絵描きは月の華に照らされて
手にした木刀を杖代わりに、ひいこらひいこらと夜道を歩く三世。
月華に言われて隣町まで向かっているのだが、夜中という時間の為馬車がでておらず、他に手段がなく徒歩の移動となった。
こんなにも長距離歩いたのは生まれて初めてで、三世は明日の体調が心配になってきた。
夜外に出るだけで一日寝込む三世が、二十キロほどの移動を夜中に行うとどうなるのか。
とりあえず三日くらいは覚悟しておこう。
それでも、どうしてもという月華の願いなのだから、聞かないわけにはいかなかった。
自分を飼ってくれたその人を助けて欲しいと月華に言われ、三世は了承した。
ただ、月華にしてみれば珍しく要領を得ない話し方だった為、具体的にどうしたら良いのか三世はまったくわからなかった。
「貧しく体の弱い絵描きということでしたら、治療をしながら食料を用意し、体調が戻ったらこちらで画家として雇うこともできますが」
幸いにして、一人の人間の面倒を見る程度の金なら問題なく用意出来る。
しかし、月華の望みはそうではなかった。
「いえ。ただ……ただあの方と会ってくだされば。■■■と会ってくださればそれだけで大丈夫です」
どういう意味なのか、何を言いたいのかわからない月華の言葉だが、三世はその言葉を信じて隣町の絵描きの青年の家に向かった。
隣町に入り、モダンなデザインの街灯が輝く道を進み、まだ整備が進んでなく街灯もない町の奥に向かう。
そしてそこにあるボロな家の前で、月華は足を止めた。
ボロではあるが、それなりに大きな庭付きの一軒家だった。
大きな裏庭は整備もされず草が伸びきり、家にも傷んだ箇所が多く見られ、流れる時間の残酷さを示していた。
「ここです。ご主人様、どうかお願いします」
深く頭を下げ、月華は三世に頼み込み、三世は軽く頷く。
「うん。だけど、本当に会うだけで良いの?」
「はい。ただ会うだけで構いません。それだけで――きっとわかります」
三世は首を傾げながら、絵描きの家の前に立った。
「……あれ?月華は来ないのですか?」
いくら待ってもついてこず、家の外で立っている月華を三世は不思議に思い尋ねる。
「はい。ここで待ちます――。ですが一つだけ、伝言をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「……何と伝えたら」
「『月華も共に――』とだけお伝えいただけたら」
三世は頷き、扉を叩いて家の中に入った。
「夜分遅くにすいません。失礼します」
そう言いながら三世は玄関に上がり、靴を脱いで奥にいるであろう絵描きの寝床に向かった。
二階もある広い家で、一人で暮らすのは少々寂しい家だなと思いながら歩いていると――ふと三世は強い違和感を覚えた。
自分と他人の境界線が曖昧になる感覚。
不快感こそないものの、未知と既知が入り交じるこの浮遊感を、三世は過去に一度味わったことがある。
自分が獣医で、冒険者として生きていたという記憶を思い出した時だ。
こちらの世界とあちらの世界の記憶が混じった時とこの感覚は良く似ていた。
どうして急にこんな感覚になったのだろうかと考えていたその瞬間、違和感の正体が判明した。
――あれ?何で私は家の間取りを知っているんでしょうか。
間取りだけでなく、二階に何が置いてあるか、画材はどこにしまったか。
知らないはずなのに、確かに三世はこの家を良く知っていた。
目的の場所が近づくごとに違和感は強くなり、寝床前のふすままで来ると、相手の男がこちらを待っているという確信まで持てた。
知らないことを知っている感覚。
それと同時に、月華の言っていた会うだけで良いという意味を何となく理解した。
何の挨拶もせず、ふすまを開け、三世はその部屋に入室した。
「こんばんは」
顔色が悪い痩せた男が布団の上に座りながらこちらを見て微笑み、挨拶をしてきた。
それは良く知っている顔に良く知っている声だった。
「ええ。こんばんは」
三世もその声の主に返事を返す。
ようやく、全てが理解出来た。
月華が会うだけで良いと言ったのは――会うだけで終わるという意味だった。
絵描きの名前は三世八久。
二人目の、この世界の自分だった。
――私が恋をするのは、いつだってたった一人だけです。
月華であり、シャルトである彼女は一人夜空の中――口の中で小さくそう呟いた。
絵描きの男と対峙してから、膨大な量の情報が三世の中に流れ込んでくる。
どう生きて、何をしてきたのか。そんな絵描きの人生の情報が、三世の中に入り込むように広がる。
「同一存在――いえ、あなたが本体で私はおまけ。例えるなら予備機やオプション。またはNPCですかね」
どうやら絵描きの中にも三世の情報があるらしく、絵描きはそう呟いた。
そしてその言葉を三世は否定出来なかった。
「そうですね。豪族として生まれ捨てられた私、絵描きとして生きていた私は同一存在でしょう。そして、塔攻略の際に主人公とされたのはきっと私だけ」
どうして月華の口から絵描きの名前を聞き取れなかったのか理解した。
同じ個体でありつつ、同時に別の個体だからだ。
その矛盾を消す為に、特定の条件がそろうまでは何があってもお互いを認識出来ず、またお互いの人生がすれ違わないように設定されていたの。
「そして――この後どうなるかもわかってますね?」
絵描きの言葉に、三世は眉をひそめながら頷いた。
許容は出来ないが、するべきことは理解している。
本来一つの人格が二つあり、そして本体はこちら。
だとしても――その選択肢は好ましいとはとても思えなかった。
「何とかしようと思いませんか?」
三世はそう尋ねると、絵描きは微笑みながら首を横に振った。
「思いませんし、必要ありません。それが自然なことであり、そして決まっていることです」
その言葉を否定できない。三世も頭では理解しているからだ。
『一緒になるのが自然なことで、塔を攻略する為の条件の一つでもある』
そんな情報が脳に宿っている。しかし、心はソレを拒絶していた。
豪族として生まれた三世と、本来の三世が一緒になるのはまだ良かった。
有無を言わずの融合だった為考える余地もなく、また命という理解者もいた。
今ならわかる。命は二人の三世を同じと認め、受け入れてくれていたと――。
だから三世は大して苦しむことなく生きてこられた。
しかし、絵描きの人格との融合になると、話は別となってくる。
シャルトが愛した三世と同じように、月華は絵描きの青年を愛している。
それは確かに別人であり、そして一緒になれば、絵描きの青年は間違いなく消える。
記憶は情報として残るが、人格としては間違いなく残らない。
「一つだけ残念なのは、黒猫の名前は月華という名前だと今知った事、そして素敵な女性だったということを今知った事ですね。知っていたら告白くらいはしましたのに」
冗談なのか本気なのかわからない軽口を絵描きは笑いながら叩いた。
だが、それが本気であるということは誰よりも三世が理解している。
猫の状態ですら、絵描きは月華に対しただならぬ想いを抱いていた事を三世は知っていた。
「今から告白してきます? 家の前にいますよ」
「いいえ。必要ありません。それは未練になります。ついでに言えば、消えるのではなく、一緒になるだけですからそういった事はそちらに任せましょう」
その一緒になるというのは、消えるということだとわかった上で絵描きはそう言った。
もし本当に全てが融合されるのなら、三世は月華の気に入った絵を描くことが出来るはずだ。
しかし、ソレは出来ない。
技術も知識も受け継ぐだろうが、絵描きと同じ物を三世は生み出すことは絶対に出来ない。
その絵が描けるのは世界で彼一人だ。
つまり、月華が至高であると感じた絵画が新しく生まれることは――もうない。
それでも、それだけの事がわかっていても、一つにならないといけない理由があった。
これは塔の攻略の為であり、そして元々は一つだったのだから一つに戻るのは自然な事であり、そして、絵描きにはもう時間が残されていないからだ。
絵描きは自分の体調を理解している。食料を月華に用意してもらっているのにもかかわらず、病的にやつれた頬と碌に動かない体。
絵描きは既に、余命幾ばくも無い状態となっていた。
「やりたいこと、為すべきことは終わりましたか?」
助けることをあきらめた三世の質問に、絵描きは頷いた。
「――わかりました。後の事はお任せください」
三世のその言葉が合図となり、絵描きの存在は急速に薄れていく。
この世界から、絵描きが存在したという矛盾が消滅しようとしていた。
「月華からの伝言です。『月華も共に――』だそうです。意味はわかりますね?」
後ろの壁が透けて見えるほど薄くなった絵描きは確かにそれを聞き、満面の笑みを浮かべた。
「いつだって、男は女性には勝てないように出来てますね。心残りがなくなってしまいました」
そう呟きながら、絵描きはこの世界から姿を消した。
絵描きの生きた証は全て三世が吸い取り、三世の一部となった。
体が満たされる充実感と満足感。それと同時に、大切な物が消えてしまった虚無感が心に広がっていた。
家の前に戻ると、月華は立ったまま夜空を見上げていた。
その月華の様子は今までと明らかに違う。
見た目は同じなのだが、雰囲気が別人のようになっていた。
今までの様子よりも、むしろ三世が良く知っている娘である黒猫に雰囲気が近づいていたのだ。
絵描きに恋をし、絵描きを愛した月華という黒猫は、シャルトという本体に体と記憶を譲って消えたということだろう。
絵描きと共に消える為に。
「……シャルト、と呼んだら良いかな?」
黒猫はこちらを振り返り、優しく微笑んだ。
「この泡沫な世界の中くらいは、私を月華とお呼びください。そういう世界ですし――私達は失った色々な物を背負ってますから」
月華の感情は一言で表せないくらい複雑な心境であると理解出来る。
だがそれでも、自分がその名前を呼んでも良いのだろうか。彼女が月華と名乗っても良いのだろうか。
二人の想いを汚したくないと考え、三世は思い悩んだ。
答えは見つからず、出口のない迷宮のような思考のドツボに落ちた三世に、黒猫は微笑みかけた。
「自分に気を使う必要はないんです。絵描きも貴方、ご主人様もあなた。私はシャルトであり、月華でもある。主人格とか別人とか、そんな難しく考えなくて良いと思いますよ」
その言葉に、月華を受け継ごうとするシャルトの意志を、三世は確かに感じた。
そして、言われてみたらその考えは確かにしっくりとくるのだ。
三人全員、確かに違う人生を歩んだが、全員自分であることに間違いはない。
誰か主人格とか、そんなことはどうでも良い。その考え自体が塔の製作者の考えなのだから。
三世は月華の頭をぽんと軽く撫でた。
「そうですね。では月華、帰りましょうか」
三世の言葉に月華は耳とピコピコと動かしながら頷いた。
満天の星の中で輝く月は、恐ろしく感じるほど美しかった。
ありがとうございました。
絵描きは月の華に照らされて終わりを迎えた
というタイトルだったのですがネタバレ全開だったので修正されました。




