古き薫りの街並みに1
突然の事態に混乱することしか出来ない三世。
理解は出来るし何があったのかも予想は付く。
だが、受け入れられるわけではない。
自分の記憶が二つあるという違和感と、自分は自分ではないような感覚。
浮遊感と呼べばいいのだろうか。自分は三世であるのは確かだが、どっちの三世なのかわからない。
またはどちらでもなく、自分は二人の三世という人物を上から見ている存在なのだろうか。
まるで解離性障害とも呼べるような離人感に三世は頭を悩ませる。
しかし、それと同時にこれが現実でもあるとも理解していた。
たぶんだが、塔の製作者から与えられる情報の一つなのだろう。
その二人の自分が入り交じるという変化を除いて考えても、今の三世には二つ大きな変化がある。
一つは攻略情報についてだ。
理由はわからないが、塔の事を思い出した瞬間にこの世界でやるべきことが頭に入っていた。
【ルゥとシャルトの二人がこの世界にいるが、マリウスとドロシーはいない】
【この世界でスキルは使えない】
【イベントをこなしつつ勝利条件を満たせば帰還出来る】
【勝利条件はこの世界にある問題を解決させつつルゥとシャルトと合流すること】
ここで一つ、大きな問題があった。
自分の半分は早く合流してこの世界を脱出しようと考えているが、もう半分はこの世界に残りたいと考えている。
命という名の少女は、この世界の三世にとってそれほど大きな価値があった。
もう一つの大きな変化は己の肉体についてだ。
別段運動が得意だったというわけではなく、地球に居た頃は運動不足にも悩まされていたが、それでも今の状態と比べたらはるかにマシだった。
元の三世はこれでも丈夫になった方だというが、ソレは元を知らないだけで今の状態は明らかに普通ではない。
五百メートル歩くと息切れし、全力疾走は三十メートルも走れない。
長時間の書類仕事で疲労から発熱を起こすし、体調に問題がなくても週に一度は医者が往診に来る手筈になっている。
これで健康になったと思っていたあたり、家にいた時はどれほど悲惨だったのか言うまでもないだろう。
この弱り切った肉体でルゥとシャルトを探すというのが、塔製作者の魔王が三世に求めていることと見て間違いないだろう。
幸い時間と予算はたっぷりある。
とりあえず情報収集も兼ねて一人でこの町を歩くことにした。
――習性って恐ろしい。
三世は後ろについてきている命の視線を感じながらそう思った。
町を散策する為、出かけることを命に伝えようとした。
「命。少し出る。付いてきてくれ」
だが、そんな三世の口から出た言葉はまさかのお誘いだった。
「わかりました主様。少々お待ちください」
そういって命は嬉々として出かける準備を始めた。
思い返すと一人で出かけたことなど片手で数えるほどもなかった。
体が弱いから誰か傍にいないといけないからだ。
それに加えてもう一つ、命の出かける準備は全て三世の荷物である。
財布はもちろん手ぬぐいから水筒に薬まで。
全ての荷物の準備は命が行う。
元豪族としてそれが当たり前らしく、三世は自分で自分の荷物の準備が出来ない。
どうあがいても、最初から一人で出かけることは不可能だった。
自分のことながら三世は非常に情けなかった。
ただ、今の三世の常識が正しいというわけではない。
女中である命の仕事を奪っていないという意味でも、出来ることを分けているという意味でも、前の三世の方がこの世界では正しいのだから。
「それで主様。どこに向かいましょうか?」
「そうですね。疲れるまでとりあえず歩きましょうか」
後ろからの声に三世はそう答えた。
まずはこの世界に慣れることから始るべきだと考えた為である。
前からいた元豪族の三世とっての当たり前が、後から入った三世にとっては非常識となっている。
その差を埋める為に、三世は街並みと人を観察した。
見事なまでの大正浪漫のような風景に、思わず見とれそうになる。
といっても、年号は大正ではない。
詳しく言うならこの世界に大正という年号が存在しないどころか、年号自体存在していない。
どうやら明治から大正への移り変わりをテーマにしているだけで、そのあたりは適当らしい。
地味な普段着の着物の上に、高価な黒の外套を羽織っているのが今の三世の恰好である。
多少高価な服を買うくらいの余裕はあり、最新の西洋の服を手に入れる伝手もあるのだが、それでも和服の方が過ごしやすい。
体調を考慮して着やすさを重視している部分もあるが、一番は単純に着ていて疲れないからだ。
しかし、商売の都合で西洋の服装に慣れておかないとならない上に、西洋式の上等な服を着ていないと、外国の取引相手とはマトモな交渉が出来ない為、このような折衷案の服装となった。
ただ、この恰好はこの恰好でなかなかハイカラらしく、三世は割と気に入っていた。
命の服装はよくある袴姿だった。
女中としての拘りがある為、この恰好を命は変えたいとは思っていない。
代わりに三世は色や布に拘り女中スタイルのまま他所に出しても恥ずかしくないほど見目に気を付けた。
見る人が見たら一目で金がかかっているとわかる程度は、命には確かな物しか着せていなかった。
モダンチックな恰好の三世達だが、このような和洋折衷の衣装自体は目立った物ではない。
強いて言えば三世の外套が西洋文化の入り交じるこの町でも少々珍しい物の為、それが多少目立つくらいだ。
それ以外は、和洋折衷だろうと着物だろうと袴だろうと街並みには溢れている。
街中に高下駄、学生服、マント、手ぬぐいの俗に言うバンカラスタイルの人間が歩いていても違和感がないくらいなのだから。
西洋から取り入れた馬車を軍服を着た御者が走らせ、和服と洋服をまぜこぜに来た人で道が溢れている。
だがそれを変だとは思わなった。
むしろ洋装や和装といった概念から離れ、これ自体が確かに文化として成立する美しさが、この町にはあった。
詳しい知識が無い為、衣服については見た以上の事はわからないが、食事状況は明治寄りであると三世は理解出来た。
庶民の目につく場所にあるのは昔からある飲食店が中心で、大正時代に流行ったパーラーやミルクホールをあまり見ない。
そして何より――そう何よりもカレーがまだ普及していないのである。
カレーが一般に普及したのは大正初期なのでそれより前か、または食事情は明治後期で止まっているとみていいだろう。
しかし、その割には洋装の普及が早いように感じる。
明治から大正へ移行する時期あたりなのだろうが、史実とは違い色々と前後していた。
人のイメージした大正時代――そう三世は感じていた。
それ以上の事は三世には理解出来なかった。
ふらっ。
眩暈だと感じる前に体が倒れそうになる三世を命が慌てて支えた。
どうやらこの体は思った以上に弱いらしい。それほど歩いたという自覚は無いが体力の限界を迎えていた。
青い顔で三世は命に相談する。
「近場で座れる店に入ろうか。迷惑かけてごめん」
三世の言葉に、命は慌てながら返す。
「迷惑なんてとんでもありません。なのでご自愛くださいまし」
ふらふらする自分に肩を貸して運ぶ命の力強さに感謝すると同時に申し訳なく思う。
弱い男を支える女。
男に人前でも寄りそいふしだらとも見える女性。
それはこの世界では異様な光景らしく、通りがかる彼らを心配する者はおらず、むしろ奇異な目でこちらを見ていた。
それを理解しつつも、全くためらわない命の愛情に三世は罪悪感を覚えることしか出来なかった
迷惑ではあるのだが背に腹は代えられず、一番近場にあった甘味処『神宮寺』という店に二人は向かった。
女性に肩を借りる男性というあまり好ましくない状況での入店である。
入るや否や注目を集めるという、店からみても都合の悪い客ではあったが給仕は気にせず、むしろ心配しながら接待をしてくれた。
「医者を呼びましょうか?」
心配そうに盆を持って尋ねる給仕に三世は青い顔のまま笑いかける。
「いえ。疲れただけですので大丈夫です。白玉二つと熱いお茶、それとラムネを一つください」
そう言うと三世は椅子に腰かけ、体を休めた。
命は背中を温めるように摩りながら三世の様子を見ていた。
「主様、どこか悪いところはございますか?」
その言葉に三世は周囲を見回し、目的の物を見つけるとそっちを向きながら答えた。
「そうだね。お茶が怖いけど後で届くから、今は新聞が怖いかな」
首を傾げながら命は三世の顔を見て、その顔は微笑んでいたことから冗談を言っているのだと気づき、軽く微笑んだ。
「かしこまりました。では怖い新聞を持って来ましょう。どのような新聞がよろしいですか?」
「ああ。出来るだけ新しそうなのをお願いするよ。新しい時代に取り残されたくないからね」
「ふふ。今この日本で主様より新しい人は少のうございますのに」
そう言いながら命は歩けない三世の代わりに新聞を取りに向かった。
『神宮寺』という店は伝統ある甘味処でありつつも、時代の波に逆らわずに新しい物を取り入れる気概もあり柔軟な発想を持った店である。
未だ日本での製造が許されていないラムネの販売を手掛けているあたりにその一端が見えるだろう。
ミルクパーラーが普及していないこの町でも牛乳を当然のように売っている。
だからといって西洋文化に染まっているかと言ったらそういうわけでもない。
基本はあくまで甘味処であり、その発展の為に西洋文化を取り入れようとしているに過ぎなかった。
店主は夏にはかき氷も出すし、今は『あいすくりん』屋から何とかあいすくりんを買えないか考えている。
ここの店主は柔軟な人間かと言えるかと聞かれたら、三世は迷わず首を横に振る。
神宮寺の店主は柔軟な発想とは正反対の、凝り固まっており偏屈な人間であった。
どのくらい偏屈かというと、この世界にある物全てを二つに分けるほど、偏屈だ。
一つは、白玉団子等白くてもちもちした甘味に役立つ存在。
もう一つは、役に立たない存在。
彼の中では世界はこの二種類しかない。
そんな店主の病的なまでに偏屈な信念から、常に新しく進歩を求めるいう稀有な甘味処が誕生した。
だからこそ、この店では何時でも素晴らしい味に巡り合えるのだ。
どうして三世がここまで詳しいかと言うと、ここに西洋の品を卸しているからである。
味に拘り西洋文化を忌避せず、良い物には金に糸目を付けない店主と三世は良好な関係が築けていた。
「主様、これでどうでしょうか?」
命は新聞を指差しながら戻ってきた。
新聞の名前は『帝都新聞』
創刊が去年の本当に新しい新聞である。
「文句なしです。ありがとうございますね」
三世のお礼に命は頭を下げて答え、三世の横に座った。
「私も気になる記事がございましたので横、失礼しますね」
そういって命は肩が引っ付く距離に来て、新聞をめくる三世の方を見ていた。
遠い地方で起きた火山噴火の事件が一面に書かれており、後は、西洋文化特集や西洋文化否定の二方向からの評論や、軍人のインタビューなどが掲載されていた。
後、気になるのは広告が多いことだろうか。飲食店から服、雑貨など庶民に馴染みの深い商品の店、それも東京中心の広告が多く紹介されている。
帝都新聞という名の通り、帝都の市民向けなのだろう。
「ところで命、何の記事が気になったのですか?」
三世の視線から見て特に気になった記事はなかった。
「これですこれ。この通り魔の話」
そう言いながら命は新聞の隅を指差した。
「ああ四面ですか。見落としてました」
新聞の最後のページの広告よりも小さな記事を三世は読んだ。
書かれていたのはヒグマのような大男に商人が殺されかけたというあやふやな内容の記事だった。
三世がこの記事を見落としていたのには理由があり、この新聞は四面で構築されており、一ページ目である一面記事は全国的なニュース、二面は経済関連、三面は殺人などの犯罪絡み、そして最後の四面は噂話等真偽のわからない物を載せている。
簡単に言えば、四面はダブロイド紙以下のゴシップ記事ということだ。
なので四面はスルーする癖が付いていた。
「命、これの何が気になったのでしょうか?」
身の丈五メートルをも超える巨人の爪を辛うじて避けて逃げた商人なんて話、信じるかどうか以前の話である。
「ええ。この記事は昨日の事を書かれておりますが、実は一昨日に同じ場所で殺人が起きております。その時は背の高い侍の亡霊により切り殺されたという記事でした。どちらも真偽で言えば偽としか思えませんが、それでも二件も連続して噂が流れるのは何か理由があるのではと思いまして――」
「なるほど。武者の亡霊から巨人の妖怪という話は置いといて。火の無い所に煙はなんとやらってことですね?」
三世の質問に命は首を縦に動かした。
そうなってくると、確かに気になる話である。
もう少し深く考えようと思っている矢先に――忘れていた注文した品が給仕によって運ばれてきた。
「大変お待たせしました。白玉二つとお茶、あとラムネです」
給仕はテーブルに白玉の皿とお茶を置き、最後に興味深そうにラムネを見ながら三世に手渡した。
「難しい話は後にして――とりあえず食べましょう」
三世はラムネの蓋を栓抜きで開け、命に手渡しながらそう言葉にし、命も嬉しそうに頷いた。
三世が西洋由来の物を土産に持って帰って、特に命が喜んだのがラムネだった。
語源のレモネードのような酸味のある液体ではなく、純粋なサイダーの方のラムネである。
洋ナシのような丸みを帯びた小さな小瓶に入っている、甘くシュワシュワする透明な液体が命はとても気に入っていた。
ちなみにこの世界の三世はラムネを飲めない。
体と同じように喉が弱く、飲むと喉の刺激に耐えきれず奇声を発する。
がんばって飲もうと努力するのだが、その度にうめき声のような奇声を発し命に笑われていた。
それと、あまり冷たい物を飲むとお腹が痛くなるので今回三世は熱いお茶を頼んでいた。
今回頼んだ甘味は白玉。
白玉団子や白玉ぜんざい等色々な品がある中で、三世は敢えてコレを頼んでいた。
「いただきます」
命は手を合わせた後、おもむろに白玉を口に運んだ。
普段ならもう少しゆっくり手を合わせる礼儀正しい命なのだが、今日はいつもと比べて大分動作が早い。
命も白玉が待ちきれなかったらしい。
三世も早送り気味に手を合わせて食前の挨拶を行い、白玉を口に運んだ。
ただの白玉で材料も予想つくのに、どうしてここまで美味しいのか理解に苦しむ味だった。
この店主の作る白玉は、作る品によって全て材料も作り方も変える為どれも一級品である。
その中でも、純粋に白玉として食べるならこれが最も美味しいと三世は思っていた。
シンプルな白玉だが、他のメニューのような綺麗で均等な丸ではなく、丸を潰したような形状をしている。
押しつぶすことによりもちもちの触感を味わいやすく、それでいて黒文字(和菓子を食べる時のつまようじみたいな形状の物)で取りやすい。
また上に白玉本来の味を邪魔しない程度にかけられた黒蜜により、最後まで飽きることなく食べることが出来るよう計算されている。
黒蜜独特の風味と強い甘味にも負けない優しい甘さの白玉。
この一品を食べるだけで、どれだけ店主が白玉に拘っているのか理解出来る。
一つだけ問題があるとしたら、拘りが白玉に特化し過ぎているということだろう。
三世は箸休め代わりに、雑に入れられた安物の熱いお茶を啜った。
ありがとうございました。