ぶらり三人町歩き
「私の歓迎会ということでしたら、希望を言っても良いでしょうか?」
月華の言葉に三世と命が頷いた。
「では、町の散策をしませんか? 美味しい物を食べて、町の様子を見て、ついでに町の情報を集めましょう」
歓迎会ではなく、一緒に出歩いて親睦を深めようと提案する月華。
ぶっちゃけて言えば、ただの逢瀬のお誘いである。
三世はデートの誘いとわからずに微笑みながら了承した。
命はお誘いの意味を理解し、留守番を申し出た。だが月華はそれを拒否した。
「安心してください。こういう場の時は女性複数なのは何時ものことですので」
冗談めいたその言葉に三世は首を傾げ、命は口をとがらせる。
「あらあら。主様は随分おモテになるのですね」
棘のある命の言葉に、理解出来ないながら責められていると感じ三世は後頭部を掻き困惑する。
何を言っているのかわからないが、少々居心地が悪い気がする。
そんな小さくなる三世の様子を見て、命と月華は軽く微笑んだ。
「ふふ。冗談ですよ。主様の魅力がわかる人が沢山いて、私は嬉しいです」
二人だけでわかり合っているその様子に、三世はわずかながらの寂しさを感じた。
――何も考えずに、ただ楽しく町を歩くなんてこの世界では初めてですね。
三世は感慨深くそう思った。
今までの歩くだけで体に不調が出るこの体では、何も考えずに歩くという事は出来なかった。
歩く時はこまめに休める場所を探し、ゆっくり休む為に一度出かけたら二回は最低どこかの店に立ち寄る。
こまめな休憩の所為で時間がかかり遠くに行くことも出来ず、町の中での三世の行動範囲はかなり狭い。
ずっと住んでいるこの町の事を、三世はあまり知らなかった。
「それじゃあ、最初はあの場所に行きましょうか」
「はい!」
三世の提案に命が嬉しそうに反応し、足を早める。
その様子に三世は微笑み、月華は無言で楽しそうについて歩いた。
向かった場所は元々の歓迎会の予定の場所であった甘味処『神宮寺』である。
三世の住む場所から近く、そしてあちらの世界と三世の元の世界全てを含め、最も美味しい白玉を出す店である。
寄らない理由がなかった。
ただ単純に月華や命を喜ばせたいという理由だけでなく、三世もここに来る大きな理由があった。
色々なメニューがあるにもかかわらず、今まで三世は白玉団子くらいしか食べられていない。
体調の問題で刺激の大きな物は食べられなかったからだ。
極度に甘い物や辛い物は当然、冷たい物や油物も受け入れられず、また量も少量でないとならない。
そんな制限は今――解禁されている。
胃腸は普通の人と同等にまで回復し、今の三世には食事制限はない。
――きっと今日くらいは多少の暴飲暴食も命は見逃してくれるだろう。
そんな甘い考えを持ちながら三世は今まで食べていない物を中心に、メニューで気になった物をかたっぱしから注文していった。
命は三世の暴飲暴食を止めようとしない。
というよりも――今日だけは自分も沢山食べようと決めていた。
――歓迎会という名目なら、多少食べても主様も何も言わないでいてくれだろう。
そんな甘い考えを持っていたからだ。
食べる前から甘いことを考える二人はある意味お似合いな存在だった。
何の脈絡もなく、月華が無言で泣きだした。
きなこを薄くまぶしただけの、何も変わったことをしていないシンプルな白玉団子を黒文字を使って口に運び、何も言わずに突然泣き出したのだ。
絵描きに会うまでは生肉を食べていて、絵描きに出会ってからも基本粗食で、しかも彼は貧乏だった為甘味を食べるという習慣はなかった。
誰かとゆっくり食事をするという機会すらなかった月華の前に出てきたのは、以前の頃でも味わった事のない至高の一品。
月華はその美味さから、ただ泣くことしか出来なかった。
「ご主人様。コレの作り方覚えてください」
泣き止み、お代わりの皿を重ねながらキリっとした表情で月華は言い放った。
それを三世は寂しそうな顔で首を横に振り、月華の表情は絶望へと変貌した。
「すいません。出来なかったんですよ……」
元の世界でもコレが食べたいと、当然三世も同じことを考えていた。
ここの店主は三世と交流があり、またレシピもこまめに取り、しかもそのレシピは秘匿しない人である。
頼んでみたら二つ返事でレシピを渡してくれ、その上指導までしてもらえた。
そして――その行為は全て無意味であると三世は理解した。
最悪でもレシピがあれば、元の世界ならルゥが作ってくれるだろうと甘い考えを持っていた。
そんな中三世が見たレシピは――本当に何の変哲もない普通のレシピだったのだ。
場合によったら、現代で生きた三世の方が良いレシピを知っているくらいである。
どれだけ頑張って真似をしても、普通の白玉団子にしかならなかった。
「特に変わった物を入れていたり、変わった作り方をしているわけではなかったんですよ。誰でも出来る普通の作り方でこうなってます。つまり、絶対に真似できません」
月華は肩を落とし露骨にがっかりとした後、食い貯める方向に思考を切り替え、白玉汁粉を注文した。
命と月華が幸せそうな顔でもちもちと触感を楽しんでいる時、三世は一つの決断をした。
三世はどうしても食べてみたいものがあった。メニューには載っているのに誰も食べたところを見たことがなく、また味も予想出来ない。
ただし、絶対に美味しいという確信があった。何故なら白玉を使っているからだ。
三世は白玉のメニューの中に何時からか紛れ込んでいた『春巻き』の三文字に取りつかれていた。
ずっと気になって気になって……そして今日、遂にその疑問を解消する時がきたのだ。
給仕を呼んで春巻きを注文し、三世はいまかいまかとワクワクしながらその時を待った。
二十分ほど時間が経った時、三世の待ち望んでいた春巻きが姿を現した。
見た目はそのまんま普通の春巻きである。
ただし、香りが全然違う。
油の香りはそのままなのだが、ほのかに香るあんこの甘い香りが油独自の香りと混じり合い、確かな甘味として胃袋を刺激してくる。
その刺激すら、今の三世には楽しく感じた。
三世は箸を使い春巻きを持ち、がぶっと思いっきりかぶりついた。
ぱりっとした歯ごたえの奥に、熱々でもっちりとした弾力が口に広がる。
口の中に油特有のうまみと優しい甘味が押し寄せる。
優しいが為に負けていた白玉の味をあんこが調和を取りながら後押しし、油と甘味で見事なハーモニーを生み出している。
一言でいえば、とても美味しい。
断面を見ると、伸ばした白玉とあんこが半々で入っていた。
シンプルな作りにシンプルな味。だからこそシンプルに美味い。
「――頼んで良かった……」
しみじみと呟く三世を、命と月華は羨ましそうに見た後、即座に春巻きを注文した。
更に二人が美味しそうに春巻きを食べる図を他の客が見て、その客も更に春巻きを頼む。
気づいたら神宮寺の中で、空前の春巻きブームが巻き起こっていた。
満腹で歩くことに幸せを感じつつ、三人は町並みを目的もなく歩き始めた。
これでもかと食べた後に、月華は自分用のお土産に白玉団子を頼み、ソレを嬉しそうに持ち歩いている。
「帰ったら一緒に食べましょう。もちろん命もね」
「はい。一緒に食べましょう月華」
気づいたら話し方も変わり、二人の距離はかなり近くなっている。
そんな姉妹のように話す二人の様子が、三世の目には妙に可愛らしく映っていた。
古くからある和風の建造物に、西洋式の建造物がちらほらと混じっている。
新しい物も古い物も、どちらも魅力がありどちらも素晴らしい。
この和洋の入り交じった独特の風景は、今しか存在せず、そしてそれもまた独特の魅力を持っていた。
調和を無視して好き放題しているように見える外観だが、広い目で見るとなぜか調和がとれているのだ。
今ここに確かにあるはずなのに、どことなくノスタルジックな気持ちにさせられるこの町並みは確かに美しかった。
街路を歩いている最中に、建造中の喫茶店――いやミルクホールに三世の目に付いた。
新聞を読む限りミルクホールの普及はそれほど進んでおらず、帝都くらいにしかなかったはずだが事情が変わってきているようだ。または、この町が流行りに敏感なだけかもしれない。
更にその奥にある変わった建物に三世は気が付いた。山ほど貼ってあるポスターから、どうやらここは映画館らしい。それなりに人の出入りがあり、繁盛しているように見えた。
三世は映画館に行ったことがない。
元の世界なら数度あるのだが、この世界では行くことはきっとないだろう。
命が嫌がる為、三世も無理に別に行きたいとは思わない。
この世界の映画館は基本、男女別席である。
三つの区域に分けられ、男性用の席、女性用の席、そして夫婦用の席となっている。
暗い中で離れ離れになり、何かがあったらと命は考えて映画館を避けていた。
興味の惹かれる映画があった場合はともかく、そうでない限りは映画館に興味がなかった。
「ただ歩くだけでもやはり楽しいですね。見たことがない物が沢山あって……色々と目移りしてしまいます。……手を繋げないのが少し残念ですけどね」
月華は微笑みながら三世に話しかけた。
文明開化をしたとは言え、未だに女性は後ろから男性に付いて歩くのが普通の慎み深い時代である。
手を繋いで歩くといった行動は相当悪目立ちし、警官のお世話になる可能性すらあるくらいだ。
「すいません。少し我慢してください」
三世の言葉に月華は微笑む。
「いえいえ。欲張りすぎなだけです。傍で元気でいてくれるだけで、十分に幸せです」
その言葉に、命は何度も首を縦に動かした。
絵描きの記憶がある月華も、三世の様子を見ていた命も、三世が健康でいることがどれだけ素晴らしいことか、よく理解していた。
そのまま三人は、更に遠くの散策に向かった。
――ああ……またか……。
最近絡まれる回数が増えたなと考えながら、三世は目の前の面倒な相手達を見た。
睨むような視線で三世を見ている学生服の若者が四人と、そのリーダーらしき妙に大きな学生が一人。
視線の方向が三世に集中していて、後ろ二人には目も合わせない為、今回は命や月華に危害を加えようというのではなく、完全に三世狙いらしい。
それを三世は不思議に思う。
会社等狙われる理由は幾つか思い当たるのだが、学生に狙われる理由はないはずである。
学生服と言っても、相当に着崩した格好をしている。
擦り切れそうなボロボロの学生服に高下駄、外套を羽織っていたり髪を伸ばしていたりと一周回って新しく感じるほどなかなかに個性的なファッションをしている。
所謂バンカラスタイルという恰好である。
時代がもう少し先に進んでいたら、彼らの事を不良と番長と呼べば良いだろう。
そう、リーダー格らしき中央の男を見ながら三世は思った。
妙に高い高下駄にボロボロの学生服と学生帽。腰に手ぬぐいぶら下げた、まごう事なきバンカラスタイル。
下駄によって底上げされた分を省いても、身長は百八十を超えていてこの時代で考えたらかなり高い背丈をしている。
それと同時に肩幅が広く、手足も太い。
上から見下される大きな存在というのは思った以上に迫力がある。
これで未成年とは、とても信じることが出来そうになかった。
その男の割れた帽子の間から見える目は、怒りに震え三世を見据えていた。
「気に入らん」
ぼそっと呟くようにその男が言った。
「気に入らん!」
今度は声を荒げ、三世に叫ぶ。
「え、あの――」
「気に入らんと言っているのだ!」
三世が尋ねようとしたのを遮り、更に男は語尾を強め三世に叫びかかった。
どうやら人の話を聞かない人種らしい。
「まず、そのなよっとした見た目はなんじゃい! せっかく背があるのにひょろひょろじゃないか! 鍛えろ!」
三世の背は百七十三センチとこの世界で考えたらそれなりに高い方となる。さすがに目の前の男ほどではないが……。
そして三世の体が細身でなよっとして見えるのは、鍛えが足りないのではなく鍛えることが出来なかったからだ。
病人と同様の弱さであった三世が体を鍛えるというのは、死に直結する。
その為、家にいた時は、年に数度は本当の意味で死にかけていた。
三世の家の中でも最も死にかけた回数が多いのが、一度も戦いの場に出たことがない三世本人というのはある種の皮肉でもあった。
そんな事情を知ってる命は正面の男に強い苛立ちを覚えた。
それに三世は気づき、今にも掴みかかろうとする命を静止させる。
命が動いたら、学生五人が悲惨な事になるのを知っているからだ。
しかし、男はその様子を勘違いした。
『学生を助ける為に命を止めた』三世を『暴漢である我々から命を庇っている』ように見えたのだ。
そんな三世の様子に、男は嬉しそうに頷く。
「うむ。心意気だけは立派な日本男児だな。大変結構! しかし! しかぁぁぁぁぁぁし! なんだその中途半端なハイカラな恰好は! この西洋かぶれが!」
和服の上に様式の上着、その上に洒落た外套という恰好が大変気に入らないらしく、男は叫ぶ。
「――それで、何が言いたいのですか?」
相手の男に付いていけず、月華は早々に切り上げたい為そう尋ねた。
「最後に! 女子を複数人連れ歩くそのふしだらな態度が気に入らん!」
男の言葉に、後ろにいる四人の学生が深く頷いた。
「目上であろうと間違いは間違い! ワシがその性根を叩き直してやるわい!」
そう言いながら、男は一歩前に出た。
ようするに、女の子二人を連れ歩く姿が気に入らないということらしい。
三世は気だるげにため息を吐いた。
「主様、私が対処しましょうか?」
「ご主人様、私でも良いですよ?」
二人は子犬のような態度で三世にそう尋ねた。出来る所を見せたいのか、三世の為にがんばりたいのかはわからないが、それはとてもやる気のある可愛らしい子犬のような仕草だった。
ただし中身はドーベルマンとピットブルである。
その選択肢のどちらもが危険なものだということを、三世は良く知っていた。
命に任せたらきっと良いように対処してくれるだろう。
『一人だけ骨折させろ』
『誰にも怪我一つさせるな』
そんな指示でも、きっと命は軽々と実行してくれる。それだけ相手と技量の差があるということだ。
その代わり、どうあっても相手のプライドがズタズタになる。
日本男児に憧れる若者にそれは流石に可哀そうと言わざると得ない。
月華に任せた場合?
相手の命にかかわるので考えること自体論外である。
元々冷徹な月華だが、この世界だと人を殺し慣れ、そしていつでも手から太刀を出せるのだ。
危険でないわけがない。
「大丈夫ですのでここは任せてください。二人は後ろに下がって」
三世の言葉に命と月華は頷き、数歩下がって三世の方を見つめた。
その顔に心配の色はなかった。どうやら勝つと信頼してくれているらしい。
命の方は、何かの大会に参加した息子を応援する母親のような目で三世を暖かく見つめていた。
月華は早くデートの続きがしたいらしく、待てをしている犬のような目で三世の方を見つめていた。
ありがとうございました。




