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異世界転移でうだつのあがらない中年が獣人の奴隷を手に入れるお話。  作者: あらまき
理不尽な魔王

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神宮寺

 

 小麦の焼ける香ばしい薫りを鼻に感じ、その刺激から空腹を呼び起こされ三世は目を覚ました。

 朝食をパンに変えてから目が覚めることに幸福を感じ、パタパタと忙しそうに朝食の準備をする命を布団から見て、三世は一日の始まりを感じた。


 空腹で目を覚ますのがどれだけ幸せなことか三世は理解している。

 体調の悪い時は空腹を感じることはなかった。

 腹具合がわからず、わかるのは胃の痛みと食欲がないことだけ。

 それでも食べないと体は動かず、美味いか不味いかもわからない食べ物を口に詰める。

 それでいて無理に食べると吐き出すという悪循環。

 家を出されてしばらくは命に本当に迷惑をかけた。


 体調を改善させる最初のきっかけは牛乳である。

 三世は実家に居た時牛乳を飲むことが出来なかった。

 健康に良いと言う理由でいち早く軍が牛乳を摂取することを取り入れ、それを三世家はどうしてそう受け取ったのかわからないが『軍人たる者は朝に牛乳を飲むべし』という風に決めつけた。

 なので、三世家では現役で軍にいる者と軍に入る予定の者は朝食に牛乳が付いてきて、逆に軍人になる資格がない女性一同や別の職業の者、そして三世には牛乳を飲むことは許されなかった。


 三世家のくだらない『しきたり』のおかげで牛乳が体に良いという事を命は知っていた為、三世の為にわざわざこのあたりでは希少な牛乳を買い付けた。

 少しでも元気になって欲しいという願いの元、三世は牛乳を飲み、そして普通に腹を壊した。


 今なら理由はわかる。

 乳糖が分解出来ず消化不良を起こしたからだ。

 それでも当時はそれがわからず、命は何ともない様子から三世の体に牛乳が受け付けなかったのだと思っていた。


 それでも、腹を下しているにもかかわらず翌日はいつもより体の調子が良かった。

 ゆっくり飲めば腹を下す心配もないことがわかり、それ以来命の用意する朝食には必ず牛乳が一杯、用意されることとなった。


「おはよう命、いつもありがとうね」

 布団から体を起こした三世の方に気づき、命が微笑みかけてきた。

「おはようございます主様。良い朝ですよ」

 割烹着を着てにっこりと微笑む命の顔に、三世は幸せを感じた。


「朝食はもうすぐ出来そうだね、急いで身支度するからちょっと待っててね」

「お一人で大丈夫ですか? お手伝いいたしましょうか?」

 命の言葉に三世は顔をしかめながら首を横に振った。

「いや、一人で良い。そこまで迷惑をかけたくない」

「……別に迷惑でもないのですが」

 何故か命は若干残念そうに、そう呟いた。


 歯磨きどころかトイレすら自力で出来ないほど弱っていた時があり、その時に命には色々と面倒をかけた。

 今となっては思い出したくない記憶である。だから尚の事、三世は健康という物がどれほどありがたい物なのかを理解していた。

 三世は着替えた後歯を磨き、空腹を訴えている胃袋の為に命の元に向かった。




 今日のメニューはマーガリンを薄く塗った食パンに薄味の野菜のスープ。

 それに牛乳とデザートにリンゴである。

 あまりバターを取りすぎると胃にダメージが残り、塩分を取りすぎると吐き気のする三世の為に用意された食事である。

 昼食は問題なく、夕飯に至っては唐揚げでもカレーでも何でもいけるが、朝だけは未だに優しい食べ物しか体が受け付けなかった。


「うん、いつもありがとうね、わざわざ私の為に特別な物作ってくれて。いただきます」

「はい、いただきます。どうぞ召し上がれ」

 二人は小さなテーブルで向かい合い、手を合わせて朝食を食べ始めた。

 毎日の日課である二人の朝食の時間。

 それは当たり前のものであり、そして当たり前の幸せがそこにはあった。

 不満などあろうはずもない毎日の時間だが、三世のうちの五割ほどは、少々寂しい気持ちになっていた。




 朝食を食べ終わると命は食後のお茶を三世に、自分には挽き立てのコーヒーを用意した。

 ほっと一息、こういった穏やかな時間こそ、三世の体調に最も必要な物だと命は思っていた。

 実際にどれほど効果があるかはわからない。

 だが二人でゆったりと過ごす時間が貴重で楽しいことだけは確かである。


「コーヒー、付き合えなくてごめんね?」

 三世の言葉に、命は微笑んで返す。

「いえ、私だけこんな良い物を楽しんでむしろ申し訳ないです」

 そう命は嬉しそうにコーヒーの香りと苦みのすばらしさを語る。


 その言葉は嘘ではないだろう。

 だけど三世は知っていた。時々、砂糖をこっそり入れることを。

 そして、偶にこっそりココアに変えていることを……。

 命の名誉の為、そのことがばれているのは三世の心の中の秘密だった。

 そして今日、コーヒーの蘊蓄を語っている命の持っているカップから甘い香りがすることに気づき、それがココアだと三世は理解してお茶をこぼしそうになるのを必死で堪えた。




 今日は約束がある為、十分な食休みの後甘味処『神宮寺』に向かおうと三世は命を連れて外に出た。

 昨日、臨時報酬と客への支払いをするという約束をした為、三世は神宮寺に向かった。


 今日は客としてではないので、裏口から入ると店員が三世達に気づき、客間に案内した。

 そして三世には暖かく薄い麦茶で、命にはラムネを用意する。

 もはや毎度のお約束であり、誰も何も言わなくても二人が来たら自然とこの二品が目の前に出された。


 命がちびちびとラムネを楽しんでいると、奥から目的の人が割烹着のような恰好で現れた。

 獰猛なクマを彷彿とされる大柄で固太りのがっしりとした体形に一本もない髪の毛。

 体格に加え凶悪な顔つきから、人というよりは大入道や海坊主などの妖怪と勘違いするような風貌。

 その人物こそ、神宮寺の店主である神宮寺太郎丸だった。


 古くからの老舗である『神宮寺』の跡取りの太郎丸であるが、彼に老舗を受け継いだという責任も自負もない。

『第何代目か忘れたけどとりあえず白玉を作る店の店長だ』

 これが太郎丸の最初の自己紹介だった。

 ふっわふわで適当な自己紹介だが、この頃はまだ常識的だった。あくまで今と比べたらだが。


「おはようございます。本日は――」

「おはようございます若旦那。そして俺におべっかとか余計な言葉はいらん。本題だけ話してくれ」

 太郎丸は三世の言葉を区切り、頭を下げながらそう言葉にした。

 立場上は目上の三世にこの言葉遣い。ソレを三世は不快に思わず、むしろ好感が持てた。

 というよりも――太郎丸が敬語を使ってぺこぺこする方が気持ち悪い。

 多少の無礼があってもお互いの関係が壊れないと理解しているからこその関係だった。


 余計な時間を取るのは三世も望ましくなく思い、三世は頷きさっと本題に入った。

「昨日の騒動でご迷惑をおかけしました。あの店にいた客の分と従業員の臨時の報酬を払いたいのですが」

「ああ。若旦那自らの臨時報酬たあウチの奴らも喜びますわ。ああ、昨日の阿呆共は背後に誰もいなくて、ただのロクデナシだったから兵隊さんに投げ込んでおきやした」

 太郎丸は何故か嬉しそうにそう語り、三世は苦笑することしか出来なかった。

「ええと、とりあえずこのくらいで足りますか?」

 三世は封筒を太郎丸に手渡した。

「へい、いつもすんません。おい! 誰か人呼んで確認しろ」

 自分では確認しようとしない太郎丸は部下に任せようとするが、今日に限って金銭絡みに強い部下がいなかった。


 太郎丸はどうしたものかと考え、それでも自分で見るという選択肢はなく、一人の給仕を呼んできた。

 その人はまだ半年も務めていない若い女性の見習い給仕だった。

 そろそろ見習いが取れそうかなーとワクワクした表情で店長である太郎丸の呼び出しに答え、何も言われずにぽんと封筒を渡された。

「ソレ、いくら入ってるか数えて報告しろ」

 太郎丸の言葉を理解出来ず、給仕は頷き領収書か何かかと思いながら封筒を開け、中が札束だと理解した瞬間顔を青ざめさせた。

「いやいや、私見習いですよ。何でこんな大金渡すのですか!?」

 まったくの正論である。

 足が震え、封筒を落とさないように握りしめる給仕に太郎丸は微笑みながら言葉を投げた。

「良いから数えろ。数は数えられるな?」

 給仕は半泣きになりながら頷き、札束を数え始めた。

 そこで首を横に振らない限りは、太郎丸はとりあえず仕事を押し付ける。

 どんな仕事でもだ。


 震える手で一枚ずつ数え、終わった瞬間に安堵の大きなため息を吐いた。

「十円札百枚で合計千円です。どうぞ」

 そう言って給仕は太郎丸に封筒を返そうとするが、太郎丸はソレを受け取らなかった。

「そうか。んじゃたぶん足りるだろう。奥にある帳簿で昨日の支払い金額を計算した後その分を金庫に入れて、残りを俺以外の従業員全員に均等にわけて配ってくれ。コレが金庫の鍵な」

「はい?」

 ちゃりんと音を立て金庫の鍵を渡された給仕。

 どういうことか理解できた時には声にならない声を上げ太郎丸に抗議をする。


「良いからやれ。な?」

 太郎丸は笑顔でそれだけ言うと、給仕は半泣きのまま奥に消えていった。


「いやー。若いけど、あいつ使えるな。無理って言いながら挑戦しに行ったぞ。もしかしたら全部やりきるかもな」

 そう無茶ぶりした本人である太郎丸は楽しそうに言い出した。

「あの、差し出がましいことですが、心配はしていないのですか?」

 命は太郎丸にそう尋ねた。

 金庫の鍵を渡し、大金を見習いに任せるという愚行とも言える命令。

 例えまじめでも、学のない見習いに出来るとは思えない仕事を押し付けた太郎丸の行動に命は心配になっていた。


「大丈夫ですぜ。うちに悪さする不届き者などおらんし、失敗しても皆笑ってくれる職場だからなウチはな! なんたって学の無い俺が店長だぞ。がはははは」

 冗談なのか本気なのかわからない言葉に、命は「はぁ」と曖昧な言葉しか出せなかった。

 ちなみに学のないと言う店長だが、きちんと大学を卒業している。大卒の割合が三パーセントもない時代でだ。

「大丈夫なんですよ命。同じようなことが何度もあったけど、未だに決定的な失敗をしたことがないんです、この店……」

「えぇ……」

 三世が苦笑しながらそう言うと、命は小さく呟き言葉を失った。


「さて、雑務も終わったし本題本題と」

 太郎丸は取引先の社長が来た上に千円まで受け取ったことを雑務と称し、いそいそと絵のかかれた紙をもってきた。

「今考えてるのはコレなんだが、どうだい?」

 太郎丸が本題と称することなど一つしかない。もちろん白玉の事だ。

 一体どうしてその小さな白く甘い玉に心を奪われているのかわからないが、彼にとってそれ以外のことは全て雑務と称される。

 そんな彼が見せた絵は、ラムネの中に白玉を浮かべた物だった。


 ――やはりこの人、発想が一歩以上未来に行っている。

 三世は感心しながら太郎丸の絵を見た。

 といっても、ラムネをガラスの器に移してその上に白玉を浮かべただけだったが。

「だけどこれじゃあ地味な上に味の調和がとれねえんだ。若旦那と奥さんよ。これどうしたらもっと良くなるかい?」

 そう言われ、三世は少し悩んだ。

 生きた時代が少しばかり未来の為知識の量が多く、元の世界にいるフィツという料理人とルゥという娘のおかげで三世の料理レシピはかなり広い。

 答えはいくらでもあるが、ソレらの知識をここで使っても良いのだろうか……。

 そう三世は悩んだ。


「まあ、奥様なんてそんな……私はただの女中ですよ……」

 頬に手を当てながら自分の世界に入る命。

 そして命は三世の方を見て一言呟いた。

「何とかしてあげられないかしら?」

 ――取引先の店主が困ってるなら助けるのも仕事の一環ですね。

 三世は納得したかのように頷きながら、取引道具の一つである貴重なクレヨンを使い、絵をかきだした。


 実物の絵をかき、下に鉛筆で材料と製作のコツを書き込み、太郎丸に渡す。

 さくらんぼに柑橘系、夏なら西瓜も加え、それと正方形やひし形に切った寒天、それらをラムネにいれ、その後で粒上の小豆と白玉を浮かべる。

 白玉フルーツポンチである。

 間違く無く、この時代にはないデザートの発想だった。


「こんな感じでどうです?」

 太郎丸はそっと絵を受け取るとその絵を丸めて握り、三世と握手をしてそのまま無言で立ち去った。

 取引相手が直々に来ているというのに、私欲を理由に持て成す相手を放置して先に退出するというとんでもない無礼な行い。

 だが、ソレを気にする人はココにはいなかった。

 三世達はもちろん、中にいる護衛も部下も気にしない。ソレはいつものことだからだ。


 思いついたら即実行、それこそが神宮寺太郎丸という男だった。


ありがとうございました。

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