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 1/闇の中に居ました。


 闇の中に居た。


 堕天使に捕らわれた俺は、玩具のように弄ばれた。

 嫌だと言っても強引に体を使い、無理だと言っても魔法で無理矢理体の感覚を操り、そこにあるのは終わりの見えない地獄だった。


 どうしてこんな目に? なぜ俺が? おじいさんたちは無事だろうか?

 冷たい牢獄の中で何度も何度も考えた。

 死にたいとも思った。

 でも、それすらもできず……何時しか俺は考えることをやめた。


 擦り減った心は助ける声をあげず、ただただ闇の中を彷徨い続ける。

 何かを望むことは無駄な行為だ。

 抵抗すればさらに地獄の底へと落ちていく。

 だから、何もせず、無為に過ごせばいい。


 でも――。

 できることなら――。

 おじいさんたちは……村の皆はどうか――。



 2/外に出ました。


「――」


 少しの振動と、体を包み込む温かい何かに、自分の意識が覚醒していくのを感じたアスカ。

 何も映していなかった彼女の瞳に徐々に光が戻る。


「……?」


 アスカの体と心が久方ぶりに合わさり、彼女は次第に目の前の光景を認識していった。

 まず最初に目に入ってきたのは、キラキラと淡く輝く魔法の光だった。

 それはアスカの体を優しく包み込み、汚れや傷を癒し……不思議とこの光に触れていると精神的にも落ち着いた。


 次に写ったのは、アスカを閉じ込めていた牢獄の岩壁ではなく、太陽の下ですくすくと育った巨大な樹だった。アスカの体の何倍もの大きさがあり、どっしりと構えていながらも優しさを感じ取れた。


 そして最後に写ったのは……一人の少女だった。


「おはようございます、マスター」


 恭しくお辞儀をするのは執事服を着た少女だった。

 紫色のセミロングの髪にサファイアのように蒼い瞳。浮世離れした美しさを持つ少女は、その氷のように冷たい瞳をただジッとアスカに向けていた。

 状況が理解できないアスカは静かに見返すことしかできず、両者の間に空白の時間が生まれた。

 五分経ち、十分経ち、十五分過ぎた。永遠に続くかと思われたこの時間は、突如飛び立ったカラスの鳴き声で終わりを告げる。

 ハッと何処か朦朧としていた意識を覚醒させたアスカは、目の前の少女に問う。


「……此処は?」

「はい。囲いの森の南側です」


 囲いの森とは、ダリオス王国の首都デリスを周囲にある外壁をさらに囲うように存在している森の名だ。以前アスカが王宮騎士団たち連れ去られた時も通った森で苦労したのを覚えている。この森によってダリオス王国は二重の防壁を有しており、籠城戦に強い。

 それも勇者たちに突破されてしまったが。


「君は……誰?」


 しかしそんなことはどうでも良い。

 本当に聞きたいのは、彼女が何者なのかと言う事。

 こうして対峙していて、アスカは妙な安らぎを感じていた。そのことが不気味で、凄く気になった。

 アスカの問いに少女は粛々と答える――主に対して。


「申し遅れました。私は七天の使い魔が一人、フィーと申します。マスター……アスカ様の祝福(ギフト)の一部です」

「……七天? 使い魔? 祝福(ギフト)?」

「……ご存知でないのですか? 失礼ながら記憶は……?」

「えっと、記憶って前世のこと?」

「はい。前世の記憶を思い出すと同時に、祝福(ギフト)に関する情報を知り得ている筈なのですが……。

 もしやセーフティが未だに掛かっている?」


 ブツブツと俯いて独り言を呟くフィー。

 何が何だか分からないアスカは置いてけぼりだ。

 これ以上考察を続けても意味がないと感じたのか、フィーは顔を上げると彼女に近づく。


「このままでは色々と不都合でしょう。今から私がセーフティを解除します。申し訳ありませんが、暫しジッとして――」

「――触るなっ!!」


 魔法陣を手のひらに展開させて、アスカの頭部に触れようとするフィー。

 しかし、それをアスカが強く拒絶した。

 それにフィーは驚いた表情を浮かべ、しかしそれ以上にアスカが驚いていた。

 何故自分は急にこんなことを? 混乱するアスカ。先ほどの叫び声はほとんど反射に近く、意思に判した行為だった。

 彼女はフィーに謝ろうとして――喉の奥が引き攣ってうまく声が出ない。

 それどころか、目の前のフィーが恐ろしいナニカに見え――記憶がフラッシュバックする。

 堕天使に汚された日々。泣いても、叫んでも、助けを乞いても、懇願しても止まらない地獄の日々。

 それが、目の前の少女を起点に蘇っていく。


「う、うわああああああ!!?」

「……っ!」


 ドンっと強く突き放し、逃げ出そうとして――木の根に足を引っかけて転倒する。


「マスター!?」

「う……く……っ」


 助け起こそうとして……フィーは先ほどのアスカの豹変を思い出して手を引っ込める。

 今、アスカに彼女の善意は届かない。逆効果だ。

 それは何故か? 答えは明白。


 アスカは他人と触れられるのが……怖くなっていた。



 3/転生について知りました。


 地の精霊テララが眠るノルスローム大陸。

 水の精霊アクアが眠るアラストラル大陸。

 火の精霊イグニスが眠るサラマンダリア大陸。

 風の精霊ウェントスが眠るユースティア大陸。

 そして精霊の王ルクスが治めるヴェルカラント大陸。


 この五つの大陸から成るのがこの星『オルジアナ』。

 人や魔族、エルフや獣人など様々な種族の人間がおり、アスカにとっては空想の世界だった。

 しかし、それは本来ならあり得ないこと。この世界にとっては魔法も精霊も常識であり、アスカのような認識をする者はまず居ない――例外を除いては。


 その例外こそが、この星を創り出した精霊にして神に等しい存在であるルクスが特例として許した者――転生者だ。


「それが……俺?」

「はい。転生者には、転生前に己の望む力……祝福(ギフト)を手に入れる機会が与えられます。

 祝福(ギフト)を得た人間は基本前世の記憶を所有しており、それを思い出すことで祝福(ギフト)の力に目覚めます」

「でも、俺は記憶を思い出したけど……そんな力には目覚めなかったぞ? それに、フィーが俺の祝福(ギフト)ってどういうことなんだ?」


 気分が落ち着いたアスカは、フィーからこの世界について、そして自分の存在と祝福(ギフト)についての説明をフィーから受けていた。

 しかし、彼女の話を聞いてもいまいち納得ができず、信じられずにいた。


「マスターの場合は特例中の特例でして……。

 私から話を聞くよりも思い出した方が早いと思うのですが……」

「……ごめん。無理」

「そう、ですね。すみません。私の落ち度です」


 しかし謝罪の言葉を述べるフィーの表情はほとんど動かなかった。細かい変化はあれど基本は無表情で、アスカは彼女が何を考えているのか分からなかった。こちらが話しかけないと沈黙し続けているのも原因の一つだ。……女性恐怖症となったアスカにとって、今は有り難いことだが。


 アスカは、フィーに自分の身に起きたことを話している。

 十歳の誕生日にダリオス王国に連れ去られたこと。堕天使が既に支配していたこと。自分が捕まったこと。……長い間凌辱を受けていたこと。

 だから、彼女はアスカが女性恐怖症であることを理解し、こうして会話をしながらも一定の距離を保っている。なるべく彼女の負担にならないように。


 ……ありがとう、と礼を述べる余裕は彼女にはなかった。

 彼女はどうしても確認したいことがあるのだ。


「ねえ、フィー。俺これから行きたい所があるんだ」

「お供します。……ちなみにどちらへ?」

「うん。こうしてあの堕天使の元から抜け出したんだから、急いで皆に……エルロン村の皆に知らせないと――この国は危ないって。逃げないとって」


 意識を失う前まで気にかけていた大切な人たち。

 彼女らの身を案じて、アスカはすぐに戻るべきだと言う。

 ――その先にある、残酷な真実に気づかずに。



 4/七天について知りました。


「ねぇ、フィー。一つ気になったんだけど?」

「はい、なんでしょうか」

「《《七天》》って言うからには、フィー以外にも似たような人たちが居るの?」


 森の中を歩く道中、アスカはフィーに己の祝福(ギフト)について尋ねていた。

 彼女の問いに対してフィーは頷いて肯定する。


「はい。私以外にも使い魔が六体存在し、マスターに忠誠を誓っています」

「うーん……あまり実感が湧かないな」


 一度も会ったことがない相手に忠誠を誓われても困惑するアスカ。

 彼女の脳内に執事服の少女がズラリと並び、「おはようございます、マスター」と口を揃えて跪く。かなりシュールだ。

 祝福(ギフト)とは、そういうものなのだろうか。


「そもそも、七天の使い魔って何? フィーを見る限り執事のようなものみたいだけど……」

「それも我々の存在意義の一つです」

「一つ?」

「はい。平時は身の回りのお世話をさせていただきますが――」


 そこまで言って、突如フィーは明後日の方向へと何処から取り出したのか銀のナイフを投擲した。


「ギャッ!?」


 するとナイフは木の陰からアスカに襲い掛かろうとしていた狼型のモンスターの脳天に突き刺さる。

 痛みに身を硬直させたモンスター。その隙を突いてフィーは跳躍し、鋭い蹴りを首に叩き込む。ゴキッと骨の折れる音が辺りに響く、モンスターはそのまま絶命した。

 華麗に着地したフィーは突然のことに唖然とするアスカに振り返り、説明を続ける。


「このように、戦闘のサポートを執り行っています」

「そ、そうなんだ……」

「そもそも、七天のほとんどは戦闘に特化している者が多いです」

「へ、へぇ……」


 ……それよりも。

 アスカはフィーが仕留めたモンスターを見る。狼の姿をしているが、その体躯は熊のように大きく首も結構太い。

 それを蹴り折る彼女を見て、一体あの華奢な体の何処にそんな力があるのだろうかと戦慄した。というかドン引きである。


「……ご安心ください、マスター。七天の使い魔の中には男性の方もいらっしゃいます」

「え? ……あっ」


 どうやら、アスカが女性に囲まれるのでは? と身構えているとフィーは勘違いしているようだ。

 その勘違いを正そうとするアスカだが、フィーは「夕食の準備に取り掛かります」と言い、モンスターを木影に隠してアスカから見えないようにすると捌き始めた。

 それによってアスカは誤解を解くことができず、その場に佇むことに。


(……なんか、話し辛いな)


 自分が女性恐怖症になったことを抜きにしても、アスカはフィーに対してコミュニケーションを取り辛く感じていた。

 彼女が受動的だというのもあるのだが……。


 アスカに従っているのも彼女の祝福(ギフト)だからだろう。

 それを感じ取っているからか、アスカもいまいち踏み込めずに居た。


 だからと言ってアスカにどうこうする余裕はない。

 彼女の中の最優先事項は村の人たちの安全の確認。こうして足を止めているのも惜しいくらいだ。早く村に戻って無事を確認したいところだが、今は十歳の体力が煩わしい。


「終わりました。では、行きましょうか。

 日が暮れる前に森を抜けましょう」

「あ、うん」


 モンスターを捌き終わったフィーが、歩き出す。

 その後を続くアスカだが……ふと気づいた。


(あれ? 捌いたモンスターの肉……何処にあるんだ?)


 着の身着のままのフィーを見て、アスカは内心首を傾げた。




 無事に森を抜けた二人は、辺りが暗くなったこともあり野宿することになった。

 と言っても準備は全てフィーが一瞬で終わらせたが。何処からともなく薪木や鍋を出し、簡易テントを立てた際には、アスカはもう気にしないことにした。


「どうぞ。今夜は冷えるので」

「ありがとう」


 焚き火の向こう側から、中身がお椀に入ったを受け取るアスカ。

 覗いてみると、白いスープにニンジンやじゃがいも、そして森で獲ったモンスターの肉が入っていた。……シチューである。前世でも今世でも食べ慣れた料理。


 しかし何故だろう。こうして目の前にすると久しぶりな気がするアスカ。

 彼女は木製のスプーンで一掬いし、口の中に放り込んだ。すると、味と共に温かい何かが胸の奥に広がり、アスカは夢中で食べ始めた。


 おいしい。……おいしい!

 ただのシチューのはずなのに、どうしてこんなに美味しく、そして懐かしく感じるのだろうか。

 あっと言う間にお椀の中が空になり、アスカはフィーに差し出して一言。


「――おかわり」

「……承知しました」


 フィーは静かに受け取ると、アスカに手渡す。

 そして美味しそうに……泣きながら食べているアスカを見ながら自分もシチューに手を付けた。



 6/辿り着きました。でも……。



 次の日の朝、アスカとフィーは故郷の村に向かって歩き出した。

 道中モンスターの襲撃に遭うも、フィーが文字通り一蹴りしていき、問題なく村へと近づいていった。

 しかし、村に近づいていくというのにアスカの顔色はよろしくない。むしろ悪い。


「おかしい。そろそろ見えても良い頃なんだけど……」


 加えて、アスカは妙な違和感を抱いていた。

 幼い頃から住んでいるから、この周辺の地理には詳しい。だから何となく分かるのだ。今自分が何処に居て、あとどれくらいで村に着くのかを。

 しかし、見える風景とその感覚が合わない。

 堕天使に捕らえられたせいでおかしくなっているのか?


「……」


 違う。おかしいのは――此処だ。

 アスカの視線の先にはボロボロになった囲いの柵と、何年も経って崩れ去った木屑。そして……建てられた幾つもの暮代わりの石。


「なん……で?」


 足取り危なく、アスカはその暮石に近づく。

 そしてすぐに気が付いた。そこに刻み込まれた名前に。

 ウォルガ。ジーニ。……アスカのおじいさんとおばあさんの名前だ。

 コレット。リーガル。ロイド。……村の大人たちの名前だ。

 フィリス。ルーナ。カイト。……友達の、名前……。


 他にも様々な名前があった。アスカの知らない名前もあったが、此処にあるということは……既にこの世には居ないということ。

 辺りを散策していたフィーがアスカの傍に立ち、己の見解を述べる。


「……この辺りの土地は死んでいます。おそらく、戦争の影響かと」

「……」

「推測するに、この村が壊滅してからかなりの時間が経っているかと思われます。道中、村を見かけなかった事からも……」

「……」

「それとマスターにはある魔法がかけられています」

「……魔法?」


 フィーの言葉が素通りしていく。

 しかし、次の言葉は熱を持って彼女の体に刻み込まれた。


「はい。その魔法の名は『パーフェクト・コフィン』。水属性最上級魔法の一つであり、効果は相手を永眠させ、封印する魔法です。この魔法にかかった者は空間ごと凍らせられ、術者が死ぬか解除しないかぎり目覚めません」

「でも俺は起きている」

「それはおそらくルクス様の加護のおかげかと。その加護のおかげでマスターは体の時間を止められるだけに留まり、こうして活動を――」

「――また、それか。ルクスルクスって……」

「……マスター?」


 ――アスカは、本当は分かっていた。自分の身に何が起きているのか。そしてそこから導き出される残酷な答えを。しかし、心がそれを拒絶し、気が付かないフリをし、聞こえないフリをし、見えないフリをし……こうして現実を突き付けられる。


 アスカが捕まって100年の時が経っている。村も戦争で蹂躙された。

 かつて彼女が住んでいた故郷はもう無い。

 ――自分を愛してくれた人たちは、死んだ。


「……マスター。此処に居てはモンスターに襲われます。戦争の影響でマナが残留しやすく――」

「――うるさい!」


 もう、彼女の心のダムをせき止める壁は無い。

 崩壊した感情の水は、すぐ近くに居るフィーへとぶつけられていく。


「なんで、あの時……俺が連れ去られる時に現れなかったんだ!

 俺の祝福(ギフト)なんだろ! だったら記憶を取り戻したあの日に、来るんじゃないのか!」

「……本来ならその予定でした。しかし堕天使たちの妨害で地上と(ソラ)の繋がりが不安定になり、気が付いた時には時間のズレが起きていました」


 フィーたちに落ち度はない。堕天使の妨害が無ければ、五歳のあの時にアスカは祝福(ギフト)を授かって魔王ゼアルの手中に収まることも無かっただろう。

 それをアスカの理性が理解している。しかし感情が納得しない。

 だから。

 激情に駆られたアスカは。

 言ってはならないことを言ってしまう。


「何が祝福(ギフト)だ……何が使い魔だ……」

「……」

「お前なんか――俺の使い魔じゃないっ!!」


 アスカは……フィーを否定した。

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