妖騒動2-前編-名前を忘れた幽霊
墓石の前で二十代前半の女性が座り込んで手を合わせていた。
何かに祈りを捧げるように長い時間動かず手を合わせ続け、それが終わると悲しい顔で墓石に向かって微笑んだ。
「お母さん。私、愛する人が出来ました。そして子供も生まれました。母のように立派になれるか自信はないですが、娘として、恥ずかしくないように生きてゆきます……」
そう囁く女性に、後ろから一人の青年が声をかけた。
「姉さん。そろそろ時間だよ」
「はーい。すぐに行くから待ってて!」
女性は青年にそう言葉を返し、再度墓石に手を合わせる。
「お母さん。私の所為だってわかってるけど……わがままを言えば、もう少し――せめて私の子供を見るくらいは、長生きしてほしかったな」
そう呟く女性の声に――応える者は誰もいなかった。
コダマネズミの祠を建てた後、三世は神様探しの為に怪事件を追い進め、その過程で事件や騒動を解決していった。
大体が話し合いで何とかなり、それが無理な場合は妥協案を探った。
人と妖が共に生きるのは難しいが、それでも話し合えば何とかなってきた。
しかし、そんな話し合いが出来る相手だけというわけにはいかなかった。
例えば、ただ人を怯えされて楽しむだけの怨霊や、人を憎んでいたり見下している妖怪など。
それらの場合は、話し合いよりももっとシンプルな手段で解決に当たる他なかった。
そう、命と月華による肉体言語である。
魔法のランプは姿の見えない相手を映すだけでなく、触れることも可能にした。
つまり――殴って解決できるということだ。
性質の悪い悪霊だったとしても、純粋な人の技と猫又のごり押しに成す術はなかった。
五日ほどかけて十六件の事件に当たり、そのうち十三件の事件を解決させた。
残り三件は妖や幽霊の怪現象ではなくただの錯覚や偶然だった為捜査を中断した。
そして残念ながら、十三件の騒動で出会った妖、幽霊全員が、神社の神様になれそうになかった。
理由は様々である。
閉じこもるのは嫌。神様扱いは嫌。そんな不快感を示すもの。
ここから移動できない。猫が苦手。そんな物理的に不可能なもの。
そして最後に、猫を食べようとする肉食の妖怪達。
数をこなした割に成果は芳しくなく、三世は未だみゃーとの約束を果たせずにいた。
それでもあきらめるわけにはいかない。
約束の為に、事件を解決させ続けていたある時、ビリーが追加の資料を持って三世の長屋に訪れた。
「ゴーストバス――いえ、悪霊や妖魔調伏の為に情報を仕入れていたのですか。さすが社長。我々の想像をはるか上を行くお方……」
そうビリーが資料を渡しながら呟いた。
どうやら商会内で三世は悪霊退治の専門家だという噂が流れているらしい。
「違います。これは偶然です」
凄く苦しい言い訳をする三世に、ビリーがニヒルな笑みを浮かべた。
「なるほど。わかりました――そう言うことにしておきましょう」
わかってるようでわかっていないビリー。
しかし、魔法のランプのおかげとは言え、状況証拠の山がある為否定し辛く、三世は何も言えなかった。
「ちなみに社長。社内だけでなくこの町でも社長が悪霊退治を行っているということは噂になっておりますよ?」
そんなビリーの一言に、三世は小さく溜息を吐いた。
――早く神様の代理を探さないと。自分の為にも。
三世はそう決意を新たにした。
ビリーに貰った新しい資料を見ながら、三世達は馬車に乗り町はずれの寂れた住宅地に向かった。
三世達の住んでいる長屋付近も田舎よりではあるが、これから行く場所よりはマシである。
そこは文明開化の影響がほとんどなく、家屋は全て古臭い木造建築のみ。
そんな一世代古いこの住宅地区に、最近妙な噂が流れ始めた。
家に囲まれたとある十字路の、陰にある木製の電信柱付近で女性がすすり泣く声が聞こえるというものだ。
噂と呼んでいるが、実際に聞いたという声は少なくない。
声に怯えてたのか、それとも悪いものでも出ていたのか、その声を聴いて体調を崩した人もいるくらいだ。
この事実を知っている住宅地に住む人は、怯えてこの十字路に一切近寄らなくなった。
三世は悪霊の可能性が高いと考え、十字路に緊張した様子のまま向かった。
しくしく……。
十字路に着いた瞬間、女性のすすり泣く声が聞こえた。
それと同時に、三世は手に持っていたランプを点け、命は三世を庇うように立ち、月華は猫の耳と黄金の瞳という本性を露わにして太刀を手に握った。
そして臨戦態勢のまま、三世達は曲がり角を曲がり、目的の場所を確認する――。
そこには、座り込んでのの字を書く若い女性の幽霊がいた。
「ああ。寂しいなあ。退屈だなあ」
そう呟きながら、こちらに気づかずしゃがみこんで泣く女性の姿を見ると、三世は居た堪れなくなると同時に幽霊に危険がないことを悟った。
どう見てもこちらに襲い掛かる悪霊や怨霊の類ではない。
むしろ、可及的速やかに成仏させてあげなければ。そういう気持ちでいっぱいになった。
「すいません……」
何か尋ねようか、何か言おうか考えたが、掛ける言葉が見つからず三世は短い言葉で女性に尋ねた。
女性ははっと我に返り、三世と視線を合わせた後きょろきょろと周囲を見回し、他に人がいないことを確認してから自分を指差した。
三世はそれに頷くと、女性は滝のような涙を流し始めた。
「ああ。やっとお話出来る人がきてくれた……」
顔も伏せずに女性は大泣きし始め、落ち着くまでに十分以上の時間がかかった。
「それで、あなたはどうしてここに?」
三世の質問に、女性は笑顔で首を横に振った。
「憶えてなーい。というか自分の名前すら憶えてなーい」
能天気な言葉と態度ではあるが、それが嘘には聞こえなかった。
「あら。では何か覚えていることはございますか? 自分の未練とか。自分が何をしていたとか」
命の言葉に、女性は腕を組んで首を傾げる。
「うーむむむ。何となくて良い?」
その言葉に命は頷いた。
「はい。何となくでも、憶えているということはきっと大切なことですので」
「んじゃ、自分がもう少し歳取っていたような気がする。こんなに若くなかったかな」
女性はそう言った。
今の女性の姿は十代後半に見える。
短い黒髪に愛嬌ある笑顔、活発で明るい印象の女性。
可愛らしく、若干天然の入ってそうな雰囲気がありつつも、どこか年上の寛容さも感じられた。
「つまり、ご結婚なされていたということですか」
三世の質問に、女性はしょんぼりとした。
「……出来ませんでした。記憶はあやふやだけどこれは間違いない。凄く結婚したくて頑張ったけどダメだったんだよ……」
「……なんというか、すいません」
三世がまじめに謝罪すると、女性は微笑えみだした。
「というわけで、私の未練はきっと恋っぽいことをしたことがないことだから、私と恋っぽいことしませんか?」
そう言いながら誘ってくる女性に、三世は頬を引きつらせつつ後ろに引いた。
そんな女性の前に月華が立ち塞がる。
「間に合ってます」
「しゅーん」
口調は軽いが、女性は本気で落ち込んでいるようだった。
「他に何か覚えていることはございませんか?」
命の言葉に、女性は指を一つ立てた。
「一つだけ。私は何か凄く強い未練がある。間違いなく私にとって大切なことだったわ。だけど、それが何だったのか思い出せないわ」
真剣な様子の女性に三世は頷いた。
「わかりました。情報は少ないですが、とりあえず調べてみますね」
「ありがとう! 見つかったら私のこと好きにして――」
「間に合ってます」
再度月華が間に入り、女性はしょんぼりとした顔を浮かべた。
「では、今日のところは失礼しますね」
「ま、待って!」
三世が立ち去ろうとした瞬間、女性は三世を引き留めた。
「はい。どうかしましたか?」
「えっとね。ここにいると本当に寂しいの。だから、また来てくれる?」
女性の言葉に三世と命、月華は同時に頷いた。
「良いですよ。ちょくちょく寄らせていただきます。なので出来たら泣かないでくださいね? 皆すごく怯えていたので」
「はっ! だから最近この辺り人通り少なかったのか。悪いことしたな……。わかった。泣かないようにするからまた来てね?」
微笑みながらの三世に、バツの悪そうに笑いながら女性は尋ねた。
そして三世が頷くのを確認した後、女性は大きく手を振って三人を見送った。
「さて――がんばって探しましょうか」
まずは女性の身元を調べないといけない。
名前と死因。これだけでもわかれば、未練のことがわかるだろう。
ありがとうございました。