偽者に魂は宿るのか2
「いやぁ、本当に愛らしいですね」
三世の言葉に腰のまがったおばあちゃんが微笑み頷いた。
「そうじゃの。長生きはするもんじゃの。まあ私もう死んどるけどな」
そう春子という名の老婆はとても突っ込みにくい冗談を呟いた。
三世と春子が見ているのは元々が同じ存在だった二人の月華が手を繋いでくるくると回りながら踊っている姿だ。
絵描きに愛を捧げた本家の月華と、記憶を引き継ぎ月華を名乗っているシャルト。
二人は瞳以外が全く同じで、仲良く踊っている姿は双子そのものにしか見えない。
それを三世と春子はとても幸せそうな顔で眺めていた。
「あのさ。思わせぶりな事を言った上で縄で縛った挙句放置されている俺は流石に怒って良いよな?」
縄に縛られた泥堕はぷるぷると怒りに震えながら三世の方を睨みつけていた。
「少し待ちましょうよ。せっかく二人の黒猫が可愛らしく踊っているんですから。二、三分位待ちましょうよ」
その言葉に横の春子もうんうんと納得した様子で頷き、その二人の様子に泥堕はキレた。
「三十分くらいもう踊りっぱなしじゃねーか! もう五曲目か六曲目くらいだろがよ! どうしてそこで二、三分なんて言葉が出せるんだてめぇ!」
猛犬のような様子でぐるると吠える泥堕に春子は長い溜息を吐いた。
「はぁー。全く。最近の若いもんは我慢が利かんのぅ」
「ですね。そんなに急いでどこに行くって言葉もありますよ」
老婆の言葉に合わせる三世に泥堕は何ともやるせない気持ちとなった。
「お前、同い年で同位体じゃねーか……」
何を言っても無駄な事を理解し、泥堕は肩を落とし時間が過ぎるのを待った。
泥堕が黄泉の国の契約を手放した瞬間に異界に続く穴は消滅した。
その後に、現在神秘性の高い那綱神社を起点として黄泉とこの世の位相を遠ざけた。
早い話がこの世界に残った化け物の処理をしようとしていた。
といって、この世界に訪れ実体を持ってしまった以上すぐに消滅させるという事は不可能である。
死骸を含め大体三時間ほどで、全ての化け物を消す事が出来るだろう。
そんな後始末を粗方終えたシャルトは春子を抱きかかえ階段を降りて来た。
何故か入れ替わりに美弥子はスキップで階段を登っていった――。
そんなわけで黄泉の穴は塞がり、この世とあの世との距離は元に戻った。
元々春子や本当の月華、白夜はあの世との距離を縮めた泥堕の陰陽術を利用して召喚されていた。
それがなくなったという事は、三人はこの世界に長く滞在する事が出来ない。
白夜は何も言わず、三世の胸にとんと拳を当て、笑ったまま消えていった。
春子は月華が帰りたがるまでのほほんと待っており、その月華は、自分の片割れと戯れていた。
「私達の関係って何になるのかしら?」
元々の月華は月華を名乗っていたシャルトに尋ねた。
「そうですね。姉妹というのはどうでしょうか?」
シャルトの答えに月華は不満げな顔を見せた。
「何か違う気がするのよね。それに貴方他に姉妹がいるでしょ。アムル、ルゥ、シャルト、私四女って嫌よ?」
「そうですか。私はあなたが姉妹になるのは嬉しいのですが」
若干しょんぼりした様子で呟くシャルトに月華はおろおろとした。
両者の人生は似通っており、設定上だけならほぼ同一存在となっているのだろう。
しかし、二人は全然違う存在になった。
姉妹が増えても違和感を覚えないシャルトと違い、月華はそれを許容しない。
理由はとても単純で、自分は一人娘でいたいからだ。
つまるところ、単純にわがままで自由なだけである。
猫の獣人であるシャルトよりも、月華は猫又である為猫っぽい性質を強く宿していた。
だからこそ彼女達は別の存在であり、そして同一体であるにもかかわらず月華という魂が生まれた。
「んー。じゃあさ、友達って事でどうかな?」
月華の言葉にシャルトは考え込み、そして微笑んだ。
「良いですね。それはなんだか……とても素敵に感じます」
「だよね! ふふ」
二人は向き合い、微笑み合いながら見つめ合っていた。
「んでさ。いい加減俺がこうなっている理由とか説明してくれないかね? お前らの事は情報があってもさっぱり理解できんわ」
泥堕が疲れた表情でそう呟いた。
「あ、いたの?」
月華の冷たい口調に泥堕は肩を落とし落胆した。
階段に座りっている春子の膝に頭を乗せた月華が丸くなって甘えていた。
シャルトはその様子と三世を見比べ、三世の方を物欲しそうな顔で見つめた。
シャルトは月華という名前を置いたと同時に、自重と慎みいう文字も投げ捨てていた。
「シャルトステイ。真面目な話です」
シャルトはお口をチャックする動作をして、黙って三世の隣に待機した。
「さて、大変お待たせしました。この三人での話、共通点というのはわかりますね?」
三世の言葉に泥堕は頷いた。
「ああ。光。お前らの言うルゥだろ」
三世とシャルトは頷いた。
「そうですね。あなたの気持ちは良くわかりますしそれを否定しません。ですが、方法は間違えましたね」
三世の言葉に泥堕は自嘲した。
「だろうな。だけど、お前が俺でも同じ事をしただろう」
「――いいえ。それはありえません」
シャルトは泥堕の言葉を即座に否定した。
「どうしてだ?」
「簡単ですよ。最初から無駄だとわかっているからです。あなたの間違ったところは、最初から遠くを見すぎた事ですよ。ご主人様なら……すぐに気が付きましたよ」
そうシャルトは泥堕から視線を外し、憐れむように呟いた。
気づいてしまえば単純な話で、ヒントはそこらに転がっていた。
どうして魔王はシナリオを終了しなかったのか。
どうしてNPCに過ぎない泥堕がここまで世界を荒らせたのか。
どうして泥堕は知識を得ただけでルゥの戦い方をすることが出来たのか。
泥堕がその理由に気づいていないのは理由があった。
余りに愚かで、そして悲しいとしか言えないすれ違った理由。
単純に光の愛を信じきれなかったからだ。
自分は置いて逝かれ遠くに去ってしまった。
だから探しにいかないと。
そう考えてしまった。
「じゃあ……光は――」
その先を口に出来ない泥堕に三世とシャルトは目を向け続けた。
その視線の方向に答えがあると教えるように。
知識が宿っただけではない。
光自身が泥堕の中に宿っていた。
だからこそ、ルゥの格闘技術も知識でしかない陰陽術も泥堕はそのまま使う事が出来たのだ。
そして魂だが、一つの約束と一つの感情により、泥堕と供にあった。
『あなたの物になる』という約束と『離れたくない』という感情。
そんな光の心から離れていったのは他の誰でもない泥堕自身である。
己を堕ちた泥と呼び、恨みに任せて一族皆殺しにし、体を人でも妖でもないものに変質させ、帝都を葬った。
もしもそんな事をしてなければ、常に共にいるルゥと話す事が出来、そしてルゥを呼び寄せる事も出来たはずである。
「傍にいて、貰いものの力もあって、それでこの様か。……ああ。お前らがここにいるのはそういう事か」
泥堕は三世達の方をじっと見つめた。
今までの怒りや執念に取りつかれた顔ではなく、綺麗な瞳をしながら。
「一応もう一つ選択肢を用意していますよ。あなたが光さんと向き合うまで待つという――」
たぶんその選択でも攻略扱いになるだろう。
そのころには三世達はこの世界にいないだろうが、光は残っている。
この方法が、唯一この世界で光と泥堕が共に暮らせる可能性が残されていた。
だが、泥堕はそれを拒絶した。
「いや。そっちじゃなくて良い。というよりもな、もう……待てないんだ。自業自得だが、嫌な記憶と気持ちの悪い世界を見続けて、光の顔を忘れそうなんだよ……」
それは泥堕にとって最も恐ろしい事だった。
「わかりました。ですが良いのですか。正直に言えば、光さんとあなたが会える確率は――あなたがその間生きていられる可能性は一割もありません」
「最後の最後だ。無理をするさ」
三世は泥堕の言葉に頷き、シャルトに後始末を頼んだ。
「じゃあ月華。お願いします。引き抜いて下さい」
シャルトは頷き、泥堕の胸に手を当てた。
もう一つの方法。最初の計画。
それは光をルゥごと泥堕の体から引きはがすというものである。
流石はルゥを元にした光というべきだろうか、恐ろしいほどの愛情と執着心で泥堕にへばりついている為、それを月華の空間能力と神社の機能を利用し引きはがす。
最も犠牲が少なく、そして早く終わらせる事の出来る方法である。
泥堕の体の事を考えなければだが。
最初から虚弱で寿命を超え、その上で体は黄泉の場所に汚染された存在となった泥堕から光という存在を抜き取る。
それは確実な死が待っているという事だ。
どうあがいても死ぬ事は避けられない。
だが重要なのは死そのものではなく、何時死ぬかである。
三世は十中八九即死すると考えていた。
それでも、泥堕はその方法を選び、そして光をその目で見るまではどれだけ無茶を重ねても生きる覚悟をしていた。
泥堕は体から大切な何かが徐々に抜け落ちていくのを感じた。
シャルトの手が胸に触れ、自分の胸に穴が空きそこに手を突っ込まれてから体の様子がおかしい。
視界はぼやけ、呼吸が苦しく、体が震え急激な寒さを感じていた。
死が近づいているのではなく自分が死に近づいているだと理解できた。
本当なら死んでいたはずだった。
それを光から全てを――これだけの物を貰って生きておいて、その挙句は虐殺行為だ。
振り返って良い事など何もなかった。
やっぱり自分はダメだったんだ。
光がいないと、道すら間違える。
手の震えが急に消えた。
泥堕が自分の手を確認した。
手のあった位置には何もなく、黒い炭のような物が体からこぼれていく……。
それが己の体の成れの果てであるとすぐに理解できた。
徐々に体が崩れ落ちていく。
体がなくなるのが先か、意識が消えるのが先か。
どっちにしてももう長くない。
自分が神に祈る事は出来ない。そんな権利などあるわけがない。
だからこそ、自分の体に祈った。
最後に一目だけ……その姿を……。
パン!
乾いた音と同時に視界が急激に横方向に動いた。
既に痛みも感じない為何があったのかわからないまま茫然としていると、顔の両耳付近に温かい何かを感じる。
そしてそっと顔の位置を誰かに動かされると、目の前に懐かしい顔が映った。
初めてみる表情。
むっとしたその表情から、自分は叩かれのだと理解した。
「言いたい事はたくさんあるよ! 怒ってるんだから! でも、もう時間がないんだよね!」
懐かしい声。
ずっと聞いていたかった声。
ようやく、ようやく終われると理解した泥堕は目を閉じた。
何かを話そう。
お礼かお詫びか、何かを話したい。
しかし、口が動かない。
ついでに言えば、呼吸すらしていなかった。
体の限界などとうに超えていた。
だからこそ、今だけは世界に感謝した。
最後に彼女と合わせてくれたこの世界の事を、初めて好きになれそうだった。
「本当に怒ってるんだからね! だから前の話はなしにします。『私はあなたの物』ではありません!」
その言葉に泥堕は苦笑しようとした。
それくらいはかまわない。
むしろ自分など忘れて幸せになってほしかった。
「だからね。今度は『あなたが私の物』になるの。拒否は許さないから。一緒にいたいと思っていたのはあなただけではなかったんですよ」
そっと頭だけになった泥堕を抱きしめ、光は目を閉じた。
「ごめんなさい三世様。私はルゥちゃんと違ってわがままみたいです。あの人との記憶は全部持っていきます。というか今のルゥちゃんに恋愛の記憶残すとまずいと思うの」
光の考えを三世は理解できた。
ルゥはまだ幼い部分が多く残っている。
成長するのは良いが、ゆっくりで良い。無理に背伸びしなくて良いはずだ。
「わかりました。さようなら光さん。もう一人の私に、今度は素敵な名前を付けてあげてください」
三世の言葉に光は頷き、泥堕と共に光は消えていった。
そのまま光だった女性は地面に倒れ、すやすやと安らかな寝息を立て始めた。
「おかえり……ルゥ」
三世は寝ているルゥを抱きかかえた。
既に月華と春子の姿もそこにはない。
赤い世界が再度訪れる。
醜い赤いではなく、太陽が昇り白い雲が黄金色に輝く美しい朝焼けの世界。
抱きかかえた者の重みと、横からよりかかってくる感触により、全部終わったのだということを三世は理解した。
ありがとうございました。




