泡沫の夜、泡沫の情4
適度な休憩を挟み、残り二人の狂った剣鬼を探しつつ、一同は妖退治を続けた。
大きな狐、人面の鳥、巨大な芋虫。
不快かつ不気味な妖達を退治しながら調査を進め、そして全員時間に猶予がない事に気づかされる。
問題が起きているのは剣鬼である百夜でも、ただの人である三世でも命でもない。
猫又という妖である月華の体調に異変が起きていた。
最初に気づいたのは、化けることが出来ない事だった。
黄金の瞳に猫のような耳を生やしたままになり、元の人の姿に化けられない。
ただ、その程度ならどうでも良いと考え、月華はスルーしていた。
続いて月華に訪れたのは多幸感と高揚感だった。
こんな陰鬱な状況なのに、月夜は綺麗で、意味もなく楽しくなり――そして刃を振るいたくなる。
この段階で三世と命は気づいていたが、対処することが出来なかった。
最後に狂暴性が増し、頬を紅潮させ興奮状態になってから、月華はようやく己の異変に緊急性がある事を理解した。
そして最大の問題は、その原因が分からない事にあった。
「すいません。本当にマズい事になりそうなので出来るだけ急いで下さい」
はぁはぁと息を荒げ呟く月華に、真面目な顔で三世と百夜が頷いた。
「ええ。と言っても、闇雲に走り回るくらいしか手段がないですが……。何か方法があれば……」
三世が歯を食いしばり、苦しそうな月華を見て苦痛の表情を浮かべた。
命は冷静に、月華と三世の思い違いを考察していた。
三世は呼吸がつらく熱っぽい、病人のように苦しむ月華を純粋に案じている。
それも間違ってはいないのだが、核心からは遠く離れている。
月華が焦っているのは別の理由である。
月華の現状は興奮状態であり、それには殺意や暴力も含まれる。
だが、一番強い感情は三大欲求の……あえて言葉にしないでおこう。
遠まわしな表現にすれば、独占欲であり、もう少し詳しく言うならば、ここが外であることと命と百夜の存在が傍にいる事を忘れてしまいそうになる。
つまり、あんまり時間をかけると別の意味で獣になってしまいそうな自分を抑えるのに、月華は必死だった。
――最悪の場合は、百夜さんと護衛に回りつつ、見学しよう。
そんな頭の悪い事を命は考えていた。
そしてとうとう、月華は一人で歩くのがつらくなり命に肩を借りた。
「私が肩を貸すか、背負いましょうか?」
三世の言葉に、命と月華は二人そろって首を振った。
「結構です」
声を揃えての発言に、三世はちょっとしょんぼりしつつ、探索に戻った。
何故かはわからないが、百夜と三世は緊張感がなくなりつつあることに気づいた。
「誰でも良いから、何か情報はないか。今までで気づいた事。何でも良いんだ」
手詰まりの為、少々苛立った様子で百夜が尋ねるが、三世も命も何も答えない。
情報が不足しすぎているのだ。
そんな中で、月華は何か思い当たったらしく虚空に指を向けた。
「……あっちの方から、妖力の流れを感じる」
月華の感じる妖力の流れこそが、月華が体調不良に陥っている原因だった。
本来なら妖力の流れを感知することは出来ない。
だが、今は月華の全身には自分の物ではない妖力が溜まっており、その流れを確かに感じ取れていた。
「よし! 行ってみるぞ!」
百夜は急ぎ足でその方角に先導し、後から三世、そして色々な意味でつらそうな月華と別の理由で心配している命が続いた。
「……限界が来たら教えて下さい。百夜さんの目が向かないようにしますから」
「……命は?」
月華の質問に、命はそっと顔をそらした。
つらそうな月華に合わせて小走りで移動し、目的の場所付近に着いた四人が見たのは空間に開いた穴とそれを守っているであろう人型の化け物、それと大量の妖だった。
家の塀と塀の間にある、子供すら通れ無さそうな細い隙間。
そこの隙間の空間に穴が開いている。
その奥は真っ赤で不気味な世界と繋がっているように見えた。
怨嗟と悲鳴轟く煉獄の世界、一目で、それが『あの世』であると理解することが出来た。
そこから、奇妙かつ不気味な妖達がこちら側に侵入してきていたのだ。
「……アレが異常の原因だな。一つだけ進展した。ただ、状況はあまり良くないな」
そう言いながら百夜はその穴の番をしているらしき、一人の男を見た。
「あいつの名前は神路。剣鬼の一人で悪鬼魔道に身を落とし、妖の力を体に取り入れ人ならざる存在に至る事が目的の男だ。剣鬼という儀式が始まるまで何もできない身だから事件の黒幕である可能性はない。が、親和性が高かったんだろうなぁ。妖と完全にお友達になってやがる」
「……あの見た目で人と認めて良いのですか? あ、今回でああなったとか……」
三世の質問に百夜は首を振った。
「いや、元からあんな感じだったぞ」
その言葉に三世はうんざりとした表情を浮かべた。
神路という名の腕を四本持つ化け物を見ながら――。
その外見は不気味かつ奇妙としか言いようがない。
両側に腕が左右ずつ揃っているのだ。
右腕の付け根から左腕を生やし、左腕の付け根から右腕を生やして左右で大きな野太刀を握っている。
首回りに大きな数珠をぶら下げ修験者のような衣装を身にまとっており、顔を含め肌は赤鬼のように真っ赤となっていた。
「さて、どうしましょうか。意見をお願いします」
三世の質問に、百夜が答える。
「俺が一対一で神路を叩きのめすからその間に妖の足止めを頼む」
三世は百夜の意見を聞き、次に命と月華の方を見た。
「……特に意見は、さきほどの剣鬼ほどでないなら、多少は役に立てると思います」
命の意見を聞き、最後に月華を見つめた。
「……今見つめられたら色々とマズイです。ついでに言えば脳がゆだってまともな答えが出せません。何かあれば適当に妖相手に暴れまわりますのでそんな熱い瞳で私を見ないでくださいまし……」
原因のすぐ傍についた月華は、現在興奮が最高潮に達していた。
意外と自制が効くため抑え込めているが、気を抜くとすぐに許させざる行動に出そうになり、月華は必死に己の中に潜む獣を抑え込む。
「……あ。――いえ、わかりました、あんまりきつい場合は一人で休んでください。こちらで何とかしますから」
そう言いながら、三世は目を逸らし、そそくさと月華から距離を取った。
三世は月華の様子を深く考え、そして以前の仕事で同じような症状に思い当たった。
猫がまたたびの過剰摂取で性的興奮に陥った事だ。
その事から鑑み、三世は月華の変化の正体にようやく気が付いた。
原因はわからないが、今つらいのはそういう事なのだろう。
「さて! 戦力としては乏しいですが、一応私も妖退治の援護をします。はい、命、頼みますね」
「は、はい! 百夜さんも頑張ってください」
「お、おう……行こうか」
百夜も察したのか、何となく気まずい空気のまま三人は神路と妖に戦いを挑んだ。
正直戦いの内容よりも、色々な意味で月華の事が気がかりだった。
気まずい空気の生みの親である月華は、完全にフリーな状態となっていた。
余裕があるなら手を出しても良いし、無理ならその場にいても良いし何をしても良い。
ただ、危険があった場合は声を出してもらうように頼んだ。
だから、声を出したら全員がその方向に向かう為、そこだけ気をつけるように、三世は言い含んだ。
――なんと恐ろしい攻撃だろうか……。
三世はこの泡沫の町で最もつらい状況を強いられていた。
百夜と神路が戦いを始めたタイミングに合わせ、命と三世は飛び出し周囲の魑魅魍魎に戦いを挑んだ。
命は念のため、直接手に振れないよう包帯を巻いた拳で、三世はそのあたりから適当に取ってきた丈夫そうな物干し竿で戦った。
命は、人型の蝙蝠の羽をへし折り、巨大な芋虫を投げ飛ばして潰し、奇声を発し謎の言葉をしゃべる鳥に小石をぶつけて地面に落とす。
時間に猶予がないことを理解している命は、即座に攻撃を繰り出し、周囲の妖を殺していく。
急ぎ全力を出す理由が七割方、もしもを見逃さない為である辺り、命も頭がおかしな方向に茹っていた。
八面六臂の活躍を見せる命に妖達は危機を感じ、ほぼ全員が命に同時に襲い掛かる。
その頃三世は物干しざおでチクチクと嫌がらせをしていた。
役に立っていないかと言うとそういうわけでもない。
何故か三世が物干し竿で突く度に、妖は驚き大きく後退し苦しみ動きを止める。
理由はわからないが、便利だからとりあえず適当につきまくって妖の動きを止め続ける三世。
色々な状況が重なった為、三世も冷静な判断力が失われていた。
百夜は数合の打ち合いの後に神路の刀二振りを一撃で叩き斬り、そのまま返し刀で神路を真横に一刀両断した。
そのまま妖退治に手を貸そうと周囲を見ると、命と三世の二人で粗方の妖を倒し終わっており、周囲に化け物の死体がオブジェの様に積み重なっていた。
妖は残り五体程度となっており、これなら協力しなくても大丈夫だな。
そう百夜が考えた瞬間――空から何かが降ってきた。
飛来するように飛び込み轟音を鳴らしながら妖を踏みつけて着地し、それと同時に爪で妖を引き裂いていく。
僅か一瞬で残った五匹の妖を屠殺し、四足で動く獣のような低い姿勢を取ったまま、ソレは三世の方を睨みつけていた。
本来なら見えないはずの三世にすら見えるほどの全身からあふれる妖力。
鋭い爪に尖った牙を見せつける獣。
それはまるで脅迫しているようでもあった。
予想外の登場、だが、登場の理由は予想が付く――付いてしまうのだ。
「ふぅぅぅぅ。うぅぅ」
もはや言葉すらマトモに話せないほど、限界を通り越して我慢が切れた様子だと誰もが理解出来た。
そう、そこにいるのは月華その人だった。
「ちょ、ちょっと落ち着きましょう。ほら、全員倒したし一旦ここから離れたら落ち着くことが出来ますから……ね?」
聞いているのか聞いていないのかわからない月華の様子に、三世がジリジリと後退するの。
それに合わせ、月華は三世の方にゆっくり歩み寄る。
――あ、これ聞こえてませんね。はは。
三世は今が最大の危機であると気が付いた。
ただし、その危機は命ではなく尊厳だが。
「命、あの……助けて……」
三世が命の方を見ると、命はキャーと小さく声を発し恥ずかしがりながら両手で顔を塞いでいた。
しかし、指と指の間から瞳が見えるあたり、本気で隠すつもりがないと見える。
「百夜さん。今緊急事態で――」
今度は百夜の方を見るが、百夜はこちらに背中を向け、全力で耳を塞いでいた。
「あーあーあー。何も聞こえませんー。意識だけは集中して周囲に向けているからご自由にーあーあーあー」
――へるぷみー……。
三世は心の底からそう願うが、その声は誰にも届かない。
ジリジリと詰め寄る月華とキャーキャー言いながらもじっとこっちを見ている命。
そして遂に、月華は三世に飛びつき掴みかかった。
冷静な月華であるなら、動きが予想出来、三世ならある程度は対処が可能である。
だが、逆に今の月華に対し三世はどうすることも出来なかった。
触れ合うかというほどの距離で見つめ合う三世と月華。
いつもより野生的で目がギラギラとしているが、それでも綺麗な顔立ちなのがすぐにわかる。
食べ物ではないかすかに香る甘い芳香、ピンと尖って嬉しそうな耳、威嚇しているような縦に割れた瞳。
三世は身を任せるべきかと考えた。
そしてすぐに首を振り、後ろに逃げようとする。
しかし、向上した身体能力と、無心に近い獣の動作により、三世は掴まれ、成す術なく月華に押し倒された。
「わーわー! ちょ、月華。ステイ! ステイィ!」
しかしそんな事月華は聞くわけがない。
ついでとばかりに、命はこちらに一歩より、指と指の間からこちらの様子をまじまじと観察していた。
押し倒されながらも何とか抵抗する三世に、月華は次の行動に移った。
三世の服に手をかけ始めたのだ。
身をよじり、何とか逃げようとする三世だが目の前にいるのは獣そのもの。
抵抗はほとんど意味を為していなかった。
そして月華が次の段階に進もうとした瞬間――月華は動きを止めた。
「……あれ? 私何をしていたっけ?」
急に自我を取り戻し、冷静に周囲を観察し、押し倒れている三世と目が合った瞬間、月華は何があったのか理解した。
「あらあら……。すいませんご主人様、お世話をおかけしました」
そう言って慌てながら月華は三世から離れた。
命は少しだけつまらなそうな表情を浮かべた。
「……あと少しだったのにオシイコトヲシタ」
三世は月華の呟きが耳に入ったが、聞こえなかった事にした。
ありがとうございました。




