入ることの無い町
ああ。カエデさんがいたら……。三人はアトラクションの様に縦揺れする馬車の中で、何度もそう思った。
町や村の間を移動する馬車に乗り継ぎ、宿に泊まり、時に野宿を繰り返しながら目的地を目指す三人。
三人の最初の誤算は普段乗っている馬車から始まった。
いつも乗っている首都付近の馬車の性能は最上級だ。どんな馬車でもほとんど揺らさないカエデさんが単純におかしいだけだ。
三世達はその所為で、いつもの馬車が普通なのだと勘違いしてしまっていた。
首都を離れれば離れるほど、あらゆる意味で馬車の質は落ちていった。
異常なほど揺れる車内。これはサスペンション機能が存在していた今までの馬車に感動すべきなのかもしれない。
デコボコしている道。段差で尻を打ち付けるほどだ。今まで通った道は均されていたという事実を、初めて知ることが出来た。
そして、遅い上に休憩の多い馬。普通に考えたら馬の休憩時間も必要だ。馬はラクダとは違う。水や栄養の補給もいるし足も休ませないといけない。
改めて、三世はカエデさんの素晴らしさを再確認しつつ、ぴょんぴょんする車内で吐き気と痛みに耐え続けた。
三世は改めて心に誓った。次の長距離移動の為に、必ずカエデさん専用馬車を用意することを。
目的地についた時には、出発してから二週間が経過していた。
最近は少し暑いくらいの日が続いていた。不快では無いが、快適とも呼べない。ただ、湿気は少ないから不快感はそれほど無い。
三世は夏の訪れを感じ、内心で少し楽しくなってきた。村行事で夏祭りの企画でも出来ないか。そんなことを考えて馬車のことを忘れようとした。
帰りもあると思い返し、軽く絶望しつつ、仕事に戻ることにした。
目的地について早々、シャルトは眉をひそめながら三世に質問した。
「ご主人様。ここ寄るんですか?廃墟に近いんですが」
シャルトの言葉に、三世は否定できずにいた。その町は予想以上に廃れていた。
三人が目指したのは領主の住んでいた町。元ロナスの町だ。
領主の名前がロナスだからロナスの町という安直な名前。そして、相当強い自己顕示欲が現れていた。
元々は裕福な町で、周囲と交流も多い立派な街だった。が、先代からロナスに受け継がれて十数年。たった十数年で廃墟の様に成り下がった。その生活は地獄の様だったらしい。
今この町の名前は『名前の無い町』で登録されている。
ロナスの町という名前を、一刻も早く変えたいという町民揃っての願いにより、町の名前が正式に決まるまでの代理としてこんな名前になった。当たり前だが前代未聞である。
それだけ、領主という存在がこの町から嫌われていたという証拠でもあった。
この町に住む者は自分達の町を名無しの村、あるいは屑が治めていた村と呼んでいる。
ボロボロで、町としての機能は全く無い為、半ば自虐でそう呼んでいた。
医療施設はもちろん、ギルドも。それ所か、交通の主役の馬小屋も無いし馬すらいない。そして、一時期数千を誇っていた人口も、今や数十人程度しか残っていなかった。
その原因は領主にあった。
無茶な税に意味の無い理不尽な暴力。
住むのに耐え切れず逃げ出そうとした町民は、見せしめに家族を殺され、本人は拷問され、ボロボロの状態で町に返される。見せしめの為だ。
そして、それらとは別に魔法の実験材料として町民は拉致されていた。
アルノ騒動から資料が発見され、関係者が洗い出された。そのうちの一人がこの領主、ロナスだった。
王命の元、ロナスは拷問の末、処刑された。何の情報も持っていない、永遠の命目当てのただの屑だった。
町民達に、ロナスの行いはラーライル王国の本意では無いと知らしめる為と、暴動対策にロナスの首を広場に晒した。
その首すら怒りの対象になり、晒された翌日には、首は原型をとどめないほど壊されていた。
死しても恨みを忘れられぬほど、この町の暗黒の十余年は長く、重たいものだった。
今では王国から支援があり、町としての機能を取り戻しつつあった。
建物はほとんど機能していない為、不便なのは代わり無いが、それでも生きるのに困らない程度には回復していた。
食料と毛布類は町に十分以上に出回り、飢えと寝床に困った者はいなくなった。
逆に言えば、それ以外の物資は未だ行き渡っていない。廃墟に住んでいるだけという状態だった。
そんな町でも、情報収集の為に寄ろうと三世は考えていた。
この町で唯一反乱に成功し脱走出来たのが、今回の目的の獣人達だからだ。
今より約一年前の脱走。だから知っている人も多いはずだ。
しかし、その考えは早くも瓦解することとなった。
「帰りましょう」
町に近づいた瞬間。シャルトが無表情のまま呟く。
「うん。帰ろう。この町には入れないよ」
次にルゥが怯えた様に三世の手を引っ張った。シャルトならまだわかるが、ルゥがそういった反応をするのは非常に珍しかった。
二人の嫌がる理由に最初は気付かなかった。だが、その理由はこっちを見ている町民を見てすぐにわかった。
とてつもなく不快な目でルゥとシャルトを見続けていた。
怒りでも、恨みでも、悲しみでもない。その表情は三世ですらすぐにわかる。恐れだ。
ただただ恐怖に慄き、怯える町民達の目。
事前に理由を聞いていたから、どうしてそういう反応をするのかは理解出来る。
領主が生きていた時、確かに町民は不幸だった。
だが、それ以上に不幸な存在がいた。それがこの町の獣人達だ。
町民と同じ扱いを受けていた獣人。むしろ、頑丈な個体が多い獣人は、人以上に積極的に実験材料として攫われていた。
その上で、同じ町民達にまで、獣人は迫害された。ただ、見た目が違うという理由だけで。
自分より下がいると安心したかったからか、ストレスからの八つ当たりか、あるいは別の生き物を受け入れる余裕が無かったからか。
理由はわからないが、町民が獣人を迫害し、時に殺害したのは純粋な事実だ。
見た目が人に近く、反乱に参加していない獣人もいたが、町が開放された瞬間にいなくなった。どこに行ったかもわからないが、少なくともここよりは幸せな場所に行ったのだろう。
だからこそ、町民は獣人達を恐れていた。獣人達に恨まれ復讐されることに。
そして何よりも、『自分達は可哀想な被害者だ』そう言えなくなることに。
町民達にとって、獣人はあらゆる意味で恐怖の対象だった。
三世は無言のまま町を離れ、暫く歩き続ける。町から離れ、自然が豊かだけど視界が遮られていない場所でテントを張った。
町民を否定する気は無い。悪いのは元領主で、町民は被害者だ。
だが、町民を肯定する気にもなれなかった。自分が辛いから他人を傷つけて良いなどという理屈はこの世のどこにも存在しない。
両者の溝を埋めることが出来る。そんな妄言を吐くほど、三世は夢想家では無かった。
町民と反乱した獣人。一番の解決策は、お互い会わせない様にすることだと、三世は最初から考えていた。
ただ、色々な意味で、あそこまで酷いとは思わなかった。
資料で書かれた内容よりも、町の状態も、獣人への恐れも酷い状況だった。
「自分達が可哀想って考えているあいつらに反吐が出そうです」
テントの中で吐き捨てる様に呟くシャルト。獣人を迫害する人なら、シャルトにとって最も忌むべき存在だろう。
「私を見て、怯えていた……。可哀想。何もしない人にまで怯え続けないといけないなんて……」
逆にルゥは町民に同情していた。
町民に多少は思うところのある三世は、ルゥの人を恨まない気持ちは心に刺さる。
純粋なルゥを見ていると自分が酷く醜い存在な気がしてくる。そして、シャルトもそれは同じらしい。しょんぼりした顔でルゥを見ていた。
「今日はルゥ姉にくっついて寝る……」
落ち込んだ様子のまま、シャルトはルゥに抱きついた。そのまま二人は横になり、毛布をかぶる。
時刻は夕暮れ時。まだ日が落ちきっていないが、精神的に疲れた。三世も二人の様にこのまま眠りに就きたかった。
「明日になったら、獣人の集落に行きましょう。情報は欲しかったですが、あの町で集めるのは無理そうです」
二人は頷いて、夕食も食べないまま、くっついて眠った。
その姿はとても可愛く、愛らしい。出来たら見ていたい。それに気付いてか、ルゥがちょいちょいとこちらを手招きする。
そうしたいのは山々だが、誰かが見張りをしないといけない。三世はルゥの頭を優しく撫でて、テントの外に出た。
三世は二人が起きたらすぐに食べられる様、軽食の用意を始めた。
ビスケット状のパンにかなり硬くなった干し肉。そして塩味とほのかな野菜の味しかしない冷たいスープを準備する。
拠点が決まらない移動が続いた為、食材も減り相当貧しい食事情になっていた。
だがそれも今日までだ。
明日からは獣人の身体能力を生かした狩りと獣人の身体能力を生かした山菜や果物集めが始められる。
調理器具も揃っているし明日からはルゥの料理が食べられる。それはとても楽しみだった。
「……。まいったな。役に立てない置物みたいになってきた」
三世は自分に苦笑しつつ、せめてこれ位はと、自分のドライフルーツを二人の軽食の方に入れた。
そして、少しでも役に立つため、ロープや余った食材等で罠を作りながら、二人が起きるのを待つ。
罠がいくつか出来る頃には日も落ちきり、夜の時間が始まった。
ほー。ほー。
梟の様な鳴き声が聞こえ、遠くの草むらからがさがさと風以外の揺れる音が聞こえた。梟かどうかはわからないが、こっちの世界では初めて聞く声だった。
カエデの村にいた時でもここまで動物達の気配は無かった。
落ちぶれた町のおかげで、野生動物達はこんな所にまで生息範囲を広げているらしい。
この世界だと人里の側には危ない野生動物は近づかない様になっている。
例えば、人里の側の兎は小さく丸いが、人里から離れると、当たり前の様に角が生えていたり牙が鋭かったり、または人並に大きかったりする。
動物を品種改良した結果であったり、強い野生動物は人里に近づかない法則があったりと、色々な要因はあるが、正しい答えは三世には良くわからない。
人里近くには野生動物は確かに来ない。だが、きっとここは例外だ。
落ちぶれて滅びかかった町は動物達に人里と認識されないほど小さくなっている。
その上、近くには獣人の集落もあるのだ。町や三世達が襲われてもおかしくは無いだろう。
さっそく三世は、作った罠を全て仕掛ける。獣対策というよりは、明日の朝食対策だ。
学問所で斥候の心得を習い、冒険にも慣れた三世は、警戒の心得が多少はあった。
テントの側で椅子を出し、日課の革いじりと縫合の練習をしながら警戒する。今日は槍の練習は控えておいた。
体を動かす訓練をすると外の音が聞き取りにくくなる。二人が寝ている為、警戒のレベルを落とすわけにはいかなかった。
「いやはや、人って慣れるものですねぇ」
三世は自分のことながら、そう呟いた。きっと少し前でこの状況なら三世は怯え、すぐに二人を起こしていただろう。
狼やイノシシなど、危険な野生動物に襲われる可能性があるとわかっていても、それほど怖い気持ちにはならない。
周囲への警戒はきっちり出来ている。
音を殺す暗殺者ならともかく、野生動物が襲ってきたくらいなら、二人を起こすのに十分間に合う。
三世はこんな状態でも、動物達の生活音を楽しいと思い、月夜を美しいと思う余裕が持てていた。
警戒はしていたが特に何も起こらず、夜中前くらいに二人は起きた。
三世は交代で見張りをすることを提案し、二人は了承した。そのまま三世はテントに入り眠ることにした。
思ったよりも疲れていたらしく、三世は横になった瞬間に睡魔が訪れる。
うとうとしている時、物音が聞こえ、背中に温かい温度が広がった。
「ご主人様。お邪魔しますね」
そう言いながら、じゃんけんに勝ったシャルトが三世の背中に抱きつき眠りだした。
外で握りこぶしを震わせ、ルゥがしょんぼりしていた。
「ぐーが出しやすいのが悪いの……」
良くわからない不満を口にしつつ、ルゥは交代の時間まで周囲の警戒を開始した。
ありがとうございました。