すれ違いでした
1/何時しか眠っていました。
結局、アスカはエルロン村跡地から離れることは無かった。
既に過去の存在となった残骸を前に、彼女は泣き続けた。今の彼女にはそれしかできなかった。
10年過ごしたのだ。この温かな村で。特異な存在にも関わらず老夫婦は彼女を育て、村の人々は受け入れた。アスカにとってこれ以上ないほど安心できる地で……もう存在しない。
現在彼女の胸の中にあるのは後悔と孤独感。暮石の前で何度も何度も己を否定し、罵倒し、後悔し、IFの世界を思い浮かべる。ただのアスカとしてこの村と最期まで居続けることを。その現実逃避は彼女にこれ以上無いほどの安らぎを与え……何時しか夢となってアスカを包み込んだ。
「……」
暮石の前で安らかな表情で眠るアスカの体に毛布を掛けるフィー。本来なら無理矢理にでもこの場を離れないといけない。現に、彼女の探知範囲内に異物が存在し、こちらに向かって来ている。
おそらくモンスターだろう。生きた人間に気づいた奴らはこぞって襲い掛かってくる。平地では森と違って身を隠すことはできない。だからこそフィーは彼女に移動を薦めた。
それを受け入れて貰うことはできなかったが。
「ゴフ、ゴフ」
しかしそれがなんだ。
受け入れて貰えないのなら、その通りにすれば良い。
襲い掛かって来るモンスターを根絶やしにし、アスカの身の安全を守る。
例え百体以上の軍団が来ようとも、ドラゴンが来ようとも。
「ゴフ、ゴキュ!?」
ゴブリンの首を蹴り折りながら、フィーは辺りを駆け回った。
使い魔ではないと否定されたその身で。
2/森に行くことにしました。
アスカが村の跡地から動くことを決めたのはそれから一週間後の事だった。
吹っ切れた訳ではない。このまま此処に居ても無駄だとようやく気付いたからだ。
死にたくても堕天使の呪いによって死ねず、おじいさんとおばあさんの墓の前で無様な姿を晒し続けるだけ。もし生きていたらなんて言われるかと考え……暮石を綺麗にした後、彼女はフィーの案内の元囲いの森に向かう。
前を向いて歩くのではなく、目を閉じて逃げるだけ。
現在のアスカの精神状態は危うく、何処か自暴自棄なところがあった。
加えてフィーに暴言を吐いた手前話しかけることができず、気まずい空気のまま二人は進む。
そしてその空気は森に着いた後も同じだった。
フィーが目星を付けた場所に行くには森の中を突き進む必要があり、二人は黙々と歩き続ける。道中のモンスターは今まで通りフィーが対処し、アスカの身が害されることは無かった。
だがそのことにアスカは感謝することは無かった。表情を変えることなくキビキビ動くフィーを見ていると思ってしまうのだ。彼女は自分がマクスウェルの御子だから……祝福だから外敵を駆除しているに過ぎないと。
彼女自身、身勝手で、醜くて、惨めだと思っている。大切な人たちを失った悲しみをフィーにぶつけてやつあたりをしているだけだと。
彼女の中の冷静な部分が「すぐに謝れば良い」と囁く。しかし同時に未熟な感情が「自分は悪くない」とそっぽを向く。
二つの感情が矛盾し、アスカはどうすることもできず黙ってフィーの後を追うことしかできなかった。
そんな日々が五日ほど続いた頃、アスカは体を這いずる不快感に表情を険しくさせていた。フィーの洗浄魔法で衣服や体を清潔に保っているとはいえ、彼女は救出されてからずっと水浴びなどをしていない。
魔法で清めることができるのは汚れのみで、心にある感情までは洗うことはできない。だからか、アスカの体は水浴びを求めていた。
「……マスター」
「……なに?」
そんな時、ふとフィーがアスカに声をかける。
約二週間ぶりの彼女の言葉に、アスカは内心ドキリとしつつ素っ気なく返した。
それにフィーは反応することなく、ある方向を見ながら彼女に伝えた。
「あちらに湖があります。しばらく休養を取りますので、水浴びをしたいのでしたらそちらでどうぞ」
どうやら、彼女はアスカが水浴びをしたがっていることを見抜いていたようだ。思えばここ最近は真っすぐ森の中を進むのではなく、何かを探しているかのような動きをしていた。
そのことに今更ながらに気づいたアスカは、礼を述べようとして……声が出なかった。
(……今更、なんて顔をして言えば良いんだ)
……アスカは二週間前に吐いた暴言を後悔する程度にはフィーに心を開いており、しかし感情を素直に曝け出せない程度には心を閉じていた。
そしてそれ以上にフィーの反応が怖かった。都合が良くなったら愛想を振りまくなんて、最低ではないのか? そこまで考えて自分は既に最低な人間だと自覚し、フィーにかける言葉が見つからない。
だからアスカは無言でフィーの横を通り過ぎ、彼女が指し示した湖へと向かった。
探知魔法で周囲に敵が居ないことを確認し、アスカの身の安全を確保したフィーは木の根元に座り込んだ。
アスカの前では平然としていたが、フィーも限界だった。
一日中モンスターの襲撃に備え、アスカが安全に通ることができる道を確保。そして《《回復しない》》魔力を使い、何度も魔法を行使する。
「……やはり、無理が」
他の七天が居ればと考えて、それは無理なことだと彼女は首を横に振る。
アスカが本来の力に目覚めていない以上、彼女の祝福である七天の使い魔はこの世界の制約により全員が地上に現れることは不可能だ。フィーが此処に居る以上援軍は望めず、彼女ができるのは最後までアスカに尽くすこと。
一介の使い魔なら、早々に見限って自分の世界に帰るものだが……それでもフィーは無理矢理にでもこの世界に居続ける。
何故なら、アスカはフィーにとって――。
「――っ!?」
暗転しそうになったフィーの意識が覚醒する。
ハッと顔を上げた彼女はすぐさまアスカが水浴びをしているであろう湖へと駆けた。
しかしそこにはアスカは居らず、あるのは彼女が身に着けていた衣服のみ。
「――マスター!!」
焦燥の表情を浮かべて、彼女は己の魔力残量を気にせずに探知魔法を発動――捕捉。すぐさまその場所に向かって身体強化を施して走る。
森の風景が後ろに流れていき、木々が自分を避けていく。そんななか、フィーは思う。
(……疲労していたとはいえ、この私が気づかなかった)
アスカを攫った敵の強さを。
そして己を欺ける存在を。
3/生きていました。
「……はぁ」
チャプッ……と透き通る綺麗な水が音を立てる。
服を脱いで生まれたままの状態になったアスカは湖に入ると、体に伝わる冷たくも心地良い水の感触に息を漏らす。
記憶を取り戻した当初は、女となった体に色々と思うところがあったものの、今では気にすることが無くなった。……他の女性の裸体は見ることはできそうにないが。
起伏の無い平坦な己の体を見下ろす。そこにあるのは傷一つ無い綺麗な白い肌。しかし、それは魔法で治されたもので、中身は汚れきっている。
時々夢で見るのだ。心を閉ざし、人形と化していた時に受けた凌辱の日々の事。その度に飛び起きて、視界に広がる星々にもう終わったことだと気づかされる。
もうあの魔王ゼアルと名乗っていた堕天使は居ない。勇者と名乗る若者が討ち滅ぼし、この世界を救った。現在他の国々では、100年続いた戦争が終わって人々の笑顔で満ち溢れている。
平和になったのだ。この世界は。
しかし……。
「……おじいさん……おばあさん」
アスカの中では、まだ終わっていなかった。
そして――、
「――ようやく一人になったわね。マクスウェルの御子」
「――え?」
倒された筈の堕天使にとっても。
心の奥底を震わせるその声に、アスカは振り返って――身を硬直させる。
居る筈のない、二度と見ることのないその黒い翼に、アスカは声が出なかった。
絶望に染まった彼女の表情に、魔王ゼアルはニタリと醜悪な笑みを浮かべると、翼を羽ばたかせてアスカに接近。そしてそのまま彼女の体を抱えると高速で飛び立ち森から上空へと抜ける。そしてそのまましばらく飛び立ち適当な場所まで離れると再び森の中へと入った。
そして抱えていたアスカを乱暴に木に押し付けると、今まで堪えていた感情を腹の底から吐き出した。
「ひっひっひ……はひ――は、はははははっはははーーっはっはっは!!」
「……っ!」
邪悪そのものの嗤い声に、アスカはどうすることもできない。ただ目の前の堕天使を震えて見ることしか……。
魔王ゼアルは一頻り嗤い続けるとピタリと動きを止めて、憤怒の声を上げた。
「――あの下等生物がああああああ!!」
森に居た動物やモンスターたちが一斉に逃げ出す。
彼女の怒気は周囲の生物たちを威圧し、生命の危機を知らせる。
それだけ、彼女の怒りは……勇者に倒されたかけたことは許せないことだった。
「私が100年も費やした計画をよくも……! あともう少しだったのに……もう少しだったのにィいいい!!」
ギリギリと折れんばかりに歯を食いしばるゼアル。
彼女の計画が順当に済めば、今頃は地の精霊ノームの力を使い天に居るマクスウェルを引き摺り落とすことができたはずだ。それを見下し続けていた人間に……それも非力なヒューマンに阻まれたとあっては、その憤りは我慢ならないものだった。
だが。
「……でも、不幸中幸いだったわ。私はギリギリ生きていて、そしてこうして再びアナタに会えることができた。
ねぇ? マクスウェルの御子さん?」
「……」
「本当ならすぐにでも調子に乗っている人類に報復をしたいところだけど――あなたが居るのなら別」
木に追いやったアスカの体をねっとりした再生したての歪な手が這いずり回る。アスカは不快感に顔を歪め、しかしそれは堕天使を高ぶらせるスパイスでしかなかった。
「アナタが居れば私はやり直せる。よくぞ一人で逃げ出してくれたわ。おかげで手間が省けた」
「……」
「でも……私も色々と限界なのよね」
そう言って堕天使は自分の体を押し付けた。
熱いナニカが肌に触れ、下を見たアスカは吐き気を覚えた。
女性が持っている筈のないモノ。アスカを汚し続けた忌まわしき物体。
それが脈を打ちながら堕天使の興奮を彼女に伝えている。
「ほら。あの時みたいに……ね? 私が教えたように――」
「――っ」
フラッシュバックする100年間の記憶。動機が激しくなり、汗が吹き出し、気分が悪くなる。
自分でも蒼褪めているのが分かり、しかしどうすることもできない。
……また、戻るのか。
あの、地獄の日々に。
アスカの瞳から光が失われていく。
そして、長い年月を経て覚えさせられた体は、堕天使の恐怖に屈服し、その膝を折るとそのまま口を開き――。
「――汚らわしい手で、マスターに触れるな」
「え? ゴッ――!?」
――瞬間、轟音が響き、堕天使はその体を木々に叩きつけながら吹き飛ばされていく。
そして、先ほどまで堕天使が居た場所に静かに着地したのは……怒り狂った一匹の使い魔だった。
4/アスカ様は私のマスターです。
フィーは上着を脱いで、それを裸のアスカに羽織らせる。
彼女の温もりがそのまま彼女を包み込み、瞳に光が戻っていき、心が戻る。
フィーは堕天使からアスカを守るように立つと体内の魔力を練り上げて、鋭い眼光を森の奥へと向けた。
「猫風情が……やってくれるじゃない……!」
そこに居たのは、フィーの蹴りで頬を赤くするもダメージを受けていない堕天使。彼女は頭を振りつつへし折れた木々を無造作に退けると、ギラリとフィーを睨みつける。
しかしすぐに何かに気づくとポカンッと顔を呆けさせ、目の前に居る使い魔に嘲笑の顔を浮かべる。
「アハハ……通りで惰弱だと思ったわ。なるほどなるほど……」
堕天使の視線は、自分を睨みつけるフィーと後ろで体を震わせているアスカへと移る。
「マクスウェルの御子の使い魔だと警戒していたけど……どうやら杞憂だったようね。
あなた、主に認められていない……いや、この感じだと拒絶されてしまったのかしら?」
「……」
フィーは押し黙った。何故なら、堕天使の言っていることは事実だから。
通常、この世界の使い魔は主からの魔力供給が在って初めて存在ができる。使い魔は強力な力を有しているが、それと同時に存在が不安定だ。
ゆえに主と使い魔の間には強固な絆が必要であり、主が不在してたり拒絶されてしまえば衰弱して……最終的には消滅する。
そしてフィーもその状態に陥っており、もって数日の命だ。
しかしそれは戦闘を行わない場合の事であり、全力戦闘に魔力を回せば彼女は……今すぐにでも消えてしまう。
堕天使は断言する。目の前の使い魔は己の敵ではないと。少し戦えば消えて無くなる弱気存在だと。
フィーもそのことを理解している。
だからこそ、彼女がアスカに向かってこう言うのは当然のことだった。
「アスカ様。私が時間を稼ぐので、その間に逃げてください。……できる限り遠くへ」
「……フィーは、どうなるの?」
「――消えます」
「――」
「元々、無理矢理天から来たこの身。何れ朽ち果てるのは決まっていたことです。……だから、マスターのせいではありません」
自分が死ぬというのに、フィーはアスカに気にするなと言う。
……何故、彼女はここまで命をかけるのか?
この二週間、フィーはただ淡々とアスカの身を守っていた。それは彼女の祝福だからでしかない。そう思っていた。
だが、目の前の少女は本当にたったそれだけの理由でアスカを守っていたのか?
「流石はマクスウェルが作った特注品ね。世界を守るためなら己の命すら惜しくないというわけ?」
「――世界なんて、どうでも良い」
彼女の秘められていた本音が明かされる。
「例え全てが滅んでも……マスターだけは、この私がっ!」
「見下げた忠誠心ねぇ……100年も遊んでいなければ。――片腹痛いわ。
使い魔なら主の危機に馳せ参じるものでしょう? 何がマスターだけは、よ」
氷の剣を作り出した堕天使は、フィーに接近するとそのまま振り下ろした。
それを彼女は銀のナイフで受け止め、両者の間にギャリギャリと互いの刃を侵食する音が響く。
手に持った剣に体重をかけながら、堕天使は罵倒する。
「そこまで言うならさっさと現れれば良かったじゃない?
その子が生まれた時。記憶を取り戻した時。御子として私に利用される時。ほら、こんなにたくさん都合の良いタイミングはあったわよ?
それなのに今更現れて忠誠心出しても意味ないのよ!!」
かつてアスカがフィーに言ったことと同じことを、堕天使は指摘する。
自分たちがそうさせないように妨害工作をしていた事を棚に上げ、彼女を責め続ける。
同時に、アスカは胸が痛んだ。感情に任せて言ったあの時の言葉はフィーを傷つけていた。そのことを今思い出し、理解した。
あの時の自分は、目の前の堕天使と同じだ。
抵抗できないのを良いことに、アスカは言葉の暴力を振るった。
だが、フィーだけはそう思ってはいなかった
「確かに貴女言う通りです」
フィーの透き通る綺麗な声が、堕天使の言葉を……アスカの言葉を肯定する。
「100年もの間、マスターを救うことができなかった。
私たちがもっと早く現れていれば……マスターの大切な人たちを守ることができた。マスターの心を傷つけることはなかった」
「なに? 使い魔の分際で後悔しているの?」
「しますとも。もしこの命で全てを無かった事にできるのなら、喜んで捧げたいほどに。しかし、それはできない。……本当に心苦しい」
「……欠陥品ね」
堕天使は見た。氷の剣越しに見える死にかけの使い魔は……泣いていた。
事務的な対応しかせず、冷たく、心を知らないと思われていた使い魔の少女は……誰よりも熱かった。
アスカの身を守る使い魔を演じ、仮面を被って泣いていた。耐え切れず、アスカの眠っている横で涙を流していた時もあった。
「使い魔とは、主の剣となり、盾となるもの。貴女みたいに感情があるのはダメよ。貴女では使い魔になれない」
「ええ、そうね。私は、あの人の使い魔ではない」
「なら――」
「でも、あの人は私のマスターだ。
マクスウェルの御子だからじゃない。世界を救う存在だからじゃない。アスカ様がアスカ様だから――」
「拒絶されても?」
「私にとっては、それだけで十分」
「訳が分からないわ。それに、みっともない」
その姿を見た堕天使は醜いと吐き捨て、アスカは――涙を流した。
フィーはアスカのことを愛している。
その根幹にある理由はまだ分からない。しかし、彼女の事を想って涙を流す……それだけで十分だった。
謝りたい。あの時のことを謝りたい。
そして生きて欲しい。
生きて、一緒に――。
「だったら……守ってみせなさい」
苛立ちを隠さず、堕天使は一つの氷の槍を生成しそれを――アスカに向けて放った。
それを見たフィーは受け止めていた氷の剣を弾き飛ばすと急いで反転。そして全魔力を用いて身体強化に回す。この世界に来て過去最高の速度でアスカの元へと駆け寄ると、迫りくる氷の槍を砕こうとして――。
(――ダメ、それだけじゃ……!)
手に持った剣をこちらに向かって投げている堕天使の姿を視界に入れる。予めこうなるように仕向けたのだろう。その表情は醜悪な笑みで染まっており、フィーの次の行動を楽しんでいる。
槍を砕けばフィーに剣が突き刺さり、剣を砕けば槍がアスカを貫く。
どちらを砕くのか。それを考える時間は……彼女には必要無かった。
氷が砕ける音と、肉が裂かれる音が響く。
アスカの目の前には氷の結晶と赤い血が舞い散り……そして最後にフィーの体が崩れ落ちた。
「――フィー!!」
アスカの悲痛な叫び声が森に空しく響き渡った。




