欠けていたピース
マリウスの妻ドロシー。
普通では無い。異様な天才。マリウスからそう三世は聞いていた。
それに関して三世は、異様に頭の良い学者肌の人間だと想像していた。
手術前の軽い雑談でも、彼女の知性が見えるほどで、理知的な人だなと思っていた。
だが、現実は違った。
目の前で、山の様な食事をしている彼女を見てその考えが間違いだとわかった。
ああ、この人は凡人には想像出来ないことをしでかすタイプの人間だ。
本来なら胃腸が弱り、重湯から慣らさないといけない状態のはずなのに、肉の固まりをワイルドに口に頬張っている彼女を見て、三世は確信した。
「ご主人様……大丈夫なんですか?」
ドロシーの体調を心配してシャルトが三世にそう尋ねた。
「恐ろしいことに、既に健康体です……」
三世の見通しでは、マトモな食事を取るのに、薬を使って一月を想定していた。
その後、マトモに歩ける様になるのにリハビリ二月。
それが三世の見通しだった。
食事前に、獣人化してもらって診たら、完璧な健康体になっていた。
治療した覚えの無い部分も含め、本当に完璧だった。
「ごめんドロシー!もう材料無いよ!」
ルゥが申し訳無さそうに言うと。
「よしきた!一緒に狩りに行こう!」
と笑顔でドロシーは答え、そのままルゥと手を繋ぎながら外に走って出かけていった。
三世とシャルトは何ともやるせない顔になりながら、マリウスを見た。
「……すまん。まともな料理も、力いっぱい動けるのも、子供の時以来なんだ。許してやってくれ」
申し訳無さそうにそういうマリウスに、三世が首を振る。
「いえ。それは良いんです。ただ、正直同じ人間なのか疑問に思うのですが……」
麻酔が切れて目を覚ましてから、即座に食事に入り、一時間食事を続け、その足で狩りに出かけたあの人は、人では無いと言われても納得出来る。
「ああ。俺は一緒にいた時いつもそう思っていたよ……」
マリウスは遠い目をしていた。
戻って来た時には、ルぅは両手一杯の果物と、ドロシーは加工済みの何かの獣肉と液体の入った革袋を持っていた。
「ただいまー。じゃあ夕食の準備するから待っててねー。シャルトちゃんも来る?」
ドロシーの呼びかけに、珍しくシャルトは頷き、とことことドロシーの傍に駆け寄り、一緒に厨房に入って行った。
厨房の方で、キャッキャと楽しそうに料理をする三人とは対照的に、静かになる男二人。
「師匠、どうします?」
困った様な顔をしながら尋ねる三世に、マリウスは答えた。
「ドロシーの分の荷造りをしてくる」
「は?いや確かに体調は良好通り越して絶好調みたいですが、流石に夜、今から出るとは思えないのですが……」
何よりここに来る馬車は一番早くて明後日だ。今日はもう馬車が無い。
「いいや。あいつはそういう女だ。だから悪いが夕食後、直に出られる様に準備しておいてくれ」
そう楽しそうにマリウスは言った。いつもの様に小さな声で無く、嬉しそうに、はっきりと。
三世は頷いて、念のため、三人がすぐに出られる様に持ち物の準備だけはしておいた。
二時間後、三人が嬉しそうに夕食を出してきた。
パン一割、果物一割。後肉。
とにかく肉のオンパレード。今まであまり食べられなかったから沢山食べたいというドロシーの希望故、こうなったらしい。
「ドロシー凄いんだよ!魔法で、ばーって凍らせたり焼いたりしてた!」
それを聞いてドロシーは笑いながら答える。
「違うわよルゥちゃん!これは魔術よ。魔法はもう使えないから」
そう言うドロシーだが、この場でその違いがわかる人は誰もいなかった。
「これはドロシーの言われた通り作った料理だけど?どうかな?」
そう言って、ルゥは三世の皿に、大きなソーセージを入れた。
真っ黒なソーセージ。おそらく血だろう。
「初めて見ました。話には聞いたことありますが、これが血のソーセージですか……」
正直、いやかなり食べるのに抵抗がある。
「うん!美味しいよ!」
笑顔のルゥと、食べてもらえるか心配そうなシャルト、それに自信満々のドロシー。
三人の合作なのだろう。
「あはは。それでは頂きますね」
意を決して、三世はソーセージをがぶりとかみついた。
ぱきっと皮の弾ける感触の後、軽い塩味が口に広がる。
柔らかいレバーの様な食感に混ざった、こりっとした食感。
思っていた様な生臭さは無く、むしろ濃厚な食感の割にあっさりとした味で非常に食べやすい。
「うん。美味しいですよ」
そう答えた三世に、ルゥとシャルトは嬉しそうな顔をした。
食べなれない物なので、食べるのに抵抗はあるが、美味しいのは事実だった。
ドロシーは、マリウスにあーんを繰り返しあげていた。
ちょっと恥ずかしそうに困るマリウスに、満面の笑みのドロシーは、とてもお似合いだった。
見た目の年齢が違いすぎ、中年のごついおっさんと十代の少女という、少し犯罪チックな光景になっているが。
三世が二人を気にしない様に食事をしていると、ルゥとシャルトはマリウスとドロシーを羨ましそうに見ていた。
あっちをちらちらと見た後、羨ましそうに三世を見る二人。
このまま放置すると、腹がはち切れそうになるまで食わされると思った三世は、逆に二人にあーんをすることにした。
それに気付き、二人は目を輝かせて、三世の方に大きく口を開いた。
イチャイチャしているマリウス達と何か違う。
何と言うか……三世は雛に餌付けしている様な気分になった。
食事も終わって、一休みしてから、ドロシーは立ちながら皆に話しかけた。
「さて、それじゃあ我が家に帰りましょうか」
さも当然の様に、そう言い放つドロシーを見て、マリウスが一言「な」と呟いた。
三世は苦笑しながら頷く。
ルゥとシャルトは言っている意味がわかっていなくて、ドロシーをぼーっと見ていた。
帰り際に、主治医だった老人とその妻らしき看護師の人に別れの挨拶をしていった。
とても人の良さそうな二人だった。
最初は帰ることに心配していたが、もう大丈夫だとわかった瞬間、涙目になりながら、快く送り出してくれた。
ドロシーを娘の様に、大切にしてくれていたらしい。
そして、ドロシーを先頭に集団で、村を出て歩き出した。
……灯り無しで。
夜道の移動など想定して無く、もちろん武器も無い。
武器は大した問題では無い。三世の戦力など、武器があろうか無かろうかそれほど重要では無いからだ。
ただし、灯りだけは別だ。敵発見も遅れるし、足元が見えないから何があるかわからない。
まっすぐ歩けず、自分の位置もわからなくなる。恐怖の闇の空間。
そんなことを悩んでいたら、目の前でドロシーはマリウスと手を繋ぎだした。
「うふふー。本当は私でも良いけど、ここはシャルちゃんに頼もうかしら。シャルちゃん。ヤツヒサさんとルゥちゃんの手を握って」
「あ、はい」
ドロシーのお願いに、シャルトは素直に応じに、左手に三世、右手にルゥと手を握り合った。
シャルトはこっそり、左手側は恋人繋ぎにした。
「じゃあ、ほいっと」
そう言いながら、ドロシーがシャルトの頭を撫でると、三世の視界は急にクリアになった。
「あわわわー、目が、目が回るー」
フラフラしだすルゥに、ドロシーは慌ててルゥのメガネを外した。
「ごめん!説明した方が良かったわね!」
ドロシー曰く、視覚共有の魔術らしい。
だから今、マリウスは視覚強化したドロシーと視覚を共有していて、三世とルゥはシャルトの視覚を共有しているらしい。
さっきまで何も見えなかった闇だったのが、今は何となくだが、遠くまで見える様になっていた。
「魔法と違って魔術は欠点が多くてね。長時間持続させようと思ったら手を握らないと駄目だのよ。というわけでしゅっぱーつ!」
仲良く手を握りながら、全員で次の町に向かった。
幸いな事に、野生動物も魔物も、盗賊すら出てこなかった。
途中からドロシーが飽きて、移動力強化の魔術を使い、さっさと次の町に移動した。
三世の常識は尽く破壊されていった。
そしてその町で、適当にお土産を買い、ドロシーは町の偉い人に相談して、カエデの村行きの馬車を頼んだ。
深夜なのに業者さんは快く引き受けてくれたらしい。一体どんな交渉をしたのだろうか。
「さて、後はこの馬車の中で待ってればお家に帰れるわね。どの位かかるの?」
行きよりも大分豪勢な馬車に乗りながら、ドロシーはマリウスに尋ねていた。
「大体三日くらいだな」
「ふーん。……結構長いのね」
少しつまらなさそうにドロシーは呟いた。
「まあ、今日はこのまま寝るわ。ちょっと疲れたし。おやすみなさい」
ドロシーはマリウスの膝を枕に、丸まって寝転がった。
そして一分もしないうちに安らかな寝息を立てだした。
「なんというか、すまん……」
本日何度目かわからないマリウスの謝罪に、三世達は笑って返した。
「気にしないで下さい。でも、目が覚めたらまた元気いっぱいに何かするでしょうから、今のうちに私達も寝ておきましょう」
三世の言葉にマリウス、シャルト、ルゥは頷き、そのまま寝ることにした。
ルゥとシャルトは三世の肩を枕の様にして寝た。
行きの時は最悪の空気だったからか、三世は久しぶりに、リラックスした気持ちで寝ることが出来た。
座ったままの睡眠だから環境はそれほど良く無いが、それでも安眠できたのはよほど疲れていたからだろう。
目が覚めた時には既にドロシーは起きていて、元気一杯で三世達を見ていた。
「さあ、馬車の中で退屈なの!何かお話しましょう!」
その様子はまるで、夏休みの子供だった。
「はい。質問良いですか?」
シャルトの言葉にドロシーは笑顔のまま、シャルトを抱きしめた。
「何かしら!私何でも話すわよ!」
そのまま頬を擦り合わせるドロシー。シャルトは困った表情を浮かべながら為すがままだった。
三世は少し珍しく思った。
シャルトが他人の接触を全く嫌がらないということはなかった。
理由はわからないが、シャルトの中ではドロシーは身内判定らしい。
「たぶんですけど、私魔術の才能あるんですよね?」
シャルトの言葉にドロシーは頷いた。
「うん。あるね」
「では、その辺りのことを私に教えていただけませんか?」
「いいわよ。じゃあ、ちょっとだけ講義しちゃいましょう」
そう言いながら、ドロシーはシャルトを手放して、魔術について話し出した。
魔法はどこからか来た魔力と知識を使う力。膨大な魔力が変換され、行使される力。
魔術は自分の体内のオドと、学んだ知識を使い、術式を構築し発生させる力。
魔術は、同じ事を同じ様に出来るという意味では魔法の行使方法の魔法陣に非常に似ている。
ただし、魔法と違い、魔術は自分の持っているオドの分しか使えない。それは非常に小さい。
一応、魔術の方が優れている部分もある。
例えば変換効率だ。
同じことをした場合、魔術と魔法だと、エネルギー効率に十倍程度の差が出る。
ただし、魔法のエネルギー源は実質無限。
なので、いかに変換効率が良くても何の意味も無いが。
「というわけで、魔法において全てに劣っている魔術でした。ちなみに魔術には他にも沢山のデメリットがあるよ。それでも学びたい?」
ドロシーの言葉に、シャルトは頷いた。
「はい。私はどうしても魔法が使えないので、たぶん魔術に頼るしか無いと思うんです」
ドロシーはうんうんと、頷いた後、シャルトに笑顔を向けた。
「じゃあこうしましょう。私が両方教えてあげる。その上で使いやすい方選んだら良いわ」
そう言いながら、ドロシーは講義を続けた。
魔術の一番大きな欠点は射程距離にあった。
体内で作られるオドがエネルギー源だからか、体内からわずかに離れた段階で、威力減衰が始まる。
高射程の矢を魔術で放ったとしても、五メートルが精々の射程距離となる。
もちろんこれはあらゆる魔術に適用される。
故に、魔術を最大限に生かそうと思ったら、自分の体に作用する物か、接触して発動出来る魔術のどちらかになる。
「帰ったらシャルちゃんの魔術適性とかも調べてみよう。それに合った適切な教え方するから任せて」
妙に嬉しそうに話すドロシーに、シャルトは満面の笑みになった。
ずっと戦力になれないことを、シャルトが気にしていたことは三世も知っていた。
そんなことは気にしていなかったが、本人はそうでは無く、ずっと思い悩んでいたらしい。
だからこそ、ようやく成長の方向性が見えて嬉しいのだろう。
三世はそれが少し羨ましかった。戦闘力という意味では、自分はどう足掻いても、これ以上の成長は難しいだろう。
帰りの馬車の三日間。ドロシーの講義と、三世のこれまでの冒険と、マリウスとドロシーの生い立ちなど、色々と話しあった。
照れるマリウス。はしゃぐルゥ。魔術の実演を馬車内で行うドロシー。
混沌とした環境の中の三日間は楽しく、あっというまに過ぎていた。
カエデの村に着いたのは夕方になっていた。
遠方から帰るといつも思うのは、涼しいよりも少し寒いという感想だった。
はだ八月終わり際。本来なら残暑に苦しむはずなのに、カエデの村は既に寒さの心配を始めていた。
ドロシーは薄着のまま寒い寒いと笑いながら駆け回っていた。
「それじゃあ、今日は悪いがこの辺で」
そう言いながら、マリウスは別れの挨拶をした。
「ん?お土産とか一緒に渡さないの?」
ドロシーの一言に、マリウスは一言小さく「ルカに時間をあげてやれ」と呟いた。
三世もそれに理解し、早々に別れを済ませ、自分達の家の中に入った。
「良かったね。ルカもこれからずっとお母さんと一緒にいられるね」
ルゥの言葉に、三世は頷いた。
ルカはとても強く、賢い子だ。それでも少しは寂しかったと思う。
家族と一緒にいられないというのは、本当につらいことだ。
三世は、ルゥとシャルトを見ながら、そう思った。
「大丈夫かしら?私、全然母親になれなかった。嫌われて無い?」
さっきまでの様子はどこに行ったのか。不安そうに、家のドアの前でドロシーはそう尋ねた。
ずっと手紙のやり取りだけ。抱いてやれたのは病室のみ。
ルカが大きくなったら抱くことすら出来なかった。
それをドロシーはずっと気にしていた。
だからこそ、無理にテンションを上げていたという部分もあった。
早く会いたい。でも会って許されるのだろうか。
ドロシーの頭は二つの相反する考えに囚われていた。
「安心しろ。むしろ、少しでも早く会って抱きしめてやれ」
マリウスがそう言うと、ドロシーは意を決して、ドアを開けた。
「た、ただいま……」
そっと、家の中に入ると、おそらく料理の途中だと思われるルカとドロシーは目があった。
引きつった笑いをしながら入るドロシーに、ルカは信じられない物を見る様な目をしていた。
からーん。
手に持ったおたまを落とし、呆然とするルカ。
それが夢で無いとわかると、ルカはドロシーに駆け寄り、ぽふっと、ドロシーに抱きつき、しがみついた。
「もう、大丈夫なの?」
ルカはそう尋ねた。
もしかしたら、最後の別れを言いに来たのかもしれない。そう考えたからだ。
「うん。元気になったよ。本物の魔法使いさんのおかげで」
ドロシーの言葉に、何となく何があったか理解した。
いつだって、変わったことがあるのはその人の回りだからだ。
「もう、一緒にいられるの?」
「ルカが嫌じゃなければね」
ドロシーがそう言うと、ルカがぎゅっとより強くだきついた。
「もう、甘えるのとか、我慢しなくて良いの?」
震えながら、そう尋ねる娘に、ドロシーは瞳を閉じ、泣くのを堪えながら抱きしめ返した。
「ずっと。甘えさせてあげたかったわ」
その言葉を皮切りに、ルカは激しく嗚咽をあげて、泣き出した。
十年以上、ずっと我慢してきた。母親に泣きつく。
それが今、ようやく出来た。
「私、がんばったよ。村のお手伝い沢山したよ?お父さんのお仕事、沢山手伝ったよ?」
ルカは、だた褒められたいだけだった。それは、たった一人の人に。頑張ったって言ってほしかっただけだった。
ドロシーは、ルカの頭を優しく撫でた。
「知っているわ。お父さんがいつも教えてくれていたのよ。あなたが偉かったって。凄いって。私の、自慢の娘よ……」
自分で言葉に出し、ドロシーも堪え切れず、目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちだした。
ずっと我慢しようとしていたのに。
母親だから。
こんなに娘に不憫な思いをさせた私に泣く権利なんて無いから。
しかし、そんな思いとは裏腹に、ドロシーが泣き止む様子は無かった。
マリウスは、そっと二人を抱きしめた。
女性の声が二つ。とても良く似た声が大きく泣きあい、声が反響する。
その泣き声はしばらく続き、途中から、二人は、何で泣いているのかわからなくなり、気付いたら三つの笑い声になっていた。
ありがとうございました。
何でも無い日常を、面白くかける人って尊敬します。
なかなか難しいですよね(´・ω・`)