脅威
2018/12/15
リメイク
油断したつもりはない。
帰り道だからと言って侮ってなどなく、行きと同じように隊列を崩さず気を付けながら歩を進めた。
しかし、心のどこかで気の緩んだ部分があり、集中力が切れていたとしてもそれは否定できない。
三世はそんなどうでも良い自問自答を心の中で繰り返した。
それは何か適当な事でも考えていないと恐怖で体が動かなくなると無意識で理解していたからこその防御反応の一種だった。
ほんの僅かなミスで――死ぬ。
それは自分だけではなく、周りの誰かもだ。
そして、動かなくても間違いなく死ぬ。
三世は必死に頭を働かせ、恐怖を和らげながら集中した。
目の前の脅威を睨みつけながら。
始まりは大したことではなかった。
当たり前の話だが、帰り道を進むという事は通ってきた道を戻るという事であり、それは同じ物を見るという事だ。
一同は行きがけに狩ったイノシシの死体を見かけ、そのまま傍を通りぬけた。
警戒を怠ったわけではない。
だが、それは完全に想定外の事態だった為、全員反応が遅れた。
巨大なイノシシの死体の中から出てきてこちらを襲ってくる存在がいるなど、想像する事さえなかったからだ。
子供のような人影が襲ってきたその瞬間、無関係の方向から大きな衝撃を受け三世は吹き飛ばされた。
キィン!
金属がぶつかるような音が鳴り響く。
さきほどまで三世がいた位置に田所がいる事により、三世は田所が自分を吹き飛ばして庇ってくれたのだと知った。
そして奇襲を受け止めた田所の方を見て、一同は否が応でも相手との力量差に気づかされた。
急だった為田所は肩の金属部分で攻撃を受け止めた。
多少の痺れはあれど、田所の肩に問題はない。
ただし、攻撃を受け止めた鎧の金属部位は抉られ裂け目が生まれている。
更に、二の腕部分の革部分は綺麗に切断されて地肌が見えている上にうっすらと血が流れている。
それは運が良かったとしか言えない。
軽い切り傷で済んだのは奇跡であると理解するのに十分なほどの傷跡だった。
だが……次はない。
そんな予感が四人を襲っていた。
その奇襲はあまりにも綺麗に決まっていた為、連携を取る隙すらなかった。
ある程度の下準備がない状態で無理に連携を取ると完全に逆効果となる。
体制を立て直す為に、とりあえず全員動き回ってもお互いの動きを阻害しない程度距離を取りつつ、相手の出方をうかがう事にした。
襲ってきた相手の体形は子供に似ている。
だが、子供ではない。
いや……そもそも人ではなかった。
大人の腰くらいまでの大きさで全身黒い体。
二足で歩いているが、人ではありえないほどに小さい。
そして何より、細い。
全身あらゆる部位が細く、特に足は昆虫の足のように長く細い。
バッタのような足の形をしていて極端な『がに股』のような立ち方をしている。
良く見ると腕の先にあるはずの手がなかった。
手の位置には、小さな爪のようなモノが一本だけ付いている。
蟷螂の手に似ているが少々異なり丸みを帯びて曲線を描いている。
それは確かに相手を切り裂く為の、一本だけの爪だった。
漆黒の体はてかてかとぬめりを帯びたイノシシの血で覆われている。
イノシシの中に入っていた為、ルゥの嗅覚でも察知することが出来なかったらしい。
真っ黒の為目がどこにあるかわからないが、口が存在するであろう辺りからは、ギッギッと鳴き声のような笑い声のような音が鳴り響いていた。
「魔物はたまに瘴気から離れる。そして瘴気から離れると消滅するのですが、偶に消滅せず残る奴が出ます。それをはぐれ魔物と呼ぶそうです」
田中が小さな声でそう呟いた。
その『はぐれ魔物』は田中の声に全くの反応を示さない
音が聞こえないのか、それともこっちのする事に関心がないのか……。
魔物はゆっくりと、上半身を大きく動かしながらこちらに歩いてくる。
赤んぼがようやく歩けたみたいな不器用な歩き方に見えるが、油断していいわけがなかった。
「相手が止まり、チャンスが出来ましたら魔法を撃ちます。合図をするのでそのときは距離を取って下さい」
田中の声にあわせるように全員が頷き、散開して魔物を囲んだ。
一瞬だけ、撤退を指示しようか三世は悩んだ。
だが、逃げられる相手だと正直思えなかった。
魔物は小さな体のはずなのに、悍ましいほどプレッシャーを感じる三世。
そんな魔物は黒いモヤのようなものを全身から吹き出しながら、ギッギッと蔓が軋むような音を出していた。
「鎧の仕返しだコラ!」
恐ろしくないのか、恐怖を飲み込んだのか、田所が叫びながら剣を両手で握り、振り下ろした。
が、その一撃は魔物に当たらなかった。
ギリギリのギリギリで、魔物が上体を揺らしながら回避したのを三世は確認した。
そして相手が腕を振り上げ田所に攻撃しようとした瞬間に合わせ――三世は握っていた石を魔物に投げつけた。
投石は予想していなかったのか魔物の顔面に握りこぶしより小さいくらいの石が直撃する。
だが、魔物はダメージを受けた様子はなかった。
一瞬だけ驚いたらしくぴくっと動きを止める事には成功した。
その隙に田所は回避の準備を整えた。
魔物は曲げ切った足を延ばしながら、爪を田所に振り抜いた。
思った以上に高い所に斬撃が届く。
だからこそ腰程度の高さでも田所の鎧の肩部に攻撃出来たらしい。
田所は回避しようとしたが思った以上に攻撃の範囲が広かった為避けきれず、剣でガードしながら後方に下がった。
ガインと音を立てながらお互い一歩後ろに引いた。
相手の爪は無傷だった。
田所の剣も見る限りでは無事のようである。
「インパクトの手前で当たればそんなに痛くない。速度乗る前に攻撃潰せたらなんとかなる! 逆に速度乗った攻撃はかなりやばい」
役に立つようで立たないアドバイスを田所は叫んだ。
三世はそれを聞いて、とりあえず槍を突いてみた。
田所と戦って油断していたからか、魔物は回避せず三世の槍に当たった。
さくっと小気味よい感触と同時に魔物に小さな傷を作り、その瞬間に魔物は後ろに数メートル大きく飛び退いた。
それと同時に三世の方に強い敵意を飛ばしてきた。
よく見ると槍が刺さった胴辺りに小さな傷が出来、そこから黒っぽい液体を流していた。
黒に近い紫色の液体、おそらく血液だろう。
魔物は三世に敵意や怒りのような感情を向けながら狙いを定め、三世に飛びかかってきた。
思った以上に素早く、まるで飛んできたような速度で襲い掛かり爪を振るう。
それに合わせて三世は右に大きく飛び込んだ。
相手の右手の攻撃に合わせての右の回避。
確かに早いが、それでも余裕を持って回避した。
そのはずなのに……ざくっと嫌な音が聞こえ左腕上腕に強い痛みを覚えた。
金属で補強した肩のちょうど下あたりが切れ、結構な量の血が出ている。
急いで止血しないといけない範囲だと思われる程度には、傷と出血は酷かった。
「ヤツヒサ!」
ルゥが叫びながらこちらに駆け寄ってくる。
それに合わせ、魔物はルゥのほうを向いた。
こちらに背を向けた魔物に、三世は槍を右手だけで持ち、突き刺した。
軽い槍なので片手で持ち軽く突くだけなら、なんとかなった。
同じことを考えてたらしく、田所は剣を片手で持って槍の要領で魔物を突き刺していた。
ちょうど飛びかかろうとしてジャンプしていた魔物のお尻の位置に、二人の突き刺しが綺麗に刺さりギャッと甲高い声をあげ、魔物は前方に飛び込んだ。
「こっちはいい!」
三世の叫び声を聴き、ルゥは方向転換して魔物の方を見た。
「お前は絶対に許さない!」
ルゥが叫びながら全力で盾を魔物に叩きつける。
避けようとしたらしく魔物は大きく飛び上がっていた。
そして、丁度飛び上がった時にルゥの盾は直撃して魔物を大きく吹っ飛ばし、横に生えていた木に強く叩きつけられていた。
バキッと何かが折れる音が聞こえた。
折れたのは魔物ではなく、直撃した木のほうだった。
大木というほどではなかったがそれでも簡単に折れるほど細い木でもなかった。
それはルゥのバッシュが異常に強い事を示すと同時に、魔物が相当硬い事を示していた。
「行きます!」
田中が叫んだ。
魔物はふらふらとよろめきながら立ち上がろうとしていた。
だが、どうやらダメージが大きかったらしくうまく動けずにいる。
「異なる力による理に呼ばれ、空より落ちよ……『落雷』!」
田中が呪文のような言葉を唱えた後に、晴天の空から細く黄色い光が落ちてきた。
カッと音を立てながらその黄色い光に当たった魔物は、バリバリと轟音を発しながら全身に光を纏っていた。
雷の轟音の中にまぎれて聞こえるギッギッと鳴り渡る断末魔。
そして雷の音が止んだとき、魔物は地面に倒れ伏していた。
「……まだ生きてる」
ルゥの呟きに三人は反応し、田所と三世は手に持った武器で倒れた魔物を攻撃し続けた。
ざくっざくっと小気味良い音が連続で流れる。
攻撃は通りこそするものの、全く体がバラバラにならない。
刺し傷は通るが切り傷はほとんど通らないらしい。
防刃素材のような性質なのだろうか。
二人が数分間攻撃し続け腕を動かすのに疲れだした頃。ようやく魔物は死亡した。
「もう大丈夫……だと思う。心臓の音が最初から聞こえなかったから違うかもしれないけど」
ルゥは不安げに呟いた。
だが大丈夫だろう。
田所の会心の一閃により、頭と体が離れているからだ。
生物である以上これで死なないという事はないだろう。
田所がその場に座り込んだ。
疲労の限界だったのだろう。
ルゥがこちらに近寄って顔を青ざめている。
「ヤツヒサ、痛くない?」
言われて三世は自分の左腕が攻撃された事を思い出す。
思ったより傷は深かったらしく、上腕部全てが真っ赤に染まっていた。
三世はさっと止血を試み、包帯を巻いた。
ただの獣医とは言え、このくらいの応急処置はすぐに出来る。
「田所さんも止血しますか?」
三世は聞くが田所は断った。
「いや。もう止まってるし大丈夫だ」
確かに血は流れていない。
田所のほうは薄皮一枚しか切れていない。その上出血は既に止まっていた。
「とりあえず報告しないと。はぐれの討伐報告は義務みたいなものなので」
そう言いながら田中はナイフで魔物の両手の爪を切り落とした。
「もしかしたら高価な素材かもしれないので取っておきますね」
「るー。すっごく疲れた」
ルゥもそう呟き、座り込んだ。
「気持ちはわかりますが早く移動しないと」
田中の言葉に田所とルゥが口を尖らせ不満を見せていた。
「イノシシの近くだからまだ血の臭いで野生動物きますよ」
その声にさっと立ち上がる二人。
「三世さんは大丈夫ですか?」
「ええ。ただ血が思ったより抜けたらしく若干貧血気味な気がします」
「うーん……では早めに移動して次の安全地帯で休憩取りましょう」
「はい。それにしても凄いですね魔法って。あの轟音。そしてあの威力。凄いですね」
三世は感心したようにそう田中に言葉をかけた。
初めて見た攻撃魔法ということもあり、本当に驚いていた。
「はい。威力だけは相当あるんですよ。だからこそ、今まであんなことなかったのですよね。当たった瞬間全ての生物が蒸発し跡形もなくなってました。ですので、相当硬かったようですねぇ。あの魔物」
田中はそう呟く。
「または魔法に耐性でもあった、とかかもな」
田所の発言になるほどと田中が呟き頷いた。
「まあとりあえず急いでこの場を……」
田中がそう言いながら後ろを見た瞬間、顔色が変化し見る見るうちに青くなっていく。
三世も急いで後ろを見る。
別に何かあったわけではなかった。
強いて言えば、さきほど倒した魔物の体から何か黒い粒のようなものが上にふわふわと浮いていっていた。
おそらく、その黒い靄のようなものが瘴気なのだろう。
「どうしました?」
三世が尋ねる。
「ハグレ魔物は瘴気の影響が極力減ってしまうので弱体化します。つまり、体が半瘴気である本来の魔物から変化し通常の肉体に変化します」
田中が続ける。
「つまりハグレ魔物を倒した場合は死体から瘴気が出るのはほんのわずかです」
「つまり?」
田所の質問に田中が歯を震わせながら呟く。
「あれはハグレではありません。通常の魔物です。つまり……近くに瘴気が沸いて――」
そんな田中の言葉をかき消すように、ばっさばっさと羽ばたくような音がこちらに近づいてくる。
一同が慌ててその方向を見ると、さきほどの魔物に似た魔物が二匹、飛行しながらこちらに近づいてきていた。
ギイッギイッと少し低い音を鳴らせる。
それはまるで、三世達をあざ笑っているようでさえあった。
さきほどの個体に羽が追加されている。
この時点で最悪なのに二匹いて、しかもさきほどと手が違う。
最初の爪のようなものとは異なり、この二匹は普通に手のような部位がある。
しかも、二匹とも小さな剣と盾を持っていた。
全身真っ黒な剣と盾。
黒一色のソレらはふわふわとした機動で降下しながら、こちら側を見下ろしている。
臨戦態勢は取れているものの、こちらのコンディションは最悪である。
田中は真っ青で怯えていた。
田所とルゥは極度の疲労だろう。額に汗をかき疲れと焦りが見える。
そして三世は、血液の不足の所為か体が重く感じていた。
しかし四人は目の前の『脅威』に立ち向かう為、一同構えを取った。
戦う。
それしか生き残る方法がないからだ。
お読み下さりありがとうございました。
キリ悪く終わってるので言うことがありません。