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二十階

 

 三日後に三世達はダンジョンに潜った。

 そして、恐ろしいほどあっさりと二十階に到達した。

 十階までと、敵もマップも大差なかったという理由もある上、利益が薄いから素材を取る時間を削減したという理由もある。

 だが、一番の理由はドロシーの用意した道具にあった。


 ドロシーが金銭を要求した理由はダンジョン用の道具を用意する為だった。

 もちろん、あのドロシーだ。店に置いてあるものを買うなどという常識的な行動を取るわけがない。

 使い捨ての道具に高価な素材をふんだんに使ったオールハンドメイドのオリジナル商品。

 金貨十枚、百万相当の金額を全て費やして使い捨ての道具を用意するという、普通に考えたら愚行としか呼べない行為だが、そのことに文句を言う者はいなかった。

 特に、その恩恵を一度味わったら文句など出てくるわけもなかった。


 ドロシーの用意したのは三つの道具だ。

 そのどれもが『魔女の道具』と言えるいかにもな見た目をしていた。

 革で結ばれた鈴、赤い血のような色で描かれた模様のある小さな袋、刺々しい小さなガラスの容器。

 そのどれもが三世の心をわくわくとした楽しい気持ちにさせた。

 有体に言えば、そこに浪漫を感じた。

 だが、ルゥとシャルトは三世がなぜ嬉しそうなのか全く理解出来なかった。


 道具の一つ目は精神安定の効果がある匂い袋だ。

 腰など見える位置にぶら下げることで程よく興奮を抑えてくれ、戦闘などで興奮状態に陥っても比較的冷静でいられる。

 特に恐れの感情には効果的で、大抵の事に恐怖することは無くなり、魔法による恐怖の付与すら無効化出来るほどだ。

 つまり、怪談系の階層中心の対策となる。


 次に魔力感知の鈴。

 その鈴に魔力を通すことで、人以外の魔力に反応し『ちりんちりん』と音を鳴らす。

 魔力を持った敵と接触していない為敵には反応していないが、魔力を利用した罠には反応している。

 基本的に怪談系対策に使い、怪談系理不尽かつ奇妙な罠は完全に見抜くことが出来るようなった。


 最後に視力強化の目薬。

 点眼すると十時間ほど、本来見えないものが見えるようになる。

 例えば、霊体など姿の無い存在や、魔法で透明化している敵などだ。

 そして、もちろんこれも怪談系の対策となる。


 十三階が三階と同じような怪談系の階層だった。

 のだが、匂い袋で恐怖はほとんどなく、罠は全て事前に発見し無効化。

 その上トリックの主体である透明化は全て見えてしまう。

 何の恐怖もなく、まるでへたくそなマジシャンが、タネがモノバレの中でマジックをするような、そんなやるせない気持ちになった。

 特に酷かったのはラップ音等の音関係だ。

 一階にいた『黒い人のような何か』が、慌てた様子で走りながら壁や窓を叩く様子は、見ていて酷く悲しい気持ちにさせられる。

 三階にあった勝手に演奏が始まるピアノも同じトリックだったと予想出来た。


 怪談系を無効化したことにより、前衛の機能停止がなくなった。

 そのおかげで効率良く階層を突破していけるようになり、三世はマップを書き続けること以外することがなくなった。

 後衛にいたっては本当に何もしていない。

 ルゥとマリウスの二人だけで、全ての敵を葬って二十階までノンストップで進んだ。


 そして、二十階に到着した。

 二度目の番人戦。

 そこは今までのどの階層とも一致しない、今まで以上に在りえない階層だった。

 緑の草が生い茂った草原、照りつける太陽。

 心地よい風と共に木々の揺れ動く音が鳴り響いている。


 洞窟などのように決まった道はなく、見渡す限りの大草原は、ダンジョンの室内であるということを忘れそうになるほどだ。

 というよりどう考えても野外にしか思えない。

 いまいる場所を除いて全て同じ風景が続き、探索も相当時間がかかりそうだ。

 唯一違うのは今いる場所、自分達のすぐ背後に赤い光の柱が立っていることだ。

 そこには看板が立てかけられていて『お帰りはこちら』とだけ書かれている。

 赤い光は天高くまで届いている為、多少遠くからでも見えそうだ。

 方角の確認だけは問題ないだろう。


「どの方向に行きますか?」

 三世がそう尋ねると、マリウスはメイスを地面に優しく下ろし、そのまま手を離した。

 メイスはバタンと倒れ、マリウスはメイスが倒れた方向を指差した。

「とりあえずあっち側から探そうか」

 全員が頷き、いつもの隊列のまま、草原の探索を開始した。


 三世は眉をひそめ辛そうにマッピングをしていた。

 壁もなく、距離感もつかみにくい中でのマッピングは困難を極まっていたからだ。

 精度が低くなるのはどうやっても避けられそうにない。

 しょうがないとわかってはいるのだが、キッチリとマップが書けないということは、三世にとってとても大きなストレスだった。

 マップが正しいのか正しくないのか確認も出来ず、三世はイライラした。

 喉に小骨が刺さったような感覚のまま、三世は大まかにマップに印を入れていった。


 二キロ程歩いたというあたりでルゥが手を横に出し、全員にストップの合図を出した。

 それに合わせて全員立ち止まり、臨戦態勢を取る。

「何かがこっちに走ってくる。たぶん四足の動物」

 ルゥは右手に指を差しながらそう言った。


 全員で右手を正面に隊列を組み直し、武器を構えたまま、その何かを待ち構えた。

 ガサガサと音を立てて草が揺れるのは風のせいだけではないだろう。


 草が揺れる音が止まってしばらくたったその時――

 突然白い獣がルゥに牙をむき出しにして跳びかかってきた。

 ルゥは白い獣の跳びかかりに盾を合わせて攻撃をふせいだ。

 獣は噛みつくのを止め、前足を器用に使い盾を蹴ってルゥと距離を取った。

 そのまま着地した四足の獣の正体を三世は確かめた――それは狼だった。


 凛々しくも恐ろしい顔つきに鋭い目つき、別に大きな生き物というわけでは無いが、それでも今までで戦った魔物や魔獣よりも一回りほどは強いとわかった。

 黄色い瞳をぎらつかせ、威嚇するようにこちらを睨みうなり声をあげる。

 三世にとって恐ろしい相手のはずなのに、その狼の姿は非常に美しかった。


「ルゥ、シャルト。周囲に生き物はいますか?」

 三世の質問にルゥは頷いた。

「うん。三匹くらいこっちを見てるね。たぶん白いのと同じ生き物」

 同意見らしく、ルゥの言葉にシャルトも頷いた。

「撤退しましょう。際限なく襲われます」

「断言できるのか?」

 マリウスの質問に三世が頷く。

「狼の習性としてもそうですし、事前に仕入れた情報でもそうなってます」

「じゃあ逃げるけど、倒さない方が良い感じ?」

 ルゥの言葉に三世は答える。

「理想は一撃で気絶させることですね。死体を見た場合や痛めつけた場合遠吠えで仲間を呼ばれると思うので。ただ、中途半端に殴るよりは殺した方がマシです」

 死体を見た同類が吠える可能性を考えたら気絶が一番ではあるが、ルゥは手加減が難しい。

 ある程度は増援が来るのを覚悟した方が良いかもしれない。


 前衛二人を盾にしながら一同はジリジリと後退する。

 チャンスが来れば即座に離脱するのだが、一匹の狼が非常にしつこい。

 他三匹は一向に出る気配はないが、代わりにその一匹は延々とルゥを攻撃していた。

 いい加減倒すべきかと悩んでいた時、シャルトが小さく呟いた。

「ルゥ姉。しゃがんで」

 その掛け声でルゥはガードもせずに即座に地に伏せた。

 それと入れ替わるようにシャルトが前に出て、拳に光をまとったまま、狼の顔に側面から殴りつける。

 狼は鳴き声も上げる間もなく、殴り飛ばされ、地に伏して動かなくなった。

「走りましょう!」

 シャルトの声と同時に、全員は元の脱出地点まで走った。


「追手無し。振り切ったな」

 最初の位置に戻って、マリウスが遠くを見ながら呟いた。

「師匠にルゥ、ありがとうございました。シャルト、お見事でした」

 オドを物質化させ、あえて金属化させずにやわらかいまま拳に纏い、簡易グローブにする。

 その弾力で威力を殺し、その上で振動は増加させて脳震盪を狙い気絶させる。

 シャルトの行動はあの場で最適解というべき行動だった。

「ありがとうございます。ドロシー様との修行が身を結びました」

 そうシャルトは微笑んた。


「それでヤツヒサ。知っている情報を話せ」

 マリウスの言葉に三世は頷き、事前に仕入れた情報の説明をした。

「はい。今までダンジョンを攻略した人の記録では、狼が登場する場合は今のところ二パターンだけです。一つは複数の動物が入り交じるパターン。もう一つは同一種族、今回なら白い狼しか出ないパターン。ルゥ、シャルト。あの場にいた他の動物も同じ狼でしたか?」

 姿を一度も見なかった為、三世にはわからず二人に尋ねた。

 二人は同時に頷いた。

「たぶん一緒だったよ」

「隠れていた三匹とも白い狼でした」

 二人の意見に三世は頷く。

「ならば後者のパターンですね。同一種族の場合、群れのボスの【エンシェント・ウルフ】がいてそいつを倒すまで延々と増援が登場します。確証は無いですが、番人はエンシェントウルフと見て良いでしょう」

 三世は事前に仕入れた情報の残りも全員と共有した。


 エンシェント・ウルフ。

 それは大昔に絶滅し、文献でしか残っていない種族のことだ。

 特定の種族を指すものではなく、詳細がわからないほど昔にしかいなかった存在を、エンシェント称してと呼ぶだけだ。

 だからエンシェントウルフと呼ばれる存在も複数いる。

 ただ、大昔の文献に多少書かれている程度で、生体などの詳しいことはほとんどわかっていなかった。

 確かなのは、今この世に存在しないことと、通常の狼と比べ、どの種族も二回りほど大きな体に高い運動性能と知能を持つと記録されていることだ。

 だからこそ、なぜ滅んだのか三世にはわからなかった。


「……ヤツヒサ。お前動物関係の資料ばかり読みこんだだろ?」

 マリウスの呟きに、三世は顔をそらして誤魔化した。

 ラーライル王国、冒険者ギルド、軍、騎士団と、国家に加え大手ギルド全てが協力している事態な為、情報も一元化されていて、三世はその情報を集める依頼を受けている。

 なので三世にも、その一元化した重要な資料を読む権利があった。

 もちろ資料は一通りは見たが、マリウスの言う通り三世が詳しく読み込み、調べたのは動物関連のみだ。


「と、とりあえず狼との闘いを最小限に抑えつつエンシェントウルフを探しましょう」

 三世は色々と誤魔化しつつ、全員に探索をするようお願いした。

 ――ああ。エンシェントウルフが早く見たいんだな。

 三世以外全員の心が一つになった瞬間だった。



 狼がいたら距離を取って逃げ、うまく隙間を狙いつつ初期地点を中心に円のように周囲を探索した。

 時に狼の咆哮から十匹以上の狼に追われることもあったが、まだまだ余裕で一匹も狼を殺さずに探索を進められている。

 殺した狼の血の匂いもそうだが、それ以上に一匹殺した段階で、こっちの評価が『獲物』から『敵』と変わる為出来る限り避けたかった。

 戦力としてはそれほど強くないが、数が多いので相手にするとキリがないからだ。

 狼が美しいから殺したくないという本音も三世には確かにあるが、それを理由に仲間を危険に晒すつもりはない。


 広い上に逃げながらという状況の為探索の進展速度は遅く、途中帰宅も視野に入れようかと考えていたその時――

 チリン。

 ドロシーの付けていた鈴が小さく音を出した。

「……魔力罠……の可能性は低いわよね、マップ的に。だったら、ヤツヒサさん。エンシェントウルフに魔力が宿っているって可能性ある?」

「わかりませんが、可能性は低くないと思います」

 カエデさんは動物だが、複数の魔法を使える。

 それを考えるとエンシェントウルフが魔法を使えても何ら不思議ではない。

 ドロシーは鈴を手に持って体の角度を変え、鈴の音が大きな方向を探した。

「……こっちね」

 ドロシーが左手側に体を向けると、前衛はその方向にまっすぐ歩き、残りの人も後に続いた。


 徐々に鈴の音が大きくなり、距離が近くなるにつれ空の様子が変わってきた。

 進むごとに光量が減っていき、太陽が歩を進める度に沈んでいく。

 それでも足を止めないでいると、あっという間に夜になった。

 異様なほど輝く月と星空の為、足元や手元が見えなくなる心配はない。

 ただ、急に月夜の空となったことが多少不気味なだけだ。

 だが、それを変には思わない。

 むしろ夜こそがこの場の本質だと、なぜかそう思えた。


 夜の草原、そこに一匹の狼がいた。

 今までの狼よりも二回り大きく、手足はすらっとしている。

 白、というよりは透明に近く、月光を反射し淡い銀色に輝く毛並みは美しい以外の言葉が見当たらず、しなやかな歩みには気品が溢れていた。

 顔立ちも狼らしい鋭い顔つきではなく、非常に優しい顔をしていた。


 総じて、美しい以外の形容詞が見つからないほどの見目麗しき狼。

 ただしその狼を見て三世が強く感じた感情は緊張感だった。

 ドロシーの道具がなければ、きっと恐怖も感じていただろう。


 この狼がエンシェントウルフで間違いないだろう。


「みんな!敵だよ!」

 ルゥの掛け声に全員が見とれていることに気づき、はっと我に返り武器を構えた。

 ドロシーは鈴をオフにして袋にしまった。

「倒せないことはない……のだが、油断出来る相手ではないな」

 マリウスはそう呟きながら、盾を持つ手に力を入れた。

 全員で臨戦態勢を取っているが、エンシェントウルフは優雅に歩くだけで、戦うしぐさを見せない。

 ただし、油断が出来る状況ではない。

 エンシェントウルフの周りに漂う空気は闘争の気配そのものだった。


 三世が見た古代の文献に、この狼のことは記述されていた。

 非常に美しい銀色の毛を持つ大きな狼。

 日が出ている間は姿を見せず、夜にだけ現れて走り去る。

 優雅で気品溢れる姿から、人々はその狼を神の使いと呼んだ。

 夜に走る姿を多く見た為、昔の人は狼が太陽を追いかけていると考え、その狼のことを『太陽狼』と呼んだ。



 狼はその優しい顔立ちを向け、こちらに一歩近づいた。

 その瞬間に闘争の気配がとても濃くなる。

 周囲の空気が絡みつくような錯覚と同時に、狼がこちらに――マリウスに視線を合わせた。

「来るよ!」

 ルゥはそう叫ぶと同時に、狼はマリウスに襲い掛かった。

 マリウスは大盾を自分の体を隠すように狼に向けた。

 ギン!と甲高い金属の音の後、狼はすっと元の位置に戻り、再度構えを取る。

「こいつの爪は金属より硬いぞ。繰り返し攻撃を受けると盾がもたん」

 マリウスはそう呟いた。


 狼は再び構えを、前足を振り上げこちらに襲い掛かってきた。

 それに対して三世はルゥとマリウスの間から槍を置くように突いた。

 狼はそれを見て、跳びかかっている姿勢のまま、うまく体を捻り槍を避けて後ろに下がった。

「……よく攻撃出来たな」

 マリウスは感心したように呟いた。

「ご主人様ですからね。動物には強いんですよ」

 シャルトが呟きながら、弓を当てられる相手ではないと思い、手の先に光の刃を作って前に移動してルゥの隣に立った。


 狼は牙を見せ、噛みつく姿勢のままシャルトに跳びかかった。

 シャルトはそれを軽く避け、すれ違いざまに光の刃で狼を切りつける。

 狼は体を捻りつつ刃を避け、距離を取った。

 ただしよけきれず、脇腹あたりの銀毛が赤く染まっていた。

 それでも、狼は同じように構え、こちらに再度襲い掛かってきた。


 三世が思ったのは、不憫という感情だった。

 狼本来の力が出せてないと、わかるからだ。

 構え、襲い掛かって、離脱する。

 この一連の動きの流れが速く、本来は襲い掛かるのも目に追えないほど速いのだろう。

 だが、実際は三世の目でも追える程度の速さしかなく、それ以外でも行動にアラが目立ち動きがちぐはぐになっている。

 恐らくだが、番人という枠組みと、二十階という階層の制限のせいだろう。

 雰囲気だけで強者とわかるからこそ、制限されていると理解出来た。

 理解したのは三世だけでなくドロシーもそうだろう。

 難しい顔をしながら、ドロシーは一切攻撃に参加していなかった。


 気づいた時には狼は血まみれで体中傷だらけになっていた。

 それでも、そのしぐさは美しく、気品は保たれたままだった。

「……私一人で戦っていい?」

 ルゥが狼に背を向け、こちらを向いて尋ねてきた。

 隙だらけのその様子に、狼は少し離れて見ているだけだった。

「……理由はありますか?」

 三世の質問に、ルゥが頷く。

「うん。たぶんあの狼さん。私と戦うことを望んでる」

 ルゥの言葉を聞いた後、三世は狼を見ると、確かに狼は頷いていた。

「……わかりました。いってらっしゃい」

「うん。行ってきます」

 ルゥは三世に微笑みかけ、狼の傍に歩み寄った。


 そして次の瞬間――ルゥは狼に全力で拳を叩きこんだ。

 ドンと強い衝撃のを受け狼がのけぞる。

 ふらふらの狼にも、ルゥは一切の手加減をしなかった。

 狼は立つことすら辛そうな様子でふらつきながら立ち上がって距離を取り、助走をつけてルゥの首に牙を立てようと襲い掛かった。

 首元を狙った噛みつきを、ルゥは左手で優しく払いのける。

 そっと触れられ頭の位置をずらされて攻撃を避けられ、その隙間にルゥは狼の脇腹にアッパー気味に拳を叩きこんだ。

 上に打ちあがり、地面に墜落して転がる狼。

 それでも、狼はまた立ち上がった。

 さっきの拳でシャルトの攻撃した傷口が開いたらしく、脇腹からポタポタと少なくない量の血液がとめど無く流れる。

 それでも、狼もルゥも戦いを止める気配はなかった。

 ルゥにしては珍しく、相手を痛がっても、全力で戦うことを止めていなかった。

 あの狼に何かを感じ取ったのだろう。


 狼の爪が回避したルゥの頬を軽く裂く。

 それでもルゥは怯まず、拳を叩きこむ。

 狼はルゥの体に前足をめり込ませながら、宙に浮いたまま姿勢を変えてその拳を回避した。

 テクニカルな動きで回避を中心に攻撃をする狼と、回避を最小限に、全力で真っすぐな拳を叩きこむルゥ。

 ただ、残念なことに自力の違いが大きすぎて狼に天秤が傾くことは一度もなかった。


 狼もソレを理解しているようだが、それでも戦うのを止めない。


 狼はルゥの頭付近めがけて跳びかかった。

 ただし、今までと様子が違い勢いのない跳びかかり方だった。

 傷で、もうまともに戦うことが出来ないのだろう。

 ルゥはそれをバックステップで回避し、そのまま地面に足を強く叩きつけた。

 ドンと音を立て、激しい地響きを起こす。

 その衝撃はすさまじく、ルゥの足元の地面は一部ひび割れたようになっていた。

 ルゥは足を叩きつけた衝撃をそのまま拳に乗せ、跳びかかって来ている狼に、全力で、正拳を打ち込んだ。

 鈍い音は響かず、代わりに複数の骨が一度に砕ける音が響いた。


 狼はルゥの全力を食らっても吹き飛ばなかった。正しくは、吹き飛べなかった。

 全ての衝撃が狼の内側を襲い、全身を傷付け、狼はそのまま真下に落下した。

 拳が当たったのは腹部だが、口から血を流し同時に折れた牙が落ちる。

 体中で無事な部分はないだろう。

 それでも、狼はまた立ち上がった。

 ふるえたまま、逆にまがった前足を無理やり立たせ、骨の見えた後ろ足でも、狼は立ち上がった。


 瞳から血を流しながら狼はルゥを見据え、何かを伝えるように――月に咆哮した。

 とても死にかけとは思えないほど力強い咆哮。

 肌が震えるほどの音の振動の中――三世は体に強い負荷とだるさを感じた。

 重力が倍になったようなけだるさと苦しさ。

 それを感じているのは三世だけでなく、この場全員のようだった。

 更に、狼の周りにはうっすらとした緑の光が発生している。

 それは魔法による強化に見えた。

 敵全員を弱体化させつつ自分を強化する。

 太陽狼の切り札だった。



 咆哮を食らいながらも、ルゥは何か声を発していた。

 狼の咆哮の中で小さな声が聞こえ、その声は叫び声となり、最後には咆哮となった。

 何を叫んでいるのかわからない。

 だけど、それは確かにルゥの咆哮だった。

 狼の咆哮のようでもあり、女性の叫び声のようでもある不思議な音。

 それと同時に、うっすらとしら緑色の光が玉のように三世達を守るように包み込んだ。


 今度は逆に、狼は何かに耐えるように立っている。

 震えながら足から血を流し、体がキラキラと光を発し崩れながらも、狼は立ったままこちらを見ていた。

 そしてそのまま――狼は消えた。

 三世は、最後に狼が笑ったような気がした。


「……どうして、あの咆哮を最初に使わなかったのでしょう」

 三世はそう疑問に思った。

 こちらの行動を抑制しつつ、自分を強化する力。

 それを使えば相当有利に事を運べたはずだ。

「……名誉ある戦いにしか使わないんだよ。誇り高いから」

 その疑問に、何故かルゥが答えていた。

 狼同士の繋がりからか、何か通じるものがあったのだろうか。

「では、なぜ最後に使ったのでしょう?」

 三世の質問に、ルゥは呟くように答えた。

「私に教えたかったんだよ。誇りある戦いをしてくれた同胞に、最後に自分の存在を教えたかったんだって」

 そう、ルゥは優しい瞳のまま、遠くを見ていた。





 太陽狼のいた場所の少し先から白い光の柱が上がった。

 先に進もうか帰ろうか相談した結果、まだ進むこととした。

 理由は二つ。

 一つは時間も余力も残っているから。

 もう一つは、まったく素材を集めておらず、情報もあまり集まってないから報酬が全くないからだ。

 金銭に困っているわけでは無いが、報酬ゼロというのはさすがに寂しすぎる。

 二十五階か三十階を目標に、金目の物を中心に探しながら進むことに決まった。


 さっきの戦いの余韻が強く残っている。

 不思議な感覚と肌を刺すような緊張感。

 だけど、悪い気分ではなかった。

 一つだけわかったのは、あの狼は意志無き存在ではなかったということだ。

 番人ではあるがあの狼は確かに生きていた。


 身の引き締まるような緊張感ある余韻の中、一同は光の柱に入っていく。

 全員が入った瞬間光は強くなり、全員が目を閉じた。

 そして、光は全員を次の階層に運んだ。


 瞼を閉じてもわかるほどの光量の光はなくなった瞬間、ドロシーの大声が周囲に響いた。

「ちょっ。何それ!」

 ドロシーは震える声でそれだけ言い、腹を抱えて大声で笑い出した。

 何事かと思い三世が目を開く。


 そこで――三世が最初に見たのは猫の耳が生えたマリウスの姿だった。



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