だ。

 少々肌寒いが、心地よい朝日に包まれるとなんとも言えない幸福感が満ちてくる。

 もう一度寝てしまいたくなる寒さと心地よさを我慢し、三世はシャルトを起こしに向かった。

 シャルトの朝の支度を整えているうちに、三世とルゥは協力して朝食の準備を行う。

 これがいつもの日課だった。


 トーストとスープに熱い紅茶。

 米に執着がない三世はパン食に文句はないが、一つ物足りない物がある。

 それは牛乳だ。

 何時でも飲むことは出来るし、冷蔵庫に常備しているのだが、歳のせいもあってか体の冷えている朝に牛乳は少々つらい。

 もう少し暖かくなってくれないと朝食の牛乳はお預けである。

 それだけが、三世は朝食時の不満だった。


 食事を終え、片付けをして、さあ出かけよう。

 そう思った瞬間に、三世の足がもつれ盛大に転んだ。

 バタンと音を立て転んだ三世をルゥとシャルトは心配そうに眺めた。

「すいません。足がもつれてしまって」

 そう言って立ち上がろうとするのだが、不思議とまったく立つ事が出来ない。

 三世は足の方を見てみら、足がぴくんぴくんと痙攣を起こしていた。

 同様に手も震えていた。

 自分の体なのに、それすら気がつかなかった。


 ――ダメだ。これではだめだ。外に出ないと。私は外に出て誰かの為に尽くさないと――。

 だが、そんな気持ちとは裏腹に体は思うように動かない。


「ヤツヒサ! お出かけやめよ?」

 ルゥが微笑みながらそう言い、シャルトはそれに頷き同意した。

「どっちにしても、出られなさそうですしそうしましょうか」

 三世はもう笑う事も出来ず、下を向いてそう呟いた。


 あれほど震えていた手足は、出かけるのを辞めた瞬間嘘のように収まり思い通りに動くように戻った。

 ただし、また外に向かおうとすると手足が震え始める。

 考えている事と逆に動く己の体を理解し、三世はようやく一つの事実を悟った。

「ああ。私は壊れてしまったのですね」

 笑いながらそう呟く三世を、ルゥはそっと抱きしめた。

「そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。わからないけど、私はずっと傍にいるよ。もちろん、シャルちゃんもね」

 そう言いながらアイコンタクトを取るルゥに合わせ、シャルトも三世を抱きしめた。

「はい。いつまでも、望む通りに」

 二人に抱かれながら慰められる三世。

 恥ずかしさよりも、嬉しさよりもまず情けなさが先に来ていた。

 それでも、この瞬間は心が安らいでいるような気がして、気づいたら三世は夢の中に落ちていた。




「ルゥ姉さま。どうしましょう……」

 隣の部屋で寝入っている三世に聞こえないよう、シャルトはそう尋ねた。

 爪をかじりながら、表情を曇らせるシャルトにルゥは微笑みかける。

「無理に笑わなくても良いけど。自分を追い込んだらダメだよ。自分のせいでシャルちゃんが不幸になってるってヤツヒサ知ったらもっと落ち込むよ?」

 その言葉に爪を噛むのを辞め、シャルトはルゥの方を真顔で見た。

「ええ。ではもっと前向きな話をします。ご主人様の為に、私達は今何が出来ますか?」

 その言葉に、ルゥは人差し指を口元に当てて首を傾げ考え込むポーズを取り、そして何かに思いついたらしく満面の笑みを浮かべた。

「あったよ一つ。やるべきこと」

「それは一体……」

「んーとね。面接!」

 ルゥの言葉にシャルトは理解出来ず、首を傾げた。




「というわけで面接を行います。まずはお名前をどうぞ」

 野外、それもわざわざ村の外に長机を用意し、そこにシャルトと共に座りながらルゥは眼鏡をくいっと傾けきりっとした表情でそう口にした。

「えと……ご存知の通りルナですルゥ様」

 そこに立ったままの金髪の獣人、ルナは困惑した表情でそう答えた。

「はいルナさん。では、ご趣味と特技を――」

「ごめんなさいルナ。ルゥ姉どうやら良くわからないスイッチが入っちゃったみたいで」

 ルゥの言葉に被せるようにシャルトが言うと、ルナは微笑み首を振った。

「いえ。たぶん意味があるのでしょう。趣味は食べ歩き、特技は魔法と……何でしょうか。割と器用な事ですかね、特にこれが得意というわけではないですが」


「器用ですか……いえわが社では器用な人間は腐るほどいるのですがその辺りは――」

 ――しまった。これ圧迫面接だ!

 シャルトはそう気づき、ルゥを止めた。

「ルゥ。それはダメな奴、したらダメな奴です」

 スキルによって三世から時々意味のわからない情報が流れ込んでくる。

 その中にある面接の知識にどうも悪い部分が混じっていたらしい。

「はっ。何かよくわからない事言ってた!」

 ルゥは我に返ったらしく、こほんと咳払いをして本題に入った。


「それじゃあ真面目に聞くね。ルナ。ヤツヒサの事どう思ってる?」

 その言葉の瞬間、ルナはボンと爆発したように顔を赤くさせ、慌てだした。

「え。それはその……ごにょごにょ……というか……」

 恥ずかしそうにするルナに対し、ルゥは真面目な表情を見せる。

「シャルちゃんと二人が色々と話してるのは知ってる。でも私はルナから何も聞いてないの。お願い、今ヤツヒサのとても大切な時なんだ」

 いつもぽわっとして見えるルゥの本当に真剣な様子。

 それにルナは気づき、真面目な表情で頷き答えた。

「最初は一目惚れ、いえ二度目ですから二目惚れですかね。でした。今は……単純にお慕い申しております」

 ルゥの目を見ながらそう答えるルナに、ルゥは再度質問をした。

「その為にあなたは何を捨てられる?」

 そう言った後、ルゥは三世の現状を話し出した。


 心が傷つき、いや壊れて家から出る事も出来ないくらい怯え続けている。

 現状のままだと三世は何も出来ないし、これが続くようならば、三世だけでなくそれに従う自分達も時間や仕事、様々な物を失う。

 簡単に言えば要介護状態になっている。

 ルゥとシャルトは何かを失っても何も問題ない。

 元々奴隷だし、何より得たものも全て三世のおかげで得られたものだ。

 それを失っても後悔はない。

 そして元々、何があっても最初から最後まで一緒にいるつもりだからだ。


 だが、途中から来たルナの場合は色々と別の話になる。

 例えば、ルナが滅私の覚悟で三世の手伝いに来たとしよう。

 それは三世の望む事ではない。

 自分の為に誰かが苦しんでいると知った三世は、より苦しむ結果となる。

 だからこそ、ルゥはルナにその事を尋ねた。


 それを聞き、ルナは神妙な面持ちでルゥを見つめた。

「では、これより本音を語りますが、これ、ヤツヒサさんには内緒にしてもらえますか?」

 ルゥとシャルトは二人そろって頷いた。

 それを見た上で、ルナは表情を変える。

 ねちっこい、恍惚とした表情を浮かべ両手を頬に当てる。

「家にずっといる? 良いじゃないですか。むしろ望むところです。滅私? 何を馬鹿な。監禁する必要もなく家から出られないで、しかも帰ったら出迎えてくれるんですよ。私事オンリーで正直大歓迎な状況です。介護? つまり私がいないとヤツヒサさんが生きて居られないという事ですよね? それだけ私をあの人に刻めるんですよね? あの人が求めてくれるのですよね? ええ。文句がないどころか……最高じゃないですか――」

 恍惚とした表情のまま高速で語るルナを見て、ルゥは困惑した表情を浮かべた。

「え、あ……うん」

 ルゥはそれしか言えなかった。

 何でも受け入れられるルゥが珍しく答えに詰まった瞬間だった。


「えと、別の不安が出たけど……ヤツヒサの面倒見る手が足りないの。手伝ってくれる?」

 ルゥの言葉にルナは満面の笑みで頷いた。

 ルゥは若干、心配な気持ちになった。


「こう、腹を割った場ですしここなら誰もいないので私も一つ、ルゥ姉に聞きたい事があるのですが良いですか?」

 シャルトの言葉にルゥは首を傾げた。

「ん? シャルちゃんなら何時でも何でも聞いて良いよ。別に私秘密とかないし」

「ちょっと聞きにくかったですが。どうしてご主人様の前で、心から笑えるのですか? 辛そうで苦しそうなご主人様の前で……」

 シャルトは今の三世の傍にいると、苦しくなり、抱きしめて慰めたくなる。

 一緒に泣きたくなるのだ。


 だが、ルゥはいつも通り、いやいつも以上に本心で微笑みかけ、三世の傍に寄り添っていた。

 どうして心から笑えるのか。どうしてそんな事が出来るのか、シャルトには理解出来なかった。

 その問いに対し、ルゥは考え込む仕草をしながら、言葉を綴った。

「んー。そうだね。私にとっては以前のヤツヒサも、今のヤツヒサも変わらないんだよ」

「と言いますと?」

「んー。こうなると予想していた……とは違うな。ヤツヒサの心が苦しんでるってずっと知っていたんだ。だからいつかこうなるってわかってた。ってことかな。ちょっと言葉にはしにくい。ごめんね。簡単に言えば、これもヤツヒサだから私は全く気にならないの」

 自分の事ながら良くわからないらしく、ルゥは首を傾げながらそう言葉にした。

「そして同時に、またいつか前みたいに外に出て、自由に行動できるって事も知ってるよ。だから私は変わらない。私がすることはいつも一つだよ。『ヤツヒサがしたい事を出来るよう手伝う』それが私のしたい事だからね」

 微笑みながら答えるルゥを見て、シャルトとルナは苦笑を浮かべた。

「大きいですねぇ」

 ルナの言葉にシャルトは頷く。

「自慢すぎる姉ですから」

 それを聞いて二人が何を言ってるのか良くわからず、ルゥは微笑みながら首を傾げた。




「というわけでお手伝いさんを雇いました! はくしゅー」

 突然大きな音を立てながら玄関の扉を開けて突撃するルゥ。

 それに対し三世はびくっと反応した後、ルゥの後ろにいる人に驚いた。

 それはルナだった。

 ただし、メイド服を身に着けた――。

 三世は小さく拍手をしながらルゥに尋ねた。

「あはい。情けない話ですがこうなった以上手伝いが必要な事は理解してますし、それをルナが手伝ってくれるのでしたら文句はないですが、どうしてメイド服?」

 三世の質問に、ルゥは満面の笑みを浮かべ答えた。

「シャルちゃんの趣味! ちなみに私のは現在製作中です!」

 その後ろには、以前マリウスに作ってもらったゴシック調の黒のドレスを着て誇らしそうにしているシャルトの姿があった。


ありがとうございました。

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