向き合う過去1
想像の域を出ないが、次に行くべき場所は三世の生まれ育った実家だと三人は推測した。
だが、正直に言えば三世は実家に向かいたくなかった。
実の父に追放され、それを庇おうともしない母親。
そんな場所に自分から行きたいと思う人はいないだろう。
別に両親に恨みはなかった。
そのような家訓の家で、弱い身で生まれた己が悪いのだから。
ただ、家族に捨てられたという情けない事実と、あの場所で育った割に、異常なほど少ない思い出の事を考えると、帰る気にはとてもなれない。
あの場所に三世が感じることは虚無感である。
唯一素晴らしかった思い出は命が介護してくれた事くらいで、その命は今も傍にいる。
であるならば、あの家に行く理由など何一つなかった。
そんなわけで駄々を捏ねる子供の如く、三世は実家を後回しにし港町である立水町に向かった。
目的は蒸気機関車であり、目的地は当然帝都だ。
最も発展した地区であり、日本の中心。
例え帝都で何も事件が起きず、行く意味がなかったとしても、きっと命と月華の二人と一緒なら楽しい思い出が作れるだろうと考えたからだ。
しかし、そんな甘い考えは許されなかった。
帝都側の駅に何らかの不備があったらしく鉄道は封鎖されていた。
順当に考えたら帝都に行けるのはもう少し後ということだろう。
つまり、近い場所から処理をしていけということだ。
三世は観念し、命と月華を連れて嫌々ながら実家に足を向かわせた。
「……城?」
ソレを見た月華は小さくそう呟き、三世と命は微笑んだ。
三世の実家は非常に大きい。
それは土地という意味だけでなく、権力という意味でもだ。
警察は違法でも何でも黙り込み、弁護士は皆頭を下げる。
公的には権力など持っていないただの金持ちなのだが、この地方では権力が高く誰も逆らえない。
一つだけ良いのは、彼ら三世家は己の鍛錬に勤しみ、護国奉仕の心で生きている為悪人ではないということだ。
もし三世家ほどの権力を邪な考えを持つ者が利用した場合、この町は一気に地獄へと落ちるだろう。
確かに、三世家全員は悪人ではない。
ただし、善行を他人に押し付け、護国という当然の善行を行えない三世を平然と追い出した。
実の父親が息子をだ。
その行為に良心の呵責も罪の意識も一切なく、家族の情も全く感じられないあたり、真っ当な善人と呼ぶことは出来ない。
そんな実家は武家屋敷を原形にした巨大な屋敷であり、膨大な面積に大きな塀、敷地をぐるっと囲って水が流れている堀を見ると、確かに城に見えなくもない。
月華が楽しそうに屋敷の方を見学しつつ、正門を目指して三人は歩を進める。
そして正門の前にいる男性の老人と従者らしき男性が歩いているのを見た瞬間――三世と命はくるっと振り向き長屋の方に足を運んだ。
「あれ?実家には行かないのですか?」
月華の声に、三世と命は同時に手を横に振った。
「無理です。いえ。今行っても無駄というのが正解でしょうか。すべきこともわかりましたしとりあえず帰りましょう」
そう言い切る三世に月華は首を傾げ、そのまま長屋に帰る二人の後を追った。
三世は長屋に帰るや否や木刀を持ち素振りを始めた。
その傍では命は準備運動をしていた。
「あの、事情を説明していただけませんか?」
月華の質問に、三世は木刀の素振りの手を止めずに答える。
「正門前に御歳を召された男性がいらっしゃったじゃないですか? あのお方に挑むんです」
それだけ言うと三世は黙り込み、真剣な様子で素振りを続けた。
「主様の準備が終わるまでまだ時間かかりそうなので私が説明致します。あのお方は三世弥五郎様。主様の祖父に当たるお方です」
命が真剣な様子で、そして若干の怯えを見せながら言葉を続けた。
三世家現当主の三世弥五郎。
七十を超える齢にして未だ当主を務めるのには理由があった。
三世家は大きな権力を持ち、この町の中では、殺人ですらもみ消すことが可能である。
それを利用し、弥五郎は一つの家訓を用意した。
『三世家に在する者の中で、我を倒した者を次の当主とする。当然、我の生死は問わず時期、時間も問わない』
弥五郎の考え方は非常にシンプルだ
我らは護国の礎となる。
その為、弥五郎は武力を鍛え続け、常在戦場の覚悟を持ち、挑戦者を待っていた。
当主に相応しい武と心を持った男を。
三世は弥五郎の事が嫌いではなかった。両親と比べたらまだ好意が持てる。
幾つか理由はあるが、やはり一番の理由は三世を追い出そうとする両親に弥五郎は協力していないからだ。
ただし、弥五郎から受けた訓練は強烈で、幼い頃三世が死にかけたのは主に弥五郎が原因の為、嫌いではないが苦手な相手なのは確かだった。
弥五郎があの場所にいた理由はわからないが。
だが、三世にとって都合が良い状況ではあった。
弥五郎は門をくぐる事が許されない今の三世に、唯一正門を通る許可を出すことが出来るからだ。
そう考えると、三世の次にすべきことは簡単である。
『弥五郎に三世八久という人物を認めさせる』
勝つのはどうあがいても不可能だが、ある程度以上の武を見せ存在を認めさせれば門をくぐることが可能となる。
三世家は武ある者を認める。場合によっては養子にすらしているからだ。
それになにより、当主に認められたならば、役立たずとして捨てられた過去を乗り越えたと自分で思うことが出来る。
こちらの世界に住む三世にとって、その事実はとても大きかった。
今から付け焼刃を付けた程度では何の意味もないだろうが、せめて錆くらいは落としておきたい。
確かに体は弱かったが、武という意味では屋敷にいた時の方が間違いなく三世は強かった。
そう考え、三世は木刀を振り続けた。
「それで、その人はどのくらい強いんですか?」
月華の質問に命が答えた。
「今の私の技量ですと、触れる事すら叶わず、一切体に触れられずに気絶させられますね」
「……意味がわかりません」
「十人の実力ある暗殺者に寝床を襲われた時は、皆殺しにした挙句無傷で出てきました」
「……よくわかりません」
「あとは……ああ、一刀一振りで五人くらい纏めて上半身と下半身を別れさせたって話がありますね」
「……人間ですか?」
「私も主様も、あのお方を人と思って見た事は一度もございません」
命の呟きに、三世はこくんとこっそり頷いた。
三世は木刀で正眼の構えを取り、命の方を凝視した。
こちらの世界でも元の世界でも三世は戦いの才能に苦しめられた。
体が弱くても剣の才があればまだマシだっただろう。
だが、三世にはそれすらなかった。
故に、三世は基本だけを忠実に頭に叩き込んだ。
人よりも出来ないのだから、人の出来ることの一部だけでも、基本だけでも徹底的に身に着けようとしたのだ。
そうして学んだ中、三世が一番多く使ってるのが正眼の構え、つまり中段の構えである。
三世は戦いの才能の他にもう一つ、己の欠点に気が付いていた。
それは日本人特有の精神性と言っても良いかもしれない。
自分から仕掛けることが出来ず、相手が動かないと動けないのだ。
その精神性の為、自分から攻撃することが三世は非常に苦手だった。
だからこそ、待ちを主体とし要所要所で相手の動作に合わせられる正眼の構えを三世は多く用いた。
ついでに言えば、少ない筋力と体力でもそれなりに構えられるのも大きな理由の一つだった。
じりじりと摺り足でお互いが隙を狙いあう。
相手は武器を持たず、素手である上に女性である。だが、三世は油断はしない。相手は命なのだから。
相手の方がはるかに強いのを良く理解している。だからこそ、油断出来るわけがなかった。
三世は隙を伺う為慎重に足を運ぶ。
格上相手に油断したら、全て一瞬で終わるのを知っているからだ。
油断していないのは命も同じだった。
相手は木刀とは言え武器持ちで、そして三世家の教えを知っている者だ。
特に三世の足さばきは素晴らしく、移動の瞬間が見えないほどの異様な早さで、油断するとあっという間に側面を取られる。
ほとんど上体を動かさない両者の摺り足による移動が繰り返され、そして――三世は僅かな攻撃の隙間を見つけた。
――取った!
三世は木刀を振り上げ、次の瞬間には三世の腹部に寸止めされた命の拳が当たっていた。
「……参りました」
三世は剣を腰に携え、命と向き合いお互いに一礼をした。
「主様見事です。確かにあの瞬間、私は大きな隙が生まれていました」
命の言葉に三世は頷く。
慰めでも何でもなく、牽制による場の取り合いは三世の方が有利だった。
ただ、技量が違いすぎて意味がなかっただけである。
三世が剣を振り上げ、振り下ろすよりも、命が油断に気づき、拳を構え直し、直線に飛び出して三世の腹に拳を叩き込む方が早かったのだ。
「もう一回、お願いします」
三世の言葉に命は頷き、両者向かい合い構えを取った。
最終的に五回の模擬戦を行い三世は全敗した。
それでも戦う時間は伸びてゆき、命に苦戦を強いることが出来るようになってきた。
大分錆は落ち、三世は神経が研ぎ澄まされていくような感覚を味わった。
錆を落としきったとしてもまだ命に勝てる気はしないが、それは訓練をこなした量が違うから仕方がない。
「私だけでは訓練として不足でしょうし、次は月華と訓練するのはどうでしょうか?」
命の提案に三世と月華は頷いた。
月華は以前の楽しかった時の事を思い出した。
本気で殺すつもりで全てをぶつけたのに、三世はその全てを軽々と避けた。
自分の事を心から理解してもらえたようなあの瞬間は、戦いというよりは踊りに近いだろう。
だからこそ、あの時は死ぬほど楽しかったと月華は感じていた。
今度も楽しいかもしれないと月華は考えるが、それは大きな間違いだった。
あの時の三世とは肉体も心構えも違っていた。
月華は猫又である本性を出し、己の愛刀である太刀を両手で縦に振る。
その力任せの一閃を、三世は木刀で軽く受け流した。
月華は三世のカウンターを恐れ後ろに引くが、三世はそれを読んでおり月華に鋭い突きを叩きこんだ。
体を無理やり捻り、月華は突きを避けるが、無理な姿勢での回避だった為攻撃に移れず、振り出しとなり両者がまた向き合い構えた。
楽しいは楽しいのだが、実戦特有の息苦しさを月華は感じていた。
それは冒険者をしていた頃の三世よりもはるかに強く、目の前にいる男は確かに強者だった。
三世の正眼の構えと違い、月華の構えは完全自己流である。
左手で剣を携えているだけで構えになっていない構え。
剣先は外側を向き、下に垂れ下がっている。
隙だらけに見える構えで、実際に隙だらけだが、不意を突くことは出来ない。
そもそも身体能力の違いが大きい上に、月華の目は人と違うのだ。。隙があろうとなかろうと大差ない。
三世からの攻撃は全て見てから対処することが月華には可能だった。
その為、三世は一閃後のカウンターを狙っていた。
月華もそれをわかっているが、それでもこちらから仕掛けるしか道はなかった。
足さばきが違いすぎて、三世に時間を与えると立ち合いで有利な状況を作られてしまう為、月華は積極的に攻撃せざるを得ない。
月華の斜めの切り上げを三世は屈んで避け、それを見た月華は三世に上から剣を振り下ろした。
それを見た三世は後方に跳びながら、小さく剣を動かした。
ぺしっ。
何かが叩かれた音と同時に、月華が剣を落とす。
「……参りました。って言うんでしたっけ?」
月華が悔しそうにそう呟いた。
それを三世が微笑み、お互いが剣を腰に携え一礼をした。
三世が最後に放った剣は剣道で言えばただの弱い籠手である。
バックステップをして後ろに跳び、浮いている最中に籠手を放ったのだ。
性格上攻めることが苦手な三世は、こういった回避を絡めた小技の方が得意だった。
「おかげ様で多少は錆も落ちましたし……明日にでも挑戦してみましょうか」
そう呟く三世の手は小さく震えていた。
ありがとうございました。




