その日常は嵐の前兆
三世の最近の日常を一言で言うなら忙しい日々となるだろう。
試行錯誤をして何とか楽な生活を求めている三世。しかし現実はそうはいかない。見通しの甘さが原因だから自業自得ではあるのだが。
牧場経営は全てユウに任せるという名目で押し付けた。事実上のトップである三世の経営関連の仕事はユウの書類を見て『はい』か『いいえ』と言うだけである。
ユウの仕事は立案から周囲の協力や日程の調整、そして三世に持っていくまでに実現が可能かテストして書類を見せる。全ての工程にかかわっていた。
三世は自分が経営が上手く出来ると思っていない。そもそもしたいとすら思わない。
ただ、動物達と触れ合って遊べていたら良い。三世にとって重要なポイントはそこだけだ。
触れ合って遊ぶ。これが望み通りになっているかと言ったら、半分は叶って半分は叶っていないとしか言えないだろう。
具体的に言えば触れ合う機会は山ほどあるが、遊ぶ時間は全く無い。
経営をユウに投げて時間を作ったが、その時間もまた新しい仕事に呑まれた。その仕事は三世にしか出来ない獣医関係の仕事だった。
三世の仕事の大半は牧場関連だ。だから必然的に牧場内に長く滞在することになっている。
関係の無い仕事はマリウスの手伝いくらいだ。
師匠と呼んでいるが今はあまり指導を受けていない。三世が忙しいのも原因の一つだが、基礎が全て出来たと言う大きな理由もあった。
「製作関係は十分出来ている。エンチャント関係もそれなりに安定しているし鉄級冒険者の装備までなら完璧と言って良いだろう。後は店の業務や雑務を覚えたら独立しても問題い無い」
独立の許可と言うのは弟子で無く、一人前として扱っても良いということだ。師弟関係の解消。だが三世はそれを拒否した。
マリウスに追いついたと全く思えないからだ。
革の職人としてもだが、冒険者としてすら差が縮まった気がしない。まだまだ学ぶべきことが山ほどあると三世は思っている。
それに対してマリウスは。
「そうか」
と、それだけ言って軽く笑った。教わるというのは終わったから、今はマリウスの仕事の手伝いをしながらその技術を見て盗む方向で頑張っている。
その為かマリウスもわざとゆっくりと手を動かし見やすくしてくれている。
口ベタで臆病な性格のマリウスは、口での指導は苦手だが、見せる指導はかなり上手かった。
職人としての指導の時間は減った。代わりの時間は冒険者としての指導の時間を増やすことになった。
マリウスの出来ることは基本的に戦うことだけ。だから戦闘技術をルゥとシャルトと共に学ぶ。
ルゥとシャルトは才能が多く問題は無いが、三世は明らかに才能が欠如していた。
能力は動物達のブーストにより人並以上となった。それでも戦いに活かすことはほとんど出来ていない。
だからこそ、人よりも多くの時間をかけて訓練する必要があった。
マリウスの手伝い以外の仕事は全て牧場関連だ。
まず始めに牧場のデザート関係。乳搾りの体験セットやアイスやパンなどの調理。それとお土産の製作。特にカエデさんクッキー。
続いて雑用。運搬が主で、それ以外は掃除や片付け、偶に料金所などを手伝う。他も足りないが、やはり運搬人数が一番足りなかった。
加工した物を使う場所に運ぶ。肉などをバーベキュー会場に準備する。小麦粉など素材を調理場に持っていく。ワイン等お土産を工場から牧場に運搬する。
売れ行きが良すぎるせいで兎に角人手が足りない。従業員は毎日増やしているし臨時のアルバイトとして牧場に遊びに来た人まで雇っている始末。
更に致命的なのは専門技術のいるものだ。例えばカエデさんクッキー。これが作れるのは実はルゥとフィツと三世の三人だけだった。
真っ白い雪のようなクッキーを決まった形に焼き上げ、鬣の部分にシュガーパウダーを振りかけ加工する。
かなりの技量がいる上に買う人はまとめ買いをしていく為作っても作っても数が足りない。
当たり前の話だが忙しいのは三世だけでは無い。というより初期メンバーで暇な人は誰一人いない。
ルゥは調理全般のメインを担当しているしフィツは自分の店があるのに頻繁に手伝いをしてくれている。
人込みが苦手なシャルトはユラの補佐として動物の世話と清掃を担当している。
初期メンバーの中でも、特に悲惨なのはユウとユラだった。
王と三世の話し合いの結果、競馬関係の法律は大幅な改正が決定した。
定期的にアップデートしていき、最終的には現代式の競馬の法に近づける。つまりユウとユラはそれを全て覚えないといけない。
一年に一度か、半年に一度か、三ヶ月に一度かは決まっていないが、兎に角定期的にルールが複雑化する。
更に厄介なのが許可証だ。許可証が無いと予想屋や実況、解説など競馬の二次的な仕事が出来なくなる。この法律は近いうちに施行される。
騎手や育成関係は問題無いが、それ以外。主にユウとユラが担当している所は全て許可証がいるようになる。
そして許可証を手に入れるには筆記試験がいる。
そういうことで、ユウとユラは本来の業務に加えて、試験対策の勉強をこなさないといけない。
更に二人にとって逆風なのが、試験に臨む気のある従業員が全くいないという事実だ。
実況解説の人員は暫く二人だけになり、忙しいのが続くことが約束されてしまった。
これらの忙しい事態の中、更に三世に仕事が追加された。獣医関連の仕事だ。
考えてみたら当たり前のことだった。人に仕事が溢れて忙しい状況。動物がしんどくない訳が無かった。
動物が足りない状態が続いていて一頭一頭に負担が大きい状態が続き、そして賢い子達だからがんばらないといけないと理解していた。
その結果、特に忙しいポニー達のストレス障害が牧場内に蔓延した。
一つ良かったのは発見が早かったことだ。ユラが食事量が僅かに減りだしたことに気づき、三世に相談して事態が発覚した。
ストレスによるトラブルが起きる前だった為、対処もそれほど大変では無い。
三世の仕事に、毎日全ての動物を検診、治療行為をすることが追加された。
三世の忙しさは更に拍車がかかった。
それでも仕事に関しては順調だろう。かなり忙しいが、忙しくないよりは全然マシだ。
ガラの悪い冒険者が、馬に乗る練習をしに牧場に来て、帰る時には大量のお土産を買って嬉しそうにしているのを見るのはほっこりする。
悪くない日常のはずだ。
だが、最近は何とも言えない奇妙な感覚が気になって仕方が無い。
違和感と不信感が合わさったようなざわざわした気持ち。何か悪いことが起きてるような胸騒ぎを覚える。
勘違いだとは思うが兎に角不愉快だった。そして、この嫌な感覚を感じているのは三世だけでは無かった。
「すいません。ルゥさんとシャルトさんに協力を頼んでも良いですか?」
ユウがユラを連れて三世に頼みごとをしにきた。
競馬の実況解説は割と人気がある。それを全部休み、その上ルゥとシャルトの仕事も休ませて何かをしたいらしい。
「本人が良いと言ったら大丈夫ですが、何をする気ですか?」
「ちょっと調査を。どうしても嫌な予感がぬぐえなくて」
微妙な不快感を覚えていたのはユウもだった。
そして獣人の四人は調査に向かった。ユウは三世に内容を話そうとはしなかった。
危ないことをしないと良いんだけど。三世はそれだけが心配だった。
四人が減った分仕事は忙しくなる。嫌な気配は残ってるが、客の数は全く変わっていない。むしろ日に日に入場客は増えている位だ。
本当にまずかったら客も来なくなるだろう。三世は不快感のことについては四人に任せ、仕事に没頭することにした。
客同士の小さなトラブルは相変わらずあるが、大きな問題に発展することは無かった。
実は牧場に一つ秘密がある。それは牧場の入り口にエルフの枝を隠して配置していることだ。
この枝は強力な素材であり、そして魔力のバッテリーのような物にもなる。
そして枝には二つ実がついていた。今枝に付いている実は一つだけ。もう一つは牧場の管理室に置いている。
以前頂いた道具だが、実にも強力な効果があった。
『魔族や魔物』または『悪意を持つ者』に反応するという効果だ。
該当する存在が枝についた実に近づくと、管理室にあるもう一つの実が赤く光るようになっている。
これにより、馬泥棒や強盗を入り口で捕縛に成功していた。
三世は一頭のポニーに乗って牧場内を散策していた。
遊んでいる訳では無い。そう決して遊んでいるわけでは無いのだ。
ポニーの名前はきゃらめる。もちろん名づけはユラだ。この子は人懐っこい子だがあまり騒音が得意では無い。
だからだろう。最近少し元気が無い。三世は仕事を慣れさせる為とリラックスさせるために牧場内でも人が少ない辺りでゆっくり歩かせた。
だから決して遊んでいるわけではいんです。
そう三世は誰かに言い訳をするように、きゃらめると一緒にまったり時間を過ごす。
ゆったりとした時間を欲していたのはきゃるめらもだったからか効果もあったようだ。
元気が無く、緊張気味だったきゃらめるも肩の力が抜けて優しい気持ちになっていた。
きゃらめるの上に乗ってゆっくり散策する三世は、ふと一人の少女が目に留まった。特徴的ある外見からか三世は妙に気になった。
真っ黒な衣装に黒い日傘を持つ黒い髪の小さな少女。歳は十二、三歳位だろう。
シャルトが似たような格好をするとゴシック調で雰囲気が出るが、この子の場合は雰囲気が強すぎて不気味に感じる。
白い肌は健康的とは言えず、病気のようで、目は少し淀んでるようにも見える。
表情は穏やかな微笑を浮かべて、遠くで走るポニーを見ていた。
一つ気になったのは場所だった。牧場内の草原でただ一人。端の方だからこの辺りは人も動物もほとんど寄らない。
もう少し近づけば良いのにわざわざ遠くから動物を眺めているだけだった。
気になってしょうがない三世は、きゃらめるから降りて、少女に話しかけた。
「こんにちは。こんな所でどうしたの?」
遠くを見ていた少女は三世に気づき、立ち上がって会釈をした。
「こんにちは。もしかしてご迷惑でしたか?それなら直に移動しますが」
少女は微笑みながら三世に尋ねる。三世は首を横に振った。
「いえいえ。邪魔では無いです。動物に乗らないで、しかもこんな遠い場所から眺めているだけでしたので何かあったのかなって」
「なるほど。わざわざ気にしていただいてありがとうございます。でも大丈夫ですよ。私はここからで十分楽しいので」
少女はそう言い、さっきと同じように遠くのポニーを見た。その顔は寂しそうでも無く、心からそう思っていると感じるほどに優しい表情だった。
少女が見てるのは小さな子供と両親でポニーと戯れている親子だった。
五歳位の男の子はポニーに乗るのが怖いようで泣いていた。それを両親が微笑みながら子供を慰める。ポニーに背を低くして子供を慰めていた。
少女はそれを見て、穏やかな微笑を浮かべていた。
「ここは素晴らしい場所ですね。きっとあの子はがんばってポニーに乗って、そして帰りは皆笑顔になってるでしょう。動物も人も沢山の愛が溢れている」
そう言いながら、少女は三世の方を向いた。
「私の名前はアルノ。こう見えても一応成人していますよ。よろしければあなたの名前を教えていただけませんか?」
三世の方に向かって頭を下げるアルノ。その態度は礼儀正しい大人のソレで、子供扱いしていることが間違いだと三世は気づく。
「失礼しました。当職員のヤツヒサです。動物のことは多少詳しいので何かあれば聞いてください」
慌てながら丁寧に頭を下げる三世にアルノは笑った。よほどおかしかったのかくすくすと笑い続けている。
「まあ。あなたは面白くて、そして素敵な人ですね。動物が好きだからここに勤めているなんて。私も動物は好きよ。だからそろそろ帰らなくちゃ」
少女はとことこと三世から距離を取って、そして日傘を差したまま三世に頭を下げた。
「それでは御機嫌よう。また会いましょうヤツヒサさん」
仕草はゆっくりだが、少女は急ぐように足早に立ち去った。声をかける暇も無く三世は見えるように大きく手を振った。
アルノもそれに気づき、遠くから三世に大きく手を振って返し、そのまま姿が見えなくなった。
三世はどうして足早に去ったのか理由がわからなかった。
だがその疑問は直に理解出来た。そして、何故こんな遠くから動物を見ていたかも。
さっきまでリラックスしていたきゃらめるが震えていた。きょろきょと周囲を見回したり涙を流したりと怯えたような動きをした。
三世は直にきゃらめるを診た。
結果は良くわからなかった。怯えていて悲しんでいる。
一つだけ確かなのはアルノに怯えていたわけでは無いということだ。スキルの検証でも獣医としてもそう判断出来る。
だからこそ、きゃらめるが何に怯えているのかわからなかった。
次にあったらもう少し詳しく話を聞こう。それで手助け出来ることがあるかもしれない。
三世はそう思ったが、牧場にアルノが来ることはもう無かった。
ありがとうございました。