それはまさしくファンタジックな塔だった
暖かかったガニアを離れ、ラーライル王国に近づくとそこはまだ雪景色だった。
馬車の通り道以外、五センチから十センチ程度雪が積もっていて寒々しい。
といっても、寒さも、ついでに美しさも日本村ほどではないが。
ルゥとシャルトは厚着の上から半纏を羽織り、馬車の中で二人くっついて寒さを凌いでいた。
一方三世は、カエデさんの背中の上でぬくぬくと過ごしていた。
『どう?私便利でしょ』
と言わんばかりに暖房の魔法を使ってカエデさんは三世に謎のアピールをしていた。
まだ一月だが、ラーライル王国の雪は思ったよりも少なかった。
ラーライル王国の雪はそれほど降らないらしい。
三世は来た時は三月半ばだったが、その時は雪を見ていない。
だからそれまでには雪は無くなるだろう。
――そうか。もうそろそろ一年か。
長いようで短い生活を思いかえしながら、三世は楽しい過去を振り返った。
「――帰ったら何かなべ物が食べたいですね」
周囲の雪を見ながら、三世はそう呟く。
「良いね!どんな鍋にしよっか?」
そんな三世の独り言に反応し、ルゥは馬車から身を乗り出し三世の方を見た。
「そうですね……新しく知ったレシピで何か美味しそうなのありましたか?」
三世は逆にルゥにそう尋ね、ルゥは人差し指を口に当て、上を向いて考え始めた。
「んー。羊肉を使ったタジン鍋とか出来るようになったよ。専用鍋手に入ったし。あとはカラヒンとかボルシチとか……」
「おー。色々覚えましたね。……さてどうしましょう。シャルトは何か食べたいものあります?」
急に話しかけられ、ルゥの傍で小さくなっていたシャルトはぴょこぴょこと耳を動かし反応した。
「そうですねー。ありきたりですが、私はポトフが食べたいです」
「あー。良いですね。カブの美味しい季節ですし」
三世の言葉にルゥも嬉しそうに首を何度も縦に動かした。
「じゃあ今日はポトフにしよっか!たくさん作ってマリウスのとこにもおすそ分けしないとね!」
ニコニコと言うルゥに、三世は微笑みながら頷く。
楽しい日常が続きそうな予感に、三世は思わず笑みがこぼれていた。
そんな雑談をしながら馬車を走らせていると、三世はふと、何か違和感のようなものを覚えた。
何かが変だ、だけど何が変なのかわからない。
今日中にはカエデの村に着くかなといった距離の中、まだ村が見えるほどの距離でも無いしこの周辺には何も無い。
だけど、何か違うものがあるような……。
そんな不思議な違和感がこの場にあった。
歯に何か挟まってるような感覚のまま、三世は馬車を進めた。
その違和感の正体に、最初に気づいたのはカエデさんだった。
馬車を止め、くいっと首を斜め前、ラーライル城下町のある方向に動かし示した。
三世もその方向を見てみた。
そうすると、うっすらと何かが見える。
まっすぐに長い針のような細い何か。
肉眼でギリギリ確認出来るかどうかの細い髪の毛を伸ばしたような細長い何か。
三世の目では、それくらいしかわからなかった。
「シャルト、ちょっとあっち見てください。アレが何かわかりますか?」
三世の言葉に馬車の窓を開け、シャルトはその方角を見た。
「んー。……塔ですね。城下町の傍から塔が建っているようです」
「は?あの形状で塔ですか?空まであるように見えますが」
三世の言葉にシャルトは頷いた。
「はい。実際に雲を突き抜けてまっすぐ細い塔が建っています。何でしょうねアレ」
シャルトの言葉に三世は何の言葉も返せなかった。
まだ町も村も見えない距離で姿が確認出来るという時点で、それがどれだけ巨大な建造物なのか理解出来る。
三世がラーライルを離れて三か月程度しか経っていない。
天より高いまっすぐ伸びた塔を、その位の時間で用意出来るのだろうか。
……ブルース達なら出来るかもしれないと一瞬考えたが、さすがに無理だろう。
つまり、また何か厄介ごとが起きているということだろう。
そして、何となくだが自分もかかわることになりそうな予感がしていた。
楽しい日常は幻想で、また破天荒な日々が始まると思うと、三世は苦笑せずにはいられなかった。
馬車を走らせ塔がはっきり見えてくると、その異様さが再確認出来る。
窓の無い円柱の塔が、雲を突き抜けて建っている。
茶色で土器のような見た目で、塔の上の方には妙に大きな鳥が塔の周囲を飛んでいた。
それはまるで、ゲームのダンジョンのようだった。
「今日中にお土産は配れるだけ配っておいた方が良いですね。明日にでも呼び出しが来そうです」
シャルトの言葉に三世は同意した。
どうせかかわることになるのだから、こっちから城に行くのも良いかもしれない。
そんなことを考えながら、少し急いで馬車を走らせた。
そこから一時間ほどで、カエデの村に帰ってきた。
この距離からなら大きな塔が城下町のある方角から建っているのがはっきりと見えた。
厄介ごとの予感と同時に、若干だが好奇心が刺激され、三世はソワソワした気持ちになる。
そんな三世を村の入り口で待っていたのは意外なことにユウだった。
三世を見かけると慌てて三世に話しかけてきた。
「おかえりなさいオーナー。お帰りのところ申し訳ないのですが少し相談があるのですが?」
「ただいま帰りました。その相談はあの塔のことですか?」
三世の質問に、ユウは首を横に振った。
「いいえ。何度か冒険者ギルドや騎士団から連絡がありましたが、今回は私事です」
「うん。何があったのですか?」
三世の質問に、ユウは少し恥ずかしそうに照れ、答えた。
「実は、ユラとの間に子供が出来たみたいで――」
「えー!」
話途中にもかからず、馬車の中にいたルゥとシャルトが大声で反応し、ユウの方を見つめた。
「おめでとう!何か月?いつ生まれるの?男の子?女の子?」
矢継ぎ早に質問を投げるルゥに、耳をぴくぴくさせながら興味津々な様子でそれを聞くシャルト。
――いつ、どこで、どんな時代でも、女性は子供が好きなんですね。
三世はそんなことを考えながら、二人と慌てた様子のユウをほほえましく見ていた。
三世の考えている子供好きと、ルゥとシャルトの反応の意味は若干違うが、三世はそこまで考えてはいなかった。
「まだ男か女かわかりませんし、いつくらいかもちょっとわかりません。それでご相談なのですが……」
申し訳なさそうに訪ねてくるユウに、三世は頷く。
「うん。予算がいるなら私のお金好きに使って良いし、家も新築で作り直してもらいましょう。何か欲しい物があったら何でも言ってください」
三世の言葉に、ユウは首を横に振る。
「いえ。お金はおかげ様で十分です。というか十分すぎるくらいもらってます。それで、子供が生まれるので、コレを……」
ユウはとても言いにくそうに、首の輪を指差した。
「………………?」
三世は沈黙したまま首を傾げた。
そしてコンコンとユウが首輪を鳴らして、ようやく意図を理解出来た。
「あ、そういえば私の奴隷って言う名目でしたね」
半ば従業員と思っていた為、三世はそのことをすっかり忘れていた。
「はは。でしたんです」
ユウは苦笑いをしながら答えた。
三世は馬から下りてユウの傍に行き、パチンとユウの首輪を外した。
「そうですよね。親になるのならこんな首輪外さないといけませんよね」
あっさりと外した様子を見て、ユウは微笑みを浮かべた。
「何のためらいを無く外すのですから本当に……。奴隷では無くなりましたが、これからも変わらずオーナーの為に働いていきますね」
「別に友人で隣人。それだけで十分ですよ。とりあえずユラさんの首輪も外しに行きましょうか」
ユウとユラの住んでいる家に向かおうとした時、ユウは少し困った顔をした。
「いえ、今ちょっとユラは人前に出られる状態では……」
「ん?どうかしましたか?」
三世の質問に、ユウは申し訳なさそうに答える。
「つわりがひどくて顔色も悪く、人と会うのを避けているんですよ。ですから元気になった時お願いします」
三世はため息を吐きながら、ユウに言った。
「ユウさん。私の職業忘れてませんか?」
ユウは若干の沈黙の後、小さく「あ」と言葉を出した。
ユウの中では牧場主というイメージが強く残っていて、獣医という職業の事を完全に忘れていた。
三世は一旦家に戻って荷物を置き、ユウとユラの家に向かった。
別に妊娠は病気では無いが、それでも医者の出来ることはあると三世は知っていた。
家に入るとユウは三世に軽く頭を下げて、別の部屋に行った。
三世はユラの部屋の扉をノックした後、だるそうな返事を聞いてから部屋に入った。
部屋に入って最初に見たのは、ひどく辛そうに椅子に座ってテーブルに体を預けているユラだった。
顔を青くしながら柑橘系のジュースを飲むユラに、三世は一言、言葉を残す。
「ユラさん。柑橘系の飲食はつわり中にはお勧めしません」
「まじで!?」
驚いた表情で、ユラはこちらを見た。
「はい。胃がむかむかしている時に酸味のある物を食べたら吐き気がひどくなると思いません?」
「……確かに。でも、酸っぱい物が欲しくなるんですよね。うーん。不思議です」
「そうみたいですね。男にはわからない感覚ですが。とりあえず、首輪を外した後で母子の確認をしましょうか」
三世の言葉にユラは頷き、まっすぐ椅子に座り直した。
三世は首輪にちょいと触れて外し、ユラの腹部を触って診た。
「確かに妊娠していますね。うーん。大体二か月目くらいですかねぇ。今のところ問題は無さそうです。とりあえず妊娠中に足りなくなる栄養のタブレットだけ出しておきますね」
そう言いながら、三世は葉酸とカリウムのタブレットと鉄分のタブレットをユラに渡した。
「ありがとうございます。ところでこのつわりってどのくらい続きます?」
青い顔でそう尋ねるユラ。その様子は本当につらそうだった。
「そうですね、大体の人が二、三か月程度でつわりが終わったと感じるそうです。それを過ぎても終わらない人もいるので何とも言えませんが」
「うげぇ」
ユラはうんざりとした表情を浮かべた。
「じゃあ、何を食べたら良いとかあります?」
「うーん。明確にコレというのは無いですね。食べられるものをバランス良く。一度に食べられないならこまめに食べてください。ですが塩分の取りすぎは気を付けてくださいね」
「はーい。ヤツヒサ先生ありがとうございました」
ユラの言葉に、三世は微笑みながら頷く。
「お大事に、では無く、おめでとうございます。体調に変化があったら何時でも連絡ください」
そう言い残し、三世はユラの部屋を出て、ユウに一言挨拶をして家を出た。
家の扉の前にはルゥとシャルトが目を輝かせて三世を待ち構えていた。
「どうだった?いつ生まれる?男の子?女の子?」
そんなルゥの言葉と同時に、期待に目を輝かせる二人。
「まだ何もわかりませんよ。とりあえずそっとしておいてあげてください」
「はーい」
二人は少し残念そうに声を揃えてそう言った。
三世は一旦家に戻り、村の中で渡す予定のお土産をルゥに持たせた。
ナッツやドライフルーツをキャラメルでコーティングして固めたお菓子で、日持ちする割に味も良い土産らしい。
ガニアで泊まっていた一流の宿で購入したものなので質が悪いことも無いし、何よりルゥとシャルトの味見に合格している。
だからこそ、自信を持って周囲に配ることができる。
そう考えると、三世は自分の変化に気づいた。
『つまらないものですが』
そう言って人に何かを送ることに、抵抗を感じるようになっていた。
昔の世界にいたときは、人に何か送る時は言わないといけないような気がしていたが、今は逆に言ったら失礼な言葉な気もする。
「出来るだけ今日中に渡してしまいましょう。忙しくなる気がするので」
そう言いながら三世が家のドアを開けると、コルネが笑顔でこちらを見ていた。
「………………」
「………………」
沈黙する二人。
コルネはにっこりと笑顔を浮かべ、こちらを見ていた。
その笑顔は、言葉以上にその意図が伝わってくる。
「明日で、よろしいでしょうか?」
三世の言葉に、コルネはにっこりと微笑む。
「明日で、よろしいですよ?」
三世はコルネに土産を渡しながら、過ぎ去った平穏を懐かしんだ。
ただ、考えてみると王族とかかわったり牧場を開いたりと、言うほど平穏な日々は過ごしていないことに気づいた。
退屈だけはしなかったし、きっとこれからも退屈はしないだろう。三世は確信を持って、そう思った。
ありがとうございました。