猫目で犬科。とても近いのに、遠い隣人
私はどう聞いても泣き声はコンコンには聞こえません。
どうしてそう言うようになったのでしょうか。
まあ、鶏の英語の鳴き声より納得出来ないものはありませんが……
「きゅーん……」
赤面しながら、奇妙な声を上げる狐の獣人。
そんな様子を見ながら、三世達は狐の獣人と同じテーブルに着いた。
三世とルゥはテーブルの反対側、シャルトは狐の獣人の隣に座った。
「とりあえず、お久しぶりですね」
そう三世は対面の狐の獣人に微笑んだ。
「ああ、はい。お久しぶり……です……」
あわあわしながらも、何とか言葉を返した狐の獣人。
赤くなったり青くなったりと何かと忙しい人だった。
三世は、その狐の獣人の奇妙な鳴き声に何となく、転移前、動物病院に勤めていた時の事を思い出した。
一つ目の、心が荒みきった緊急治療ばかりのでは無く、二つ目の小さな動物病院にいた時のことだ。
緊急の要件はほとんど無く、大体がペットの犬や猫の予防接種の仕事ばかり。
そんな中、珍しく狐を連れてきた女性がいた。
その狐は、とても狡賢かった。
最初は偉そうにふんぞり返っているのに、予防接種を受けに来たとわかると、悲しそうな声で三世の方を見ながら鳴いた。
「きゅいぃ……くー……キュイぃ」
悲しそうに泣きながら、三世の方をちらちらと見る狐。
「嘘泣きです」
狐の主人は無慈悲にも、真実をぽつりと告げた。
三世は苦笑しながら、注射を刺した。
その時の狐の顔は、世界の終わりの様な顔をしていた。
終わった後は、騙された!みたいな顔をして、飼い主の傍に行き、飼い主の靴をぺしぺしと叩く狐。
童話に出てくる、典型的な悪巧みする狐みたいで、三世は微笑ましかった。
「すいません。この子ちょっとばかし性格が歪んでいまして」
飼い主の女性は苦笑しながら三世に話しかけた。
「でも、そういう所が魅力的なんですよね?」
いたずらっ子で、ちょっとズルくて楽しようとして、でもどこか憎めない。
まさにそんなタイプだった。
そもそも、狐は人に懐かない。飼っている人はそれをわかって飼っている。
「そうですね。誰にも懐かないんです。でも、自分が寂しい時は傍に来るんですよ」
そう、飼い主の人は嬉しそうに語っていた。
そんな狐の鳴き声に、狐の獣人の困惑した声はそっくりだった。
「それで、あなたはどうしてここに?」
三世の質問に、狐の獣人ははっとして答えだした。
「えっと、集落の方が一区切りついたのでごは……遊びにです。仕事で食べある……色々な所に行くうちに旅行が好きになりまして」
しどろもどろになりがなら、狐の獣人はそう言った。
「一区切りですか。集落の方がどうなりました?」
「とりあえず、移転先を三つに絞ったので、後は国と相談しながら決めます。ただ、冬の準備は終わってますので、移動は春先になりますけど」
なるほど、うまくいってるらしい。
「何とかなりそうでよかったです」
三世はそう微笑んだ。
「はい。貴方様のおかげです」
そう、狐の獣人は耳を立てながら、丁寧に頭を下げた。
話しているうちに、大分冷静になってきたようだ。
狐の獣人は、落ち着いた以前の時の様な様子に戻っていた。
「それにしても……ああ。話変わりますが、健啖家ですねー」
三世は重なった白い皿を見ながら、そう呟いた。
悪意の無い、純粋な言葉だが、狐の獣人の乙女心には、これ以上ないほどの深いダメージを与えた。
また顔を赤くさせ、ぷるぷるしながら涙目になり、泣き声を上げる狐の獣人がいた。
「こんなに食べるのって変ですよね……食べ物が美味しくて、つい気付いたら……」
涙目でしゅーんとなっている狐の獣人を、シャルトは同じ女性として、少しだけ同情した。
「ちょっと失礼します」
そう言いながら、三世は狐の獣人の手を取り、触って診た。
赤さが増し、火が出そうな様子になる狐の獣人。
「あの、えっと……その……」
狐の獣人は、真っ赤になっておろおろしつつも、何も言えない状態になっていた。
健康状況や体調を確認する三世。
健康状況問題無し。魔力もうまく循環しているし、不都合の出ている箇所も無い。
「大丈夫ですよ。この位なら十分適量の範囲では無いでしょうか?肥満の兆候も無いですし、もう少し肉をつけても良いと思いますよ?」
三世の微笑みに、狐の獣人はぷしゅーと湯気がでそうな様子になっていた。
「それに、沢山食べることを変とは思いません。むしろ、おいしそうに沢山食べる人の方が素敵だと私は思いますよ」
横でこっそり、ルゥがうんうんと何度も頷いていた。
狐の獣人の表情が変わる。
恥ずかしそうに真っ赤になっていた状況から、軽く頬を朱に染め、目がとろんとして三世の方を見つめていた。
シャルトは、人が恋に落ちる瞬間というものを、初めて目の当たりにした。
この時、ただの恋に恋する乙女だったならば、成就する可能性は無かった。
三世は精神に問題が無さそうに見えるが、その精神状況はボロボロで、つぎはぎだらけの状態だ。
心が病み、それでも手を動かし、なお心を痛めている。その状態はひび割れたガラスと同じで、すぐに割れるほどの状況だ。
それを支えているのは、ルゥであり、シャルトの二人だ。
――誰かと恋愛で一緒になる気は無い。自分なんかと一緒になったら相手に失礼だ。
これが三世の考えで、そして譲れない一線だった。
そう、普通なら、三世は誰の告白でも、断るだろうし、告白されるなどと思ってすらいない。
だが、この狐の獣人は別だった。
ゼロの可能性を僅かな可能性に引き上げた。
頭が良く、機転が利き、そして何よりも、彼女は性格が悪かった。
更に、獣人の愛情表現と、恋愛について、彼女は良く理解していた。
「あの、よろしければ、私に名前をいただけませんか?」
狐の獣人は、微笑みながらそう呟いた。
ただし、その視線の先は三世では無く、シャルトにだった。
「ああ。それは良い考えですね。名前が無いと困りますし、ルゥは長に名前を付けましたし」
三世はのほほんと微笑みながらそう言った。
だが、シャルトはこれを素直に受け止めず、言葉の意図を探った。
確かに、この狐の獣人は三世に好意を持っている。
ならば、三世に名前をつけてもらった方が絶対に嬉しいし、誰かの物になれるという快感は捨てがたい。
それを捨ててでも、シャルトに名づけを頼むという意味。
それは、相手の物にならないという意図があるということだ。
その上で、わざわざシャルトに頼んだ。
つまりこの腹黒い狐はこう言っているのだ。
――自分は獣人の恋愛観に則り、三世を一緒に所有したい。
それは紛れも無く、獣人の恋愛特有の愛情表現だった。
そう見ると、シャルトには狐の獣人の笑顔が、酷く後ろ暗い笑顔に見えてきた。
「順番はわかりますか?」
シャルトの意図不明な質問に、三世とルゥは首をかしげた。
「三。貴方様が二では?」
狐の獣人は答えた。
押し問答の様な不思議な答弁に、二人が遊んでいると思った三世は微笑ましく見守った。
わけがわからないルゥはちょっと寂しそうに膨れた。
シャルトはその答えに微笑んで返した。確かにこの狐の獣人、目も鼻も利くようだ。
「貴方が四になる可能性が高く、五になる可能性もありますよ。それでも良いですか?」
狐の獣人はうなずいた。
「もちろん。五でも十でも構いません。それだけの価値があると思いますから」
シャルトは頷いた。
「もし、私が駄目だった場合は?」
シャルトの質問に、狐の獣人は考える仕草をした後、そっと答えた。
「一を狙い、他の人を二や三につけます。私が駄目だったら、そのまま去りましょう」
シャルトはその言葉に頷き、最後に一番大切な質問をした。
「私とルゥ姉と、仲良く出来るかわかりませんよ?」
狐の獣人は微笑んだ。
「ルゥ様は素晴らしい人なので大丈夫です」
なんか褒められたと気付き、ルゥはにぱーと笑った。それに狐の獣人も微笑んで返した。
「それに、シャルト様と私は、似ているので、きっと大丈夫です」
狐の獣人が三世以外の人を見る、その冷たい目。
確かにシャルトは似ていると思った。
「なるほど。まだそこまでは決められませんが、とりあえず友人になりましょう」
それはシャルトにしては珍しく、自ら友人を求めた発言だった。
シャルトの伸ばす手に狐の獣人は手を返し握手をした。
「あ、私も私も!」
ルゥは慌てて立ち上がり、シャルトの後に、狐の獣人と握手をした。
三世は話しに入れず、少し寂しかった。
ので、わかる部分だけ尋ねてみた。
「あの、シャルトと貴方があまり似ているとは思えませんが、どこが似ているのでしょうか?」
特に容姿の違いは大きく、むしろ正反対では。と思った三世だが、これは言わない方が良いとシャルトの胸あたりを見ながらそう思った。
狐の獣人は、笑いながら答えた。
「私あの時からずっと人が怖いんですよ。特に男の人が」
無表情で自分の体を八つ裂きにする奴ら。
笑いながら、何かの液体を投与するあいつら。
三世達のおかげで、体の傷は無くなり、怒りは霧散した。
それでも、この感情だけはどうしても残ったままだった。
「それなら私もいない方が良いでは無いですか。別の所で食べますから――」
そう言いながら、立ち去ろうとする三世の手を狐の獣人は掴んで止めた。
「いいえいいえ。ヤツヒサ様は、ヤツヒサ様だけは大丈夫です」
妖艶な笑みを浮かべたまま、狐の獣人はそう囁いた。
驚きながらも、三世は座りなおして尋ねた。
「どうして私だと大丈夫なのか、聞いてもよろしいでしょうか?」
そこに何か治療のきっかけがあるかもしれないと考え、三世は尋ねた。
「ええと、失礼な事を言いますが、よろしいでしょうか?」
三世は「もちろん」と言って頷いた。
「えっとですね、ギラギラしたり、強そうだったり、そういう男らしさが無くて、こう、ほんわりした空気なので、大丈夫なんです」
狐の獣人の発言に、ルゥとシャルトは『あー』と二人で呟き納得していた。
「つまり、私が男らしくないから大丈夫ということでしょうか?」
三世は苦笑しながらそう尋ねた。
「いえ!それだけでは無く、こう……素晴らしい方だとは思っていますが、なんと言うか……その……枯れている感じがあると言いますか……」
「つまり、『枯れてて男らしくなく、ほんわかした空気の男』なら男でも大丈夫なんだね!」
ルゥの言葉に、三世は納得しつつも、何か大切な物を人生のどこかに置いていた。そんな気持ちになった。
「この話は置いておいて、シャルト、この方の名前はどうしますか?」
無理やり話しを切り替える三世の言葉に、シャルトは頷いた。
三世とスキルで繋がっているからだろうか。三世の知識の一部は、ルゥやシャルト、カエデさんにも流れていた。
その時、シャルトは自分達の名前の由来を知った。
三世のいた世界の、とある国の単語だ。
ルゥはそのまま狼という単語、シャルトは少しいじってるけど猫という単語。
とてシンプルな名づけで、三世らしいとシャルトは思った。
で、あるならば、狐の獣人の名前も、その法則でつければ良いと、シャルトは考えた。
「ルナール。呼びにくいので通称『ルナ』でどうでしょうか?」
それに、狐の獣人は嬉しそうにうなずいた。
「では、これより私の名前はルナールとなり、ルナと名乗って生きます。三世様、ルゥ様、シャルト様。以後よろしくお願いしますね」
そう、ルナは丁寧に頭を下げた。
そんな和気藹々な雰囲気の中、三世はおろおろしている女性の店員に気がついた。
「あ、注文を頼んでいなかった」
中々注文を取りにいく空気にならず、女性の店員はずっと待ってくれていたらしい。
三世は謝罪しながら、五人分のセットを注文した。
「せっかくですから、ルナさんも一緒に食べましょうか?まだ食べたそうにしていますし」
そういう三世の言葉に、ルナは恥ずかしそうに頷いた。
「それで、ルナさんはいつまでこちらに?」
三世の質問に、肉を飲み込み、ルナは反応した。
「とりあえず、明日には一旦帰ろうかと思います。ヤツヒサ様は?」
「私達はしばらく滞在します。三ヶ月くらいですかね。それと、その様というのは何とかなりませんか?」
ルナはその言葉に、にっこりとしながら答えた。
「だって、命の恩人で集落の救世主様ですから」
三世は頭を抱えた。
「ああ。でも、どうしてもというなら、止めましょうか?」
ルナの言葉に、三世は頷いた。
「そうですね。どうも傅かれるのとか、そういうのは好きになれなくて」
王とか貴族とか、そんなストレスが爆発しそうな環境を三世は極力避けたかった。
だからこそ、偉そうな態度を取るのを三世は嫌っている。
「でしたら、私を下げましょう。なので、そちらが私の事をルナと呼び捨てにしてくださるなら私も様付けをやめましょう」
三世は困惑しつつ後頭部を掻いた。
身内の娘達なら別だが、女性に呼び捨てにするのは苦手だ。
それでも、他人に敬われるよりはマシと思い、三世は困った表情のまま頷いた。
「わかりました。ルナ。そう呼びますからそちらもお願いします」
その瞬間、ルナは隣のシャルトにぱたっと倒れ掛かった。
シャルトは突然の事態に慌てながら、小さい声でルナに尋ねた。
「どうしました?計画通りでしょう?」
そういうシャルトに、ぷるぷるしながら、真っ赤な顔を伏せ、ルナは答えた。
「思った以上に、呼び捨てって、衝撃……凄いんですね……」
何かこの生き物可愛いなとシャルトは思いながら、ルナの頭を優しくなでた。
その髪は思った以上にごわごわしていて、三世はシャルトの手を恨めしそうに眺めた。
「仲良いなー」
そう呟きながら、ルゥは一人でもやしを食べていた。
――このタレ、肉よりももやしと一緒に食べた方が美味しいじゃん。
そんな感動を覚えながら、ルゥは一人でもやしをお代わりしていた。
ありがとうございました。