初めての二人のおつかい
王により獣人の反乱の対処を命じられた三世は急いで仮住居に戻り、冒険の準備を始めた。
急いでもふ……急いで反乱した獣人達と国の対立を止めるという使命の為に。
移送先は国内ではあるが非常に遠方な為、この仮住居に戻ることは無いだろう。
次に戻る時はカエデの村の自宅になる。
なので冒険の準備と同時に、退去準備もしておかないといけない。幸い、荷物はほとんど無い為掃除くらいで良いが。
逆に言えば、冒険に必要な消耗品の類いは今から買わないといけない。
出かけるのを明日の朝と想定し、三世は現地に長期滞在することを考慮して、急いで準備をすることにした。
その前に、シャルトとルゥに見せながら、渡された資料を頭に叩き込む。
資料に書かれているのは、反乱した獣人の理由と、反乱者の首謀者の一部の情報だった。
反乱に加担した獣人達には共通点があった。
一つは、奴隷では無いこと。奴隷という法の守りすら受けられなかったというべきかもしれない。
もう一つは、見た目がかなり動物寄りだと言う事だ。
ルゥの獣人らしい特徴は多い。だが、見た目だけなら精々耳位だ。
シャルトはルゥより少し多いが、耳と目が特徴的で、後は尻尾が生えている程度。
人と比べると、それ以外はほとんど見分けがつかない。
逆に、反乱に加担した獣人は、体の大体が体毛で覆われていたり、顔や、手足が人では無かったりと、かなり動物に近い。中には動物と見分けが付かないような獣人もいる。
そういう特徴的な見た目で差別され、迫害を受けていたらしい。
そして本来ならばそれを庇うべき領主が、積極的に迫害に加担し領地内での不満のはけ口に利用していた。
だからこそ、反乱をせざるをえなかったのだ。誰一人、助けてくれなかったのだから。
三世には全く理解出来なかった。獣要素が強いなら、その分だけもふもふすれば良いのに。
なぜそこで迫害になるのか、三世にはさっぱり理解出来なかった。
日中の内に、師匠のマリウスや村長に事情を説明し、暫く村に戻れないことを報告した。
マリウスは三世に何か頼みごとがあったらしい。
村長も村の診療所についての相談もあるから戻ったら知らせて欲しいと言われた。
更に、冒険者ギルドから三世に名指しで依頼が用意されていた。
追加の様に、理由はわからないが魔法士ギルドからも三世に名指しでの依頼が入っていた。
どれも期日にはもう少し余裕があるから、よほど戻るのが遅れない限りは依頼を受けることが出来るだろう。
だが、当分は忙しいことが確定してしまった。三世はため息を吐き、冒険の準備を進めた。
食料関係から予備の服装、痛んだ器具の買い替えに、三世の切り札レザークラフト用の工具類。
皮と糸に耐久性を高めるための鉄の補助具。それに布があれば、大抵の物が作れる様になった為、下手な荷物よりも利便性が高かった。
特に、獣人との戦闘を想定した場合、どうしても防具の消耗率は早い。
修復にしろ、作り直しにしろ、工具を最大限使う想定をしておいて損は無いだろう。
思った以上に買う物が多く、今日中に買い物が終わるのか怪しい為、三世はルゥとシャルトの二人にお使いを任せた。
少し心配ではあるが、二人一緒なら問題無いだろう。そう思い、三世は自分の買い物を進めた。
「るー。二人でのお買い物って初めてだよね」
うきうきした声でルゥはシャルトに甘える用に話しかけた。
「そうですね。ルゥ姉と二人のお出かけもそんなにありませんでしたし」
人見知りに人嫌いが発症しているシャルトにとって、ルゥという存在は姉であり、最も尊敬する二人のうちの一人だった。
カエデの村では、村人の優しさに触れ、少しは改善されたが、城下町という知らない人の多い場所はシャルトの精神をすり減らす。
ルゥという太陽の様な存在が無ければ、シャルトはやさぐれるか、ずっと家の中にこもっていただろう。
「それでシャルちゃん。私達の頼まれた物って何?」
「そうですね、ご主人様に渡されたメモによりますと……」
シャルトはカバンからメモを取り出し、読み上げる。
「長いロープ、体を拭く布類。清潔で真新しいナイフ二、三本。ランプ類と燃料。それと道中のおやつをお好みで。だそうです」
メモを聞いたルゥは考え込む仕草をした。
「んー。ほとんど良く行く雑貨屋で買えるよね?家のご飯の材料買う途中にあったあの雑貨屋で」
ルゥの言葉にシャルトは頷いた。
「そうですね。ただ、ランプ類は日常品の方では無く、多少高価でも冒険者用のを買った方が良いかもしれません。冒険なので何が起こるかわかりませんから。」
「わかった!じゃあランプを買いに冒険者用のお店にも寄ろう。ついでに冒険に必要そうな物があったら買っておこう」
シャルトは頷き、ルゥが伸ばしてきた手を握った。
手を握ったまま、ルゥはシャルトを引っ張り、遠回りしながら店を目指した。
ラーライル王国は獣人と戦争中ではある。しかし、獣人差別はほとんど無い。
特に首都付近では獣人に対する悪感情は全く無いと言っても良いだろう。
そう、獣人差別は存在しない。ただし、表向きには、だが。
本当に小さい聞こえるか聞こえないかの小さい声。それは普通の人なら気にもならないし、気づかない場合も多いだろう。
しかし、獣人にとっては普通に話しているのと同じ位には聞こえる。
「あの子獣人なのに獣奴隷連れてるよ」
「同族……だよな。可哀想とか思わないのかな」
「何で平気な顔しているんだろう」
小さな小さなひそひそ声。獣人が獣人奴隷を従えているのがおかしく見えるらしく、二人は一部の人から奇異の目で見られていた。
人が、獣人奴隷を従えていても、この世界の人は何も思わない。
人と、獣人が一緒にいても、この世界の人は違和感を覚えない。
ただし、獣人が獣人奴隷を連れていると奇異の目で見て、獣人が人の奴隷を連れていると冷たい目で見られる。
確かに、城下町では表向きは差別が無く、獣人だからといって困ることはあまり無い。
だが、差別意識は無くても、無意識に人は獣人を下だと思っていた。戦争で勝ちすぎているからだろう。
全員がそういうわけではない。本当に少数の人だけだ。
ただ、人の多い城下町の中で、そういう目を二人に向けているのは一人や二人では無かった。
これだけ幸せになっても、まだまだ問題は無くならないとシャルトは内心でそう思っていた。
ルゥの首には奴隷としての首輪が無い。三世が作ってくれた新しい首輪はあるが、奴隷の首輪とは全く違う為、一目見て奴隷で無いとわかる。
実際ルゥの立場は未だに宙ぶらりんだ。奴隷契約の首輪が壊れたのも初めてだし、奴隷に戻りたいと言った獣人も初めてだ。
ルゥは、三世に所有者であることを望んでいた。だが、三世はルゥもシャルトも家族として見ていた。だから、首輪で縛りたくなかった。
シャルトはルゥの気持ちが良くわかる。だから、首輪を今でも付けっぱなしにしていた。外したいと言ったら、三世は喜んで外してくれるだろう。
それでも、シャルトは三世が所有者という立場で、まだいたかった。
三世の気持ちはルゥもシャルトもわかる。どっちも間違っていない。間違い無く、どっちの気持ちも根本は愛だ。
だけど、その所為で今、二人は奇異な目で見られていた。
シャルトは気にもしない。有象無象のたわごとなど、心底どうでも良かった。側にルゥか三世が居てくれるなら、シャルトは外部がどうであろうと何一つ気にしない。
ただし、ルゥは逆だ。人の気持ち、簡単な心がわかるルゥにとって、人の悪意というものはとても辛いものだった。
悪口は全て聞こえ、悪感情側の好奇心に満ちた奇異の目。それはルゥを不安にさせ、悲しませる。
直接の悪意ならルゥも何度か経験がある。だが、間接的に、遠巻きな悪口などの悪意には、ルゥは経験が無く、対処仕方がわからなかった。
それでもルゥは恨まない。
『なんで嫌われているんだろう。何で嫌な気持ちになっているんだろう。悲しいな』
ルゥは嫌っている人が嫌な気持ちになっていることに悲しんでいた。笑って幸せになって欲しいと考えていた。
そんなルゥがシャルトは大好きで、大好きなルゥをそんな気持ちにさせる人間がシャルトは大嫌いだった。
「シャルちゃん。ナイフはこれで良いかな?」
ルゥは悲しそうな作り笑いを浮かべながら、数本のナイフを見せた。
そんなルゥを見て、シャルトは胸が痛んだ。
自分はこの大切な姉の為に、何か出来ないだろうか。
「はい。問題ないですね。後は冒険者の店で買いましょう」
ルゥが頷くと、シャルトはルゥの手を引っ張って店を出た。
シャルトは、少しでも早くルゥの心を楽にしてあげたかった。
店を出ても、どこに行っても、二人を見る奇異な目、見下す目は無くならなかった。
確かに数は少ないが、どこにいっても数人はそういう目で見る人間がいた。
「ルゥ姉様。私寄りたい場所があるのですが、少々時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
ルゥは悲しそうな顔のまま頷いた。
自分がこの首輪への執着を捨てていたら、きっと悲しませずに済んだだろう。
シャルトは自分の所為でルゥが苦しんでいると思うと、酷く胸が痛くなる。
簡単な解決方法はある。陰口を言っている人の所に行って挑発すれば良い。だけど、それだと解決はするがルゥはもっと悲しむ。
それがわかっているシャルトだからこそ、ルゥの嫌がらない方法で、ルゥの笑顔を取り戻したかった。
シャルトが引っ張って連れてきたのは公園だった。
何も無い大きな広場がほとんどで、後はベンチと小さな噴水位しか無いだだっ広い公園。
ただし、人はそこらじゅうにいた。ここは大道芸人が集う場所だった。
芸をする人、芸を磨く人、そして芸をする人がこの場に集る。
また、大道芸をするのに許可も資格も必要無い。必要なのは人を魅せられる一芸のみ。
「シャルちゃん。こんなとこ来て大丈夫?」
人の多い場所に自分から来たシャルトをルゥは心配していた。
ルゥはこれまでの道は、出来る限り人の少ない場所ばかり通っていた。
遠回りになっても、少しでも人が少ない道。そうじゃない時や人とすれ違う時は、必ず手を強く握っていた。
ただただ、シャルトが怯えない様にだ。
そしてシャルトはこの中で大丈夫かと言うと、全く大丈夫じゃなかった。
この広場は大道芸人の集う場所。騒がしく、ガラの悪い人も多い。シャルトにとって最も相性が悪い場所の一つだろう。
膝が震えそうになる。騒ぎ声に泣きたくなる。逃げたい。それでも、シャルトはこれ以外方法が思いつかなかった。
皆が嫌味や皮肉を言わないで、人の悪口を言わないで、笑っていて欲しいんだよねルゥ姉は。わかっている。だって、家族だもの。
だったら、シャルトのすべきことは一つだけだった。
シャルトは息を吸い、大きな声で人々の注目を集めた。
「これより歌劇を始めたいと思います。なので失礼ですが、お耳を拝借します。きっとあなたが聞く気が無くても、お耳は勝手に私の声を聞くでしょうから」
にっこりと笑い、スカートを軽く持ち上げ丁寧に一礼する。芝居がかった動きだが、この場ではぴったりだった。
挑発の様な台詞回しに、人々の関心が獣人二人に注目された。
シャルトは、ルゥに傅く様に跪き、その手を取って手の甲にキスをした。
「では、始まりの音を私めに」
シャルトはそうルゥに言うが、ルゥはついていけずおろおろとしているだけだった。
「適当に高めの音を大声でだして。その後は任せて」
小さい声で囁き、ルゥにウィンクするシャルト。それに頷き、ルゥは声を出した。
「らー」
綺麗な、可愛らしい声。ただ、緊張したからか、少々間が抜けた様な陳腐な声。ただそれだけのルゥの声。
それに、シャルトは声をハモらせた。その瞬間に、音は変化し暴れだした。
ルゥの声に合わせるシャルト。最初の音では何も感じないが、二人の声が揃うと美しい音色の様に聞こえた。
そして少しずつシャルトは声を大きくしていき、気づいた時には皆、シャルトの声に惹かれて動けなくなっていた。
ルゥは声を止め、シャルトはそのまま声を出し続け、歌劇に移行し歌を奏でた。
公園の外周の内側を歩きながら、踊る様に歌い、その周囲を支配した。
誰もがその音色に足を止め、芸をしていた人すらも動きを止めて魅入った。その歌声は、聴きなれたはずのルゥですら、目が離せないほどだった。
その歌は物語の歌だった。物語に合わせ、踊りを続けるシャルト。
その歌は優しき狼の話しだった。
その狼は人を襲わない。
その狼は獣を襲わない。
空腹を堪えながら、ただ果実と水でのみ生きていた。
その狼は自分が恐ろしいと知っていた。だから人に会いに行かなかった。
そしてその狼も、人が恐ろしいと知っていた。だから人に会えなくても平気だった。
ある時、一人の人間の女が山の上に来た。その女の人は人間で、そして捨てられた人だった。
人のことを恐ろしいと知っていた狼は、その女を隠れて見つめていた。
女は目が見えないらしい。
狼は、どうしたら良いかわからず、女の側に果物を投げ込むことにした。女はそれを見つけ、笑顔でお礼を言ってその果物を食べた。
そんな日が数日続いた。だけど人の身に少量の果物だけでは足りず、女はみるみる痩せていった。
それでも、女は笑顔だった。
ある日、女は狼に話しかけた。
いつも助けてくれるあなたはそこにいるの?いるのなら、最後に私のお礼の歌を聞いて。
そして女は、優しい歌を奏でた。狼は初めて歌を聞いた。その綺麗な音色に心が動かされた。
狼は人が皆恐ろしいわけでは無いと知った。そして、この綺麗な音を響かせられる人が死ぬのを許すことが出来なかった。
狼は彼女を背負って、山を降りた。おそらく彼女は近くの人里で捨てられたのだろう。ならば、遠い裕福な人里を目指そう。それならきっと、彼女を迎え入れてくれるはずだ。
狼は走った。ただただ何日も走り続けた。それでも人は弱っていった。食べ物が無いのだから仕方が無かった。
狼は、彼女に『食べ物』を与え続けた。自分の前足で、彼女の口元に丁寧に食べ物を差し出した。
彼女は少しだけ元気になった。
そして、山をいくつも越えた先に、遂に豊かな人里を見つけた。
お嬢さん。このまま、まっすぐ歩きなさい。そこに人里がある。今度はきっと幸せになれる。
狼は初めて言葉を話した。最初で最後の言葉だった。
彼女は一言お礼を言って、人里に向かって歩き出した。もう会えなくなると考えてもいなかった。
狼はその場で倒れた。その狼は前足に肉が無く、その口元は血まみれになっていた。
狼が最後の瞬間に見えたのは、彼女の歌う姿だった。
たったそれだけの歌。たったそれだけの内容。ただし、シャルトの口から出るその言葉は、呪文の様に人の心に染み込んでいった。
公園を一周したら元のルゥのいる位置に戻り、周囲に向かって一礼して手を振った。
しかし、誰もその振った手に反応しなかった。誰も彼も、ただただ呆然としているだけだった。
数十秒ほどの静寂の後、小さな拍手が湧き出し、徐々に拍手は広がっていく。最終的には、全ての人が強く手を叩きあい大きな拍手が鳴り響いた。
ある人は泣きながら、ある人は叫びながら拍手を続ける。そして、拍手が小さくなりだすと、今度は二人の方向に大量の硬貨が投げ込まれ始めた。
ルゥは必死に硬貨を集めながら、おろおろしていた。
「どうしよシャルちゃん。このお金どうしたらいいの?返すの?」
ルゥの悲しそうな顔は無くなっていた。今はただおろおろとしているだけだった。
ルゥに向けられた不快な感情はもう無い。それを向けていた人は拍手をして硬貨を投げていた。
「ルゥ姉はそのお金どうしたいですか?」
微笑みながらシャルトはルゥに尋ねる。ルゥはこのお金がシャルトに対する芸の報酬だと、ようやく理解した。
その上で、ルゥは考え、悩み、そしていつもと同じ答えを出した。
「このお金で、ここにいる人を笑顔に出来るかな?だって、沢山の人が泣いてるから」
悲しい涙では無い。それでも、ルゥは皆に笑顔でいてほしかった。
シャルトは頷き、近場にいる屋台屋の食べ物を買い占めた。
「お金は全部出します。皆さんは子供を中心に公園内の人に無料で配って下さい」
屋台の人は余分に渡された硬貨を受け取り、公園内を走りながら配りまわった。
気付いたら皆馬鹿笑いをし、まるでこの場が宴会の様になっていた。
笑い声と叫び声を上げる人々。それと同時に、悔しそうに自分の芸の練習をする大道芸人達。
ただ、この場にいる皆が、今まで以上にいきいきとしていた。
「ありがとねシャルちゃん。立派な妹を持って私は嬉しいよ」
何に対してのありがとうかシャルトにはわからなかった。ただ、これで悲しい顔は見なくて済む。シャルトにはそれだけで十分だった。
シャルトはルゥに抱きつく。正面から抱きつくと、いつも顔に胸が当たって悔しいから今日は後ろからしがみつくように抱きしめた。
「ルゥ姉。そろそろ買い物に戻りましょう。後はランプ系と燃料、それと日持ちするおやつですよ」
「うん!日持ちするおやつって何が良い?ドライフルーツ?小麦系?」
「両方買いましょうか。予算は少し増えましたし」
二人は手を繋いで嬉しそうに買い物を続けた。今日だけは、どこに行っても二人を馬鹿にする声は聞こえなかった。
ありがとうございました。